第2話 一撃

「キョン!」

「わっ!」

 部室に入った直後、モップの柄が俺の胸に直撃した。とっさに床に転がった瞬間、ぶんっ、と第二打が頭をかすめる。

「なにすんだ!」

 俺はよろけ、かろうじて長机に手をかけて起き上がる。

 ハルヒは黒髪を揺らしながら、からりとモップを投げ捨てて俺の制服をつかんだ。

「いったい何の真似よ!」

「だから何をだ!? いきなりモップで突く必要あんのか?」

「これを見なさいよ。覚えがあるでしょ!」

 今朝ほどの沈みがちの状態はどこへやら、ハルヒは俺から手を離して長机にぱらっとA4コピー紙を投げた。

 俺は警戒しつつ、手を伸ばして取り上げる。紙にはこう書かれていた。


 “校内何でも解決集団、SOS団へ来たれ。

  恋愛、進路の悩み、どんな悩みも縦横無尽に即解決!!

  ただいま春の大キャンペーン中。格安応対。

  大出血サービスにてご奉仕中。部室棟にGo!!

        熱 烈 歓 迎!“


 腰の砕けそうな駄文の下に、例の歪んだ円環マークのイラスト、さらにその下に連絡先として俺の名前と携帯番号、メールアドレスまである。これは個人情報の侵害だろ。

「あたしの許可なく、こんなバカ文を校内掲示板に貼るとはいい度胸ね」

 お前が去年バニースーツで配り歩いたざら紙と同レベルだろうが。

 腕組みをしたハルヒは傲然ごうぜんと俺を見下ろしている。あたかもギロチン台に横たわる虜囚りょしゅうを見る処刑人のごとき目つきである。

「俺は貼ってない」

「じゃ、誰がやったの? あんたの名前まであるじゃない! おまけに恋と進路指導? はっ! 聞いてあきれるわ。いい? あたしたちの活動は恋人探しなんかじゃないから!」


 俺は春風がカーテンを揺らしている窓側の連中を見渡す。

 古泉は本棚を背に座ったまま、なんかおもしろそうにこっちを眺めている。机の上にはやりかけのゲームカードが広げてあった。なみなみとコーヒーが満たされた湯飲みがカードケースの横にある。いかにもしばらく前まで夢中になってやっていたかのようにみえるが、単なる演出という気もする。

 俺のいないときに古泉がほかの連中と何を話しているのかは知らないが、こいつはいつだって怪しい。しかしあからさまに疑わしいヤツは無実、ってのは推理モノの鉄則だ。

 次に俺の視線が向かう先は、春バージョンメイド服を着た朝比奈さんであるが、急須を持ったまま、ふるふると顔を振って否定している。この真実の瞳を疑うやつがいるとしたら頭がどうかしてる。

 長門は全く我関せずで窓際の定位置に座ったまま、分厚い文庫を持っている、青背だからSF文庫だろうか。


 俺は紙を取り上げて改めて観察する。

 町内回覧板レベルだった去年のよりはずっとましではある。このイラストはSOS団のホームページの画像コピーだろう。それなりにポスターとしての体裁はととのっていた。

 去年、ハルヒが所信表明した内容は俺だってろくすっぽ覚えちゃいないが、不思議募集がないところは違う。

 俺はカマドウマ事件の直後、校内に張ってたやつはすべて引っぺがしてまわった。これ以上、奇っ怪な依頼が来て欲しくなかったからだ。変なクライアントが登場するたびに、異世界で巨大昆虫と戦うってんなら命がいくらあっても足りるはずもない。

 そんな俺の切なる願いもむなしく、ハルヒが配布した紙を後生大事に半年以上も持っていた生徒から三月になって幽霊騒ぎが持ち込まれ、俺たちは巫女さん衣装をまとった朝比奈さんを先頭に町中を歩き回った。

 そのわやくちゃな事件は最終的にはシャミセンが一手に問題を背負ってくれ、いくつかの深刻な疑問を残しつつも収束したのはつい先週のことである。


「あんたの容疑は真犯人を連れてくるまで晴れないからね」

「もしこのポスターを見て依頼が来たら聞いてやるのか」

恋煩こいわずらいは一種の病気なんだから、心の医者にでもかかればいいのよ。SOS団のほんとの目的は、」

「去年、恋人さがしの依頼は受けただろ」

「依頼第一号なんだからそれなりのサービスは必要でしょ。だからタダでやってあげたのよ。タダで」


 ハルヒは急に瞳を見開いて、いつもの思いつきモードで言った。

「ひょっとして? 実はあたしの団に加わりたいけど、何かの事情でできなくて側面援助してくれているとか。それならまだ許せなくもないけど」

「じゃ、そいつを探して入団させてやればいいだろ」

 この団の実態を見れば、通常人ならどのみちすぐに退団するだろうよ。もしハルヒの理解不能な入団基準にめでたくも合致して、気味が悪いくらい部室になじんでしまうようなヤツなら、別のよからぬ疑惑が浮上する。


 現時点では俺の知る限り、ハルヒが入学当初に“出頭要請”した存在の残りひとつはその姿を現していない……はずだ。確か異世界人、だったな。

 傾いた日差しの放課後、閑散かんさんとした校内のあちこちにお悩み相談の張り紙をしてまわる異世界人というのは、ちょっとうら寂しい光景ではある。俺は異世界人がどんな容姿なのかわからないのだが、なぜかそれは北高の制服を着た髪の長い女子の後ろ姿として想起されるのである。夢にでも出てきたのだろうか。


「キョン!」

 耳元でデカイ声を出すなって。

 ハルヒは俺の注意がそれ始めると即座に感知するというスキルがあり、長門も同様の能力を有しているらしいのだが、長門は大声を出したりしない。

 ハルヒはいかにもあんたはわかってないわねぇの意を包含ほうがんするあからさまな見下し目線だった。

「キョン、団員を選ぶのは団長の専決事項なの。あたしの団なんだから。入団したいんです、はいそうですかとは絶対にいかないわ。あたしの鋭い分析眼と、神聖な理由により入団は許可されるの」

「じゃなんで俺はここにいるんだよ?」

「…………」

 一瞬、妙な空気が周囲に漂った。

 古泉は机上のカードをそろえる手を止め、朝比奈さんは茶筒を持ったまま俺の方をちらりと見て長い睫毛まつげを伏せた。なんと長門ですらページを繰る手を止めている。なんだこれは。

 しかし、一瞬言葉を詰まらせたハルヒはいきなり話題をねじ曲げた。

「あたしの知らないところで、団の名前をかたっている。つまりニセSOS団ってことでしょ? ひっつかまえて、校内引き回しの刑にしてもいいくらい。だからキョン、犯人を捜しなさいよ」

「了解しました」

 と古泉が間に入った。ちょっとした好奇の目で俺をちらりと眺めてから、

「涼宮さん、犯人を捜すには手がかりが必要です。このポスターはどこに貼ってあったのですか?」

「部室棟の掲示板だけど」

「校内にはもうひとつ、職員室前にも掲示箇所があります。ひょっとするとそこにもあるかもしれません」

「キョン、行ってきなさい」

 言われなくてもすぐ行くさ。このご時世だ、個人情報が人目にさらされていたらろくな事はない。朝比奈さんならともかく、真夜中に正体不明の異世界人からコールされるのもイヤだ。

 古泉は机上のコーヒーを飲み干してから立ち上がった。俺はまだ朝比奈茶を飲んでないが、そんな余裕はなさそうだ。


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