第45話 忘却

 ねえ? イジメっ子やズル賢い奴や悪者が居ない世界は本当に楽しいのかい? どこかの国の神話にだって悪者はいるよ? 悪者が居ないとさ、ヒーローが引き立たないでしょ? 卑怯者や嘘つきは誰なんだって? そんなことは、ボクは知らないよ。コミックやシネマのように誰かが拐われて危険な場所に連れられた先でヒーローが現れる。とてもカッコイイよね。惚れぼれしちゃうよ。


 ボクが何が言いたいか分かるかい?

 カンの鋭いキミなら、もう解ったよね?


 そ。そういう事さ。世界はそんな感じで創られてるの。簡単でしょ。



 さあ、世界を救うのは誰かな?


 ーーーーー

 

 儚くも美しく宙を舞う。何処からか入ったのか、迷い子のように蝶が数匹、灯に群がる。幾度も舞うことで僕の瞳に陽炎が映る。僅かな光りに蝶は踊り、漂う鱗粉が揺らめく。吸い込んだことで僕の喉をゆっくりと犯し、噎せ返る始末だ。僕は目を逸らすほどの絶叫に魅了される。


 うら若き乙女達の呻きに馨しい香水に血の匂い。


「屍のような身体で生きていることが、美しいなんてことが本当に言えるのかい?」


「まだ、この死ぬほど辛くて苦しいのが続くのなら私は死を選ぶわ……」


「このまま誰の目にも晒されず、この状態がずっとループするなら死んだ方がマシ…… もういっそ殺して……」



「無理に性を求めることはないよ? だってこの世はもう終わるんだからさ…… 好きにすればいいんだよ。簡単なことだろう? そこまでおバカさんじゃないでしょ?」


 ささやかな言葉も、溺れそうな水の中では小さな小枝ですら縋りたい。でも、それは間違いなんだ。きっと叶わない。 

 


 赤黒い血溜まりが、いくつもの小さな輪を描き何度も揺れる。生臭い錆びた鉄のにおいが鼻腔に広がる。そうして僕の喉奥が針を刺すような苦味を感じる。吐き気を無理やりに押さえ込み、もがきながら涙をためて目線を宙に浮かべた。そして甘く馨しい匂いが交じる。数人の女性は今にも息絶えそうに見え、痩せ細った腕に、折れそうな脚が微動だにしない。いったい、いつからここに居るのだろうか? 時折、苦しげに漏れる声と息遣いに僕は目を逸らせずに困惑するばかりだった。


「あ〜、そこの転がってる彼女たちは暇つぶしの道具だからね。なにかの儀式とか~、そんなダサイことには使ってないから。悪趣味で、おかしな想像だけはやめてよね? ボクはそんな事には興味を持ったこともないよ」

 質問をした訳でもないのに少年は僕の前に立膝で座り、時折笑みを浮かべ独り言のように喋る。


「内臓を抉り取ることが…… 暇つぶしだっていうの?」

 苛立ちと、のしかかる想いに、僕の絞り出す声には怒りが顕になった。


「あらら。シモン君から意外なお言葉。 結構詳しいじゃない。でも、それはボクがやったんじゃないよ? みーんな、そう、コイツの暇つぶしの玩具だよ」


「おや。コレが新しい器ですね……」

 少年が暗闇に向かって指を差すと、その闇の中にぼんやりと揺らりと立ち上がり、こちら側を冷静に見る男が僕の斜向かいに見えた。

 冷めた目の奥は悲しみを含んだ深い森の色。薄い唇が小刻みに震える。色素の薄い髪の人物は手に白い手袋を持ち、この場には相応しくないフォーマルなワインカラーのスーツ姿を身に纏っていた。高貴な紳士と言いたいが、全身から滲み出るような、くすんだ血の匂いがする。ただの気の虚ろげな異常者だと僕の目に映ったのだ。


「君があの子たちの保護者でしょうか?」

「……あの子たち?」

 彼の質問に僕は首を傾げた。


「127番と、498番と、新入りの501番。このように全てを番号で呼んでいたものではっきりとした名は知らないのですよ……いえ、正直、覚えていないのです。ひとりは少年のような見た目に美しい深紅の宝石の眼を持つ神の子。残りは大したことのない「サトリ」と「薬」でしょうか? 育てがいのない、じゃじゃ馬に泣き虫…… あんなモノに私は、もう興味も御座いませんよ……」

 思い出すように丁寧に言葉を並べ、男は薄ら笑い床を見つめた。


「紅い眼を持つ神の子? サトリ…… 薬……」

「ああ、思い出しました。 深紅の神の子はニア等と名乗っていましたね。チンケな名を付けたものです…… まったく勿体無い事ですよ」

「まさか…… 嘘だよね?」

 その名を耳に入れ、僕の中で抜け落ちた箇所のピースがはまっていく。そして、あっと言う間に全てが繋がる。走馬灯のように今までの事が流れていく。この数ヶ月の想いが勢いよく流れていく。僕の全身に凄まじい寒気が襲う。我慢しようにも自然と震える手を必死で押さえようとした。でも、一度震えだした手は止まることを忘れたみたいだ。


「ねえ~え~。おじさんたちって話長くない? もうそろそろ動こうよ。次々行かなきゃ。ゆっくりなんてしていられないよ」

「ああ、これは失礼。お待たせをしたようですね…… では……」

 その言葉で男は丁寧に筋張った手に手袋を嵌めていく。その姿に、その丁寧な仕草に、背筋が痺れていくのが分かる。転がった女性をひとりひとり吟味しては、ぶつぶつと口の中で呟き、首を傾げる。その姿は人の形をした、この世の者ではない「何か」だと僕は思った。途切れ途切れの悲鳴も、悲痛な叫びも、彼にとっては甘美な心地良いものに変わっていくのだろう。目は笑うことを否定しても口元は歪み、嬉しそうに首を傾げるその姿は、紛れもなく人の形をした醜い生き物だと心底、僕は感じた。


「ベラドンナ。今日は貴女です……」

 ひとつの命が弄ばれ、男の欲しい物だけが切り刻まれていく。生きたままで、丁寧に且つ迅速に。

 目を見開き涙を流し、痛みで気を失いそうになる女性に優しさを与えるように彼はこう言った。


「今日の貴女は素晴らしい。外見の美しさはいりませんね。外の見た目よりも中は思った以上に綺麗でしたね…… それにしても、この醜い皮は余分でしたけどね…… 煙草もアルコールも薬物も使っていない新鮮で綺麗な中身は理想ですね……」


「あひゃひゃひゃひゃひゃ。お姉ちゃん、外見はブサイクだってさ。ざんねーん」

 くすくすと笑いをこらえる少年の言葉に、僕は子供のそれではない、何かを垣間見る。我慢出来ずに僕はその場に全てをぶちまけ、全身から痺れを感じて上手く座っていられなくなった。冷たく埃臭い床が僕をゆっくりと包み込み支えた。


「おやおや、鼻息が荒くなってきましたね〜こういうのがご趣味でしたか?」

 男はその言葉でまだ小刻みに揺れ動く臓器を手に、僕に向かって白い歯を見せた。


「やだなあ〜v綺麗なお顔で意外だな〜 シモンお兄ちゃんは相当な悪趣味さんだね〜。でも、そういうのも嫌いじゃないよ」

 少年のその言葉をゆっくりと耳に入れ、僕は遠くなっていく意識を徐々に失っていった。



 ーーーーー



 店内のオールド・ミュージックが他人事のように美しい音色を奏でる。窓の外の行き交う車は大きなトラックばかりだ。荷台の大きなオールド物のフォード社のパンプキンは青や赤や緑。とても鮮やかだ。木箱の積荷は何処に向かって行くのだろうか。ニールはそれを目で追い、親指の真新しい甘皮を人差し指で何度も触った。


「ところでアンタさ…… 俺をどうしたいの?」

 ニールのその言葉に、男は徐ろに顔を見る。


「たとえば、今ここでオマエを、いや、ニール・クインテットを逃がしてやったら……この俺には褒美はどれだけ貰えるんだい?」

 首を傾げニールの目を見つめたままで右手で左手のブレスレットを回す。窓からの光に、男の手首に巻かれた皮のブレスレットが何度も光を反射させ赤い宝石が煌めかせる。


「知ったことかよ。別に俺からは、何もやるもんなんてねえさ……」

「……はあ? そんなに取り引きってモノは簡単じゃないだろう?」

 予想よりも簡単な言葉が男に投げつけられ呆気に取られた顔でニールの目を見つめた。しばらく窓の外に視線を送るニールは、何かを思いついたように頷き、男の目をしっかりと捉えた。


「じゃあ俺とアンタで…… 手組まないか?」

「オマエ気は確かか? 敵の俺と手を組むだって? アタマは正気か?」

「そ、手を組むんだよ。アンタは二番手になりたい? そうだろ?」

「違う。一番だ」

「……ん? その兄さんっての次に偉くなりたいんだろう?」

「そうじゃない。そんな簡単じゃない。兄さんに信頼されてずっと傍に居たいだけだ」

「なんだそりゃ? ……ははーん。そういう事かよ」

「俺達の世界は…… オマエが思うほど簡単じゃないんだぞ」

「へえ~……で、俺が邪魔ってわけか」

「オマエだけじゃない……オマエの弟がいちばん邪魔なんだ……」

「今なんて言った? 間違ってもシモンには絶対に手出すなよ?」

「……なるほど。兄さんの言うとおりだな。本当に目の色変えやがった」

「……もっかい言ってみろ?」

「はは。何度もいっ……」

 ニールはテーブルに男の頭を押しつぶす形で素早くナイフを首にあてがう。空気もろとも押しつぶす勢いだ。


「シモンに手を出したらお前ら全員地獄に還してやるよ。綺麗な箱に詰め込んでリボン付けて返還してやるよ。脅しだと思うなよ?」

「わかった。わかったから……その手を離せ」

 男の抵抗は虚しく、苦しげな声がダイナーに響く。ニールの力が男よりも遥かに超える。ここで勝敗は決まったようだった。素直に従う男の声にニールは力を緩めた。


「まさか最初からシモンが目当てか?」

「いや、最初はオマエが欲しくて待っていたが、いっこうに芽が生えない。そこでメニューを切り替えて「ネフィリム」の弟って事になったって訳だよ」

「ネフィリムの弟ってどういう事だ。俺だってネフィリムだろ?」

 真剣に考え言葉を並べていた矢先に、ニールの言葉に呆気に取られたのか、男は眉間にシワを寄せ大きな声を出しテーブルを両手で付く。


「……オマエ、まさか知らないのか?」

「……あ? 知らないって何をだよ」

「オマエはネフィリムじゃない……オマエは人間だろうが」

「人間ってなんだよ…… どういうことだ?」

「本当に知らないのか…… やっぱり人間ってヤツはおめでたい奴だな…… オマエはニセモノってアレだな……」


 冷えきったカップの中に驚きを隠せない男の顔が映る。この男は冗談を言うタイミングではない事も承知なようだ。数台のピックアップトラックが窓の外を猛スピードで横切っていく。ニールはまたそれを目で追う。瞳に映る濁った色を浄化させていくように。



 高く高く積み重ねたモノは、ゆらゆらと揺れる。不安定でぎこちない。風で簡単に倒れるかもしれない。倒れないかもしれない。一歩先は誰にも分からない。先は行った者でしか答えは出せない。

 カタチあるモノはいつかは壊れていく。始まりがあれば終わりもあるんだ。はじめから決められた道筋を歩いてたわけじゃない。二人でそう決めたんだろ。


 そうなんだろ? なあ?



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