第40話 此処ばかりに日は照らぬ

 誰だっけな?

「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」なんて話をした奴は?


 太陽はどこでも照り輝くから、生きていく場所はここだけではない。世間は広く、人間どこへ行っても生活してゆける。


 まあ、捨て台詞だな。

 けど、俺だったら絶対に言わない。小っ恥ずかしくて言えないな。



 ーーーーー


 ラジオからの古いカントリーミュージックがとても遠くに聴こえる。どこか懐かしくて、どこかくすぐったい記憶。淡い光の中に優しい声が交差する。香ばしい焼きたてのクロワッサンと甘いシロップとベーコンの乗った分厚いパンケーキ。温かな湯気のトマトとソーセージのミネストローネ。マカロニとオニオンが多すぎるのがうちの特徴。キャベツのコールスローもビネガーが鼻から抜けるほどに酸っぱくて、他所で食べるモノが物足りなさを感じさせた。家庭の味はきっと忘れない。誰にだってあるだろう? その香りに紛れ、柔らかく甘く頬に髪が触れる。そのくすぐったい感覚にゆっくりと俺は目を覚ました。

 現実は残酷だ。夢と現実の狭間を揺れ動く。記憶ってモノは時折、人を容易く傷付ける。記憶ってモノはそういうものだろうと痛感する。ラジオの古い音楽は嫌味にしか聴こえない現実だった。子供の頃に部屋で遊んでいても食事の時も柔らかく自然に流れていたカントリーミュージック。音楽があるのが当たり前だった。

 モーテルの趣味の悪い薄い黄色の壁紙。壁の奥からは低い声が何を言ってるか分からないが人の気配だけを主張させる。

 二つ並ぶベッドにテーブル。こ汚いスツールと水しか出ない旧型のウォーターサーバー。サイドテーブルには電話と、手元を照らすだけの小さな照明が置かれていた。簡素とはまさにこれだろう。色気もクソもあったもんじゃない。好んで泊まる奴の気が知れない! と、普通の女なら言いそうな連れこみモーテル。


「アタシと交われば、今よりも良い生き方と生活を保証するわ!」

「どこの会社の引き抜きだよ……アンタのそういうところは交渉人みたいで嫌だな……」

「交渉人? それもあながち間違っちゃいないわよ……」

「ああ~……そういうことか……別にいいけどさ〜……アンタの身体持たないかもよ?」

「あからさまね……それはOKと受け取ってもいいのかしら?」

「さあな? アンタを俺が気に入れば……あ〜、それから優しくしろなんて言うなよ! そのつもりは一切ないからな……途中で甘い声でやめて欲しいなんて懇願しても途中でやめるほど俺は紳士じゃないからな?」

 女のやけに余裕ぶった態度が気にいらない。甘く薫る薔薇の香水も、主張する身体も全てが苛立たせた。俺は全ての音ををかき消すようにラジオのボリュームを上げる。隣の部屋から物をぶつける音と怒鳴り声がする。きっと苦情だろうな。その音も声も何度目かで諦めに変わり無音になる。いつからか規則正しいメトロノームの音が耳に響く。心臓の音が生きている証を見せつけているんだろう。女の目つきが変わり作業が始まる。目を見開き、呻く声が首元辺りに吐息と共に触れるが気にせずに彼女の首をきつく締め、強く身体を重ねる。柔らかな肉に沈む指先。擦れ合う滑らかなシーツ。全てがまるで他人事にように感じる。纏わり付く香りも耳に届く声も、互いに強く生暖かく潤いを求め合う。激しさに拍車が掛かれば我を忘れそうになる。その度に俺は下唇を噛み鉄の味が口内に広がってゆく。


「あの方が言った通りね……毒の強い男……」

 女は頬を染め、溜息混じりの声を出し意味深な言葉を吐く。

「黙れよ……マナーがなっちゃいねえな?

 こういう時は喋るもんじゃねえんだよ……艶めかしい鳴き声は別だがな……いいか? おおいに鳴けよ……我慢は必要ない……」

 身体の熱が冷める前に。この気持ちが冷める前に。甘さは要らない。愛も何も。ただ快楽を堪能すればいい。今はひたすら溺れればいい。互いに深く沈めばいい、全てが壊れるまで。



 ーーーーー


『……分かりました! ええ! 時間が出来次第すぐにでも……グランも連れてそちらに向かいます!』


 電話の奥のアダムの声が聞こえなくなり、シモンはガブリエルに受話器を手渡した。シモンは肩の力を抜くと目の前の風景が歪み気が遠くなる感覚に襲われる。頭に手を当て眩暈が起こるのを耐えテーブルに手を付き目を強く閉じた。昨日から虫の居所の悪さは増すばかりで、身体の調子も治らずシモンは苛立ちをを募らせた。肌は青白く染まり、瞳の色はダークパープルに変わり果てる。何も言わずにガブリエルは側に立ち白湯の入った耐熱性のグラスをそっとテーブルに置く。ティノは黙り蝶の図鑑を胸に抱きしめたまま空を見る。ニアはキッチンに閉じこもり、朝から黙々と何かを作る。ホッと心を安心させるような香りが漂った。朝早くからウィリアムが留守をシモンに言付け、それもシモンを苛立たせる要因となった。テーブルの上の『マンスリー・レッド・データブック』が窓から入る風に揺れる。昨夜の「ハーフ・デイモン」の言葉が耳から離れない。嫌な胸騒ぎは、一体何を予兆させるのものだろうか? 気の所為ならそれでいい。それでいいんだ。と、シモンは自分に言い聞かせた。


「シモンちゃん! 種族平等って未来は来る?」

「ティノ様……貴女って人はそのような事を考えていたのですか……」

 ティノの澄んだ声が部屋に響き、ガブリエルは驚いた表情をティノに向ける。だが、シモンは何も答えずティノを見ることもしない。


「答えて! シモンちゃん!」

「ティノ……それは難しいと思うよ。人はそんなに簡単なイキモノじゃないよ?」

 ティノの焦った声はシモンを射抜くように激しくなる。それでもシモンは口を噤んだままだ。そこに、ニアが口を挟むようにキッチンから顔を出す。


「……どうして? 同じイキモノじゃない!

 見た目だって人と変わらないのに? 」

「ティノ、じゃあ……例え話をしてもいいかい?」

「うん……」

「昔むかし、あるところに――」

 シモンは机に肘をつき、目だけをティノに向け、小さな声でお伽噺を語りだした。


 ―――むかし昔あるところに。とても気が優しい、とても変わり者の青年がいました。青年の名は「マトリアル」といいました。マトリアルの家は町一番の貧しい家でした。それでも、お父さんとお母さんと妹の四人暮らしは楽しいものでした。笑顔と愛情に包まれた中で彼等は育ったのです。妹の「エレミー」はある日、小さな、いざこざに巻き込まれ膝に深き怪我を負った。傷口から溢れる体液は紅く滴り落ちる。床に落ちた体液は水分が蒸発すると結晶が残りました。その結晶は見たこともない輝きを放ち、周囲の人々は驚いた。不思議と思った医者が調べてみたところ、エレミーから出た、その結晶は美しい輝きを放つ宝石だったのです。名だたる宝石商の間でエレミーは、あっという間に噂となり、家に何人もの売人が大金を持って押しかけました。それでもお父さんとお母さんは首を縦に振ることはありませんでした。お金では買えない、大事な子供だと断ったのです。ある朝、野に花を積みに出掛けたエレミーは数時間たっても帰りません。心配になったマトリアルはエレミーを探しに行きます。何時間探してもエレミーは見つかりません。町の人々に声をかけるも皆声を揃えたように「知らない」と首を横に振り、足早にマトリアルの側から離れていく。マトリアルとお父さんとお母さんはその夜眠れない時を過ごしました。そして一晩が経ち、朝一番にお役所の役人が家に来たのです。金貨を五枚を父に手渡し、馬一頭と鶏を二羽置いていきました。母は両手で顔を覆い小さな声ですすり泣き、父からは笑顔が消えてしまった。マトリアルは納得いかずに役人を追い、訳を聞こうと縋りついた。


「オマエの父親と母親は妹のエレミーを売った! ただそれだけの事だ!」

 馬に跨った役人は嫌らしく口を歪め、マトリアルを見下ろす。そして汚い言葉を最後に言い放った。


「世にも珍しい原石はこの町を潤す糧になる! 人々が幸せになるには犠牲はつきものだ! だから諦めなさい! それに金貨を5枚に馬一頭と鶏を二羽だぞ? 良かったじゃないか! これからは幸せな生活が出来るんだぞ! 感謝するべきだ!」


 エレミーは裕福な国への貢ぎ物となったと町の人々は噂した。町は前よりもずっと潤い「幸せの宝石の町」と呼ばれるようになり観光地としても有名になりました。



「え? 終わりなの? え? このあとはどうなったの?」

 ティノが青ざめた顔でシモンを見る。シモンはゆっくりと首を横に振り、真剣な眼差しをティノに向けた。


「ティノ……それが現実なんだよ!」

「そんな……こんなのって……ひどいよ!」

 キッチンからお茶を飲みながら出てきたニアが、眉根を下げ困った笑顔でティノに向かってゆっくりとホットミルクの入ったマグカップを差し出した。そのマグカップを受け取り、真っ白なミルクを見つめ、木のスプーンをゆっくりと混ぜる。湯気が立ち上り、甘い香りが鼻腔を刺激する、テーブルの端に小さな音をたて、ティノはマグカップを置いた。シモンはゆっくりと頷き、悲しい目をした。


「これが現実なんだよ、ティノ。人は生活に潤いを求める。それに犠牲が生まれようとも……そういう世の中なんだよ……ティノ……」

「ティノ……シモンちゃんの言う通りだよ! そういうことなんだよ! それが、あの残酷なシステムを作った理由だよね……ボクもティノも身体にも心に傷を持った……ほかにもっともっと辛い思いをした子供たちもいると思うよ?」

「嫌だ! そんなこと聞きたくない! 考えたくもない!」

「でも……これが現実なんだよ! もう嫌ってほどにボクらは味わっただろ?」

「残酷だけどそういうことなんだ……ティノ……この世界はゆっくりと壊れ始めているんだよ……悲しいね」

 シモンの瞳が潤いを増すと淡い色を持つ涙が頬をつたう。美しさに悲しみはいらない。輝きは苦しみに変わるのなら……いらないのだ。

 

 幸せってなんだろう。風にそよぐ新緑の春も、陽の当たる窓際も。笑い声に気持ちのいい午後も。


 まるで泡沫の日々だ。


 ーーーーー


 静かな寝息をたてニールは深い海の底に沈むように眠る。闇の奥深くに沈むように疲れ果て眠る表情は落ち着きを見せ、女は滑らかな肌にシーツを纏い微笑んだ。氷山のような氷の塊が入ったグラスに注がれた、香りの強いスパイスの効いたバーボン。それを一気に飲み干し、舌なめずりをする。濡れた瞳は艶めかしくニールを見つめた。そして女は背後をゆっくりと振り向き丁寧に頭を垂れる。

 この場所には似つかわしくない、七色のユニコーンが軽やかに踊り、鮮やかな鳥たちは唄う。古めかしいアニメーションが陽気な音楽と共に流れる。それをただ見つめる小さな背中が、逆光で縁取りをしたかのように光った。身体を左右交互に揺らしリズムを取り、そして優雅に鼻唄を歌う。


「ニール・クインテット……まだ卵にもなりきれていない原石……どう変わるか見物だね? お勤めご苦労だったね? 嫌な思いはしなかったかい? テイルノダ」

 その背中に忠誠を誓う素振りを見せ、女は首をゆっくりと横に振り意味深な笑みを浮かべ、霧のようにベルガモットの香りを残して消える。古いスツールに座る、あの少年が冷めた目をニールに向けて口元だけを歪めた。

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