第37話 良禽は木を択んで棲む

 「賢い鳥は良い木を選んで巣作りをするように、賢い人は賢い主君を選んで仕えるという」

 昔の人は凄い言葉を残すのね? でも、間違えちゃいない感じがするの…… ウィリアムさんと、まるでアタシ達のようだもん。ね?


 アタシね? ここに来てから、ひとつだけ気がついたことがあるんだよ。


 世界で一番大事な人が居なくなってから気がつく事もあるんだって分かったの……これはナイショよ?



 *****


 事務所の扉をノックする音にシモンが気がつき立ち上がろうとすると、ティノが慌てて扉へ駆け出した。開けると若い郵便配達員が立ち、爽やかな笑顔で郵便物が手渡された。ティノはしょんぼりと頭を下げ、助けを求めるような素振りで郵便物を両手に持つ。ガブリエルがその郵便物をそっと受け取り、ウィリアムのテーブルに置く。依頼の手紙だろうか? 彼らが出掛けて既に何通にも及ぶ配達物が毎日のように届いていた。あれから、もう五日も過ぎる。痺れを切らして同じ場所で同じ事を繰り返すのはティノだけではなかった。何度も同じ本の同じ頁を繰り返し読み、眉間にシワを寄せるシモン。ガブリエルは話がうわの空の時があり、珈琲がまだ残っているのに紅茶を間違えて出してみたりと散々だった。誰も口には出さないが不安な気持ちは同じようにあった。朝が来て、夜が来る。その繰り返しがとても辛いのだ。ずっと待つ苦しさ。永遠なんてモノはないのに、そう思うのに、人とはおかしな生き物なのだ。

 テーブルの上の冷えきったホットミルクに薄く膜が張り、どこからか吹く風に膜が揺れ小波のようにそれがよれていく。ティノはそのマグカップをそっと指で弾き、窓から見える空を仰ぎ見た。青く眩しい空に流れる雲は嫌味な程に時間を長く感じさせる。突然シモンが何かに気がつき立ち上がり、ウィリアムの書斎の窓から外を見てティノに声をかける。

「ティノ…… 急ぎでポストに手紙を入れてきてくれるかい? ガブリエルさんも一緒にお願い出来ますか?」

「ええ。ティノ様、カーディガンを着てください。まだ外は冷えます」

「うん。わかってるわ。シモンちゃん、アタシ苦しいよ…… もうこんな想いはイヤ。待つことがこんなに辛いなんて知らなかったの…… アタシはこれから、どうしたらいい?」


 その言葉にシモンはゆっくりと頷き、ティノに封筒を手渡した。

「分かっているよ。僕も同じだからね。もう手紙には切手は貼ってあります。これはお使いです。お願いしますね……」

「うん、出してくるわ…… ガブリエルさん一緒にお願いね?」


 カーディガンを肩にかけティノは寂しそうな笑みを浮かべ、大人しく頷きノブに手をかけ扉を開けようとした。すると、またノックする音にティノは眉間に小さなシワを寄せ躊躇すると、隣に立つガブリエルをそっと見上げた。ティノの不安に答えるように柔らかな笑みを浮かべ、ガブリエルがゆっくりと扉を開けると、そこにはニールがぼろぼろになったワイシャツ姿で立っていた。

 ティノの大きな瞳に映るニールの姿。思わずティノは華奢な指先に力を込める。何も言わずにティノの顔を見て微笑むニールの顔は間違えようのないほどに優しく、ティノはニールに身体をそっと寄せる。カーディガンが扉から入ってきた風に乗り、静かに床に落ちる。ニールも何も言わないでティノを優しく抱きしめ、やっとの思いで小さな声で耳元に囁いた。

「……ただいま、ティノ」

 その小さな声に答えるように、ずっとティノは我慢していたのか、とうとう泣き出してしまう。ふんわりと満たされるように、風を含み柔らかくティノの髪が揺れる。

「ティノ…… 泣くなよ。オマエそんなに泣き虫だったか?」

 絹のように美しい髪をそっと撫で、眉根を下げるニールは力を抜き首を傾げ笑う。ガブリエルとシモンがその姿を見て、安心したかのように微笑んでいた。


「もう。ティノはもっと強くないとダメだよ?」

 その声にティノはさらに瞳を大きく見開くと嗚咽を交えて大声を上げ泣き出した。傷だらけのニアに寄り添うウィリアムは困ったように笑い、

「困った人たちですね? ご近所のことも考えなさい。さあ、中に入って」と、急かした。


 その後ろに続くアダムがジャケットに包むようにして少年を抱いていた。

「もしかして…… その子がグランくんですか?」

 シモンの声にアダムは静かに頷き、事務所の扉が固く閉められた。


「アダム様…… グラン様をベッドに……」

 ガブリエルが客室に誘導して、シモンはウィリアムに問いかけた。

「あの子も…… ローズ・ゴールドの種ですか? ニアに似た髪の色……」

「イヴの称号の中でも最も珍しい種になります……」

「シモンちゃん正解。ボクとあの子は多分同じだね…… あの子はミッドナイト・スノー・イヴの種になるんだよ」

「ミッドナイト・スノー・イヴ? ミッドナイト・イヴじゃないの?」

「シモンちゃんは聞いたことないかな? 絵本みたいなお伽話を……」

 ウィリアムとシモンの間に口を挟むようにニアが真剣な表情をして客室をそっと見る。

「……ミッドナイト・イヴの中でも数十人に一人いりゃ奇跡って言われてるヤツだな……よくもまあ集めたもんだよ。涙は宝石。交われば若さを。血は薬になるってな。不老不死なんて噂も聞いたことあるな」

 ニールは思い出すように、記憶の全てを引きずり出すように話す。


「ニア…… もう大丈夫なの?」

 ニールの陰からティノはそっと顔を出してニアに声をかける。


「ティノ、ケガはしていない? あの時、勢いよく車から落ちたでしょ? 平気だったの?」

「アタシの事より今は……」

「ボクは、もう帰ってきたよ?」

「……そんなの……わかって……る……」

「ガブリエル」

「はい」

 また泣き出しそうなティノに困った笑顔でニアは答え、ティノの頭を数回優しく撫でる。そして、誤魔化すようにガブリエルを呼ぶ。


「ねえ、お風呂に入りたい。それに、この布っ切れはもうイヤなの。だって変でしょ? ボクにはもっと素敵なモノがあるでしょ?」

 ガブリエルはゆっくりとお辞儀をし、バスルームに入っていく。


「じゃーなにか? あのウサギ耳の軍物コートとも、漸くは、おさらばか?」

「ふふふ……」

「何笑ってんだよ。気持ちわりいな……」

 ニールは悪戯な表情で、さも残念だという作り笑顔でニアに問いかけた。ニアは笑いながら自室に入りカーキ色のコートを持って出てきた。


「ほら見てごらん。同じ物がもう一着あるのだよ? ニールくん、ボクにはこのカワイイウサギ耳が似合うのだよ」

「けっ。そういうオチかよ。つまらないねえ〜 この期に及んでまたうさぎ耳か。カワイイって言葉以外になんかないのかよ」

「クマちゃんの方が良かった?」

「……そういう事じゃねえよ」

 ニールは面倒くさそうに笑いながら煙草に火を付けた。


「ニール…… 煙草吸うの?」

「カッコイイだろ?」

「全然似合わないし、カッコイイとも思わないけど…… 許してあげるよ」

「シモンおまえは…… 素直にカッコイイって褒めろよ?」

 窓際に立ち外に煙を逃がしていくニールにシモンは呆れ顔で笑い、渋々納得する素振りを見せた。

「ニア様。お風呂の準備が整いましたよ」

 ガブリエルがタオルと着替えの入った藤の籠を手に持ち笑顔を向けた。その言葉に急かされるようにニアはもう一度自室に戻り、しばらくして大声を上げた。その声にティノは微笑み、シモンと顔を見合わせた。

「クマちゃんにプレゼントが抱かせてあるよ。これって何?」

「あ〜……」

 忘れていたという表情でニールは頭を掻きながら車のキーを掴み小声で「腹が減ったから俺はちょっと買い物に……」と、人差し指を口に添えニールは扉を静かに閉め出ていってしまった。


「慣れないことするからそうなるのよ…… ニールは本当に不器用よね」

 ティノは嬉しそうに微笑み、窓から駆けていくニールの背中を見届けると。

「ニア~。その箱に何が入ってるの? アタシも見たい」

「わかんない…… でも、けっこう重い。もうひとつは紙袋だけど…… 何が入ってるのかな?」

 二つのプレゼントを抱え持ってきたニアは、まず紙袋を先に開けると、なくしたと思っていたユニコーンの絵柄のタンブラーが入っていた。それを手に持ったままニアはティノを見ると驚いた顔をした。

「これ……」

「シモンちゃんとアタシからなのよ? ボロボロになっちゃったから…… 同じの合ってよかった……」

「ありがとう…… すごく嬉しい……」

「よかった。喜んでくれて」

 ニアはタンブラーを見つめたまま、目を手で擦って笑顔を二人に向けた。シモンもティノも嬉しそうに顔を合わせ微笑み、次のモノを開けるニアを二人は見る。


 包装された包みを丁寧に剥がし箱の蓋を開けてニアは困った顔で照れ笑いをし、鼻の奥が痛みを感じると同時に大きな瞳に涙を溜めた。

「あれだけ買わないって言ってたクセに……ニールの嘘つき……」

「とても、綺麗な緑色ね……」

 箱の中にはエメラルドグリーンの編み上げブーツが入っていた。移動遊園地に行く前に立ち寄ったセレクトショップのあのブーツだった。小競り合いをしたきっかけのブーツ。


「ボクの欲しかったブーツ…… 忘れないでいてくれてたなんて……」

「ニールって本当に不器用ね……」

「ニア…… お風呂に入るんじゃなかったの?」

 シモンの言葉に、ニアは今にも涙がこぼれ落ちそうな目を擦り、慌ててバスルームに駆け込んでいった。そのタイミングに合わせるようにウィリアムが客室から出てきた。その後をアダムが続いて出てくると疲労の色を見せた。

「グランくんは、もう大丈夫ですよ……」

「アダム様。少しお疲れのようですね? お茶が入りました」

「ウィリアムさん…… もうあの髪の色はもう戻らないのでしょうか? 瞳の色も……」

「おそらく…… あのままでしょうね」

「ご両親に連絡はどうすればいいんでしょうか?」

「……彼の親はもうこの世には居ないでしょうね」

「……半年前に病院に来て、それ以来だそうですよ…… 住所も連絡先も破棄されたのか初めからそんな物は無かったのか……」

「アタシの時とは違うのね…… グランくんのパパやママはきっと彼を見放した訳じゃないのね? それだけでも彼は幸せだわ」

「ティノ……」

「シモンちゃん平気よ……」

 ティノのその声にシモンは頷く。


「アダムさん…… 前にも言いましたよね? 全てを背負うことになるって…… 彼は孤児になってしまったのです」

 アダムは黙って頷き、シモンを真剣な目で見つめた。


「この世界には彼の居場所はもう何処にもないのです…… きっとこれからも大変な想いをすると思います」

「俺の弟…… じゃ、ダメですか?」

「いいと思うわよ? 家族になるのよね?」

 アダムの言葉にティノは微笑み肯定する。ウィリアムは契約書を一枚書き終わるとアダムのサインを書かせ血判をさせた。


「契約成立がしましたね~。アダムさん、ありがとう。アタシも嬉しいの。それからアダムさんに渡したいものがあるのよ」

「え? 俺にですか?」

「これ……彼が起きたら渡してあげて」

「それはあの時の…… すっかり忘れてました」

「蝶の図鑑とミネラウスモルフォの標本……ちゃんと渡してあげなきゃね? アダムさんってけっこう良い趣味してるわよね。すんごく高いのよ? その図鑑」

「へえ~、ティノはそういうモノに詳しいんだね?」

「……だって、その薄紙に包まれた本はアンティークよ? ある素敵な叔父様の本棚にもあるくらいですもの。ほら、あの本棚にあるのと同じでしょう?」

「ひとこと余計ですよ、ティノさん……」

「へえ~ アンティークの本なのですね。アダムさん、さすが売れっ子俳優ですね」


「いやあ~ そんなことあるかな~って……俳優……あああああ〜、仕事。今日何日の何曜日ですかああああああ〜」


 何日も仕事を休んだ事を思い出したアダムの声が事務所に響き渡り、シモンとティノはその姿を見て笑い。ガブリエルはカップに珈琲を注ぐ途中でこぼす。ニアはバスルームから泡のついたままの髪で顔を出す。ウィリアムは本を片手に微笑み。ニールがクマちゃんビスケットを大入りの二袋を買って、ホットドッグを頬張り戻って来て、その状況に呆れた顔をして眉根を下げ笑った。



 春の風が柔らかく事務所に吹き込み、暖かな陽射しが射し込む。雲行きを伺うも、傷つく事も出来なくなるほどに、例え目に映る世界が不安に染まってもここで笑っていた事は嘘じゃない。

 

 星に願いを。此処に居る誰の願いでない願いを願うことも時には必要。暖かな毛布にくるまって眠ることも、今は迷わないですればいい。悲しいほど道を描くのも今は休めばいい。未来など、願いなど今は考えないでいい。


 風に吹かれ淡い花弁が窓から入る。世界は、はみ出すことなく次の準備をする。丈夫な鞄に着替えと煙草が準備されるように、事は始まる。


 散らかった全ては瞬きをする間もなく、満ち足りた次へと笑って、ただ待つのです。


 そう、ただ待つのです。





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