第33話 秘事は睫の如し

 近すぎて見えなくても自分の睫が確かにあるように、秘事などというものは案外手近な所にあるものだということ。


 「この世は泡沫。目に見えるモノ全てを信じてはいけないのですよ?」


 オッサンの言う通りだな。

 まあ、そういう事だよ。

 

 闇雲に探すな! 足元を照らせ!

 待ってろよ!この野郎!



 *****



「なんなんだよ、鍵って? にしても痛いな〜 赤く腫れてるよ…… まったくコルトレーンさんは加減ってモノ知らないのかな? ボクの柔肌が傷付いたらどうしてくれるんだよ! 本当にイヤんなっちゃう!」

 

 ニアはガラスを鏡代わりにし、体液が溢れたあとの目を指で弄る。痛みはなく、異常もないようだ。


 あの時、コルトレーンに掴まれた首筋が赤く腫れて、白い肌を染めて痛々しい。首筋を擦り、ニアは苦笑いを浮かべ、並べられた本棚を指先で弾く。何かを物色をしつつ、裸足で歩き回った。何ひとつ変わり映えしない白い空間。無機質で人の暖かみを感じない部屋。途方も無い時間に怒りが収まらない。外が見たい。みんなに逢いたい。ただ、想いは募る。


 ニアは、あのガラスケースの前で立ち止まると中を覗く。相も変わらず子猫のように寝息を立てて眠る少年に溜息を漏らす。彼は捕まってるって自覚があるのか? これからの事を理解していないにしても危機感はないのだろうか? まあ、ニアに人のこと言えたもんじゃないのも確かだ。


「ねえ! キミは、いつからここにいるの?」


 ガラスケースを叩き、少年に声をかける。それに応えるように瞼が小さく動き、睫毛が揺れる。「この子、なんて綺麗で可愛いお顔立ちしてるの! ボクの次に可愛い天使ちゃんだね!」と、声に出し思わず見とれている自分に気付く。ニアは慌てて首を左右に大きく振った。それに、天使は実際はそんなに綺麗じゃないと付け加えておいてくれたまえ。シモンちゃんは別格だけど、もう一匹はねえ〜 アレは、もうなんていうか……天使なんかじゃない! そう思いたいの! ねえ、神様?


「……お兄ちゃん! またぼくに会いにきてくれたの?」

 

 心地よく響く澄んだ声が聞こえ、静かにガラスが震える。ニアはその声に気がつき、ガラスケースに顔を近づけ両手をガラスに密着させて満面の笑みを浮かべながら何かを話す。

 少年は首を傾げ、ニアを見上げ困惑した表情をする。


「あ…… 近すぎたか! これじゃ何を言ってるか分かんないか! ねえ? 寂しくない? 少しボクと話をしない?」

 顔を近づけ過ぎて、息で白く曇ったそのガラスを腕で擦って、ニアは頭を掻きながら申し訳なさそうにまだ白く曇り残った場所に指でウサギの絵を描いた。ニアの言葉に少年は頷き、膝を軽く自分に引き寄せ、両手で抱える形で座り、その上に顔を起き静かに微笑みニアを見る。


「お兄ちゃんはどこから来たの?」

「どこから……かあ、難しいこと聞くね〜、それは生まれた場所のこと? それとも育った場所? はたまた今住んでいる場所ってことかな? ああ! ここじゃないよ? ここに来る前のって意味ね!」

「ん~ ……じゃあ、ここに来る前でいいや!」

「いいやって…… フランクな言葉を使う子だな。だけど! ボクはキミより大きな人だからそんな事くらいは許しちゃいます! そうね〜ボクがいた所はね――」

 手振り身振りを大きく加え、少年に向かって、あれやこれやを話すニアはとても楽しそうに笑う。それに釣られて少年も手を口に添え微笑んだ。


「お兄ちゃんのナマエは?」

「ん? ナマエ? ボクはアルベルト・ニア! ボクの大事な人がつけてくれたんだ……大事な、大事なタカラモノなんだよ! コレはナイショだよ?」

 ニアは目を一度大きく見開くと、自慢するように腕を組む。それから唇に人差し指を当て、無邪気な笑顔を少年に向けた。


「いいナマエだね! アルベルトお兄ちゃん!」

「ううう〜 アルベルトお兄ちゃんは嫌だな〜背中がむず痒くなるんだよ! ニアでいいよ! キミは? なんて呼べばいい?」

 背中を片手で撫でると、身震いする真似をして、ニアが笑う。


「ぼくはグラン! グラン・カウントっていうの! 好きに呼んで! ニアお兄ちゃん!」

「へえ~ グランくんかあ~ ……良いナマエだね! ……ん? なんか聞き覚えがあるような…… うー? まあいいか! また思い出すよね!」

 グランの名を聞いてニアは一度首を傾げると、胸の辺りで腕を組み天井を見つめるようにして、何かを頑張って思い出そうとするが、上手く思い出せなかった。



 *****


「え? ニールさん達は依頼者の俺を差し置いて、行っちゃったんですか?」

 驚くと同時に呆れた顔をし、アダムはソファーに浅く座り両手で頭を抱える。


「あはははは…… ニールは依頼者のアダムさんのことを完全に忘れてそうよね!」

「ティノ様、そこまでニール様は抜けてはいらっしゃらないかと……」

「分からないわよ〜? ニールだもの!」

「ティノ! ニールは浅はかじゃないよ? キミは本当は分かっているんだよね? そんなことないって分かっているはずだね…… けど、今回は口が過ぎるね?」

 いつものスパイスの効いた辛口も、今の空気には馴染まないと分かっていたのに、ティノは癖で生意気に腕を組んだ。ガブリエルが注意をしても、止めどころが分からなくなってしまったティノは少し強い口調で目を閉じる。黙って聞いていたシモンがとうとう、お小言をいう父親のように、ティノの目をじっと覗き込んできた。一瞬にして空気が緊迫し、心の奥を全て見透かす。ティノはシモンの瞳に押しつぶされそうになり、身体を小さく揺らすと、たじろぎ子犬が鼻を鳴らすように声を漏らした。


「んん~ ……ニールとニアが居ないから調子狂っちゃうんじゃない! もう~! って、そうじゃないのに! あ〜 癖になってる。……ごめんなさい」

 ガブリエルが苦笑いをしつつ、お茶の準備を手際よく進めるのを見て、ティノは慌てて立ち上がり、まるで全てを帳消しにするように手伝いをしだす。そんなティノを見てシモンは微笑み、アダムに目を向ける。


「それはさておき…… アダムさん、国立病院のことを探れますか?」

「あの、探るって? 例えばどのような?」

「あの病院には裏があります……」

「……裏? ですか?」

「ええ、率直にお伝えしましょう。コルトレーンは売人です! 世間では小児科の名医なん言われているのでしょうね……」

 シモンの問いかけに疑問を持ち、アダムは不思議そうな目を向ける。ゆっくりと語られた言葉にますます顔を歪め、まるで難しいものを見る子供のようなアダムにシモンは躊躇することなく話を続けていく。


「アイツは人攫いなのよ! アタシもその被害者なの……」

「ティノ様……」

「ガブリエルさん、アタシは、もう平気よ!」

「ティノさんが被害者?」

「そう、被害者なの。この世界にはあちこちに不思議な事なんて転がってるわ! レッドデータ・ブックに名を連ねる希少価値のあるイキモノ、天使や悪魔も、その種に入るわね! アタシも、そこの儚そうなシモンちゃんも普通の人間じゃないのよ!」

 痺れを切らしたティノは、怒りを隠さずに言葉をこぼす。すぐにその言葉を遮るガブリエルにティノは悲しい目をする。手をきつく握り締めティノは眉根を下げ笑い、強がって見せた。アダムはティノを見て目を大きく見開き困った表情を向ける。そんなアダムの表情に優しく答えるティノの瞳は奥底から淡く潤んだ色を滲ませる。


「レッドデータ・ブック? 天使に悪魔って……ちょっといいですか? 頭がこの話に追いつかないんですが!」

「アダム様、それが普通なのですよ?」

 ティノの言い放つ言葉の数々に頭が回らなくなり、力なくアダムが項垂れると、ゆっくりと運ばれる芳醇な香りの珈琲とプチ・フールが前に置かれ、ガブリエルは柔らかな言葉を並べ微笑む。


「あの……今日はニアくんは? 彼のお茶はとてもリラックス効果があって心が軽くなれる程でした! もう一度いただきたい程です! 今日はニールさんとウィリアムさんとご一緒なんですね!」

「……違うわよ!!」

「え?」

「ニアはコルトレーンに連れて行かれたわ…… アタシの所為でね……」

「アダムさん、ニアは希少価値のある「ローズ・ゴールド」の「ミッドナイト・イヴ」です」

「ローズ・ゴールド…… ミッドナイト・イヴ?」

「アタシもその「ローズ・ゴールド」の「キル・ライトアップ」絶滅種よ! アタシは人の心が聞こえるの、あと見たくないモノも見える事も出来るの……とても嫌な能力ね!

 ナニも良いことなんてないのに、こんなのいらないのにね……」

 何気なく使ったアダムの言葉が、部屋の空気を徐々に変えていく。ティノは目を伏せて力なく否定し、あの時の記憶が溢れ瞳を曇らせる。

 

 ティノの言葉を引き継ぐシモンがオットマンソファーを見つめた。ニアがいつもそこで戯け笑う。ハンチングを被ったニアが丁寧なお辞儀をする姿の残像が薄らと残る。

 鮮やかな指さばきのコイントリックに、ぬいぐるみを抱きしめて無邪気な笑顔をする向ける姿も。ニアが隣の部屋から飛び出して騒ぐ姿も、今はそこには居ないのだ。

 アダムの疑問が募るばかりでも、ティノは自分の言葉を止めることなく説明を続けた。


「その瞳も希少価値のある宝石です。移植すれば同じものを見ることが出来るでしょうね……」

「シモンちゃんは物知りなのね」

「シモン様は勉強されたのです。ずっと夜更かしまでされて……」

「ガブリエルさん、知ってたんですね?」

「はい。それは勿論ですよ」

「またふたりは…… 依頼者のアダムさんを置いてけぼりにしないの!」

「いえ! お構いなく、既に迷子です! 残念なほどに着いていけないです! というより無理です! 図解を頼みたいんですが?」

「そんなにですか? 変わっているといっても人とたいして変わらないんですよ? 怒ることも、泣くことも、笑うことも出来るんです! 貴方と変わらないんですよ!」

「シモンちゃん! アダムさんをそんなに責めてあげなくてもよくない? シモンちゃんも変わった種のクセに! ガブリエルさんに限っては……ねえ?」

「ティノ様…… それはこの前も申し上げました様に……」

「シモンさんも? 執事さんも? 貴方がたもそのローズゴールドなのですか?」

「いえいえ! 僕はネフィリムなんですよ?」

「ネフィリムだって? もうキャパオーバーです……冷たいお水を一杯いただけると嬉しいのですが……」

「アダム様はネフィリムは知っておられるのですか?」

「ええ、こう見えても役者ですから…… 色んな役は演じているんです! って興味無いですよね?」

「いえ! アダムさん、ならば話が早いですよ!」

 アダムの言葉にシモンは目を光らせ、指先を重ね合わせ、珍しく悪戯な表情で一笑する。


「え? イヤな予感しますが……」

「演じることが得意ってことよね?」

「私にもそう聞こえました」

「執事さんまで…… あ〜! もう分かりましたよ! それで俺は何をすればいいですか?」

 アダムは諦めた顔でシモンに問い掛ける。陽の落ちた街はビルの明かりが転々と付き、夜の顔の準備をする。遠くでクラクションの音が聞こえ、此処には人の交わる世界が当たり前のようにあるのだと語る。



 *****


「此処はいったい何処なんだろう?」

「さあ~! そう簡単に出られっこない! って事くらいしかボクには言えないな~」

 ニアとグランは、まるで昔からの知り合いのようにリラックスする。だが、ガラス越しのふたりは温もりが伝わらない空間を味わう。


「ニアお兄ちゃんは怖くないの?」

「あ~ ……それは怖い場所だって言ってほしいのかな?」

「そうじゃないんだけどね……」

「冗談だよ。なんとかして此処から出ないとね」

「出来るの?」

「セキュリティセンターから此処はきっと丸見えだと思うんだ…… この会話も聞かれていると思うよ?」

「そうなんだね……」

「……でも、可能性がまったくない訳じゃないよ? 試したいことがあるんだ!」

「ニアお兄ちゃん?」

 グランは不思議そうな声を出し目を丸くすると、ニアを見る。ニアは何かを思い、悪戯に笑い、ガラスに片手をそっと這わせた。



 *****

 

 白衣に銀縁眼鏡にマスクをつけ、首から下げる電話に、それらしい物の数々。シモンさんから預かったカバンの中身はコレだけ。後は紙切れに『小児科医を装うの慣れていらっしゃる様なので頑張ってくださいね』って、なんか騙された気分。なんだろう? やっぱり騙された気がする。必然的にこうなったのだろうか? パスコードを入力し、カードをかざすと扉が開いた。


「こんな雑な変装で侵入するってどうなの俺? えーっと隔離病棟ってここか! この数字を入れて…… あとは、カードで開くのかな…… うわ! 開いちゃったよ! すごく悪いことしてる気がする……」



「……おい! 何やってんだ? オマエ!」



「ひぎゅううううあああああ~!」

「オマエはなんて声出してんだよ! うるせえよ!」

「ニールさん! ビックリさせないで下さいよ!」

「そりゃこっちのセリフだ! で? そのおかしな変装はなんだ? 映画の撮影にしちゃ隔離病棟ってのはおかしいよな?」

 嫌な笑顔をアダムに注ぎ、嫌味まじりの言葉を並べる。ニールと、そっと隣に立つウィリアムが黙ったままで時計を確認する。


「潜入捜査ってヤツですよ…… シモンさんに頼まれたんです!」

「そうなんだろうな? その許可証は前は俺が使ってたからな?」

「え! 探偵って詐欺師みたいな事もするんですか?」

「オマエな…… 詐欺師って…… 言葉選べよ? 依頼者じゃなかったら殴ってるところだぞ!」

「小声での迫力の無いお喋りはそこで終わりませんか? この奥の部屋には看護師ですら立ち入りが許されない部屋があるそうですよ」

「なるほど! 待ってろよ! よし! オマエが先に行け!」

「どうして一番目が俺なんですか! って俺は依頼者ですよね?」

「さあな!」

「さあなって…… ニールさん酷いじゃないですか!」

「おふたりは仲良しさんですね? 分かりました、私は先に行きますが?」

「おっさん、その肩に掛けた筒はなんだよ? まさかとは思うが……」

「私のかわいい相棒が入っていますよ」

「やっぱりかよ…… 暴れてくれるなよ?」

「それは神のみぞ知る! ですよ?」

 

 くすんだ目で笑うウィリアムにアダムは冷や汗が出る。話辛い訳ではないが、この人にも何か嫌なものを感じる。あ〜 考えろ! 頭を使え! 俺に出来る事を考えろ!


「どうせ…… 俺が先に行けばいいんでしょ? それで丸く収まるんでしょ?」

「そういうこった!」

「アダムさん、お願い出来ますね?」


 俺はウィリアムさんの言葉だけに頷き、真っ白な長い廊下を歩き出した。頭の良い医者の役なら絶賛演じている最中だ! 適役でしょ! そう感じつつも脚は小刻みに震えゆっくりと忍び寄る形となった。


「あいつ…… 今、撮影中の映画は異国のニンジャって役を演じてるのか? 小児科医の役じゃなかったのか?」


 アダムは不自然な程に壁沿いをすり足で歩く。緊張も度を超えると有名な俳優も、ただのおかしな奴に見えるようだな。と、ニールが額に手を当て唖然とし苦笑いをした。


「私はあちらを見て来ます。ニールくんはこちらから頼みましたよ?」


 ウィリアムの後ろ姿を歪んだ廊下は幻想の空間のように包み込み、ニールの目には陽炎のように揺らめきその風景を映した。

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