第24話 想うということ

 あのままパウダールームで僕は気を失ってしまったらしく、次に目が覚めて起きたのはニアの部屋だった。

 ベッドで横になったまま目だけで部屋を見渡すと、窓から見える景色がいつもと違うことに気が付く。窓のすぐ下にキルティングのパッチワークカバーのかかっているひとり掛けのソファーがあり、そこにずり落ちそうな形でブランケットが引っかかる。ニアがまるで猫の子が身を包むような姿で、うたた寝をしているのが見えた。僕の事を心配してそのまま寝てしまったのだろうか。

 

 シーツを指先で手繰り寄せ、それを鷲掴みにし僕は起き上がろうと気怠い身体に力を加え、あることに気がつく。肌の色。いつもと変わらない色。もしかしてと思い勢いをつけて身体を起こし窓に写る自分を見る。いつもの僕が泣き疲れて出来たような虚ろな目をしてうっすらと硝子に映る。Tシャツ姿でベッドに座り、ぼやけた顔をした僕がこちらを不安げに見ていた。


 あれは夢だったのだろうか? 火傷のようなちりちりとこの心に残る痛みはなんだろう? 行き場のないこの想いはどうすればいい? 自問自答を繰り返す。緩やかなカーブが心の隙に無理矢理何かをこじ開けようとする、今の気持ちが砕け散る前に誰かに抱きしめて欲しいなんて初めて思ったんだ。情けないね――全く。


 喉がやけに渇く。何か飲みたい。そう思って立ち上がろうとすると頭がぐらりと揺れ眩暈を起こす。


「おや、シモンくん、目が覚めたようですね? 少しは眠れましたか? 顔色、良くないですね。起き上がりたいようですが、もう少し横になっていた方がいいでのではないでしょうか?」

 ぼやける風景の中で揺れる影。その声の主はウィリアムだった。細く華奢な指先で水を注ぎ入れたグラスをサイドテーブルにことりと静かに音をたて置くと、グラスの水は小さな輪を描いた。僕はそれを暫く見つめ、側に立つウィリアムの顔をそっと見上げた。


「もうしばらくこの部屋でゆっくりおやすみなさい」

 ウィリアムの低く落ち着いたその声は、優しさを含まない出会った頃のような冷たさはもう感じない。それよりも今の僕を包み込むような暖かさを感じたんだ。そして、どこか懐かしさを感じる。靄がかかって何かが思い出しそうな一歩手前でいつも僕は挫けそのまま佇んでしまう。


「あ、あの、ウィリアムさん、あ、あの……」

 戸惑い、言葉が見当たらない僕にウィリアムはゆっくりと近づき優しく僕の頬を撫でる。


「もう無理しなくていいんですよ? 私は全て知っています。ずっと黙っていた事を許してください。まるで貴方を騙すような事してしまったみたいですね……」

 すっと僕の頬から離れるウィリアムの手から微かなタバコの匂いが鼻を掠めていく。大きな筋張った手が何かを脳裏に残していく。色褪せた想いは募っていく。


 なんだろう? この感覚はなに? 目線を合わせるのが怖くなった僕はウィリアムのこの空気を取り繕う言葉が沢山並べられも、益々なんて言葉を選んで話出せばいいのか何も分からなかった。

 

 そんなやり取りの中、ニアが目を覚ましきょろきょろとし僕等を見つけて寝ぼけた声を出す。


「……ウィリアムさん、シモンちゃん、おはよう。……ねえ、ニールは? まだ寝ているの? 」

「いいえ、依頼の書類をガブリエルと一緒に文句を言いつつも、しっかりと纏めてくれていますよ。それからニールくんは、まだこの事にはきっと気がついてはいませんよ? というよりも、真実を知ったらきっと彼は許してはくれないでしょうね」


 僕はウィリアムの言葉が終わるまでグラスを左右に傾け飲むわけでもなく見つめていた。緩やかに揺れる水は全てを見透かしたように僕の顔をうっすらと映す。


「ウィリアムさん、僕を騙してたって、さっき僕に言いましたよね?」

「ええ、そう言いましたね。君たち兄弟の事です。もうこれ以上は私は隠せません」

 困った様な表情は汲み取れたがそれよりもウィリアムさんが言った言葉が耳を離れない。

 

 もう隠せないって、どういう事なんだろう?


「シモンくん、キミはアメリアさんの子ではありますが、父親は他にいるのですよ、ヴァインとは、また違う父親が……」

「……あの、話が見えてこないのですが? 父が違うって一体どういう意味ですか?」


「……オッサン! それ今アンタの口から言っちまうのかよ? タイミングが悪いぜ?」

 鋭い声とピリピリとした空気を纏いニールが扉に手を掛け立っていた。


「……やはり貴方って人は全てを知った上でまたひとりで全てを背負っていたのですか。何もかもひとりで……本当に困った人ですね……」

「別になんにも困っちゃいねえよ! 俺は親父から全てを聞いてたよ! そりゃ色々と思う事もあったさ! けどな! それがなんだってんだよ! シモンは俺の弟には変わんねーよ!」

 

 ニールはずっと、その事を隠し通してきたのだろう。張り裂けそうな思いを抱えたままだったニールは強ばった顔をして大声を出しウィリアムに詰め寄った。


「そう……でしたか……」

「ああ……」

 不敵な笑みを口元に浮かべ、目だけはウィリアムを逃すことなく今にも胸ぐらを掴みそうなニールが生意気に顎を上げた。


「……ねえ? それっていったいどういうことなのよ?」

 

 ニアは何も言わずに指先でブランケットをいじり、ずっと黙って聞いていたが、少し開いた扉の横でガブリエルの影に隠れるように立っていたティノは気持ちを押さえられなかった様子で口を出す。


「 ティノ様! ここは介入される場面ではありませんよ!」

「なによ! ガブリエルさん、アナタもこの事を知ってるっていうの?」


 無表情で彼女の肩を受け止めガブリエルは静かに頷く。皆が騒ぐ中、シモンはベッドから降り裸足で部屋から飛び出して行く。すぐにニアがその後を追いかけるが、扉を越えたシモンを見て、ニアは、もうそれ以上前に進めずに足を止め、そのシモンの後ろ姿に唖然とする。今朝の姿よりも輝きは増しニアは近づけなかったのだ。


「シ……モンちゃん!」

 

 シモンは部屋を出て、窓の前で立ち止まっていた。真冬の白く低い雲がビルの上をうっすらと隠す。その全てが見える大きな窓の手前でシモンは黙って立っていた。髪はダークブロンドではなく、絹のような繊細な美しさに加え散らばっていた光を纏いゴールドに輝く。シモンを取り巻く無数の羽根が窓からの凍るほど冷たい風に緩やかに舞い上がる。裸足のシモンの肌は徐々に透明度を増す。


「シモン様、もうアナタをこれ以上は隠せは出来ないのですね……」

「シモン……」

「なっ……なんだっていうのよ! ハーフってこういうモノなの? ハーフでこれなの? そういうモノなの?」

「シモンちゃん……なんてキレイなの……」

 

 ティノは驚いた顔で片手で思わず口を添えてしまう、ニアはきらきらと眩い光のシモンに目を輝かせた。そんな中でいちばん声にならずにいたのはニールだった。

 皆が口々に騒ぐ中、ウィリアムは冷静に窓を閉め錠をかけるとブラインドを下げる。

 ガブリエルは何も言わずに毛布をシモンの身体にそっとかけ優しく肩を抱く。


「もう全てを隠すのは無理です。この場所もいつまで持つか……」

「カーペットの下に隠してた印じゃ、もう持たねえな……時間の問題ってやつか!」

「地下の聖杯堂の隔離室が一番ですが、閉じ込めるのは気が引けますね。シモンくんはどうしたいですか?」


「……僕はみんなと此処に居ちゃダメですか? 」

「ですが、キミは……」

「シモンはみんなから自分を遠ざけるなって言ってんだぜ? こんな時だろ? 傍に居てやれよ! ウィリアムさんよ? 」


「さっきからニールは何言ってんの? ……ニール? ねえ、どういうことなの? ウィリアムさん?」

 ニアが驚きを隠せずにその場でニールとウィリアムの間を行ったり来たりとうろうろしだす。


「オッサン! このままじゃダメだろ? いい加減ケジメつけろよ! シモンが小さな頃からずっとウインセンターに来ちゃ、一緒に手繋いであの大きな橋を見に行って。移動遊園地にも連れて行ってさ……俺たちが此処に来てアンタは煙草の銘柄は変えてるし、相当アンタみっともねーぜ?」

「……私は彼を、ヴァインを裏切ったのですよ? 儚く美しいアメリアに恋をしてしまったのです。神に背くような真似を……」

「親父の事と子供のことを一番に考えて取った行動だろ? いいんじゃねえか? 若気の至りってアレだろう? 親父もバケモノに魅了されたクチだ! 愛する妻と子供よりも戦うことを選んだんだ! そんなやり取りの中アンタは母さんと俺を守ってくれたんだよな? 一度の過ちであれ、愛したんだろ? 母さんを! たしかに天使ってイキモノは人を魅了しちまう! なあ? ガブリエル」

 ニールの言葉は衝撃そのもので、ニアは言葉を失いその場に立ち尽くし、ずっと全身に痛い程の力を入れて聞いていたティノは油断したのか大粒の涙をこぼし嗚咽を交えて泣き出した。

 ガブリエルにそっと肩を抱かれたシモンは肩を震わせ全てを聞いていた。


「ニール様……そこまで気がついていてどうして……」

「もう何でもかんでも内緒にすんの疲れんだよ! 洗いざらい吐いちまった方が楽って事もアリだろ?」

 ニールはそう言うと子供のような無邪気な笑顔で笑う。


「丸くなって眠るのも、人を拒絶すんのも、もう飽きたよなあ? ティノ! 誰だってひとりで生きてくのは無理なんだよ! 俺もお前もそう変わりゃしねえんだよ!」

「何よ? こんな時に優しくしないでよ…… アタシのことは関係ないじゃない! ……ほっといてよ!」

「そりゃ悪かったな……でも本当のことだろうが……ガキのクセに我慢ばっかすんな!」

「ふん! 許してあげないわよ……バカ」

「……で? 納得いってないのはニア! オマエとシモンだけか?」

「ボクは構わないよ!……だって家族でしょ! ここに居るみんな家族でしょ!」

「そんなの家族ごっこじゃないの! でも……それでもアタシはいいわよ!……キライじゃないもの……そういうの」

「家族ごっこ……か! 素敵な言葉だね!……今のボクらにはもったいないくらいの言葉だね! 」

「シモン! 俺はお前の兄ちゃんだぞ! それは変わらねえ!」


 窓の外は今にも雨が降り出しそうな低くなった雲が太陽を覆い隠す、そんな空を見たままでシモンはぽつりぽつりと喋りだす。


「僕を……閉じ込めてくれる? みんなの傍で閉じ込めてくれる? もう、ひとりは嫌だよ……」

 ゆっくり振り向くシモンの姿は以前の面影を全て覆すモノとなっていた。

 シモンのその言葉に姿に誰も何も言えなくなりガブリエルがそっと肩を抱く力を弱めた。


 ーーーーーー


 キミが何かを思って、誰かを想って空を見上げるなら、その時は思い出してほしい。ひとときでもみんながキミの傍に居れたことを――

 眩しくて手の届かない所にキミが居たとして、明日にはまた少し近づける努力をするよ。


 そう、努力をするよ。

 この身を焦がすほどに。



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