第4話 初めて目にするモノ

 秋がおとずれて、少し肌寒い。

 大きな橋の前で、僕の手を繋ぐ大きな手。もうあとどのくらい、こうしていられるのかな? 子供ながらに僕はそう思った。

 あの甘い匂いと渋味のある煙草の香りが、海の匂いに交わる。

 それから遠くの飛行機の音が聞えてたっけ?


 *****


 リビングは、さっきまでと何ひとつ変わらないはずだった。

 だが、ソファーに見知らぬ男が仰け反るように腰を掛け、その足元に父さんが横たわる形になって倒れていた。

 ニールが片手に古く分厚い革製の表紙の辞書の様な本を持ち、その男に向かって何かを呟く。

 

 男は口を歪め、いやに自信ありげに笑う。


「ざんねん、それじゃ効かないよ? それくらいの下級悪魔向けの 『まじない』じゃ 痛くも痒くもない……」

 その男は僕に気がつき、

「居るじゃないか。とっておきのが…… そいつと交換しようじゃないか? そうすれば ヴァイン・クインテットの命は取らないであげるよ。さあ、取引だ」

 そう言い終えると、父さんを軽々と片手で持ち上げた。


「俺のことは構わない。ニール…… シモンを連れて行け……早くしろ」

 父さんの苦しみを我慢する途切れ途切れの声。憎しみの混じった絞り出された声。

 ニールが額の汗をシャツの袖で拭い、男の声には一切答えずに言葉を続ける。僕はこの光景に、たじろぐばかりで、自分が口ばかりの役立たずだと思い知らされた。

 男の高笑いする声が、耳を裂くような傷みに変わる。耐え切れない。僕が両手で耳を塞ごうとした時、


「シモン我慢しろよ…… 目を背けるな」

 ニールは大声で僕に語り、前を向けと目線を男へと移動させた。

 本をパタンと片手で閉じ、見下すように片目を少し大きく見開き、ニヤッと笑って天井を指差した。

 赤黒い渦が男の上で廻り続け、次の瞬間に紙マッチに火をつけて息を男に向かって吹きかけた。


「ご愁傷様」

 次の瞬間、男は大声で断末魔の叫び声を上げる。


「ダマシタナ…… ニール・クインテット」

 先程までの声とは違う、全くの別の声で、鋭いケモノの目でニールを睨みつけ吠える。

 何処ともなく現れた、薄黒い煙が男を囲み絞り上げ、一本の柱のように細くなり壁や天井に黒い液体を飛沫し、跡形もなく消え去った。壁や床に飛び散った黒い液体はいつもの部屋に余韻だけを記録する。

 父さんが床に転がり落ち、ニールは父さんに急いで駆け寄った。そんな二人に、いつもこんな事してるのか? と呆気に取られた僕は、やっと口を開く。


「……今のなに? あれってなに? どういうこと?」

「シモンの目にはどう見えた?」

「アニメーションみたいで、テレビドラマや映画みたいだった…… とにかくすごかった……」

「……そうか」

 うまく言えないけど、凄さだけは伝わった。僕は若干の興奮を隠しきれずに語る。それを見て、ニールが拍子抜けしたように笑った。

 

 このように『エンド・ヒューマン』と呼ばれる特殊な種族だけを狙う魔物やゴースト、そして、悪魔が現れては生命を狙う。

 僕達兄弟は、特殊な種族のSランク。

「レッドデータ・ブック」に刻まれた、その世界では、とても貴重な天使と人間のハーフ。高額な闇取引だって執り行われる事があると、父さんは教えてくれた。

 しかも闇取引のオーナーは「バケモノ」ではなく「人間」だと言う。


「同じ人間同士で取引って…… そんな馬鹿なこと信じられないよ」

「そういう世界が或のも事実だ」

「どうしてニールは怖くないの? 自分だって天使とのハーフじゃないか。それに怖いのは魔物より人間の方じゃない」

「まあ、普通の神経ならそうだよな…… 俺は子供の頃から親父に教えこまれてたから慣れたもんよ。冗談みたいだが、ホントの話なんだよ」

 ニールと僕は、ぼそぼそと会話を続けた。


「さあ、ゆっくり話している場合じゃなくなったな…… 大事な物だけ鞄に詰めろ。とにかく、すぐに出発するぞ……」

「父さん、 出発するってどこに? ……友達や学校は?」

「別れはナシだ…… 悪いな時間がないんだ 」

「そんな……」

「……なんだよ? シモンくん、大事な女でも居たかい?」

 ニヤついて嫌な笑い方をするニールに僕はすぐに。

「そんなのじゃない。大学の研究もまだ途中なんだ」

「シモン…… オマエ真面目ちゃんか。面白くないね。ああ~本当に実につまらない」

 そう呆れた顔で、テキパキと荷物をまとめた。


「ニールは…… またそうやって……」

 僕はちょっと拗ねた顔で、棚に飾ってあった二つの写真立てを鞄に滑り込ませ 、あとは必要な物だけを鞄に詰め込み準備が出来た。


「……ちょっと待って。僕の車じゃ三人は無理だよ。それに荷物が多すぎるよ」

 僕が困った顔で父さんを見る。するとニールが、

「俺の車なら三人は余裕だな…… ヴィンテージ・カーだというのに大した奴なんだ。まるで猫が喉を鳴らすような唸るあのエンジン音に痺れるぞ? オマケを乗せてもまだまだ行けるな。先に荷物積んどけよ。これはたった一本の鍵だぞ。なくすなよ?」

 いつもより饒舌に、自分で身体をきつく抱き締め身震いをする素振りまでつけて嬉しそうに語った後に、シンプルな革のキーホルダーが付いた鍵を僕に投げた。


「この家とも暫くお別れだな…… ちょっと寂しい……」

 そう言って僕は、荷物を肩に背負って玄関の扉に手をかけたその時、バチッと静電気の様な赤い火花が弾ける。父さんは僕の腕を勢いよく引っ張り、自分の方へと寄せて僕を強く抱き締めた。何が起こったのか分からなくて、父さんの顔を見上げた。

 そして、ニールが言葉を発する事なく、口惜しそうに堪える顔で父さんと僕を見る。

 父さんは僕を優しく悲しげな目で見て、今までに見た事ない笑顔を向け、口をぐっと噤む。そして、ゆっくり目を閉じ、ずれ落ちるカタチで床に倒れた。僕の手には暖かい真っ赤な血が付いていた。


「……父さん?」

 倒れた父さんの下から溢れる血だまりが、ゆっくりと僕を囲む。少し離れた場所でニールは黙ったままで動けないでいた。

 一瞬の出来事で訳が分からない。

 僕は気が動転し、鼓動はどんどん速くなる。


「あーらら。オッサンが、でしゃばって出てくるから~ 失敗しちゃったじゃないか。まあ、いいや。邪魔なオッサン一匹排除出来りゃ上出来だよね」

 見た目は十歳くらいだろうか? 見たこともない男児が、僕らの横に突然現れ、血のベッタリついた日本刀を片手に、あどけなさが残る舌足らずな口調で話す。身の丈に合ってない日本刀を肩に担ぎ、厭な目をして笑う。

 そして、耳を疑うセリフを言った。幻ではなかった。これは紛れもない本物。残酷な言葉の最後は、

「次、おまえの番だよ…… ニール・クインテット。そしたら次はシモン・クインテット最後はおまえを迎えに来るよ…… とても楽しみだね」

 子供はニールを指さし、僕を見てにこりと笑い、スッと姿を消した。ニールは呆然と立ち尽くし、僕は無数の滴り落ちた血と小さな足跡が残った場所をしばらく見ていた。

 ニールは、ゆっくりと父さんの横に立ち黙ったまんまで見つめる。僕だけが慌てふためき、


「父さん? ねえ、起きよう? ほら、三人で今から始めるんでしょ? ……ねえ、行かなきゃ。急がなきゃ……父さん? ねえ、父さん」

 何度も何度も身体を揺さぶり、大声で父さんに問いかける。父さんの身体は徐々に冷たくなっていく。何度目かで、ニールが両手で強く僕を抱き止めた。ゆっくりと首を横に振り目を閉じる。

 父さんの血で、僕の白いシャツの色は変わっていく。

 血の匂いが噎せ返るほど臭い、その匂いは僕にじっとりと纏わりつく。

 ニールは僕を外に連れ出し、家に火をつけた。いとも簡単に火は全てを包み込み、思い出を赤く染めていく。赤く照り返す火を背にして。そして、車に乗り込み、生まれ育った町を離れる。

 

 こんな出会いで。

 こんな別れで。本当の旅が始まる。

 何も期待のない。何も楽しみのない。

 仇討ちの旅。


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