7.そんな七瀬のむかし話〜後編〜

(1)


 五日目の朝だ。

この街に長居する理由なんてもう一つもないというのに、私は何かに手を引かれるように、初めてあの探偵と出会った河川敷に向かっていた。


「よう」


 探偵は私が来ることが予定調和だったと言わんばかりに、馴れ馴れしく話しかけてきた。


「もう二度と見たくないって言ってたくせに」


「だからまだこの辺りをちょろちょろしてねえか見回りに来たんだよ」


 探偵はビニール袋を提げていた。

その中から、アルミホイルに包まれた塊を一つ取り出して、放り投げてきた。中身はおにぎりだった。


「いらない」


「じゃあその辺に捨てとけよ」


 どう突き返したところで、この男は絶対に受け取らないだろう。

食べ物を故意に捨てるのは気が引けたので、仕方なしに一口齧る。


「……からい」


 塩が利きすぎていて、飲み込みにくい。

探偵は私の隣に座り込んで、袋の中からおにぎりの包みを取り出して、私よりも大きな口で齧りついた。


「うわしょっぺえ。よくこんなもん食えるな」


 袋の中から、ペットボトルのお茶を二本。

ものを食べる気分ではなかったし、まして人から施しを受けるなど、ただただやり切れなさが募るばかりだ。

なのに私の手は、考えるよりも先にペットボトルを受け取っていて、喉に張り付いた塩気を流し込んでいた。


「シャーロット」


 二つ目のおにぎりをぺろりと平らげて、ペットボトルを潰しながらあっという間にお茶を飲み干した探偵は、不意に口を開いた。


「飼い主に死んでたって報告したよ。結局あの後、死体を取りに戻る羽目になったんだけどな」


「そう」


「飼い主のババア。しらっとしてたよ。なんつうか……やりがいの無い話だわな」


「……酷い話ね」


「どうだか」


 草っぱの上に寝転び、探偵は煙草に火を点けた。

ずっしりと重いビニール袋を私の膝に置いて、まだら模様の金髪を鬱陶しそうに掻いている。


「年を食えば食うほど、人前で感情を出すのが下手になっちまうからな」


 私は彼のことを殆ど知らないけれど、それはどこか身に詰まされる言葉であるように思えた。

私にとってだけではなく、彼自身にとっても。


「感情を制御出来るようになったんじゃなくて?」


「表に出さないだけだよ。半端に賢くなっちまうから、閉じ込めることばかり上手くなっちまう」


「それは……経験談?」


「さあな」


「閉じ込めるのが上手ね」


「けっ、クソガキが」


「……クソガキじゃない」


「はいはい。クソガキはクソガキ扱いされて不服ですか。クソガキはなんて名前なんですか?」


「ああもう!」


 クソガキ、クソガキと連呼されるものだから、私は堪らず声を荒らげてしまう。

自分の声に含まれた怒気に気付いた途端、耳がかあと熱くなる。


 意地の悪い笑みを浮かべて、探偵はじっとりと視線をこちらに向けたまま。

私はついに観念して……


「……七瀬」


 ▼


 探偵の名は坂崎というらしい。

樹楽街で事務所を営む私立探偵、というのは建前で、実情は失せ物探しを始め、荒れ放題の庭の手入れ、買い叩いた債権の取り立て、街の催し事の臨時スタッフ、街から一歩出れば小学生の遠足の引率など、良く言えば幅広く、悪く言えば見境なしに仕事を受ける、所謂何でも屋さんだ。


 それならばわざわざ探偵事務所と看板を掲げて客を減らすような真似をせず、最初から何でも屋と名乗っておけばいいじゃない。と、切り出してみた。


「先代の爺さんがそう名乗ってたんだから、俺がほいほい変えるわけにもいかねえだろう」


 頑なに探偵を名乗る理由は、拍子抜けするものだった。


 そして、私は勝手にドラマティックな背景を想像していた自分を、胸中で窘める。

いや、あるいは彼の返答も、何かを閉じ込めるための、適当に繕った言葉なのかもしれないなと、そんな風に考えるうちに、思考が散漫になっている自分に気づいた。


 ついて来いと言われたわけでもないのに、一人歩き出した彼について行く私。

もしも彼が、どうしてついてくるのかと問うてきたら、私はどう答えるのだろうか。私は、何を閉じ込めるのだろうか。


「降りそうだな」


 彼がそう言って、私は鼻で息を吸う。雨の匂いがした。雨は、きっとすぐ近くまで来ている。

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