第四十一話 獣堕ち
「どうですか? 戦況は」
丘の上でひとり空の戦いを見つめていた樹稀。その背後から声がかかった。その声に驚いて彼女は振り向く。セイビーは全て出撃したのだ。こんなところに人なんているはずがなかった。
「貴様っ! なんでこんなところにいる!」
黒くだぼついたコート。長身で青白い顔の青年が立っていた。男は肩を竦めていた。
「そんな怖い顔で睨まないでください」
「ここへ何しに来た!」
「いえ、樹稀さん、あなたと少しお話をしたいと思いましてね」
「こっちは貴様と話すような事はない! 安全な壁の中で豚供と一緒にのうのうとしているがいい!」
「そうですか。私の提案した通りに上手くやっているじゃないですか。奴らを効果的に追い込むことができています。さすがは樹稀さんですね」
「煩い! なぜ私一人が安全な所で彼らの戦闘を指揮しなければならないのだ。これまでも多くの仲間を犠牲にしてきてしまった! それもこれも貴様の所為だ!」
樹稀は燃えるような瞳で男を睨みつけた。それに気にも留めずに男はマイペースに話を続ける。
「私がお尋ねしたいのはですね。なぜそこまでしてあなたはオリジナル人類のために戦うのか。それにつきます。あなた以外の現在のセイビーの境遇。それを操っているあなたなら私が何を言いたいかわかりますよね?」
「オリジナルの貴様がそれを言うのか! しかも我々を窮地に追いやった張本人が! 私だって本当はこんなことしたくない!」
沖田に背を向けながら樹稀は叫ぶ。上空で繰り広げられる戦闘から目を離すわけにはいかないのだ。その眼尻には涙が滲んでいた。
「そうですよね。先程も多くの同胞の命を一瞬で無駄にされてましたしね」
「だ、黙れ! もう少し、もう少しなんだ! 奴らを倒せばみんなで自由を手にできる!」
「ほんとにそうなりますかね」
「おじさんが――。いや、山縣元帥が政府の代表者から確約をとりつけてくれた。セイジの反乱軍さえいなくなれば私たちを縛りつけるものはないと」
七、八年前からセイジの〝獣堕ち〟が急増した。彼らは徒党を組み、いつしか巨大な反乱軍組織となった。
それとは別にセイジの謎の失踪事件も相次いだ。
オリジナル人類は自らよりも優れた種で構成された反乱軍に怯えた。
「人間はね。自分とは違う者、特に自分より優れる者を嫌うんですよ」
男のいう通りだった。反乱軍への恐れはセイジ自体に対する恐れ、憎しみへと変わっていた。
そして、オリジナルの人類はビニックに細工をすることにした。禁じられたライティングに手を染めたのだ。
成長とともに脳は発達していき成人する頃にはその機能は安定する。そうなったところで感情や思考を司る特定の脳領域をショートさせるのだ。あとはそこに統一意思をアップロードするだけだった。
セイジは自らでは何も考えることができなくなった。ビニックを介して指示された事を淡々とこなす。まさにロボットだ。
「こんな奴隷のような扱いが許されると思っているの!」
この隷属ともいえる処置を提唱したのが樹稀の目の前の男。大臣補佐官の沖田だった。
彼はこれを第二世代人類の精神安定化処置法(通称、友達法案)と名付けた。当時の民意を反映したものでもあり耳障りも良かった。賛成多数により法案は速やかに可決され、施行されることとなった。
勿論、セイジには議員になる権利どころか選挙権もなかった。セイジ保護を訴えるような奇特なオリジナルは議員には選ばれなかった。
ただ、この隷属処置には制約があった。オリジナル人類には制御できなかったのだ。同じ脳構造を有するセイジが必要だったのだ。このため数人の優秀かつ従順なセイビーが脳を破壊されずに残された。
樹稀はとても優秀だった。が、決して従順とは言えなかった。このため脳が焼かれるところだった。寸でのところでセイビー軍の元帥であった山縣に救われたのだ。
さらに、この一大決戦を前にして樹稀は司令塔を一任された。
命令系統を一つに絞った方が高度な軍の運用が可能である。そう提案したのは沖田だ。友達法案で大きな成果をあげた彼のこの提案は政府上層部にすんなりと受け入れられた。
司令塔に樹稀を選んだのは沖田ではなく山縣である。
「いつ脳が焼かれるかわからない。そんな危険を冒してまで州都に残る必要があったのですか? あなたも反乱軍に身を寄せれば良かったじゃないですか? あそこは獣堕ち以外のセイジもいますよ。セイジの自由をオリジナルから勝ち取る。その大義名分のために戦った方が良いじゃないですか」
「そうね。そういう考え方もあるかもしれない。でも私はお兄ちゃんが、斎藤徹が守ろうとしたもの。それを守りたかった。私は兄の遺志を継いでオリジナルとセイジの新しい未来を紡ぎたい。反乱軍さえ鎮圧すればまた昔のように手を取り合うことができると信じている」
空を見つめながら樹稀は力強く語る。お兄ちゃん、わたし間違ってないよね?
「あははは! なんて浅はかな考え。あなたがそこまでしてここに残って戦う理由に少し興味があったのですが残念です。まさか頭がお花畑だとは。あなたには隷属処置なんて必要なさそうですね」
沖田のあからさまな侮辱。さすがの樹稀も後ろを振り返って反論しようとした。が、うまく声がでなかった。声の代わりに口をついたのは多量の血だった。
「な……な…ん……で…」
彼女の胸元からは赤く揺らめく剣先が突き出ていた。唖然とする彼女に構わずそれはゆっくりと引き抜かれた。彼女は胸を押さえた格好で地面へと崩れ落ちる。
「樹稀さん、知っていますか? あいつら獣堕ちの最初の患者がどこへ消えたか」
「な…な…にを……」
うつ伏せに倒れた樹稀。その周りの大地に血溜まりが広がる。彼女は痛みに苦しむ。と同時に困惑もしていた。沖田の突然の暴挙も唐突な話題もまったく理解できなかった。
首を曲げて沖田を見上げる。そして息を呑んだ。彼はオリジナル人類だった。そのはずなのだ。しかし黒かったはずの片側の瞳が紫の狂喜に染まっていた。
「あ……」
沖田の後方の大地に青い影が立て続けに墜ちていた。
司令塔を無くしたセイビーはただの木偶人形だった。それでも基本プログラムに従い反乱軍との戦闘を継続していた。次元の低い戦闘しかできないが数の多さもあって戦況は今のところ五分五分だった。
そんな空戦を見上げながら彼は冷ややかに笑う。
「私の狙い通りですね。一元集中すれば確かに効率的。特にあなたのような優秀なオペレータであれば尚更ですね。しかし、その一人が使い物にならなくなった時点で終わりです。バックアップもない作戦は、ただの無謀と呼ぶんですよ」
全てが嵌められていたことに樹稀は絶望する。これを実現するためにあの法案を通したのか。そのために長い期間、政府に潜り込んでいたというのか。あまりにも用意周到だった。しかしなぜそのような事をするのか。彼女にはそれが理解できなかった。
「そうそう。それでですね。獣堕ちした遠名の話なんですが」
こいつはこんな時にまだそんな話を続けるのか。
「実は完治はしませんが症状を一定期間だけなら抑える薬が出来上がっていたのですよ。それを飲むと破壊衝動がなくなります。面白いことに瞳の色がオリジナルと同じ黒になるんですよ」
こんな風にね、と沖田は自分の片目を指さす。
「冷静になった彼は大人しく謝罪しました。研究者って馬鹿ですよね。自らの研究には間違いがないと思っているのですから。他人の研究は間違いばかり指摘する癖にね。研究者は彼を信用して拘束を解いたんですよ」
ほんと危機管理がなってないですよね、と沖田は笑う。
「自由になった彼はそいつを脅して同じ薬を大量に作らせました。レシピを作らせたところで用無しになったそいつには死んでもらいました。その時の研究者の顔は傑作でしたよ。そして彼は軍の病院から、この州都から逃げ出しました。ビニックの監視の届かない北の最果ての地へとね。薬を飲んだ彼は別人格を作り上げることにしました。名前も変えました。読み方をね逆さまにしたんですよ」
『遠名…多喜男。おきた…なおと――。貴様っ!?』
口内には血が溢れてまともな言葉を紡げない。樹稀はビニックを使って沖田に叫んだ。
「ははは。いや、ほんと単純ですみませんね」
沖田はフードの中で自嘲し話を続ける。
「私はこの時をずっと待ち望んでいた。二十年かけてこの復讐の舞台を育てたんです」
『でもなぜだ! それなら貴様はもっと歳をとっているはずだ!』
そう、少なくとも山縣元帥よりも年上のはずなのだから。
「ああそれは薬の副作用ですね。獣堕ちは単純に言うと細胞を活性化しているようなものです。そしてこの薬はその活性を著しく低下させているんですよ。その副作用としてか老化が抑えられるのです。女性のあなたにとっては魅力的ですかね? でもいいことばかりじゃないのです。造血作用までも抑えられてしまうからかなり困った薬です。血に飢えると獣堕ちも抑えられなくなりますし。定期的に新鮮な血で入れ替えないと生きていけないのですよ。まったく中途半端な薬ですよね」
『ま、まさか。最近、州都を騒がしている吸血鬼騒動は――』
沖田はその問いには答えずに口角を吊り上げる。そして今度は空を指さした。
「獣堕ちをここまで増やすのも本当に苦労したんですよ」
『ふ、増やしただと……』
「ええ、自分が獣堕ちした理由は自覚していました。が、それを実証するとなると大変なんです。一人のセイジを被験者にしてね。長い年月をかけて舞台を整えました。脚本通り演じさせるのは思いのほか難しいものです。そうそう、あの女には危うく台無しにされるところでしたし」
目を細める沖田は過去を振り返って懐かしんでいた。
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