第6話 相談

漆黒の空には雲一つなく、満天の星星が無数に煌めく。星の煌めきにも負けない程、いや寧ろそれの何倍もの光を放っている満月は林泉寺の庭を明るく照らしている。

夏の虫達は自分が一番だと言わんばかりに賑やか騒ぎ立て、耳に心地よいというよりも煩わしく感じてしまう。そんな夏の夜、虫達よりももっと煩わしく感じてしまうような来客があった。


幼少の上杉謙信こと虎千代である。


部屋はさほど大きくはないしすでに布団を敷いてしまっている。貴重な灯りとなる油もこの部屋には無い、月明りだけを頼りに俺は虎千代と向かい合う様に座っている。

虎千代の顔はこの寺に来てから一番と言っても良いほどに重い。効果音で言えばドヨンとしている澱んだ空気を纏って、口を横一文字に縛り表情は一切微動だにせずに硬直している。


こんな夜遅くに一体どんな用事でやって来たのだろうか。


「雪、お前に頼みたいことがある」


目の前に座っている虎千代が真っ直ぐと俺の目を見て話してきた。


虎千代は非常に乱暴者であるし、気に入らないことがあるとすぐに癇癪(かんしゃく)を起こしてしまうような疳(かん)も持っている。しかしそれら全てには意味がある。


先日の事である。

虎千代が寺の兄弟子2人を本堂で投げ飛ばし、組み合っては殴るという喧嘩をしているという知らせが和尚の下に届いた。和尚は溜まらず席を立つと急いで本堂へと駆けて行った。

和尚が本堂に着くとそこには知らせ通りに兄弟子2人と殴り合いの喧嘩をしている虎千代の姿があったという。和尚は溜まらず『本堂で喧嘩をする奴があるか。柱に縛り付けて置くぞ』と怒鳴りつけたという。しかし怒鳴られた兄弟子の1人は『虎千代様が悪いのです』と、虎千代の振る舞いに対して精一杯の説明をしたそうだ。虎千代が兄弟子の話が終わるまで黙って聞き、そして話が終わると今度は虎千代が『和尚様、虎千代が相撲をしようと言って始めると後ろからもう1人が組み付いて来たのです。ですからそれは相撲ではないと言って、2人を懲らしめるために行っているのです』と反論をしたのである。

これらを聞いた和尚は虎千代は乱暴者には違いないが、子供ながらに道理があると感心したと3人を叱りながらも感心したそうだ。


後日この話を聞いた時、そもそも相撲をするため相手の同意は取ったのか、いくら2人で攻めるという違反ををしたからと言って暴力で解決するとはどういう考えなんだ、と虎千代の行動に疑問を持ってしまった。

確かに数え7歳、現代では6歳の子供にしては非常に大人びた考えと理屈を言ってはいる様に感じるが、現代感覚で生きていた俺にしてみれば、叱られないための屁理屈にしか聞こえない。


しかし、確かに虎千代には虎千代なりの考えをしっかりと持ち、自分の考えの元行動している。和尚の言う通り道理は一応通っているのだ。そんな虎千代が寺の中で一番と言ってもいいような鬱陶しく感じているであろう俺の元にやってくるとは、それもお願いにやってくるとは考えもしなかった。


「頼みたいこと、ですか。こんな時間にやって来る程大切な事何ですか?」


「夜遅い時間にやって来た事は悪かったと思っている。しかし居ても立っても居られなかったのだ。だから悪いと思いつつ来てしまった。すまない」


「いえいえ、別に誤ってもらうような事でもありませんよ。私の方こそ文句を言っている様に感じたのなら謝ります」


ついつい不満そうな雰囲気を醸し出してしまっていたようだ。

昔から本音を隠すのは苦手だった、次からはもう少し隠せるように成長しなくてはならないようだ。


「いや、雪に謝ってもらう必要などない。それよりも頼みたいことなのだが」


「そう言えばそうでしたね。一体何を私に頼みたいのですか?大抵の事なら天室光育和尚にお願いすれば済む事でしょうし」


虎千代はこの寺では非常に厚遇されているし兄弟子たちも皆が“様”付けで呼ぶほど敬意を払っている。内心はどうかは知らないが。


それもそのはず、ここら一帯を統べる長尾(ながお)為景(ためかげ)の嫡子では無いにしても息子であるし、農民や一介の兵士とは身分が違うのだから。

確かに天室光育和尚からは厳しい修行を課せられてはいるが、それでも他の小僧よりは他の面では優遇して貰えるのだから、何かして欲しかったら直接願い出る事が出来るだろうに。


「いや、和尚様や兄弟子達には頼めない事なのだ。雪、私に漢詩を教えて欲しい」


「……えっ?漢詩……ですか」


「そうだ。私はお前が今よりも2つも小さい頃から漢詩が読めたと和尚様から聞いた時、自分の不甲斐無さとお前の凄さを感じた。しかし同時に超えたいとも思ったのだ。そこでどうしたら超えられるのか自分なりに考えたのだ。そして辿り着いた答え、それが超えたい相手である雪、お前に直接教わる事だと思ったのだ」


「えっと……ですね…」


「あぁ、分かっている。和尚様から習えばいいと思っているのだろう、勿論それも考えた。でも和尚様は四書五経から漢詩も和歌もありとあらゆる知識を持つ非常に聡明な方だ。そんな方だからこそ今の私の悔しさを分からないかもしれないのだ。しかし雪なら、同い年の説なら、今の私の様に悔しい気持ちを分かってくれるのではないか。それを乗り越えた雪なら私に何か享受してくれるのではなか、そう思ったんだ」


「いや、だからさ……」


「だから頼む、私に漢詩を教えてくれ」


熱弁を奮っている虎千代に俺は押し潰された……。

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