第拾七~拾八章






ー拾漆ー


十月八日(




 夜の国道を、黒いスポーツカーが疾走していた。

 時刻は十時になろうかという頃合い。まだそれなりに通行車両は居るが、その数は少ない。スポーツカーは通行する車の間を縫うようにして進み、次々と追い抜いていく。


「はぁ……はぁ……」


 運転席から荒い息遣いが車内に響く。だがそれは疲労によるものではない。興奮によるものだ。運転者の紅潮し、緩んだ口元からそれが如実に伝わってくる。


「んーっ! んんーっ!!」


 後部座席には制服姿の都筑 未来が転がっていた。両手両足を縛られ、口には粘着テープが貼られており呻く以外に音を発することができない。それでも何とか逃げるきっかけを作ろうとドアを蹴飛ばしたり体を起こそうとしたりと懸命にもがく。だがそうしていれば運転者にもすぐにバレてしまう。ルームミラーで後ろの様子をチラリと見遣り、露骨に顔をしかめた。

 うるさい奴は嫌いだ。運転手は鋭く未来を睨みつけ、嫌悪を露わにする。睨まれた未来は射竦められて体を強張らせた。恐怖から両眼から涙が零れ落ちた。

 運転手は舌打ちと共にアクセルを踏み込んだ。

 これだから「顔」のある人間は嫌いだ。内心で嘯く。口があるから、考える頭があるから人は醜くなる。全く、なんて余分なものなのだろうか、頭部というものは。

 苛立ちが募り、不意に過去の記憶が蘇る。その途端に運転者の頭が猛烈な痛みを発する。


「ぐっ……!」


 頭を咄嗟に押さえ、うめいた。だがそれも記憶が遠ざかると同時に収まっていく。

 うるさいのも後少しだけだ。運転者の顔の苦痛が消えて再び愉悦が戻ってくる。首を落としてしまえば人間なんて静かになる。

 そうだ、後、少しだ。口元が大きな弧を描いた。もうすぐ彼女の体を手に入れられる。柔らかで女性的な肉体。豊かな乳房。それを思う存分抱きしめられる。堪能できる。それを想像するだけで昇天してしまいそうだった。興奮そのままにステアリングを切り、カーブを高速で曲がっていく。だが勢い余ってセンターラインを越えてしまい、危うく対向車とぶつかりそうになった。


「……ふぅ」


 一気に血の気が引いて冷静さが戻ってくる。事故を回避できたと理解が追いついてきて、運転者の腕から力が抜けて肺から空気が一気に出ていって空っぽになる。危ない危ない、気を逸らせすぎてはダメだ。自分に言い聞かせる。

 伊藤 しずるの時もそうだった。せっかく手に入れかけていたのに、焦ってしまい体を傷つけてしまった。殺すだけだったのに、人は抵抗するものだということをすっかり失念して傷物にしてしまった。そうなるともうダメだ。どれだけ他の部分の状態が良くても興奮しない。抱いても満足感が得られない。そうなると、もう破棄するしかない。あれはとても残念だった。

 息を吐いて気持ちを落ち着ける。都筑 未来は伊藤 しずるよりも上物だ。これ程のもの、滅多にお目にかかれない。今度は何としても丁寧に慎重に殺して解体しなければ。

 逸る気持ちを抑え、考えを巡らせる。今日は何処で首を落とそうか。伊藤しずるは我慢できずに近くの廃ビルで殺してしまった。また近場で首を落としてしまえば、何かと面倒が起きるかもしれない。

 そうだ、今回は離れた山奥にしようか。幸いにして明日は休日。少々遅くなっても問題ない。斬り落とした頭部の処理も簡単だ。

 荒々しさに消えた滑らかなドライビングで山間部の方へ車を走らせる。まるで誕生日の子供のようにウキウキと顔を綻ばせていたが、その時スマートフォンが鳴った。

 上機嫌に水を差され、舌打ちをしてスマートフォンを睨む。路肩に車を止め、乱暴な手つきでそれを手に取りメールソフトを立ち上げた。

 送り主のアドレスは不明。見たこともないものだ。迷惑メールかと思い無視しようとしたが、「重要なお知らせ」というタイトルが気になり開くだけ開いてみる。

 そこに記載された内容に眼を釘付けにされた。


『アナタが奪ったものを返して頂きたい』


 後部座席を思わず振り向いた。まさか、バレたのか? 想定外の事に思考が乱れ頭を掻きむしる。


(いや……そんなはずがない)


 まだ彼女を拐って殆ど時間が経っていない。車に押し込む時も辺りに誰も居なかった事は確認済みだ。幾らなんでも露見するには早すぎる。

 たまたまいたずらのメールが状況と合致しただけだろう。そう思い直して跳ね上がった心臓を鎮めようとするが、再び連続でメールが届く。


『と言っても返す気なんてないでしょうから』

『私の方でもアナタの大切なものを頂きます』

『それと彼女を交換ということでどうでしょうか?』


 丁寧な文面。しかしその内容にいよいよ心臓が掴まれているかのような錯覚を覚えた。


(バレている……!)


 スマートフォンを握る手が震える。自分が何を奪ったのか、その点には触れていないが間違いなくメールの送り主は自分を犯人だと確信している。

 そして更に追加でメールが届く。それを小刻みに揺れる指で操作した。

 タイトルは、無題。本文も無い。ただ一つ、画像ファイルだけが添付されていた。

 それを開く。映し出されたのは――業務用を思わせる冷凍庫。それを見た瞬間。全ての考えが頭の中から吹き飛んだ。高揚も、冷静さも何もかもをかなぐり捨て、一気にアクセルを踏み込んだ。ステアリングを一気に右に切り、後輪を滑らせて車の向きを変える。

 後方からクラクションが激しく鳴らされるが、そんなもの耳に入っていない。ステアリングを握る手が強張り、歯がカタカタと音を立てた。

 背骨の代わりに氷柱を差し込まれたように、ただただ全身が寒く震えていた。





ー拾捌ー




 車は住宅街を猛スピードで走り抜けていく。安全など全く無視し、時折住宅の塀に擦りながらも自宅へと向かっていく。

 自宅の前で急停止。転がるように車から飛び降りて玄関の戸に手を掛けた。


「……っ!」


 鍵は掛かっている。当たり前だ。朝、家を出る時に確かに自分が鍵を掛けたのだから。

 ジーンズのポケットからキーケースを取り出し、家の鍵を穴へ突き刺す。だが焦りから位置が定まらず中々刺さらない。

 焦れったさに汗が滴り落ちる。やっとの思いで突き刺さり、鍵が開く。ドアを開け放ち、靴も脱がずにリビングへ駆け込んでいく。

 突き破らんばかりの勢いで扉を押し開ける。そして真っ先に冷凍庫を探した。

 それは先程メールで送られてきた写真と全く同じ冷凍庫だ。部屋を見渡す。荒らされた様子はない。窓の鍵も掛かっている。全てが、今朝方に見たままの状態だ。


 ――大丈夫、大丈夫


 今にも胸を突き破って出ていきそうな心臓を抑え、冷凍庫へ向かう。震えが止まらない腕でその扉に手を掛けて――開けた。


「あ……ああ……」


 脚から力が抜け、その場に座り込む。喉が収縮し、掠れた声が勝手に発せられる。

 中には何も入っていなかった。何よりも大事で大切でこの上なく掛け替えのない宝物が、「彼女」が消えてしまっていた。

 放心し、動けない。何処の誰だ? 決まっている。メールを送ってきた奴だ。奴が世界中で一番大切なものを奪い取っていった。


「……っ!」


 歯が軋むほどに強く噛み締められた。早く、早く取り戻さなければ。お前は知らないんだ。「彼女」は外に出してはいけないのだ。もう、長くは保たない。一刻も、一刻も早く奪い返さなければ――

 その時、もう一度スマートフォンが震えた。


『交換場所は、伊藤しずるの処置をした廃ビルでどうでしょう?』


 メールの内容を目にするや否や、即座に返信する。


『すぐに向かう。

 彼女は大切に保管しろ。傷をつけたら――貴様も殺してやる』


 画面を強い憎悪で睨みつけ、送信ボタンを押す。メールが飛び立つようなマークが画面を流れたのを確認すると立ち上がる。そして未来を乗せたままの車に飛び乗ると、再びアクセルを強く踏み込んだ。

 血のように赤いテールランプが夜の街を舞い、消えていった。




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