顔を上げて立ち上がれ

 恩田が部屋に戻ると、待っていたかのように部屋の電話が鳴った。


「どうも。恩田司令官、今日はあなたにお別れを言いにお電話いたしました」


「……どういうことだ」


「そのままの意味ですよ。お別れです、これが最後のお電話となります」


 最後の電話……。恩田は一瞬安堵したが、その直後に一抹の不安を感じた。


「あなたのお仲間の政府の方々ですが、今日を限りで恩田司令官、あなたを失墜させるようです」


 失墜という一言に恩田は息を飲んだ。そんな馬鹿な、自分を裏切るだと?あれほど情報と金を流してやったではないか……。


「ご理解いただけましたか。あなたは利用されていたに過ぎない」


「そんなの貴様のでたらめだ!そんなことあるわけがないだろう。私がどれだけのことをしてやったと思っている!」


 恩田は興奮し、顔を真っ赤に染め肩を上下に揺らして息を切らせている。


「でたらめではないですよ。じきに、そのお仲間も確保しますけどね」


「だいたい、貴様は誰なんだ!」


「そうですね、今日であなたとお話しするのも最後ですし、お教えしましょうか」


 すると、変声機を外しているのか雑音が耳をつく。恩田は緊張していた。いったい誰なんだ。顔見知りの人間か、それとも政府の奴らか。


「……お久しぶりです、恩田司令官。私を覚えておいでですか」


 その声を聞くや否や、蒼白な顔で恩田は勢いよく立ち上がった。予想もしていなかったが、あまりにも自分に近い場所にいた人間だった。


「なぜ、お前が……。まさか」


「司令官。いったい、誰と話をしているんです」


 突然扉が開き、久瀬が姿を現した。恩田は慌てて受話器を投げ捨てた。


「お、お前……。お前も私のことをここ最近嗅ぎ回っているようだが、いったいなんのつもりだ、なにが目的なんだ」


 恩田は、一歩一歩背後の窓へ後ずさる。


「それはこちらのセリフですよ。まったく、そんなにあなたは金が好きですか。裏のルートを使って、いったいいくら稼いだんです」


「なんの話だ。私はそんなこと、なにも知らないぞ」


 最後まで白を切るつもりらしい。今までこんな奴の下についていたなんて、本当に腹が立って仕方がない。


「都築が調べてくれていました。気が付きませんでしたか?彼はあなた方を利用していたのですよ。そのおかげで命を落としてしまいましたが、それは無駄ではなかった。橋本も処分することが出来ましたし、そちらの情報は今すべて私の手の中にあります」


 恩田の顔から血の気が引いていくのがわかる。この男はもうおしまいだ。


「……ならば、君ももう生きていてはいけない存在だということだ。残念だよ」


 すると、恩田は机の引き出しから拳銃を取り出し、久瀬に向けて構えた。


「そんなものでなにをする気ですか。あなたに私は撃てない」


 久瀬は、微動だにせず恩田を睨み続ける。


「ふん、なんとでも言うがいい。お前もお前の部下たちもすぐに消してやるさ。はじめから邪魔な存在だったんだよ」


 そのとき、恩田の背後にある窓が勢いよく割れ、手にしていた拳銃が吹き飛んだ。


「なんだ……」


 恩田は外へ目をやったが、どこにも人影を確認することは出来ない。


「……司令官、もう終わりにしましょう。いかかですか、千二百ヤードは離れたビルの屋上から桐谷が狙撃をしたんですよ。さすがに彼女の腕はもの凄い」


 久瀬は恩田の頭に拳銃を突き付け、そして耳元で囁いた。


「理想はここまでだ。この先はとことん堕ちてもらうぞ」


「そんな、馬鹿な……」


「大郷、手錠をかけろ」


 廊下で待機していた大郷は、恩田の両手に手錠をかけ目隠しをした。


「話はあとでゆっくりお聞きします。もうあなたに未来はありません、覚悟しておいてください。大郷、地下へ連れて行け」


 久瀬は部屋を見渡した。ふと、先ほどまで恩田が何者かと通話していた電話に目を留めた。机上に転がるその受話器は、今もまだ向こうの誰かと繋がっているようだ。


「……もしもし」


「……」


「私は、ISA本部将官の久瀬だ。聞きたいことがあるのだが」


「……将官、ご無沙汰しております」


 その声を聞いて、久瀬の顔に驚きと共に僅かに笑みがこぼれた。


「お前……、そうか。聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず生きていて良かったよ」


「あなた方の固いガードのおかげでなかなか尻尾を掴むことが出来なかったのですが、やっと実を結びそうです」


「そのおかげで、こちらは危機的状況だがな」


 久瀬は恩田の椅子へ腰掛けた。いつか恩田を引き摺り下ろし、自分がここへ座るときを望んでいたはすが、こうもあっさりと望みが叶ってしまうとは。


「あいつが忠告してくれたんですよ。散々しらみつぶしに私たちのことを調べてくれましたが、友として一度ならず何度も見逃してくれました」


「あいつの考えていることは最後までわからなかった。お前も仲間もどちらも失いたくなかったんだろうな。だが、そんなお人好し故にとうとう自らを失ってしまった。……なあ、あいつは本当に後悔していないだろうか」


 電話越しに、久瀬の声が涙で枯れているのに気が付いた。久瀬は大変な後悔をしているのだろう。


「……あいつの頭には、後悔なんて言葉はありません。正しい結果にするために動くだけなんです。あいつにはそれが可能だった。久瀬将官。あいつは、上総は私の憧れでした」


「ああ、そうだな。皆がそうだった。そして、皆があいつの意思を継いでいる。お前はどうする気だ」


「……私は、もう戻れません。元々こちら側の人間です。しかし、身も心もすべてではありません。あいつの借りは必ず返します」


 受話器を戻し、久瀬はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「ふん、こんなものか。居心地悪いな」

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