奥に閉じ込めていた弱さ

 二十一時。

 夕方から始めていた作戦会議がようやく終了した。当日は五百名の部下を動かさなければならない。その為、陣形や配置、装備などの確認を念入りに行う必要があり時間が掛かってしまった。

 だが、彼らには非常にやる気が感じられ、こちらとしても頼もしい限りだった。


「夕食と言ったら貧相なんですが、食事を用意してありますのでご自由に食堂の方へいらしてください」


 いつの間にか、福島の事務員が食事を用意してくれていた。食堂はたくさんの隊員で賑わっている。だが、なんとなく皆こちらに注目しているのがわかる。

 その的となっているのは、やはり上総だった。福島と群馬の一般隊員はさぞかし驚いたことだろう。本部一佐でありながら、あの第一部隊隊長である上総が、こんなにも若く物静かな男だったのだから。


「では、まだ仕事が残っていますので先に失礼します」


 上総はコーヒーを片手に、そのまま部屋へ戻ってしまった。


「……都築さんって、会議とか実戦のときは本当に人が変わりますよね」


 相馬は、そんな上総の背中を目で追いながら呟いた。


「ああ、目が違うよな。いつもは面倒くさそうにしてるのに、やるときはやるからな」


「……確かに、割と面倒くさがりな面は見受けられますね。ですが、作戦の説明なども非常に丁寧でわかりやすいですし、訓練の内容もとても充実しています」


「だけどな、あいつ普段は本当に適当だぞ?会議のときなんて、自分が喋っていないときとか自分に関係ない話題のときは全然話聞いてないし。キーボード打つふりしてうたた寝してたり、宙を見てなにか考えてたり。さっきは、なんか食べ物のことを聞かれたな」


「食べ物ですか?」


 相馬と和泉が声を揃える。


「ああ。会議が終わってから急に呼び止めるからなにかと思えば、和食か洋食か中華かどれがいいと思う?って。そんなに腹減ってたのかね」


「はっ!」


 二人は上総のその行動の意味に気が付き、大きく目を見開いた。


「都築さん……」


「ちゃんと考えてくださっていたんだ」


 久瀬は、二人がなんの話をしているのかまったく理解出来ていない様子だ。


「ま、そんなことをしていても、すべてちゃんと頭に入ってるところが凄いよな。あいつってさ、いつも書類くたくたなの。部屋戻ってからも何回も目通して、余白が埋まるほど注意書きをして。それでイメトレするんだって。絶対にミスがないように、そして絶対に部下を失わないように」


 上総は、度々部下を差し置いては前線へ出ている。しかし、ただ前へ出ているわけではない。部下を育てるためにも攻撃はさせつつ、部下を護るために前へ出て指示を出していた。

 通常なら、指揮官は後列か別の場所に待機して指示を出すことが多い。だが、上総には的確な指令と攻撃の腕がある。前線に出さないと勿体ない存在だ。


「それにしても、都築さんてまだ二十九歳ですよね。この若さで今の地位ですと、やはり周りからは妬まれたりしていたんでしょうか……」


 上総は、若干二十六歳という若さで三佐の地位につき、それと同時に第一部隊の隊長に抜擢された。


「ああ、あいつはここの中でも歴代トップの速さで昇進した男だ。なにせ、予備軍に在籍した期間は僅か一ヶ月だからな。それも、ただの様子見の期間ってだけだったが。まあ、妬み僻みとまではいかないが、さすがに疑問を唱える者は出てきたな」


 二人は言葉を失った。通常なら二年間は予備軍に在籍し、そこから選抜試験等で優秀な成績を収めた者が三曹に昇格することが出来る。


「確かお前たちは一年半だったな。それでも十分凄いことだよ。選抜試験もトップの成績で、すぐに都築の下につくことができた。まあ、あいつは特例だ」


「それでも一ヶ月ですか……。信じられません」


「そう、皆信じられなかったんだ。それに、都築はああいう性格だから、それが余計癇に障ったんだろう。ただの嫉妬だな」


 周りからどんな眼で見られようとも、仲間と呼べる者がいなくとも、上総はただ上を目指して、たったひとりきりでここまで這い上がってきた。


「……俺には知らない、あいつの目的ってものがあるんだろう。そうじゃなきゃ、あの状況の中ここまで昇り詰めるのは至難の業だ。だが、その目的の中にはお前たち部下を護るためってのも含まれている。自分で敵を倒し、自分で部下を護る。あいつは、人に頼るってことが苦手な奴なんだ」


「ならば、私たちが強引にでも都築さんを護らなければなりませんね」


「都築さんが私たちのことを気にせずにいられるよう、全力で援護いたします」


 相馬と和泉は、改めて気を引き締める。


「この作戦はあいつに懸かっている」


 まさにその通りだ。上総なしに、この大人数全体を完璧に動かすことなど不可能だ。


 ***


 午前一時をまわった頃、上総はまだ明かりが点いている食堂へ向かった。


「……二人とも、まだ起きていたのか」


 食堂では、相馬と和泉が作戦書に目を通していた。


「お疲れさまです。都築さんこそどうされました?まだ食事を摂られておりませんよね。なにか召し上がりますか?」


「それよりも、まだ隊服でおられたんですか。もうお休みになられてくださいよ」


 そういえば、会議が終わってからはなにも食べず部屋からも出ず、ただひたすらに仕事に没頭していた。


「お前らこそなにやってるんだ」


「イメトレってやつですよ。将官から聞きました。私たちも都築さんのように努力しないと!」


「ああ……。まったく、あの人は……」


 上総はぶつぶつ言いながら椅子に腰掛ける。すぐに和泉がコーヒーを用意した。


「二人とも、明日の夕食はなにがいい?俺はなんでもいいから」


 相馬と和泉が顔を見合わす。


「あの、いろいろ考えたんですが……。外へ出るのも買い出しに出るのもちょっと危険なので、結局ここのお弁当にしようかと」


「ですが、食べるのは都築さんのお部屋です。そして、仕事の話は極力なしでお願いします」


 上総は拍子抜けした。自分の部屋で、しかも仕事の話はなし。ここ数年、世間話なんて数える程度しかしていないのではないか。


「都築さん、ちゃんと考えてくださっていたんですよね。ありがとうございました」


「では、私たちはそろそろ休ませていただきますね。五時には起きてトレーニングを始めたいので」


 二人が食堂から出て行き、一気にこの場に静寂が戻った。


「……よくもまあ、べらべらと話し過ぎではありませんか」


 上総は大きく溜め息をついて、奥に潜んでいる人影に向かって声を掛けた。


「やっぱり気付いていたか……。腹減ってさ、ちょっと食べにきただけ。でもさ、あいつらも頑張ってるよな」


 サンドウィッチを片手に、久瀬が姿を現した。


「あの二人には頭が上がりません。いつも助けてもらってばかりで」


「……お前の病気のこととかな」


 予想もしていなかった言葉に、上総は驚いて咳き込んでしまった。


「おいおい、大丈夫か。あいつらに聞いたんじゃないぞ。お前が私服で病棟に行くのをふと見かけてな、医師を問い詰めたんだ。まあ口が堅くてね、あれは信頼出来る人だよ。ただこっちも負けてはいられないからね。ちょっと揺すってやった」


「呆れた……」


 二人は向かい合わせに椅子に腰掛けた。上総の視線は宙を彷徨っている。時折、呼吸が速くなったり口を噤んだりと落ち着きを失っていた。


「今でも信じられないよ。ただの風邪とかじゃないんだな。本当の本当に大変な病気なんだな。今まで周りにそんな人いなかったからさ、まだ実感が湧かないよ」


「そうですよね。私自身も実感ありませんし、どうして自分がとも思いません。当然の報いなのかもしれませんね。……ただ、今はなんともなくても、いざってときはなにかしら感じるものなのでしょうか」


 上総の視線は、少し上を向いた。未だ彷徨い続けてはいるが、吐き出したい思いがすぐそこまできているようだった。


「死ぬのが怖いとは思わないんです。長く生きたいとも思わない。先のことなんて、考える余裕もなくて」


「お前は、先のことしか考えていないじゃないか」


「……?」


 やっと二人の視線が合う。こうやって同じ高さで向かい合って話すなど、これまであっただろうか。


「部下の将来のこと、組織の将来のこと。そのために今を厳しく生きている。確かに余裕はないかもしれないが、ちゃんと実になっているよ」


「……それなら、いいのですが」


「どうした、都築」


 再び上総の視線は泳ぎだす。一時のことだと思ったが、さすがにこれは尋常ではない。


「コントロール出来なくなっているんだな」


「自分を止められなくなるというか、その間の意識が抜けてしまっているというか……」


「ちょっと、落ち着いてから話そう」


 上総は数回瞬きを繰り返した後、目を閉じて大きく息を吐いた。


「……引鉄を引いている間、自分はなにを見てなにを考えているのかわからなくて。身体だけが動いているんです。周りの音も聞こえない。気付いたら、全員死んでいた」


「それはいつからだ?すべての任務でそうなのか?」


「いつ……。おそらく、柏樹との任務のときだと思います。すべての任務ではありません。ほとんど単独のときばかりです」


 以前より、久瀬は陽から報告を受けていた。上総の様子が少しおかしい。汲々としているというか、むしろ頭が回っていないのでは、と。


「……たまに、自分の頭を撃ち抜いてしまいたくなります」


 その言葉に、久瀬は大きく落胆した。ここまで酷く思い詰めてしまっていたとは。出来るだけ様子を見るようにはしていたが、思ったよりも事態は悪化していた。


「すべてが終結したら、私は……」


「すべてが終結したら、特務は一度解散させる。そしてこれからのことをまた考えよう。皆、どんどんお前に追い付いて来るぞ」


 上総の視線が戻った。隊員たちや組織の未来を考える。彼らの力が発揮できる場を与える。そのためなら、昼夜働き通しだって構わない。これは、上総が切望していることだった。


「皆のために、すまないが引き続き力を貸して欲しい。再編成は、考えているよりも遥かに時間と手間を要する。お前が必要だ」


「……よろしく、お願いします」


 上総の瞳に、微かに生きる希望が芽生えていた。


 ***


「……」


「……」


 暗闇に紛れて、相馬と和泉は壁に寄りかかり二人の会話を立聞きしていた。


 自分たちの隊長が、心身共に完璧な人間ではないことくらい理解している。

 それでも、こうして彼の弱さを改めて知り、彼の背負うものの大きさや、自分たちのあまりの未熟さを痛感し、二人は言葉が出なかった。


「相談なんて、する人ではないもんな」


「俺たちでさえ知らない任務もある。どれだけ抱え込んでいらっしゃるのか」


 薄々気付いてはいた。上総が精神的に追い込まれつつあり、精神病剤を服用していることも知っていた。


「俺たちは、どうすべきだったんだろうな。なんのための補佐官だ」


「今まで出来なかったことを、これからやるしかない。俺たちがいるって、ほんの少しでも安心していただけるよう」


 まずは明日だ。明日を生きて乗り越え、それからゆっくり考えよう。そう、考えることが大事なんだ。今自分はここにいると、誰かのために生きていると実感することが出来るから。


「……最も後悔を噛み締め、最も誇りを胸に刻むことになるのは、もしかしたら明日という日なのかもしれない」


「和泉?」


 和泉は、腕を組み目を閉じて、物思いに耽っていた。


「後悔が勝るか、それとも誇りの方が勝るのか。そのとき、俺はなにを想うんだろう」


 そう呟く和泉の横顔が物語るのは、どこか儚げで淡い高揚。


「そうか」


 ……和泉も、自分の知らないところへ行ってしまうんだな。

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