新たな疑惑

「ああ、疲れた」


 美月は、自室で山のように積まれた大量の書類と格闘していた。


「これも大事なお仕事です。頑張ってください」


 大郷は、そんな美月を尻目に悠々とソファで寛いでいる。


「……都築一佐のことが気になりますか?後ほど、電話でも掛けてみます?」


「いや、きっとピリピリしてると思うし。あの二人がついていれば大丈夫でしょ」


 ずっと気にはなっているが、自分なんかが電話を掛けたところで邪魔になるだけだろう。


「それにしても、柏樹二佐は戻って来られませんね。まだ彼のことは保留中ですし、佐伯のこともまだ不確かで、本当にここはいろいろと謎が多いですよね」


 陽は、上総たちを見送ってから急に出掛けて行ったが、夕方になってもなんの連絡もない。藤堂たちはここに残っているため、任務関係のことではなさそうだ。

 気になることは多々あるが、今一番やるべきことは久瀬将官と上総の留守を守ること。二人が不在なのを見計らって、また奇襲があるかもしれない。


「久瀬将官は、戦術部や技術部に確実に諜報員が存在すると仰っていたんですよね。……特務室は、どうでしょうね」


 大郷のまさかの発言に、美月の手が止まった。


「なんですって」


「何を言っているのか、自分でもよくわかっています。ですが、そう考えるのが一番自然なんですよ。戦術部と技術部の方は、十中八九橋本将官が関与しています。しかし、以前の国税局の件は特務室独断の作戦です。恩田司令官と橋本将官がなにも気付いていなかったとは言えませんが、そうではないとすると……」


「あのタイミングで、司令官らが空自に奇襲をかけさせる意味はない。あの時点で空自を呼べるのは、特務室に潜入している諜報員だけ。……つまり、佐伯が関係していた可能性が高い」


 久瀬将官と上総がこのことに気付いていないはずはないだろう。そうなるとあの国税局の件、本当の目的は佐伯の動向調査……。

 いったい彼らは、いつから佐伯のことをマークしていたのだろう。通常の仕事に加えて、これらのことを隠密に調査していたなんて。


「……桐谷さんって、ここに来たときにはすでに都築一佐と柏樹二佐と親しい間柄でしたよね。下の名前で呼び合っているくらいですし」


「そうなのかな。上総と陽がカナダで仕事があって、ついでに私もカナダで一年間特科士官学校に語学や武術を習いに留学していてね。そのせいもあるけど、私二人に助けられたんだよね」


 美月は、あの日のことを少しずつ思い出し始めた。


「私、ちょっといろいろあってね。実は死のうとしてたことがあってさ。でも、いざ飛び降りようってところでいきなり二人が声掛けてきて。もう驚いたよ。目の前で人が飛び降りようとしてるのに普通に話し掛けてきて、両腕掴まれて降ろされちゃった。二人はね、ただ隣にいてくれた。そしたら、なんか今死のうとしてたのってなんだったのってくらい心が軽くなったの。ここに入ったのだって、そのときの記憶を忘れたくないからって単純な理由で」


「……そんなことがあったんですか。すみません、嫌なことを思い出させてしまいましたね」


「全然。あんなことがあったから今こうしてここにいて、なにかと大変だけど後悔はしてないよ」


「今でも、そのときの感情が出てしまったりしますか?」


 その問いに、美月はしばらく押し黙った。あのときのあの感情。心の奥に閉まったつもりでも、気を抜くと顔を覗かせていたりする。


「たまにね、すべてを捨てて終わりにしたいと思うときはあるよ。だから、二人に文句なんて言えたものじゃないんだけど。やっぱり人間って勝手だから、自分のことは置いといて相手のこととなるとしつこいくらい口出ししちゃうんだよね」


 大郷は複雑な思いだった。第三部隊が発足したその日に美月に好意を抱いた。だが、同じ隊なうえに上官である美月には想いを伝えることなど許されない。何度除隊を考えたことだろう。

 だが、美月には好意を抱いている人物がいる。そして、美月には陽が想いを寄せている。昔からこんなことだけはすぐ勘付いてしまう。

 しかし、美月が想いを寄せている相手は、もう……。


「……決して、叶うことはないのに」


「大郷、あなたにもいろいろと助けられているね。ありがとう」


 その言葉に、大郷はしばらく手を止めたが、再び動き出した。今はこれで充分だった。


「そういえば、さっきからなにを書いてるの?」


 美月は、いったん作業をやめて大郷のもとへ向かう。


「これですか?今までのことで、いくつか気になる点などを挙げていたんですが……」


 大郷はなにかに気が付いたようだ。


「なにかわかったの?」


「わかったといいますか、まだ仮定の話ですが。ここ数ヶ月の大まかな出来事として、国税局、空自による奇襲、佐伯の死、山梨の視察、以上四件。この中のどれにも関係しているようで、実際はなにひとつ関わっていない人物が存在します」


「え、どういうこと?」


 美月は、大郷の記した紙を受け取る。


「このすべての出来事を知っていて、かつ関わっているべきなのに、実際はなにもしていないんです。つまり、いい意味でアリバイを作れるんですよ。自分はそこにいたから、自分は深く知っているから。だから自分はなにも疑われはしない。いや、疑われるはずがない。しかし、すべてどうなるかは最初からわかっていた」


 美月は、ある人物を思い浮かべてしまった。そんなこと、考えたくもないのに。


「いや、でも……」


「はい。あのとき確かに、特務室の隊員は全員あの場にいました。ただ、私はあの人の姿を見ていません」


 実は、美月も見ていなかった。あの日、彼は間違いなくあの場所にはいなかった。

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