もう、戻れない

 翌朝、美月は報告書を提出しに久瀬のもとへ向かっていた。自分で作成するつもりだったが、すでにほとんどを大郷が作成してくれていた。


「私はこういった仕事が好きなんですよ。資料を作成したり、裏方の仕事が」


 昨晩本部に戻った美月に、大郷は早速報告書を手渡してきた。それは、とても完成度の高いものだった。


「失礼いたします。第三部隊桐谷です。報告書を提出しに参りました」


 着いた先はテラス。今、部屋の整理をしているため、とても入れる状態ではないという。中へ入ると、久瀬は窓の外を眺めながらコーヒーを口にしていた。


「昨日はお疲れさまです。報告書はそちらに置いておいてください」


 普段食事をしているテーブルへ報告書を置いた。ここではなくても、久瀬の部屋の外で手渡してもよかっただろうに……。


「では、よろしくお願いいたします。失礼いたします」


「……桐谷三佐、君は犯人を捕まえたいと思いますか?」


 思いもよらない言葉が美月へ投げ掛けられた。


「もちろん桐谷三佐の過去は知っていますよ。それをわかっていて、ここへ入れました」


「……なにか、ご存知なのですか」


 神妙な面持ちの美月に対し、久瀬は笑顔でこちらを振り返った。


「ご両親が働いておられた会社とうちの製薬会社は、ここ数年良好な取引を行っていたようです。ですので、まったく関係がないとは思えなくてね」


「そう、だったのですか」


 ISAと取引関係にあったなんて初耳だった。だからといって、両親が直接関わっていたのかは定かではないが。


「久瀬将官は、犯人に心当たりでも……?」


 犯人ではなくとも、久瀬は自分が知らない情報を持っているに違いない。そして、もしそうならば、上総や陽だって知っているのだろう。


 そのときだった。突如、館内中にけたたましいサイレンが鳴り響いた。


「緊急、緊急。総員、至急戦闘配置。屋上ヘリポートより奇襲攻撃、直ちに迎撃用意。非戦闘員は地下へ避難せよ」


「え、なに……?」


 奇襲?それも屋上から。今は拳銃しか持っていない。それでも取りに戻る時間は無いだろう。


「とりあえず、桐谷三佐も配置についてください。装備不十分な隊員ばかりだと思いますので、すぐに物資を届けさせます」


「承知しました」


 携帯電話を手に、美月は非常階段を駆け上った。まだ状況はわからないが、なんだか大ごとになりそうだ。


「佐伯、直ちに配置について。大郷は第三分隊と共に私の配置に。第四分隊は後方より両班を援護」


 屋上へ出る扉の前へ到着すると、戦術部や技術部の隊員も息を切らせながら配置についていた。


「桐谷三佐。特務第一は東側、第二は西側へ到着しているとのことです。向こうも様子を伺っているのか、入って来る気配はありません」


 息を潜め拳銃を握り締める。扉の外から微かに耳に届くローター音。


「この音……」


「総員、突入」


 その言葉と共に、隊員たちは一斉に屋上へ飛び出した。そこには航空自衛隊の隊員が二百名ほどと、空には空自の機体が数機飛んでいた。


「諸君、我々は戦闘をしに来たのではない。協定を結びに来たのだ」


 幹部の男が姿を現わす。なぜ今空自なんだ?確かに自衛隊とは仲が良いとは言えないが、特にこれと言って空自とは争っていないはずだ。


「いくら法務省から大目に見てもらっていようと、君たちの行いは少々、いやかなり行き過ぎている。どれだけ法を犯しているか、我々から政府に公表させていただこうか」


 その後ろでは、武装した自衛隊員がこちらへ銃口を向けながら少しずつにじり寄って来ている。

 いつ戦闘が始まってもおかしくない緊迫した状況。だが、まだ指示は出ない。皆は待っていた。


「……お久しぶりです、特務室の都築です」


 すると、東側の扉から上総が姿を現した。隊服の裾を風に靡かせ、ゆっくりと幹部のもとへ歩を進める。


「本日は、急な来訪ありがとうございます。ちょうどこちらもお話ししたいと思っておりました。ただ、このような形でいらしたということは、残念ながら話し合いで済むことではありませんね」


「これはこれは一佐殿、ご無沙汰しております。仰る通り、この場ではちょっと解決いたしませんね。とりあえず、こちらにお越し願えませんか」


「そうですか。わかりました」


 すると、上総はなんの躊躇いもなく空自のもとへ進み始めた。幹部は空自の隊員に銃を降ろせと合図をする。

 自衛隊員たちは、そんな上総の様子を固唾を飲んで見つめていた。この男はただ黙って従うのだろうか、なにか企んでいるのでは……。

 だが、ISAの隊員は違った。おとなしく空自のもとへ歩みを続ける上官を目の当たりにしても、まるで動揺を見せない。


「桐谷三佐、物資が到着しました」


 佐伯が小銃と銃弾を手に戻って来る。と言うことは、そろそろ合図が……。すると、屋上の中央へ差し掛かったところで上総が足を止めた。


「……やはり、この場で解決いたしましょう。さあ、ご準備を」


「なんだと」


 上総はゆっくりと右腕を高く掲げ、そして勢いよく振りかざした。


「総員、撃ち方開始!」


 その言葉と共に、上総の後方からとてつもない数の銃弾が発射された。まさかの一斉攻撃に、油断していた空自の隊員は次々と倒れていく。


「くそっ……、よくも!!」


 まったく止む気配のない銃声。しかし、ビルの前面には東京湾、後方には工業地帯がいくつかあるだけ。そして今日は祝日、一般人はほぼいないだろうし、とっくに避難指示が出ているはずだ。隊員達は容赦無く銃弾を浴びせていく。


「なぜ彼らが、今日この場所へこのような形で奇襲をかけたのかはわかりませんが、どうやら我々のことを少し知り過ぎてしまったようですね。しかし、自衛隊ごときに我々の情報が崩れるはずがない。……いますね、内通者が」


「大郷もそう思う?昨日の国税局の社員データからは、特に怪しい人物は見受けられなかった。つまり、どこかの機関から国税局へ諜報員として潜入していた人間が、さらに組織へ潜入していたか。または、それを指示した人間が組織にいる可能性が非常に高い」


「ええ。その諜報員が、昨夜我々が潜入したことで、今日空自をここへ呼んだのかもしれません。ですが、国税局に潜入している以上、その諜報員も不正取引書くらいとっくに調査しているはずです。もしかしたら、あの潜入作戦には、また別の目的があったのかもしれませんね。まあ、今から調べたところでもう遅いですが」


 未だ交戦は続いている。美月も発砲はしているが、致命傷を与えられていない状態だった。前方では、佐伯が指示を出しながら隊を動かしている。


「桐谷さん、伏せていてください」


 大郷が促す。空自も負けじと応戦して来ており、時折飛んできた銃弾がすぐ傍らを通り抜ける。

 美月は葛藤と戦っていた。人を撃てないわけではない。むしろ、片方の耳や指一本ですら確実に射止めることが出来るほどの腕前であり、薬品などで人間を殺したこともある。しかし、銃で命を奪ったことだけはなかった。


 どうしても頭に浮かんできてしまう。あの夜、自宅のリビングに広がっていた悪夢のような光景。

 ここで撃ってしまったなら、結局は犯人と変わらないんじゃないか。しかし、このままではいけないということもわかっていた。自分がやらなければ、やられてしまっては元も子もない。

 美月は大きく深呼吸をした。両親のこと、犯人のこと、そして上総や陽、仲間のことを考えた。


「ちょっと移動する」


 美月は入り口の方へ後退し、狙撃銃を手にただひとり空へと銃身を向けた。


「桐谷さん、まさかあれを墜とすおつもりですか?」


 角度、風向き、おおよその落下速度などを一瞬で計算し、すべてのタイミングを見計らって、美月は真下から空自のヘリコプターの操縦席、エンジン、そしてテールローターに照準を合わせ引鉄を引いた。


「……とりあえず、こっちに墜ちることはない」


 突然の頭上からの爆発音に、この場の全員の顔が空を向いた。


「さすが桐谷さん……!」


 すると、その様子を確認した上総は、無線を手に航空部隊へ命令を下す。


「終わらせろ」


 次の瞬間、待機していたISAの軍機が空自のヘリコプター目掛け一斉攻撃を開始した。数機のヘリコプターは次々と爆発を繰り返し、回転しながら東京湾へ墜ちていく。


「……こんなことをして、ただで済むと思うな」


 上総の足下では、両手両脚を激しく損傷した空自幹部が、最後の力を振り絞り僅かな抵抗を見せていた。


「黙ってろ」


 上総は幹部の頭を踏みつけ、冷酷無残な表情で見下ろしていた。


「今回の奇襲、なかなか良い判断だった。まあ、お前たち自衛隊の連中が考えついたものではないだろうが。……だけど、まったくもって無意味なものになった」


 そして、後頭部に銃口を押し付け、一息ついたのち引鉄を引いた。


「……邪魔をするのなら、一切容赦はしない」


 ISAには、上総と同じ一佐の階級の者は何人も存在する。だが、その中でも群を抜いて都築上総はずば抜けていた。

 学力や身体能力だけではない、咄嗟の判断力や先の展開の読み、兵の動かし方や作戦の立て方など、そのすべてが上に立つ者として完璧だった。


「美月」


 皆がこの戦場と化した屋上の掃除にかかっているなか、美月はただそれを黙って目にしていた。


「美月……」


 後ろから肩を叩かれ、ようやく呼ばれていることに気が付く。


「ああ、ごめん。すぐに合流する……」


「……」


 美月は気が動転していた。覚悟を決めて弾を撃ったはずなのに、いざそれが命中したのを見て時が止まってしまった。


「あの状況であの判断は正しかった。美月は間違っていない。これが、組織だ」


 美月は上総の顔を見上げた。今は実戦中のため上総は上官だが、眼はいつも通りの優しい上総だった。


「さあ、中に入って指揮を執ってくれ。あの量だ、今日中には終わらない」


 引鉄を引いた右手はまだ微かに震えている。

 初めて銃で人を殺したから。両親を殺した犯人と同じことをしたから。いや、違う気がする。

 もう、両親に顔向け出来ない。私は軍人になった。私は完全に人殺しになった。私はもう、以前の自分には戻れない。

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