第9話 勝負 ――その②

放課後、僕と治樹は第3グラウンドにいた。

街外れに位置するウチの高校は、かなり広い敷地を有している。第1、第2グラウンドは放課後運動部に占有されてしまうが、第3グラウンドは原則として運動部による使用が認められておらず、部活に参加していない生徒が自由に遊べるようになっている。

また、クラスで何かイベントを行うときなども、この第3グラウンドが利用される事が多い。

「それじゃ、とりあえず1本走ってみようか。徒競走は200mだからこのトラックを1周だな。」

そう言った治樹は、用具倉庫から拝借してきたストップウオッチを持ってスタートライン脇に張り付いている。

「タイム計るの?」

「まあ、参考までにな。さあ行くぞ!」

治樹が右手を上げたので、僕は慌ててクラウチングの体勢を取った。

「よーい、スタート!」

治樹の合図で、僕はトラックを駆け始めた。

治樹の掛け声が大きかったのか、いきなり短距離走を始めた僕に複数の視線が集まっているのを感じる。

恥しくて堪らなかったが、わざわざ治樹が来てくれたのに手を抜くわけにはいかない。

グラウンドの土を思いっきりつま先で引っかいて、グイグイと前に進む。


異変は、50m付近で起こった。


目の前の景色が揺れ始め、僕はバランスを取るので精一杯になった。

いつもこうだ。長い距離になるとどうしてもバランスが崩れて、走るどころではなくなってしまう。転ばないように、僕は慎重に足を運び続けた。

「おーい、ストップストップ。そこまででいいや。」

トラックを半周したばかりのところで、治樹が突然静止の声を上げた。

足を止めた僕は、息を切らしながらのろのろと治樹の許へ向かう。

「はあ、はあ、やっぱり、遅いでしょ。」

「うーん、一応100m計ったとこでは14秒かかってるから、速くはないけど・・・お前、ギャラリーが恥しくて足をゆるめただろ。」

「いやいや、思いっきり走ったって。」

「自分で限界だと思ってるだけだよ。試しにもう一回。これが人生の最後だと思って走ってみろよ。50mでいいから。50mなら恥しさも一瞬だろ?」

「・・・わかったよ。やってみる。」

そう答えはしたが、治樹が言う程に結果が変わるとは思えない。これ以上治樹の期待を裏切り続けるのがつらかった。

(まったく・・・買い被りすぎだよ。)

再びスタートラインに立った僕を、50m先のゴール地点で治樹が待ち構える。

「行くぞぉ~!よーい、スタート!!」

その声で頭から突っ込むように駆け出した僕は、がむしゃらに手足を振り続けた。

とりあえず、今の精一杯を見せよう。良かれ悪かれ、それで納得してもらうしかない・・・


やっとの思いでゴールに飛び込んだ僕は、必死に呼吸をして肺に酸素を掻き集めた。

「ぜぇ!!ぜぇ!!ぜぇ!!」

久しぶりに全力疾走などしたものだから、死にそうな程胸が痛い。

地面に座り込んだまま治樹の方を見やると、治樹は真剣な面持ちでタイムウォッチの記録を確認していた。

「はあ、はあ・・・ま、まあ、これくらいの、もん、だよ。」

息を切らしながらそう言った僕を見やって、治樹は呆れた様に首を振った。

「これくらいって、お前自分がどれくらいのタイムで走ったか分かって言ってるのかよ。」

「え?な、なに?」

「6秒3だよ。これはかなり速いぞ。学年全体でもかなりの上位に入れるんじゃねえか?」

「そう、なの?じゃあ、治樹は?」

「ん、オレは5秒8。」

「治樹の方が、速いじゃない。」

「だから、オレは速いんだって。でもまあ、これなら充分組で1番になれるな・・・問題は、距離が伸びたときに妙にバランスが崩れるところなんだけど・・・」

治樹は、少し考えるそぶりを見せた。

「フォームが悪いのかな?ちょっとその場で腿上げやってみろよ。」

「うん、分かった。」

言われるままに、僕は足踏みを始めた。

それを見て、治樹が眉をひそめる。

「なんか、左右にフラフラするな・・・」

「フォームは、どう?」

「わからん、オレも短距離走の理想フォームとか知らねぇし。」

「だったらやらせるな!!」

その言葉に呆れて僕は足を止め、ひざに手をついた。

「はあ、はあ、今日はこれくらいで、充分だよね。」

「う~ん、もう少し長い距離で走り込みたいところだけど・・・そうだな、50mのスピードがあるって分かったし、後はガッツと気合いだな!」

(ガッツと気合いって・・・何のためのコーチ役だよ、まったく。)

心の中でツッコミを入れながら、治樹が投げよこしたタオルで額を拭う。

まあしかし、たまにはこうやって外で汗を流すのも、悪いものではなかった。



「ただいまー」

「あ、おかえりー」

僕が帰宅したのは大体5時頃。居間から聞こえた涼子ちゃんの返事に、あれ?と疑問が沸き上がった。

「今日は涼子ちゃん、合唱部の自主練があるんじゃないの?」

「よく知ってるね。」

涼子ちゃんの声に少し含みのようなものを感じたが、それが何なのかは分からない。

「出なくていいの?」

「自主練て、文字通り自主的な練習という意味でしょ?強要されるものじゃないよ。大体、自主練が強制だとしたら、何のために週1回の休みが義務付けられてるか分からないじゃない。」

僕に向かってそんなに語気を荒げられても困るが、全くもって正論だ。何かその事で先輩といさかいでもあったのだろうか。

「それより、龍輔さんのほうこそ、自主練はどうだったの?明日は勝てそう?」

「あはは、まさか勝てるとは思わないけど、精一杯やるだけやってみるよ。」

僕の返答を聞いた涼子ちゃんは、俄かに視線を落とし、呟いた。

「龍輔さんは、嫌な顔しないんだね。」

「嫌な顔?」

「私、わがままばかりで、龍輔さんに酷い事とか言ったりしてるでしょ?」

「そ、そんな事無いよ。酷い事したのは、僕のほうだし。」

涼子ちゃんは勝手な物言いをする事も多いが、時々、やたらと殊勝な態度を見せたりもする。僕はたまに、そのギャップに付いて行けないときがある。

「とにかく、明日は頑張ってよね。」

涼子ちゃんの今日初めての笑顔を見る事が出来て、ホッとした。

何とか以前どおりの関係を修復できそうだ。

(これで明日負けたら、また怒るのかな・・・)

たとえそうだとしても、勝負の結果にまで責任は持てない。

結局は出たとこ勝負だ。

(まあ、なるようになるさ。)

考えても仕方のない事は、考えないのが一番。

今の僕には、知らなければいけない事、考えなければいけない事が他にあった。



「サイトって、一体何なんですか?」

夕食後、僕は改めてその質問をぶつけた。相手は太田先生だ。

涼子ちゃんは自分の部屋に戻ったので、リビングにいるのは太田先生と僕の2人だけだ。

太田先生の顔つきが瞬時に引き締まる。

「今はまだ、知る必要はない。」

「あると思います。伸びたままの爪を晒したままじゃ生きていけない・・・そう言ったのは先生じゃないですか。」

「ああ、確かに言ったが・・・“力”を制御する手がかりは、涼子から教わってるだろ?サイトが何かを知っても仕方の無い事だ。」

「・・・仕方が無いかどうかは、自分で決めます。」

新沼さん伝いに、屋上での出来事がいつ治樹に知られてしまうか分からない・・・そう思うと焦らずにいられなかった。

先生は僕の目をじっと見て、大きく息を吐いた。

「分かった・・・とは言っても、正直俺もサイトについてはよく知らん。あまり教えられる事は無いがな。

お前は“力”とサイトについてどれだけ知っているんだ?」

「“力”というのは、太田先生からも聞いた事ありますけど、人の心を感じ取る能力の事ですか?その“力”の持ち主の中に、サイトという存在がいる・・・」

「そう、人の精神を破滅に追いやる特殊な“力”の持ち主・・・それがお前と、ミコトだ。」

先生の答えは大方僕の予想通りだったが、その中の聞きなれない単語に僕の耳が反応した。

「ミコト?」

「お前が鴉と呼ぶ、あの少年の事だよ。1つ聞くが、あの事件のとき、屋上にはミコトもいたんだよな?」

「はい、いましたけど・・・」

「あの事件は、お前じゃなく、ミコトが引き起こしたという可能性もあるんじゃないか?」

僕もその可能性を考えなかったわけではない。もしそうだとしたら、僕はどんなに救われるだろう。

「でも、やっぱりあれは僕がやったんだと思います。サイトが発動したときの独特な感じが、僕の中にありました。」

それを聞いた先生は眉をひそめた。


「お前、あの時以外にサイトを発動させた事があるのか?」


僕は、はっとした。僕がサイトを発動させてしまった相手は、よりによって涼子ちゃんである。涼子ちゃんの父親である先生の前でその事を明かしていいものか・・・少しの間言葉に詰まったが、言わなければ身に覚えの無い事件についてまで僕が疑われてしまう事になりかねない。

僕は慎重に、先生に事の顛末を説明した。

その間、先生はずっと黙ったままだった。

顔色を失い、説明を終えても一言も発しない先生を見て、僕は気が気でなかった。

呆然とした面持ちの先生の視線は、不規則に宙を彷徨っていた。

「あのっ、ごめんなさい。僕が軽率だったばっかりに・・・」

「いや・・・いや、いいんだ。今のお前には大切な事なんだから。」

眼前の空気を払うように手を振って、先生は言葉を搾り出した。

「今後、力の制御の練習をするときは、俺を相手にしろ。分かったな。」

僕は、はい、と答えるのが精一杯だった。

「いいか、お前がサイトを負担に感じる必要は無い。仮に、不当にお前の命が危険に晒されるような事があれば、そこでサイトを使うのはお前の権利なのかもしれない。

だがな・・・」

太田先生の見据えるような眼差しに、ゴクリと喉が鳴る。


「お前がもし、自分の意を押し通すためにサイトを使うとしたら、俺はあらゆる手を尽くしてお前を止める。それだけは覚えておいてくれ。」


「・・・解ってます。」

このサイトという力は、あってはならないものだ。その事は充分に理解しているつもりだ。

「それで、他に“力”について解ってる事ってあります?」

「そうだな、“力”が最も効率的に働くのは、相手と接触しているときだ。」

ふと、額に触れた涼子ちゃんの指先の感触を思い出した。

「だが、強く“力”を発動させた場合は、非接触であっても相手に影響を及ぼし得るようだ。その射程は、時には半径10m程にもなる。

そして、もう1つ重要なのは、どうやら意識の無い相手・・・つまり、寝ていたり、気を失っている相手には“力”は効かないらしいという事だ。」

サイトの持ち主にやられそうになった時は気を失えばいいという事か。まあ、そう都合よく気絶できるものでもないだろうけれど。

先生の説明で力の性質については色々知る事ができたが、それ以前にどうにも釈然としない点があった。

「そもそも、“力”というのはどこから来たものなんですか?どうして僕には、こんな力が・・・?」

実は人類の全てが同じ力を持っていて、皆が僕に黙っていた・・・なんてオチがあり得ない事は、16年も生きて世の中を見ていれば流石に自明の事だ。

「・・・それは、俺も今調べているところだ。すまんな、“力”の正体については教えてやれないが、“力”との付き合い方は、先輩の俺たちが知っている限りを教えてやる。まあ、俺の“力”はサイトではないがな。」

「“力”の正体についても、調べがついたら教えてください。」

「ああ、約束する。」


まだまだ分からない事だらけだが、今日はこれで満足すべきだろう。

ありがとうございました。と言って、自分の部屋に戻ろうと立ち上がった僕に、太田先生が声をかけてきた。


「ミコトには気をつけろ。あいつにあまり近づきすぎるなよ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る