第三話:俺はアスファルトから生える雑草を見る度に『勇気と希望』をもらっている。

 前編:髪はバラバラになった

「そ、そんな馬鹿なぁあああああ!」


 俺は自宅の洗面所で、悪役がやられ際に叫ぶような声をあげた。

 何かの間違いではないかと信じて、手に持っている巻尺の先端を眉間に当て、おでこを沿うように伸ばす。そして、生え際までの長さを丁寧に測る。


「14センチ…14センチ…14センチ…2ミリ…だと!?」


 呼吸困難で振り絞るような声でミリ単位の数字を読み上げる。

 これは悪夢ではないかと自分の頬を思い切りつねるが、痛覚は絶好調。


「いや、そんなハズはない!これは絶対に何かのまちが…」


 ズドム!


「ごふぅ!うぐぉおおぉお…」


 認めるわけにはいけない現実と葛藤する中、腹の右側辺りに響いた強烈な衝撃と鈍痛。俺はその場で膝から崩れ落ちた。


「ところがどっこい現実です。だからそこを早くどきやがれです」


 俺は横腹を抑えながら振り向くと、親父が拳から煙を出しながら(誇張含む)立っていた。


「朝から息子に本気でリバーブローかよ。虐待で相談所に駆け込んでやろうか?」

「うるせえ。俺は早くヒゲ剃って会社に行かなきゃならねえんだよ。遅刻ひとつで出世にどれだけ響くと思ってんだ」


「少しは自分の昇進よりも、息子の傷心を心配したらどうだ」

「上手いこと言ってんじゃねえよ。生え際の1ミリや2ミリでいちいち騒ぐなって言ってんだろが。俺が子供の頃にはな、頭の毛が3本しかなくても元気に飯食ってた人気者だっていたんだぞ」


「アルファベットの名前が付くオバケの太郎と一緒にするな。俺は人間だ」

「だったらてっぺんに一本だけ残して、海産物で賑わう一家の大黒柱みたいにしてやろうか?」


「やれるもんならやってみろや!諦めなくても試合終了のバスケットボールみたいな頭したテメエになんぞ負けねえぞぉ!」

「我が愚息ながら面白いことを言う。だったら望み通りその頭、一毛打尽にしてくれるわ!」


 俺は頭部侵攻の最短新記録とともに『俺たちの戦いはこれからだ!』と言わんばかりの熱い打ち切り漫画のような朝を迎えた。


    ◆


「はぁ…」


 昼休み。自席で弁当を食べながら俺はため息をつく。


「どうした鷲頭?浮かない顔して」

「お前らしくないな、こっちまで飯が不味くなりそうだぞ」


 いつもならば午前の授業で失われた体力と精神力を養ってくれる、級友たちと弁当の美味さを噛み締めながらの楽しい語らい。しかし、今日はそういう気分ではなかった。


「すまんな。実は今朝、また生え際が広がったんだ。しかも…2ミリも」


 俺の発言に、飯を囲んでいた級友たちの動きが一斉に止まる。一人の手からは、パンがポロリと床へとこぼれた。


「ちょ、お前確か少し前についに14センチになったとか自慢してたよな」

「測り間違えじゃねえのか?」


 自慢をした覚えはない。そして、親父の真似ではないが、ところがどっこい現実である。


 生え際が一週間も経たないうちに2ミリも進んだ。

 これは紛れもない事実だった。


 俺の若ハゲは確かに日々進行しつつある。しかし、それは一年間に2センチ未満少しずつであり、わずか数日で2ミリも進むのは前代未聞のことだった。


「お前、ここ何日か様子が変だったしな。ナイフとか風水とか」


 ナイフではなくて小刀だ。まあ、どちらも似たようなものだが。

 俺は風水についても間違いだと正そうと思ったがやめた。


 先日の持ち物検査で鷹山の小刀を没収された俺は、クラスメイトから危険人物のレッテルを貼られた。


 何とか誤解を解こうと、「この場所と方角に刃物を供えれば、願いが叶うって占い師が言ってたんだ」と苦しい言い訳をした。


 だが、この説明に誰もが「鷲頭がとうとう、占いに頼るようになった」と納得、同情した。それも少々辛いものだ。


 俺のハゲが急激に進んだ原因は分かっている。俺と同じくして、教室内で女子たちと和やかに弁当を食っている美少女こと鷹山だ。


 彼女の頭の秘密を知ってから数日、俺は気が気じゃなかった。

 いつもは遠目で羨んでいたあの髪の毛が実はカツラで、それがバレたら死ななければならないという鷹山家の掟。関係ないで片付けるには重苦しい。


 そのプレッシャーとストレスが、髪の毛に影響を及ぼしたと考えるべきだろう。


 普通、美少女との秘密の共有ってのは、もっとこう、どちらかの素性や正体にドキドキしたり、常識では考えられない異世界やバトルに発展したりと、ハラハラするものではないだろうか。


 いや、ある意味、全部当てはまっているが…。

 あれ以来、普通の生活を送る鷹山を見ていると、俺と繰り広げた生死の悶着などなかったのではないかと錯覚しそうだ。


「元気だせよ鷲頭。今日、学校終わったらみんなでカラオケでも行こうぜ。気分もスッキリすれば抜け毛の勢いも遅くなるって」

「そうそう。思いきり叫べば、毛根細胞だって突然変異するかもしれんぞ」


 お前らの優しさはとても嬉しいが、その言葉だと普通に生える可能性は限りなくゼロって意味になるぞ。


「悪い。放課後は実行委員の集まりがあるんだ。また今度な」


「そっか、明日はクラブ活動紹介の日だったか?」

「お前も世話好きだな。頑張れよ」


「ありがとよ。さて、そろそろ時間だ」


 フザケながらも楽しく絡んでくれる連中の申し出を断った俺は席を立つ。

 日課である食後の運動…もとい、食後の育毛に励むべく、鞄からもう何代目となるか分からない相棒である育毛剤を取り出した。


「お前も大変だな…頑張れよ…」


 先ほどの気さくな雰囲気とは打って変わり、本気の心配が込められたエールが俺の耳に届いた。

 

 俺は手洗い場へ向かい廊下を歩く。

 そのとき、制服の胸ポケットから短い着信音とともに小刻みな振動が伝わってきた。

 

 俺は生徒たちが賑わう廊下の端に移動して、胸ポケットに手を伸ばす。

 どうやら俺のリンゴ印のスマホにメールが届いたようだ。さて、通販サイトからの育毛剤の新製品案内か、それともただの迷惑メールか。


 俺は前者を期待しながらメール受信ボックスを開くが、送り主はそのどちらでもなく画面には、こう表示されていた。


【件名:困ったことがあります from :鷹山】


 ………そう言えば、俺はあの日、鷹山と電話番号およびメアド交換をしていたことを思い出した。


 あの時の俺は、あいつがまた変な気を起こさないように、とにかくアフターサービスに必死に努めた。「何かあったら連絡しろ」と言った気もする。


 困ったこととは何だろうか。

 俺は『オススメの育毛剤を教えてほしいな♪』など、乙女にはちょっぴり勇気が必要なお問い合わせであってくれと願いを託してメールを開いた。


 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 拝啓 春爛漫の好季節を迎え、毎日

 お元気でご活躍のことといつも教室に

 て存じております。先日は色々とお

 世話になりましたとともにご迷惑を

 おかけしました(中略)さて、お話は

 変わりますが、本日の放課後、少々、

 お時間はありますでしょうか?もし、

 よろしければ屋上にて相談したいこと

 がございます。諸事ご多用のこととは

 存じますがご返事を賜りたくお待ちい

 たしております。春陽麗和の好季節で

 はございますが、額を冷やしませんよ

 う頭皮にはくれぐれもご留意ください。

 敬具

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 なんだ、この丁寧に喧嘩を売っているとも捉えられる長文は…。

 要するに「相談があるから放課後、屋上に来れるか返事をしろ」ってことだ。


 美少女 + 放課後 + 屋上 + 呼び出しとくれば、甘い期待をしたくもなるが、残念ながら、件名と送り主が悪い予感を物語っている。


 俺はどう返事をするか、その場でしばらく考え込んだ。

 気付かないフリをして無視しようとも思ったが、読んだからにはそうもいかない。何よりもこんな事で悩むのは髪にも良くない。


 俺は『委員会で少し遅れかもしれないが了解した』とだけ返信した。


 さて、気を取り直して手洗い場に向かおうと思ったそのとき、昼休み終了5分前の予鈴が鳴った。


 何てことだ…!育毛剤をつける時間がないではないか!

 育毛剤はつけるだけなら1分も掛からない。しかし、それでは駄目だ。


 商品にもよるが、今使ってるやつは説明書きに『頭皮に馴染ませるように10分ほどゆっくりと揉みながら染み込ませてください』とある。


 一瞬『毛に肌は代えられない』と、意味不明な考えがよぎったが、俺は諦めて教室に戻ることにした。

 

 鷹山の心配ばかりしてどうするんだ俺は…。

 もう少し自分(の髪)を大事にしなければと反省したが、やはり気になってしまう。これじゃ髪の毛が何本あっても足りたものではない。


「俺という人間とかけまして、この世の無情と解く…」

 

 その心は…


「髪も『ほっとけ』もない(神も仏もない)で、ございます」


 俺はひとり言で自分に自虐の謎かけをしながら廊下を歩く。

 とりあえず今は深く考えないことにした。

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