盲目少女のバッドエンド

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盲目少女のバッドエンド

 とある城。

 盲目の少女がいた。

 けれども、不自由は感じていなかった。


「リリア様、お食事です」

「リリア様、用を足すならわたくしが手を」

「リリア様、お休みでしたらどうぞこちらへ」


 城に住んでる『やさしい人』が、こぞって面倒を見てくれたからだ。

 物心ついた時からそのような暮らしをしていたリリアにとっては、それが当たり前の日常だった。

 普通の者が『やさしい人』などいない暮らしをしているのが当たり前であるのとは逆に、リリアにとっては『やさしい人』がいるのが当たり前であった。


 ただしひとつ、違和感はあった。

 胸元に、小さななにかがある気がするのだ。


「ねぇ、キティ。わたしの胸元にあるこれはなに?」

「それは魔法のペンダントです」

「魔法の?」

「この世界は、汚いものであふれています。リリア様がそのようなものを見ないで済むよう、魔法をかけているのです」

「そうなの?」

「はい」

「でもわたし、キティたちのことは好きよ? 汚いなんて思わないわ」

「…………」

「キティ?」

「ありがとう……、ございます……」

「……どうしたの? 声がちょっと、泣いているように聞こえるわよ?」

「小さな虫が、鼻に飛び込んできてしまいまして」

「気をつけてね、キティ」

「はい」


 これが七歳の時の会話だ。

 それからもリリアは、不自由なく幸せだった。

 本の同じページを開いているかのように、変わり映えはしないが穏やかな日々だった。


「リリア様」

「なぁに?」

「この城に、また新しい者が参りました」

「ジャッ……、ジャック……です」

「ジャック?」

「はい……」

「よろしくね、ジャック」

「…………」

「ジャック?」

「なんでも……、ございません……」


 ジャックの声は、なぜか涙ぐんでいた。

 城には定期的に新しい者がやってくるが、みな同じような反応をした。

 リリアはそれを、ふしぎとは思わなかった。

 幼いころから、ずっとそうであったからだ。

 幼いころから、リリアはずっと幸せだった。

 今日も、きのうも、おとついも、穏やかな日々をすごしていた。


 しかし年を取るにつれ、好奇心が育ってくる。

 汚いもののことが気になる。

 ベンダントを外すと汚いものがみえると教えられたが、『汚いもの』とはなんであろうか。

 『やさしい人』に囲まれて生きてきたからこそ、『汚いもの』のことが気になる。


 何度か、外そうとしてみたこともある。

 しかし大概、自分以外の誰かがそばにいて、外すことができない。

 外そうとしたのが見つかると、その時だけは『やさしい人』たちも怒る。

 ものすごく、怒る。


 汚いものをみて受けた傷は、一生残り、またペンダントをつけたからといって消えるものではない。

 だからリリアのためにも、本気で怒るのだと言われた。


 リリアはやさしい人々を信じていた。

 嫌われたくもなかった。

 好奇心は残っていたが、外そうとは思わなかった。


 だがしかし、そんなとある日。

 ちょっとした事件が起こった。

 窓をあけ、爽やかな風と温かな日の光りを浴びていた時のことだった。

 外のほうから声が聞こえた。


「猛毒バチが、城の庭の木に巣を作ったぞ!」

「窓を閉めろ! ドアも閉めろ!」

「屋上から火をかけるんだ!」


 バタン!

 部屋にいたキティが、素早く窓を閉め切った。


「猛毒バチ、怖い名前ね」

「実際に、恐ろしいです。刺されてしまえば、命は確実にありません」

「刺されないでね、キティ」

「窓を閉めたから大丈夫でしょう」


 キティがそう言った時だった。

 ブゥン――と虫の音がする。


「キティ?!」

「リリア様!」


 キティはリリアの前に立ち、猛毒バチに相対した。


「動いてはいけません。叫んでもいけません。猛毒バチは、刺激に対して攻撃をしかけてきます」

「怖いわ」

「うん……」


 リリアは小さくうなずいた。

 けれども、心は恐怖でいっぱいだった。

 目が見えない分、羽音が響く。

 刺されたら大変なことになるハチが、どこにいるのかもわからない。

 途方もない恐怖の中で、リリアは――。



 ペンダントを外した。



 真っ暗だった世界に、少しずつだが色がつく。

 ぼんやりとしていた世界が、徐々に明瞭になっていく。


 想像以上に鮮明で鮮やかだった世界は、リリアの心から恐怖をなくした。

 リリアは、ふと目の前にある『鏡』を見やった。

 そこに映るは、見目麗しい少女。

 パッチリとした蒼い瞳に、流れるような金色の髪。

 その肌は絹のように白く滑らかであり、小ぶりな唇は見る者すべてを魅了する。


 リリアは鏡に右手を合わせた。

 映る少女も、手を合わせてきた。


 リリアは口を、小さくあける。

 映る少女も、口を小さくあけてきた。


「これは……、わたし……?」


 その時、背後で音がする。

 キティがハチを、叩き潰した音だった。


「大丈夫でしたか? リリア様」


 親しんだ声に、リリアは後ろを振り返る。

 そこにいたのは、醜いナニカ。

 男とも女ともつかないほどに焼けただれた顔に、削がれた鼻と両の耳。

 唇もない口の端からは、膿の混ざったヨダレが垂れてる。

 リリアは数瞬の間をおいて――。



 悲鳴。



「リリア様っ?!」

「いやっ、いやっ、いやあぁーーーーーーーーーー!!!」


 リリアはそのまま、部屋の外に逃げだした。

 リリアの声を聞いた人たちは、すぐに駆けつけてきた。

 この城にいる者にとって、リリア以上に大切な存在はない。


 だがしかし、駆けつけてきた人々の顔も、キティと同じく醜かった。

 リリアは再び悲鳴をあげた。

 部屋へと戻り、ベッドに顔を突っ伏した。


「いやあっ、いやっ、いやあぁ! こないで! こないでえぇーーーーーーーー!!」


 戸惑った人々は、ペンダントが落ちていたことに気がついた。

 リリアになにが起こったのかを理解して、深くためいきをついた。


 城にいる人々には、ひとつの特徴があった。

 顔が醜いということだ。


 戦争や事故。

 あるいは身内が犯罪を犯した罪を連帯責任で問われ、鼻や耳をそぎ落とす刑を受けた者たちが集まって暮らしているところだった。

 その見た目から行き場所をなくし、やむなく身を寄せ合うようになった人々だった。


 夢も希望もなく、かといって死ぬこともできず、ただ生きるだけの毎日。

 そんな毎日を送っていたある日のこと、

 城の前に、この城にはまったくもって相応しくないような、美しい赤ん坊が捨てられていた。

 見捨てるべきか育てるべきか、城の中では議論が起きた。


「今は愛らしい赤子だが、成長すればワシらを見ることになる。その時、みじめな思いをするのはワシらじゃ」

「この城にいるのは、村には戻れない人間だけだ。普通の村に住むことができるような人間がいていいところじゃない」

「そうは言うけど、放ってはおけないよ」

「村に戻すにしても、ある程度までは面倒を見ないと……」


 そんな議論をしていると、城の中でも一番の年寄りが現れた。


「地下室で、こんなものを見つけたんじゃが……」

「それは?」

「つけている者の視力を、奪ってくれるペンダントらしい」


 人々は、リリアにペンダントをつけた。

 最初は物心つくまで育てたら、ちゃんとした村なり街で引き取ってもらう予定であった。

 しかし歳月が経つにつれ、別れることが辛くなった。


 なにせリリアは、自分たちを差別しない。

 世界中の誰よりも美しいと思われる顔を持ちつつ、自分たちを醜いと言わない。

 汚くないと言ってくれる。

 自尊心を喪失していた人々に、涙がでるほどの喜びを与えてくれる存在になっていた。


 その一方で、不安もあった。

 いつの日か、なにかの拍子でペンダントが外れてしまった時。

 あるいは魔法の力が消えてしまった時。

 リリアが、自分たちに失望してしまわないだろうか。

 ほかの人々が自分たちに向けた目を向けないだろうか。


 目を潰すなんて酷いことはできない以上、それは一生、つきまとう不安だ。

 その感情は、リリアへのやさしさという形であらわれた。


 万が一ペンダントが外された時。

 それまでに、ありったけの愛をそそいでいれば、変わらず接してくれるかもしれない。

 そんな希望があったからだ。


 だが人々は、そんな希望は淡い幻想だったことに気がついた。

 リリアは、拒絶した。

 自分たちを拒絶した。

 拒絶して、接触を固く拒んだ。


 リリアに話を聞いてもらおうとする者はいない。

 拒絶されるのが、こわかったからだ。

 目を離したキティを、責める者もいなかった。

 そんな気力さえも沸かなかった。


 人々は各自、自分の部屋に閉じこもった。

 食事の時だけ食堂に集い、死人の顔でかてを貪った。

 むかし以上に、夢も希望もない日々を送った。


 むかしと違うのは、リリアの部屋の前に食事をおくという日課が増えたということぐらいだ。

 それも、食事をおいたらすぐに帰る。


 顔を見られたくないからだ。

 同時に、人々は思っていた。

 リリアのほうも、見たくはないだろう。

 自分たちの気配がしても、扉を開けてくれないのが証拠だ。


 ところが、違った。

 話はむしろ、真逆であった。

 リリアは、人々の顔を見たくなかったのではない。

 人々に、自分の顔を見られたくなかった。


 リリアにとって、美しさの基準は『やさしい人々』であった。

 幼いころから面倒を見てくれて、自分を大切にしてくれていた人々であった。


 自分が悲鳴をあげたのは、自分の姿がその人々とはあまりにもかけ離れた、醜い顔をしていた・・・・・・・・からだ。


 リリアはひとり、部屋で怯えた。


(みんなが言っていた『汚いもの』とは、わたしのことだったんだわ)

(みんながやさしかったのは、わたしが醜かったからなんだわ)

(全部、みんなの言うとおり)

(わたしは自分が醜いことを知り、傷ついた)


 ペンダントをかけて見えなくなったところで、意識が消えることはない。

 鏡に映った『醜い顔』は、まぶたの裏に焼きついている。


 あぁ、食事がきた。

 みんなは本当にやさしい。

 わたしが、わたしの顔を見られたくないことを知って、無理にこないでいてくれる。

 その気になれば簡単に開けられる扉を、開けないでいてくれる。


 でも、どうにもならない。

 わたしはもう、みんなと食事を楽しむこともできないのだから。


 リリアはそう思いながらも扉を開けて、食事を中にいれた。

 思いつめていても、空腹にはなる。


 気を重くしたまま食べていると、リリアの視線は肉を切るのに使うナイフへといった。

 ナイフを手に取り、じっと見つめる。


 ごくり。

 ツバを飲み込む。

 リリアはナイフを手にしたまま、鏡の前に移動した。

 

 ナイフを鼻の横へと当てた。

 記憶に残っている、『やさしい人々』の顔を思い浮かべる。


「キティは、ここがこんなに出っ張ったりはしていなかったわ」


 ぞりっ。

 鼻の横にナイフが刺さった。

 激しい痛みと鮮血の末に、整っていた鼻がぽたりと落ちた。


「顔の横に、こんなものがついたりはしていなかったわ」


 今度は耳にナイフがいった。

 リリアはそのまま、『やさしい人々』と自分の顔とを、近づけていった。


 作業は終わった。

 不恰好に出っ張っていた鼻はなくなり、ついている意味がわからなかった耳も落とした。

 白く下品だった顔の皮膚は、赤々とした筋が芽生える。

 唇もなくなった。


 リリアは安心した。

 これでみんなと同じ顔。自分もみんなとご飯を食べれる。一緒に笑える。

 昔のように。

 昔のように。


 扉をあけた。

 本人にとってはまっさらな笑顔で、『やさしい人々』を探した。


 そして見つけた。

 人々は、重い空気の中で食事を取っていた。


 リリアはそこに現れて、無邪気な笑顔を見せた。

 人々の顔は、凍りついた。


「……リリア様?」

「そうよ、わたしよ」

「そのお顔は、いったい……?」

「自分でしたの」

「…………」


 顔は痛い。とても痛い。

 それでもみんなと同じになれた。

 その喜びでもって、リリアは痛みに耐えていた。


 人々は絶句した。

 彼ら、そして彼女らは、自ら望んでそのような顔になったわけではない。

 人に見られたい顔だと、思ったこともない。

 

 ところが目の前の少女は、自分からそのような顔になった。

 しかもそれを、笑顔で見せつけてきた。


 人々は、激しい罪悪感を抱いた。

 リリアの気持ちは不明だが、そこまでさせてしまうナニカがあったのは事実。

 自分たちには想像もつかないナニカに対して、強い慙愧の念を覚えた。


 そして慙愧は、少女を排斥する方向に動いた。

 直視すると押し潰されそうになる罪悪感を、少女を排除することで消そうとした。

 それはかつて、彼らを追い出した村や街の人々が、彼らに抱いていた感情と似ていた。


「どうして?! みんな、どうして?!」

「うるさい!」

「でてけぇ!」

「なにかの当てつけかい?! その顔は!」

「どうして……?」


 なぜこうなったのか、少女はまったくわからなかった。

 わからないまま、城を去った。

 追う者はいなかった。


 少女はゆく当てもなく、裸足のままで彷徨った。

 やがて疲れて横たわる。


 一晩がすぎたころ。

 六羽のカラスが、少女を静かについばみ始めた。

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