第33話 ▼アマチュア無線ネットワーク

二〇一一年三月十二日午後十九時時頃


 マリス、マリス、不思議の国のマリスちゃーん……。

 夢の中で、光の陣地と闇の陣地がせめぎ合い、それが次から次へと入れ替わっていく。まるでオセロを見ているようだ。さまざまな光彩を放つ光と闇のオセロ。あるいはツーオイというキングをめがけて駒を進めていくチェスか、将棋か? 事故の暴走を食い止めるべく、必死で働くレジスタンス、神の掟の子ら。地震が起きて最初の臨死体験からまだ一日しか経過していなかったが、その間に臨死体験のアトランティス帝国では何ヶ月も経過していた。本当のアトランティスの歴史なのかどうかは分からない。夢の中で、細かいところで真帆の解釈が入っている。固有名詞の全てがその時代のものとは思えない。それでも夢に出て来たラビュリントスのシンボルマークのウロボロス。滅亡の瞬間を繰り返して、それは自らのしっぽを喰っている。こんな事が、数多くの文明の末期に、ずっと、繰り返されてきたのかもしれない。そして、今も尚……。

 篠田が起こした。マスクを取っていたが、ガイガーカウンターで細かく放射能をチェックしていた。避難指示命令は、神江原発第一の半径20キロ以内に拡大していたが、二人はもろにその中にいた。

「着いたぞ」

 どうやら篠田は、ずっと無線相手と情報交換していたらしい。

 篠田と真帆は、がれきをかきわけ、崩れた民家が延々と続く街を歩いた。

 家に閉じ込められた初老の男性がそこに居た。幸いにして家の中は浸水しておらず、自家発電機が作動していた。男性は毛布をかぶって寒さをしのいでいる。

 無線の人は神江情報高校の父兄だと云った。

「あぁ! あの電波ゆんゆん高校の……」

 男性も真帆と同じ神江情報高校に子供を行かせたという。「電波ゆんゆん」とは神江高の校歌に登場する歌詞の一部だ。

 男性は、ちょっと待ってほしいと云うと、チャンネルを回した。周波数を合わせると、無線の相手とやり取りしている。

 彼は、閉じ込められながらここでずっと仲間と情報交換をしていた。

 無線の人は無線仲間から妊婦が避難命令が出ている所に閉じ込められている事を真帆に伝えた。妊婦が一人で家のがれきに閉じ込められ、援けを待っているのだ。

「しかしそこはもう汚染されているから」

 あきらめるしかないと言った。

 皆を乗せた軍用ジープは、避難所へと移動を開始する。

 闇に包まれた道を、ジープのライトが照らしている。漆黒の闇、星を見上げるものは誰もいない。

 テレビの中継によると、消防車が神江原発第一に海水の注入を開始したらしい。マスコミは何か煮え切らない。もっと詳細な情報が欲しい。

 何とか、情報が得られないものか。観測された放射能の濃度や風向き、そして、神江原発第一で一体「何」が起こっているのか。避難指示の出ている半径内で動いている以上、とにかく今は、正確な情報が欲しかった。「事象」だとか、「落ち着いて、冷静に」という文句を延々と繰り返すだけで具体的な情報を出さない政府や帝都電力の発表など、到底信じられなかった。ふと真帆は、藤咲啓太が帝都電力にいることを思い出した。真帆は、久しぶりに篠田のスマフォで藤咲にメールを打った。メールを打つ手が震える。なぜかアドレスをしっかり覚えていた。

 真帆はこうして相手のメールを待っている間、原発のことで二人が対立してきたことは、本当は二元論じゃないかと気づき始めていた。賛成か反対か、見事なまでに二元論に集約されている。そうして原発かフリーエネルギーかという選択で二人は別れた。でも今、予想だにしない現実に直面し、真帆は相手に協力を求めている。

 しばらくして藤咲から返事が来た。藤咲は真帆が神江で被災していることを知ると驚いて返事したらしい。実は藤咲は帝電に内定したものの、結局就職せず、とあるメーカーに就職したという。就活中に出会ったそのメーカーの退職者から話を聞いたことで、最終的にそのメーカーを選択したのだといった。その人物は、元帝国電力に原発を製造し売ったエンジニアだった。そして彼から、老朽化した神江原発の危険性を聞かされたのだ。そこで藤咲は真帆の主張や活動に始めて納得がいったのだという。そして今、その人物の予想通りに事態は推移していた。恐ろしいほどに。だが、真帆に連絡することにはためらいがあった。

 マスコミは、政府は、帝電は何も正確な情報を伝えないことを藤咲も認識していた。

「オレは奴らに利用されるのは真っ平ゴメンだ」

 藤咲はメールでそう書いた。藤咲は真帆に神江原発で何が起こっているのか、メールで逐次伝えてきた。電話は途中で一度試したが不通だった。やはり、携帯電話は回線がパンクしている。

「政府は隠しているが、もうとっくにメルトダウンしている。一号機がメルトダウンしたのは、地震から四時間半後だった。今他もベント作業に移る。成功しなければヤバい」

 真帆はその一文に衝撃を受けた。本当にヤバイ、とっくにメルトダウンは起こっている! それも津波からたった四時間半の事だ。帝都電力はパニックになる事を恐れて隠しているというのだが、隠蔽体質そのものじゃないか。腹立だしい。真実を公表しないことによってかえって住民を危機的状況に陥れている。それは一緒の選民思想に基づいているからだ。

 しかしそれだけではない。沖合いに流された真帆に、イルカが言ったことは本当だったのか?! イルカは神江の原発のメルトダウンの影響で時空が歪み、真帆の意識体はアトランティスの時空へと接続されたといった。そのときはそんなことがあるのかと思ったが、真帆は思い出した。真帆は一蹴したのだが、確か研究員・春日がこんな事を言ったのだ。チェルノブイリの原発事故の際、メルトダウンの影響で時空が歪み、ソビエトに戦前の飛行船ツェッペリンが突如現れた、と……。つまりチェルノブイリの事故で神江にいる真帆と同事例が報告されていた、ということを意味する。

 藤咲は協力的だった。真帆よりも帝都電力のやり方に憤りを感じているらしかった。放射能の分布を調べる「スピーディ!」というものがあるらしいが、そのデータは一切発表されていない。これもまた混乱を避けるためにと云って隠しているのだ。それにしても「スピーディ!」とは、実に皮肉な名前だ。

「帝都電力は、もしかして、これ位の津波が来る事を知っていた?」

「あぁもちろん。想定外なんて大嘘だ」

 藤咲のメールでその言葉が出たのは衝撃的だった。

「神江の部長も知っていたし、八六九年の貞観地震、古文書だけで知られていた証拠が見つかった学説が出て、その報告書に津波の高さが15.7メートルという数字が出ていたんだ。その数字は現場職員にも伝わっていたし、本店も知っている。だけど帝都電力は、原子力安全保安院で貞観地震には触れず、なぜか津波は最大8.9メートルだと報告し、結局、対策は取られなかった」

 その報告書「想定津波の検討」は、平成二十年四月に出されていた。

「やっぱり、想定外と言いながら想定外じゃなかったのね。彼らは情報を出さない」

 その結果、想定を大きく上回る十三メートルの津波が原発を襲った。

「説明する。なぜ最初から津波が来るようなところに電源を置き、それだけじゃなく、この地震大国で原潜のように要塞化しなかったのか。全てはコスト安のためだ。一番安いエネルギーという神話を維持するためだったんだ。日本には、外国の資源に頼らない国産エネルギーという夢があった。だが、それならなぜ国策として原発ばかり他の国産エネルギーに比べて優遇されたのか。再生可能エネルギーや地熱といったものは、ほとんど形だけでしかない。それらはずっと、国策じゃなかった。全ての金と余裕が、原発につぎ込まれたからさ。それは、アメリカと一緒になった冷戦構造の核保有バランスで、いつでも核兵器転用ができる技術が必要だったからに他ならないと思う。その証拠に、真に安全で有力な小型原発のトリウム原発は日本は無論、アメリカでもつぶされている。トリウムは、核兵器に転用できないからな」

 メーカーの先輩から話を聞いた藤咲は、原発に対する印象がだいぶ変わってしまったようだ。真帆が知らない事までも、藤咲のメールは雄弁に語っていた。

「それで、ずっと安全神話をCMなどあらゆる手段でプロパガンダをバンバン流した。実際は安くもないし、安全でもない……。洗脳という言葉は使わないが、今は広告の中で巧妙に刷り込まれていく。ま、オレも洗脳された人間の一人だったんだけどな。実際は儀式で悪魔を御せると考える、中世の黒魔術師と同じ! 魔術師が儀式によって悪魔を召還し、それを封じ込めて都合よく人間の目的に利用する……だが、悪魔は人間に都合よく御せられない! 放射能という魔物を飼いならすことなんか、本当は出来ちゃいなかった。しかも安全を度外視してでもコスト削減を続けた結果の、都合の悪いところは冷戦構造の核防衛という錦の御旗で、隠蔽体質が染みついている。こいつが真帆の言う原発シンジケートの正体だ」

 たとえば原発のある地元の住民も、原発を作ればそれで街全体が潤うような予算が何百億もついて、維持費に赤字だらけの箱モノがたくさん作られてきた。何もなかった田舎に原発がやってきたことで、確かに、原発で潤った側面は否定できない。しかし、結局一番安いエネルギーとはいえない。そこでコスト安の神話のために安全面が軽視され始めたのである。と同時に原発安全教育は地域住人にも徹底的に施された。

「もう危ないかもしれない。だが帝電に就職した俺の友達や、優秀な先輩たちが神江に帝電に留まって、何としてでもベントを成功し、事故を止める。帝電はダメだが、彼らは素晴らしい技術者たちだ。俺は信用できる。だから、神江にいる君は何が起こっているのかを知ってほしい。そして、とにかく早くそこを脱出してほしい」

 もはや真帆の中に、藤咲に対する憤りはなかった。彼は真帆と同じ立場の人間、被災者である。それきり、藤咲からのメールは途絶えた。

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