第29話 ▼神江原発第一爆発

二〇一一年三月十二日午後十七時


 カノンが流れ、八木真帆の眼がうるんだ。ずっとこれまで「悪夢か……なんでこんな夢ばかり」と疑問ばかりだった。せめて夢の中では幸せでいたい。確かに、戦いとダンスと音楽が奇妙に融合した夢は、一瞬この現実を忘れる事ができた。しかし、真帆はマリス・ヴェスタが嫌いだった。外見は悪役そのものだ。自分の才能に溺れているが、本当に愚かで憎たらしい女だと思った。自分に似ている。認めたくなかった。しかし真帆は確信していた。マリスは自分だ。今や真帆はマリスに共感しすぎていた。真帆が聞いているカノンは、アヴァロン島の円卓に座っているマリスの耳にも届いているはずだ。それは、ツーオイ石が流している子守唄のようだった。

 そのカノンは、真帆の隣に立っている篠田のスマフォから流れていた。着信だったようだが、相変わらず篠田のスマフォは部隊と通信が取れない。まだ理由は判明しないらしい。篠田のジープは部隊からはぐれてしまったのだ。

 篠田によると、真帆が寝ている間に、神江原発第一でベントがようやく開始されたという。ベントとは、蒸気を一度水の中にくぐらせ、放射性物質を減らしてから外に放出する事で、原子炉内の圧力を低下させる技術である。

 最悪の出来事には、さらなる最悪が積み重なるものだ。十七時三十分頃、神江原発第一事故の報が入った。十五時三十分頃に爆発していたらしい。スマフォのテレビ音声は、「何らかの爆発的事象を確認」と官房長官の発言を伝えていた。爆発的事象。「事象」だと? 事故では、ないのか?

「核爆発?」

 考えたくもない。

「水素爆発らしい。原子炉内の水が蒸発して、圧力が高まって建物の屋根が吹っ飛んだんだ」

 少しほっとした。ともかくベントは間に合わなかったらしい。だが、格納機の破壊は免れたようだ。どうも早朝に首相が神江にヘリを飛ばし、視察に来たせいでベントの開始が遅れたせいだという。

 真帆は夢うつつで篠田の話を聞いていた。真帆が寝ている最中、辛そうにしているのを篠田は気にしている。

「何度も何度も、同じ夢ばかり見る」

 真帆はついその事を口にした。

「一体どんな夢なんだ? 話せば気が楽になるかもしれない」

 篠田は真帆の横に座って訊いた。

 真帆はこの夢を、幼いころから何度も何度も見ていた。かつては断片的なものだったが、津波で再び夢を見始めると、今度は内容が物凄く具体的でまとまっている。そして起きても忘れる事がない。それが昔から見ていた夢だった事を思い出し、ひょっとすると三月十一日の予知夢だったのではないかと思い至っていた。だがどうやら幼い頃から繰り返し見た夢は、三月十一日の夢ではなく、アトランティスが沈む夢だったらしかった。なぜなら夢の中で登場するマリス・ヴェスタという女性科学者が、はっきり自分の事だと分かったからだ。光と闇の戦いの中で、マリスは闇の側に属し、世界を滅亡させてしまった。津波以来、真帆はその夢を明瞭な物語を伴って、マリス自身の記憶として見ていた。夢とこの津波で感じた事は、一万年の時空を隔てた二つの科学文明において、全く同じ事が繰り返されているという事だった。

 真帆が話し終わると、篠田は思案気な顔でしばらく考え込んでいる。

「奴隷解放のための戦争か。アメリカの南北戦争と同じ構図だな……」

 真帆の夢物語をじっと聞いていた篠田はつぶやいた。南北戦争は、リンカーン大統領による黒人奴隷の解放戦争であるから、確かに篠田に言う通りだと真帆は思う。

「篠田さんもそう思う? ……アメリカの黒人奴隷の時代だけじゃなくって、今の世の中だって南北問題というのがあって、たとえば途上国では子供が強制労働させられているでしょ。先進国と途上国の関係には、目に見えない奴隷制度が存在している。私は大学でずっとそんな研究をしてきた」

 篠田は付け加えた。

「そうだとも。夢の中のアトランティスはずいぶん暗い共産主義みたいな国家だから、クーデターっていうのは共産革命みたいだし、第一ソビエトは労働者による評議会だ。それが王政を打倒した」

「……」

 ソビエトも評議会だったのか。ならシャフト評議会と同じだ。

「それに、そのクリスタルというのは原発に似ていないか。だからそんな夢を観るのかもしれない。きっと真帆は、この切迫した状況に、潜在意識が反応したのかもしれないぞ」

 真帆も同意見だった。アトランティス社会にあるステラクォーツ発電所、すなわちクリスタルステーションは六つの魔法石でできていた。そしてそれは「連鎖反応」を起こした。つまり、原発の各号機と全く同じ構造である。神江の原発事故は、容赦ない現実を突きつけてきた。原発村。原発シンジケート。電力レジーム。何と呼んでもいい。原発を支える巨大な社会システム。それが真帆には、全くアトランティス・シャフトがそっくりそのまま復活したように見えている。地震のとき、東北の住民は津波の危機を忘れて逃げなかったし、テレビもラジオも着けない人も居た。高い堤防を築き、津波の避難訓練などもしておきながら、生かされることはなく、防災無線も各地で出たり出なかったり、行政もいざというときの危機管理体制がなっていなかった。アトランティスの国民達ののんびりした危機感のなさに似ている。

 そして何より原発の危機管理がなっていない。原発について、これまでずっと安全ばかりが主張され、他のエネルギーよりも優先されて建設されてきたた。この二点が、危機に対する注意を怠り、東北に大きな被害をもたらした。後で気づいても、起こってからではもう遅い。ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ。ヘーゲルの言葉だ。篠田は真帆に、プロメテウス神話の話をした。

「プロメテウスの火は、人類に文明をもたらした。それと同時に危険もな。人類は『原子核エネルギー』というものを手に入れて、とうとうパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。神話としては、ヱデンの園の智恵の実と似たような話だ」

(プロメテウス神話か。プロメテウスというのは、確かに夢に出て来た評議会議長とよく似ているかもしれない。議長は、クリスタルの秘密を手に入れようとやっきになっていた。……私達の原子力の火は、この時代の智恵の実だ。アトランティス人の智恵の実は、クリスタルに閉じ込めたヴリルだ。……それにしてもシャフトか! なんで悪い連中の評議会の名前が『シャフト』なんだ。よりにもよって)

 八木真帆は、大学生にしてすでに論文を発表している科学者だった。わずか十日前。真帆は、アークライトシャフトと名づけた研究所で、フリーエネルギーとベーシックインカムに関する論文を発表した。それ以前から、ずっと東北出身の脱原発派を自認していた。

 真帆は、論文の中で百年後の未来社会を描いた。化石燃料や原子力を脱し、再生可能エネルギーの最たるものであるフリーエネルギーが社会基盤に存在し、ベーシックインカムが実現して、誰もが幸せに暮らす社会。まるでヱデンの様な理想郷で、「ヱデン計画」と名付けた。そのために、まず宇宙エネルギー技術が確立されなければならない。真帆はそれさえあれば「ヱデン計画」は成功したも同然だ、とやっきになって研究してきた。誰もが無料でクリーンなエネルギーを使用する事ができれば、百年も経てばきっと世界はそうなる。

 真帆がその論文を書き上げたのは、原発擁護派の先輩と永い論争になった事がきっかけだった。そんな言い争いなんてするつもりじゃなかったのに。

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