第19話 ▲黄金の果実

 キャメロット城内にはレジスタンスの執事や調理人が存在したが、彼らだけで二十五人分の料理を作る事ははなはだ困難だった。食事の準備の間、マリス同様にアルコン隊長も興味を持って城内をうろうろ歩きまわっていた。ところがアルコンもまたレジスタンスのメンバー以外、誰にも出会う事はなかったのである。しかしアルコンは感じていた。確かにここの住人はその影すら見当たらない。それでいて自分たちではない人の気配がしている。城は提供するが、それ以上の協力はせず戦いに与しないというのが、彼らの流儀なのだろうか。ハイランダー族は不思議な種族で、こうして自分達に城を提供しながらその姿を見た者は誰もいなかった。ロード・カカ・オージン以外には。

「うわぁうまっそう」

 ヱメラリーダが厨房にその小柄な姿を見せた。ライダーを冷やかしに来たようだった。すでに大鍋の中にはコーンスープとフィッシュチャウダーが白い湯気を立てており、調理台の上にはタラ、鮫、ロブスター、コンク貝、ムール貝など野趣あふれるアトランティス海域の海産物の数々、タロイモと米を合わせた主食、さらにはタロイモパイのデザートの種類がずらりと並んでいる。

「……その腕でパンをこねる訳?」

 ヱメラリーダは筋肉隆々の太い腕をまじまじと眺めながら、意外な素性に目を丸くしている。

「あぁ、そうだ」

 トウモロコシ粉を使用したコーンブレッドの甘くないタイプのパンは、見た目は後世のイギリスパンとそれほど変わらない。

「ワォすげぇ。ねぇあんたってさ、なんでそんなに料理がうまいの? あんたも情熱党の一員だったって聞いたけど。その時、何をやってたの? もしかして料理担当とか?」

 ヱメラリーダはそれから隆起した上半身をなめるように眺めた。

「うるさい奴だ……別に何でもよかろう」

 ジョシュア・ライダーはかつて軍に居た頃から野戦食を作っていた経験があった。調理担当でもあった。ライダーは情熱党中核メンバーとは別の理由からシャフトに疑念を抱いて一人で反乱を起こした。シクトゥス4D議長の命を狙って追われる身となり、こうしてヱメラリーダ達に助けられてレジスタンス・メンバーに加わっている。実家はアヴァランギ平原の田舎でパン屋を営んでいて、一時期手伝っていた事もあるらしい。こんな風に、色々な職業の者が集まっているのが混成部隊のレジスタンスだ。

「へぇ~おいしそうじゃん!」

 ヱメラリーダは身を乗り出し、ライダーのマリンブルーの瞳を覗きこんだ。

「いいパンを焼くには、トウモロコシ粉と小麦粉と塩と、それにしかるべき土地で取れたいい材料が手に入らんとだな。それにアヴァランギで手に入るハーブも足りん。ここでは手軽なものしか作れん。ここじゃ満足な食材が手に入らん。玉ねぎも小ぶりでイマイチだな……。第一この島にはリンゴはあってもアトランティス・バナナがない」

 山菜獲りもやっているライダーだが、アヴァロンには特殊なハーブは豊富にあるが、通常入手しやすいものが不足している。

 ライダーはアヴァロンのトウモロコシ粉では満足していなかった。アトランティス・バナナが普及している島は、発祥地のアヴァランギ本島と交易のあるエリュテイア、オグくらいなものだった。しかしスイカやパパイヤは手に入ったらしく調理台に載っていた。

「パンにはうるさい男か。意外だね。そんなこと言ったらこのご時世に、いつまで経ってもあんたの理想のパン食えないって事になるじゃん。別にこだわらなくったってあたし達は食えれば全然OKだよ」

「奴らを倒したら作ってやる。俺の理想のパンがどんなモノか。アマネセル姫も喜ぶような格別な奴をな」

「じゃあこの戦いに勝ったら作ってね。絶対約束だよ!」

 ヱメラリーダはにやりと笑うと金属光沢のメカニカルな左腕でライダーの右肩に手を置いた。そのためにはアヴァランギ本島に戻り、アクロポリスを取り戻さなければならない。

「ねえライダー、覚えておいて欲しいんだけど、あたしさ。あたしが死ぬ場所は自分で決めるから。……だからいざここだっていうときには、止めないでよね」

 ヱメラリーダは微笑んでいた。

「……」

 厨房をアルコンが通りかかって中を覗くと、ヱメラリーダが泣いている。

「どうかしたか?」

「ううう……」

 ヱメラリーダは「小ぶりな玉ねぎ」を切っている。

「だから玉ねぎは切る前に腕を水でぬらしておけと言っただろ!」

 振り向いたライダーが文句を言う。

「できたよ! ヱメラリーダ風気まぐれサラダ!」

 アルコンとライダーが見たものはひよこ豆やヤングコーンなど様々な素材が無造作に、まぜこぜに盛り付けられたサラダだ。二人は口をそろえた。

「気まぐれ……すぎだな」


「さっき庭で採って来たリンゴです。たったひとつだけ黄金の実が成っていました。これを姫に食べさせればひょっとして。何か効果があるかもしれない」

 城内に戻ったマリスは廊下でアルコンを見つけ、懐から黄金のリンゴを取り出して渡した。この島はハーブ類が豊富にあり、ネクタルなど貴重な食材も揃っている。この島には不老不死の伝説があるが、その理由がこのリンゴなのかもしれない。

「単なる私の直感です」

「……ありがとう」

 アルコンにも、その実から発せられたエネルギーの強さが感じられる。実を手にしたアルコンは、姫が治療を受けている部屋へと向かった。

 楕円を基調としたハイランダー族の邸宅は、明かりとりの窓や天窓が全て円や楕円の形をし、建物のフォルム自体も楕円である。その中の一室にいるだけで、アマネセルは体力が回復することを実感した。ここは自然界の気、大宇宙の気、上質なヴリルを取り込み、神のエネルギーに包まれるような構造計算がなされた建築物だ。明らかにアトランティスのテクノロジーを超えている。

 姫には様々に調合されたハーブ、クリスタルを用いた光線療法、音楽療法が施されていた。炎症を抑える効果のあるフィーバーフューを中心とし、レモンレモンなど、ハーブはこの島で沢山取れる。中でもシーブ・イッサヒル・アメルという不老の薬草を調合したり、アンブロシア、ネクタルという神の食べ物や飲み物まで用意されている。クリスタルの治療は、扱い方によっては人間の寿命を何百年にまで伸ばすほどの効果があった。それは錬金術における賢者の石の、不老不死への研究へつながっている。姫はオージンのクリスタルのヒーリングに加え、インディックがニヴルヘイムから命がけで運んだ治療装置を加えた治療を受け、かろうじて自分で食事を採れるまでに回復した。錬金術の粋を駆使したその治療器具は、オリハルコンと金の持つヴリルを注入するもので、オージンはそれをクリスタルとセットで使用している。しかしそれでもアマネセル姫の回復には時間を要する事が予想されるのだった。

 部屋にはもう一人、お世話係の少女ケイジャ・レジーナがいた。十歳のレジーナは、オージン卿の邸宅に仕える一家の子供で、オージンに懐いていた。オージンはレジーナが腰まである自身の銀髪を引っ張っても怒らなかった。石の離宮からここへ逃げて来る途中、自分も姫のお世話がしたいといって一緒についてきた。レジーナは歌が好きな可憐な少女で、よく歌っていた。その彼女の歌は、アマネセルを和ませる。だがまだあどけないレジーナは時々庭のアルパカを見に行くので、しょっちゅう居なくなった。

「姫の様子はどうだ?」

 アルコンはベッドの傍らに座ってオージンに尋ねた。姫は眼をつぶっている。

「あぁ。だいぶ良くなっている。普通に会話できるくらいまでは回復した。問題は足止めの呪いの方だが」

「取れないのか?」

 アルコンは眉間にしわを寄せる。

「どうかな。ハイランダー族のハーブを調合し、できる事はやっている。だが、もしかするとだが……生きている間、一生取れない可能性はある。そうなると当面、歩けるとしても歩行が困難になるだろう」

「……一生だと?」

「根が深い。かなり意識体の奥底まで呪いが撃ち込まれているのだ」

「いやしかし」

「もしかするとそれは一生どころか、輪廻すら超えて作用していくかもしれぬ」

 来世も来々世も、影響を及ぼすという話だ。

「そんなに深刻な影響なのか。来世も、だと? カカ・オージン卿の、大白魔術の技を以てしても除去できない代物、という事か?」

「無論、あらゆる可能性を試みているところだ」

 色々考えられる限りの策を弄し、今のところオージンに手はなかった。

「オージン、これを食べさせてみてくれないか。さっきマリス・ヴェスタが庭で見つけたんだ。どうだ?」

 アルコンが差し出したリンゴは、日を浴びて眩く輝いている。

「……これは、黄金の実じゃないか! マリス・ヴェスタが?」

「あぁそうだ」

「これが、ここのリンゴ畑にこれがあったとはな。まさしくヱデンの伝説通りだ」

 オージンは実をくるくるとまわし、しげしげと眺めている。

「何となくだが、こいつで治りそうな気がせんか?」

「かつてヱデンの園には、二つの実があったという。一つは智恵の実。そしてもう一つは生命の実だ。もしかすると」

 「楽園」の智恵の実を食べると、人間は神の智恵を授かり、生命の実を食べると永遠の命、不老不死を得られるという。だがそれらを食べる事は神から禁止されていた。しかし人間は蛇にそそのかされ、智恵の実を食べた事で楽園を追放された。

「じゃあヱデンというのは、この島の事だったのか?」

「いや……ここはヱデンを映し取った土地だ。ヱデンそのものではない。だが、マリス・ヴェスタはきっと私と同じ結論に達したのだろう。生命の実か永遠の実か。これがどっちだかは私にも分からん。ともかく了解した」

 オージンはリンゴを見て何かを得心したらしく、食べられるサイズまで切っていった。その一切れを姫に食べさせると、何と姫は立ちあがった。それだけでなかった。肩を借りてだが歩けるようさえになったのである。もしかするとこのまま、「呪い」の方も消えてくれるのかもしれない。オージンはこの黄金の実が、ひょっとすると生命の実、つまり不老不死の実ではないかと考えつつあった。とするとリンゴ畑でもう一つを見つければ、それは智恵の実という事になる。ここはヱデンの園そのものではないものの、そのひな型であるという事は、魔術的見地からして理解できた。だとすれば、姫に食べるように勧めたマリス・ヴェスタは蛇という事になってしまうのだが。レジーナが付き添って温泉に入り、ライダーの準備した食事を取れるまで回復したアマネセル姫は、アルコン達の待つ大広間の円卓に呼ばれた。

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