第14話 ▲シクトゥスの猟犬 ラムダ大佐
現在、マリス達がいる地下階のユグドラシル大本部を上ったアースガルドの一室に、ラムダ・シュナイダー大佐が入ってきた。年齢は三十台半ば、オールバックに撫で付けた黒い髪。鋭い眼光。椅子に後ろ手に縛り付けられたクラリーヌは、ノースリーブの肩やあごの辺りに痣を作っている。
「やれやれどいつもこいつも! 戒厳令魔方陣で、捕らえられた者たちは死に急ぎたい奴らばかりとは! ツーオイ石の前に引きずり出され苦しい思いをして、一体何が得なのだ? 口を割らんというのは全然、懸命ではない。そこでだ、ご夫人には特別にこの私が直々に尋問する機会を得ることができた」
ラムダは椅子にどっかりと腰掛け、足を組んだ。クラリーヌが何か言うまで無言で睨む。
「……何も云う気はないわ」
「まぁ慌てるな。まだ何も聞いとらん。もっとも私が何を聞きたいのか、お前は分かっているようだが。にしても、さてもお美しいクラリーヌ・ペンドラゴンだ。アルコンは果報者だな。それだというのにこんな傷を造って。今頃、お前の夫は、何処で何をしているのか。全く愚か者だ! 美しい妻が傷ついてここに捕らえられているというのに」
「私の夫はそんな事で、動じたりはしない」
ラムダは両手を広げる。
「ふふふ、それはそれは」
クラリーヌも微笑んでいる。
「さっきは危機一髪だったぞ。私がお前の命を取らなかったのは、惜しいと思ったからだ。お前が死んでしまったらあの舞踏はこの世から永遠に失われる。私はワルキューレの騎行、歌やダンスは好きではない。そんな私が、さっきの戦闘でのお前の戦闘舞踏は大いに気に入った。もちろんそれに私や長官は散々に翻弄された訳だが、今やシャフトのみんなが『ファン』といってもいい。いやはや、実に素晴らしい舞踏だ」
ラムダは部下たちのレーザーの出力を失神レベルに落とさせた。
事実、保安省は情熱党の技を侮っていた。その神秘の力を軽視していた。それが先の戦闘でのハウザー長官の失態につながっていた。だからクラリーヌをまだ処刑しないというラムダの判断に異論は出ないのだという。
「それはどうも」
「いや、正直なところそもそも一体何人くらいいるのかも、我々はよく分かっていないのだ。……千人か、それとも一万人か? お前たちは一体どれくらいいる? お前たちのアジトは何処にある」
例の幻術「ファントム騎士団」のせいで、レジスタンスの実体はいまだ不明である。クラリーヌは頭をかしげた。まさかこの地下にあるとは連中も想像できまい。
「アマネセル姫が何者かに誘拐された。……分かるな。私が一番何を聞きたいか、そう、一体、姫をどこへやった? その件だ」
「さぁ、ラーにでも直接聞いてみれば?」
「いや……それはできない。私はどうもお前たちに比べて不信心のようだ。議長のあんな仰々しい演説もまともに聞いてはおれん。これでよくこれまでシャフト保安省の大佐が務まっていると自分でも思う。が、これはここだけの秘密にしてもらいたい、分かるな?」
「分からない。長官に本当の事を言いなさい」
「ダメだな」
「……!」
「本当の事を言っても、果たして本当なのか偽っているのか、その裏に何があるのかとか、とにかくそういう思考が著しく欠如している者には、ウィットに富んだ言葉というのは……分かるな? 諸刃の剣なのだ」
ラムダは急に椅子から立ち上がった。
「平凡な人間ほど官僚組織の中では良く泳げる。それでも、私には何かと好都合だが。ついでにいうと議長もそれほど賢くはない。あまり大げさに、お前たちみたいに恐れるべき相手ではない。他ならぬこの私の感想だが。このめちゃくちゃな国では、愚かな連中であふれかえっている。悪人の世界というのは、もともとこういうものだ。つまり、誰も信じていない者同士が仮に手を組んで、世の中をひっくり返す。しかし、たとえ天下を取ったところで! みんながナンバーワンだ。一枚岩ではありえん! ナンバーワンになりたがるからだ。まとまりがないからな。反乱や分裂、そして破壊で、自滅の確率が高い。だから逆にいうと、私は自在に生きることが出来る。こいつは、すべてが、完璧なお膳立てのように感じる」
ラムダの茶色い瞳に、闇の炎が宿っていた。この男。シャフトの行為が、まさに国家の自殺行為であることに気づいている。
「哀れな連中ね。だったら、あなたが一番哀れだわ」
「しかし、最期に立っているのは一体誰なのか。そいつが問題だ。どいつだ? 議長か長官かアルコンたちか、それとも? 議長は世界を幸せに導くといった。長官は世界を破壊するだけだ。どっちも世界を破壊するだけだ。お前たちもだ。それはな、全てが手のひらの中なのだ。全てが、すべての事象が。お前たちレジスタンスも、議長とて、私とて例外ではない。誤解するな、私ほどシャフトのくだらない慣習に与しない者もいないのだ。だからこそ物事が良く見える」
どういうことなのか、クラリーヌにはさっぱり分かりかねた。一体「誰」の手のひらの中だというのだ。主語は何処にある。この目の前の男か? ラーを信仰していないのか? 少なくとも自分たちの敵であることには変わらない。
「この真っ暗闇の夜のような時代で、お前たちはまるで町を這い回る鼠だな。猟犬である我々は追う羽目になる。お互いの宿命だ。仕方あるまい。それを狩るのはとても面倒でやっかいだが、私は思う。お前は鼠なんかじゃなくて、瑕のある、だが美しい狐だ。お前には心底驚かされたよ。クラリーヌ、あのダンスの涙の意味は何だ? 悲しいのか嬉しいのか、戦闘中に何が嬉しいのか」
クラリーヌは返事をしない。
「答えろ、涙の意味は何だッ!」
ガスンと机が叩かれる。
なぜ、この男はこんなにも苛立っているのだろう。
「あなたのような男に、言って理解できるかしら。あなたのような芸術音痴に」
「それで?」
ラムダは答えを待っている。その顔は真剣だ。
「エクスタシーよ」
「何だと?」
芸術におけるエクスタシー。おそらくその概念は、ラムダには理解できない。
「でも今回保安省は、情熱党の素晴らしさを身をもって体験したでしょう」
「あぁ。……エクスタシーか。面白いな。うん、その答えは気に入った」
ラムダは顔を天井に上げて、自分の芸術音痴を恥じている……ようでもなかった。
「知っているか? 闇に抱かれる優しさを。私は知っているぞ。闇というものは見方を変えれば、どれ程明るいか。それは、光よりもはるかに明るくてやさしい。お前ほどの人間がそれを知らぬというのはな。それを知らん者達は意固地になって抵抗する。闇夜を生き伸びるには賢さを身に着けなければならん。我々の仲間には、賢さを身に着けて生き延びた者たちが居る。俺はお前を殺したくはない」
「お前は闇の子よ。どんなに夜の闇が濃くても、いずれ光の子が夜明けを告げる」
ラムダは笑って手を差し伸べた。
「いやいや、ずっと夜のまんまだよ。どんなに明るく見えてもね」
「いいえ、夜明け前がもっとも闇が濃い。今は夜明け前よ」
「光と闇か。ではそれが分かったところで、私と一緒にダンスを踊ろうか」
クラリーヌは睨みつけている。
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