第12話 ▲ソルジャー・オブ・ラブ

 太陽ピラミッド前で再び攻防戦を展開していたアルコン隊長は窮地に立たされていた。一旦は陽動に成功したものの、ハウザー、ラムダ、イゾラといった保安省の手練アデプトたちを中心として動くシャフト保安省の精鋭部隊は、大神殿の包囲網を突破した。所詮は少数部隊の時間稼ぎに過ぎない。アルコンは大神殿を守るどころか、敵に明け渡して派手な反撃にあい、自分たちの身さえも危うくした。

 やはり、数少ない救出隊に主戦力たるメンバーを裂いたのがいけなかったのか。ライダーが居ればあるいは? いいや、王党派としては何としても姫を救出しなければならないのは確かだ。つまりそれだけ自分たちは、抜き差しならないほど数を減らしていたのである。


 カンディヌスと別れたマリスは、街が静寂を取り戻しつつある事に気付き、ようやくトートアヌムから外へ出てみた。理由の一つは空腹だった。いつもの事だが気がつけば朝から何も食べていない。市街戦は停止し、烏の鳴き声だけが響いている。とりあえず近くのレストランへ入ってみる。そこは避難命令が出ていて無人化していた。自動カウンターで自分で食事を出す。

 コーンブレッドをちぎりスープを口に運びながら、マリスは思い出していた。

 かつてアクロポリスを騒然とさせたウィザード・ハッキング事件。何者かがツーオイ石にハッキングしたのだった。マリスがそのハッキング事件の捜査に乗り出す数日前の事。その日は午後から雨が降っていた。雨は次第に激しさを増した。公園に散歩に来ていたマリス・ヴェスタは、一人東屋に取り残された。そこへ、一人の若い男がやってきた。二人は天気について二言三言言葉を交わした。それからザァザァ降りの雨で沈黙が続き、やがて小ぶりになると彼は走り去っていった。それがどこの誰かは知らない。

 後ろから誰かが入って来た気配を感じ、マリスは身を固くする。大股でまっすぐ近づいてくる相手は、きっと男だ。男は、後ろのテーブル席に着いた。

「マリス・ヴェスタだな」

 低い声にぎょっとして振り向くと、その男はレジスタンスのアルコンだった。マリスはブラスターを構える間もなく、ただただ振り向き姿勢で固まった。やがてマリスはゆっくりとブラスターに手をかけた。

「俺はお前を知っている。……お前はシャフトの保安員」

(しまった)

 アルコン・ペンドラゴン……王党派残党、反乱の張本人。アルコンは仲間と三々五々、アジトへと逃げ帰る途中だったが、その最中、がれきの山となったアクロポリスにマリスを見かけて追いかけたという。

「……あなたは、近衛隊のアルコン隊長。そして今は、レジスタンス・ニーズヘッグを率いる指導者」

「その身なりで保安省メンバーと分かる。おそらくは保安省の末端の構成員。俺はお前をアリーナで目撃した。皇帝が逮捕され、そこで大量の土砂に埋められて処刑された瞬間にな」

 階級章で一発で身分がバレてしまう。

「……」

「マリス・ヴェスタ。私はずっと、お前を探していたぞ」

 もうやるしかない。相手との距離を計り、周囲を素早く確認し、勝てるタイミングがあるかどうか素早く計算する。

 だがアルコンは両手に武器を持っていない事を示し、立ちあがった。

「なぜブラスターを抜かない?」

 マリスにはアルコンの意図が分からなかったが、相手は戦意のある眼をしていない。

「戦うつもりはない。少なくとも今はな。真実を知りたくないか? あの百年前のヴィクトリア津波は、クリスタル発電所の事故が先だった。それはシャフトが引き起こしたという証拠がある」

「そんなの、ばかばかしい陰謀論でしょ!」

 そう言いながら、マリスはトートアヌムで自分が導き出した結論の確証を得たいという気持ちが湧き起こっていた。それを、今レジスタンスは把握しているのだ。

「否定できるのか? マリス・ヴェスタ、お前に。……聴きたい事がある。俺はあの後、シャフト保安省のメンバーを調べたのだ。あの時お前はアリーナに居た。俺はずっと気になっていた。教えてほしい。俺の勘違いでなければ、あの時、お前は皇帝に水を差し上げたな。それは一体なぜだ?」

「……」

 心をガードする術に長けたマリスだが、あのアリーナの一瞬だけは意識ががら空きだった。その姿をどこからかアルコンに見られていたとしたら……。

「心配するな、あの時のお前の行動に気付いたのは俺だけだ。誰にも言うつもりはない。だが、なぜあんな事をしたのかを教えてほしい。シャフト保安省のメンバーともあろう者が、皇帝に情けをかけたとでもいうのか? 普通なら考えられん。もしかして陛下の最期に、感銘を受けたか。陛下は、一体お前に何を言ったのだ。教えてくれ。俺は陛下の最期を知らねばならん!」

 しかしマリスは黙っている。

「お前に聞きたいのはそれだけじゃない。もう一つ、気になる事がある」

 遠くから地響きが聞こえて来る。時間がなかった。

「あの晩アクロポリスに出現したゴールデンキャットガールを、お前も見たはずだ。あれほど騒ぎになったのだからな」

 それもバレたか。一体、何という日だ?

「皇帝処刑の前夜にも、ダンサーは現れた。俺たちの間では、情熱党の生き残りの、一体誰がゴールデンキャットガールなのか議論が続いている」

 ゴールデンキャットガールの正体はシェイプシフトして踊る当のマリス・ヴェスタだ。神出鬼没に出現するのは、誰にも捕まらない自信があったからに他ならない。保安省であろうと何であろうと。そこにマリスはスリルを感じた。実はクーデター前夜の皇帝逮捕の直後にも、マリスはこの危険な遊びを繰り返していた。マリスがあの夜、ほとんど寝ていなかったのは逮捕劇の直後の、誰も知らない活動のせいだ。保安員たちは夜の街を走り回り、血相を変えてゴールデンキャットガールを追いかけてくる。楽しい。マリスはこの危険な遊びが気に入っていた。

 皇帝処刑後も、再びダンスに興じる決意をしたのは、あの処刑の瞬間、最期に視た皇帝の優しいまなざしと、自然体に両手を広げて土砂の中に消えていった姿、その時の安らぎに満ちた表情、それらが、どうしてもマリスの金眼に焼きついて離れなかったせいである。こんな夜はたとえ危険を賭して、自分を忘れて踊りまくり、振り切りたかったことを思い出す。だがそれはいつまでも、いつまでも消えなかった。

 あの瞬間、帝に微笑みかけられたマリスは相当なショックを感じていたらしいと自分で分析した。帝たちはその直後、土砂の中に消えてなくなり、彼の優しさだけがマリスに灯をともし続けた。何もかも忘れて、ひたすらダンスに熱中したかった。いいや、それだけじゃない。保安員でありながら、マリスほど、情熱党に強い憧れを抱いていた者はいない。

 以前からマリスはシェイプシフト能力を生かして街中でこっそりと情熱党ごっこをしてきた。生粋のシャフト保安員のくせに、熱烈なファンであるという自分に自嘲しつつ。しかしマリスはシャフトで出世したかった。上司カンディヌスの役にも立ちたいと思っている。だがその一方で情熱党のファンで自分も唄いたい。それだけの事で、帝の教えには興味が薄かった。ところが昼間皇帝と対面した時、カルチャーショックを感じたのは確かだ。だから皇帝に対する華向けのつもりのダンスだった。そう、マリス・ヴェスタは全く矛盾している。

「彼女の正体を、俺は何となく、お前が知っているんじゃないかと思っているんだが。……嫌なら答えなくていい」

 アルコンはマリスを見下ろしている。無論、アルコンは正しい。

「……皇帝は、その、笑ってた。水を飲ませると、私にありがとうと言った」

「……そうか」

 アルコンは眼をつぶる。いつもの陛下の笑顔を思い出す。

「この世界の真実をお前に教えてやる」

「そんなもの……いらないわよ」

「そうか? 本当に? もしかするとお前はシャフトに嫌気がさしているんじゃないか。だからこそだったんじゃないのか。お前の中には憤りがある。世の中に対するいら立ちが。お前自身も気づいていないのかもしれない。いいか、議長に騙されるな。陛下は悪魔なんぞではない。お前は陛下から、何かを感じたはずだ。ハートでな。その時に、アガペーを感じたんじゃないのか! そして奴の、あんな話はでたらめだ。真実は全く逆なんだ。議長こそが悪魔に魂を売った魔人だ。……シャフトは直ちにヘラスとの戦争を再開したな。一体なぜそんな事をする必要がある? 今やシャフトは自分たちの利益のみに凝り固まった連中に成り下がっている。その証拠じゃないか。お前は本当は、このアトランティスの事をどう思っているんだ。一連のシャフトの反乱を。シクトゥス議長の言った事など、すべて偽りだという事くらい、お前にも分かっているはずだ。マギルドの一員でも、何となく気付いているはず。お前は、ワルキューレのファンだった。だからゴールデンキャットガールになってダンスをした。しかも、革命のあった夜にだ」

「一体何の根拠があってそんな事!」

「理由もなくお前があんな事をする訳がない。……真実を知りたくないのか? もうその時が来た。シャフトのクーデターの真実を知る時が。さぁ、我々と一緒に来い」

 保安省の装甲車隊が近づいている。

「俺はお前がキャットガールである事を確信している。だがそれは黙っておいてやる。だがお前にアジトの場所を教える……。考えておけ。だが、誰にも言うな。いいか、俺はお前を信じるから言うのだ。お前だけだぞ」

「もし私があなたの事を信じなかったら?」

「その時は終わりだろうな。我々も命がけだ。次に会うときは戦う時だろう。……では、ゴールデンキャットガール・マリス・ヴェスタ、アジトで答えを聞こう!」

 爆発音が聞こえ、アルコンは地下アジト・ニヴルヘイムの場所を告げると走り去った。

「罠……か? 本当なのか? ユグドラシルの……地下だったとは?」

 その直後、ラムダ大佐の部隊が現れてたので、マリスは装甲車に乗り込んだ。

 まさかレジスタンスがシャフト本部のユグドラシル地下を占拠しているなどと、誰も予想できなかった。灯台もと暗し。どうりでシャフトは見当違いのところを探していた訳だ。しかしマリスは、ラムダにその事を告げなかった。


 シャフト保安部隊はついにピラミッドの中に侵入した。長銃やブラスターから発せられた凶暴なレーザー光線の雨が、ドルイド教団の元老院たちの身体を貫き、皆殺しにした。彼らには拷問も洗脳も時間の無駄だと、ハウザー長官が即断した結果だった。だが、シャフトに取って予想外の出来事は、まさにその直後に待ち受けていたのである。

 ピラミッドの外壁が突然黒色に変じ、内部の通路のドアというドアが閉鎖された。すでに侵入した者たちは警備システムのレーザー光線でハチの巣にされ、中へは完全に人が入る事ができなくなってしまった。ドルイド僧たちではなく、あろうことかピラミッド自体がシャフトを拒否していた。ピラミッドはドルイド死して後も教団のものであり、自動防衛装置が作動した結果だった。しかもそれをシャフトの誰も予想すらしていなかったという醜態に、ハウザー長官は額の汗をぬぐった。確かにシクトゥスはドルイドを目の敵にし、ハウザーはそれを忠実に実行した。しかしシャフトがドルイド教団を殺したのは、大して思慮もない行為でしかなかった。保安省はレジスタンスとの戦闘の延長で、暴力に酔いしれている。そのような冷笑がシャフト内部からも聞こえて来るようだ。

 ハウザーによって、シャフトの技術職たちがかき集められた。彼らはピラミッドの解析を開始した。だが、時間はノロノロと過ぎゆくばかりで何も回答は出ない。ピラミッドは彼らの張ったタリスマンだらけになったが、次第に彼らはハウザーをイラつかせた。このままでは出兵した艦隊のエネルギーがいつ遮断されるか知れないのだ。ハウザー長官は彼らを怒鳴りつけた。元はといえば長官のミスだ。誰もが「愚か者を船長にしてはならない」というアトランティスの古いことわざを思い出した頃、遅れて部隊を追ってきたマリス・ヴェスタが現れた。マリスは技術職の一員として作業に加わる事を志願した。

「何者だ?」

 ハウザーは怪訝な顔でラムダ大佐に訊いた。

「先の皇帝逮捕で功績のあった者です。マリス・ヴェスタ。カンディヌス配下の技術者です」

「それで出身は?」

 長身のハウザー長官は訝しげにマリスを見下ろして訊く。

「サイト3です」

 マリスは正直に答えた。サイト3のバッテリー地区。

「労働階級だと?」

 アトランティス、特に「最上の都」アクロポリスは完全なピラミッド社会で、その頂点に立つのがサイト1の魔術科学評議会シャフトである。その下がカンディヌスの出身であるサイト2の知識階級、ここまでが官僚機構マギルドである。その下がサイト3の労働階級、という三層構造になっており、城塞都市もちょうど巨大な三重ピラミッドの形状をしている。各階層の間は、運河で仕切られていた。三つの階級のさらに下にはキメラ達が奴隷として存在し、「物」、「機械」と呼ばれている。アクロポリスにおいて、この階級の壁を超える事は容易ではなく、たとえマギルドの一員になり、さらにシャフトのメンバーになったとしても、その中で頭角を現せるのは元々サイト1出身の、生粋のシャフト階級だけである。マリスがシャフト保安省に加入出来たのは、ひとえにカンディヌスのお陰だった。

「今そんな事はどうでもいいはずですな。私的意見ですが、彼女は使えますよ」

 ラムダ・シュナイダー大佐は強く推した。ラムダはハウザーを心中馬鹿にしている。冷徹なハンターゆえの論理的に作戦を考えての事だ。もとはといえば、ハウザーがドルイドを皆殺しにしてしまったので、ピラミッドが思うように開かないのだ。今さらここで拒否することは許さないという強い態度でハウザーに迫っている。

 マリス・ヴェスタは、ハウザー長官の見ている前で、たちまち自動防御システムを解除し、次に「中枢神経の間」へ入るコードを解析した。一同があっけに取られていると、マリスは悠々と部屋へ入った。そこは重心室ともいう。

(初めまして。ツーオイ石)

 マリスはそれを始めてみた。テレパシーで眼前に高くそびえる対象物のエネルギーを探ってみたが、その「心」は閉ざされている。だが、この部屋では逆に何者かに自分を探られているような気がしないでもない。ゴージャスな金髪の少女は、次にツーオイ石のデータコアにアクセスするコードの解析に取りかかった。

「サイト3のバッテリー出身だそうだな。何といった? もう一度名を」

 後から中枢神経の間に入ったハウザーは訊いた。

「マリス・ヴェスタです。カンディヌス様の部下です」

「ゲートを開けるとはな。大した才能だ。サイト1の出身ならとっくにアデプトの身分だろう。だがサイト3ではそれも望めまい。惜しい才能だな。……よろしい、ここはお前に任せてみよう」

 ハウザーにとって、ここに誰も期待していなかった天才科学者がいた。シャフト保安省きっての天才魔術科学者は、まだトートアヌム大学院に属する、労働階級出身のマギルドの一員、若干十九歳の少女だった。むろん、たとえマリスが無事ツーオイ石を解析したとしても、手柄はすべてハウザーらのものだろう。

「これは一体……」

 マリスはツーオイ石を操作するコードの解析に成功した。それは街全体を掌握するシステムに手を加えることを可能にするだろう。しかし、それはツーオイ石の門を開けたに過ぎない。いわば入門編だ。その先のデータコアにたどり着くまでには幾重もの門がそびえ、それぞれの門のコードを解析しない限り、さらなる奥へと進む事は許されないのだ。


 石の離宮から無事姫を救出したというオージンの連絡を受けたアルコンは決断を迫られた。

「まずは一安心だ。よくやったぞオージン。……だがニヴルヘイムには絶対戻ってくるな。アクロポリスは危険だ。姫をどこか郊外の安全なところへ移してくれ。そうだなぁ、できるだけシャフトの眼の届かぬところがいい。我々も直ちにアクロポリスを脱出する」

 アルコンは携帯連絡用クリスタルで返事をすると、一瞬沈黙した。通話はクリスタルで人間同士のヴリルを増幅して行う。それでアルコンのようにテレパシー能力の弱い普通の人間でもテレパシー通信が可能になるのだった。部下達が驚いて一斉にアルコンを見る。もはや敵にニヴルヘイムを見つけられるのは時間の問題だ。保安省の注意がピラミッドに向いている今でなければ、救出は不可能になってしまう。さらにシャフトにピラミッドを手中に納められれば、その時も街を脱出する事を困難にする。

「やむをえん、ここを捨てるぞ!」

 アルコンは周囲を見てそれを口にした。

「で、どこへ行くつもりなのよ?」

 怪訝な顔つきのヱメラリーダが訊いた。それも問題だが、さらに問題なのはアクロポリスをどうやって脱出するかである。

 さっきから、アクロポリスにさまざまな「現象」が起こり始めていた。オーロラ、竜巻、奇妙な形の雲。それらは、シャフトがツーオイのゲートを空けてしまった証なのかもしれない。

「私が新しいアジトを提供しましょう」

 電話の向こうでオージンが応える。

「ありがたい。で、どこか心当たりがあるんだな?」

「お任せ下さい。第一運河の合流地点に、潜水艇サーペント号を差し向けます」

「よし。今は場所は言うな。それで直接行ける場所なんだな?」

「はい。くれぐれもニヴルヘイムから『ヱクスカリバー』とクリスタル・ヱオスフォル石(曙光石)をお忘れなきように。確認しますが、合流地点の場所はお分かりですな?」

「あぁ、了解だ。我々はヱクスカリバーを持ってネクロポリスからそちらへ合流する。ここを発見されても、ヱクスカリバーとヱオスフォル石だけは決して奪われてはならないからな。もうこれ以上の通信は危険だ。以後、連絡は取らない。オージン、姫の救出に感謝する」

 テレパシー通信は、敵のシャフト・アデプトに傍受される危険性があった。

「了解です。隊長殿、健闘を祈る」

 大モニターが知らせたアクロポリスの異変に、メンバーの眼は釘付けになった。アルコン達はニヴルヘイムから街中の監視カメラをジャックしていた。だがそこに映し出されたのは、あちこちの路地のアラベクス模様が動き出し、逃げ回るレジスタンス達や賛同した市民達が足を取られていく映像だった。恐るべきことだが路上を埋めるアラベスク模様は、確実に反シャフト政権の市民を峻別していた。つまりアクロポリス全体がレジスタンスの敵となった事を意味していた。レジスタンスは路上で全く身動きを奪われたばかりか、ぽっかりと空いたマンホールの黒い穴の中へと、どんどん吸い込まれていく。

「しまった戒厳令だ! ネクロポリスの通路を乗っ取られたぞ」

 太陽ピラミッドを映し出すと、ピラミッド上部に巨大な眼のシンボルが浮かび上がっている。街を監視するツーオイの眼。そのツーオイ石が「久しき昔」を流している。後の世に「蛍の光」として知られる曲。それは、アラベスク活動と称されるシャフト保安省の戒厳令である。町全体を覆った結界であり、戒厳令のための魔術テクノロジーである。つまりは、アクロポリス全体に魔方陣が敷かれたのである。その間、市民は巻き添えを食うので外出を禁じられている。部外者や反政府主義者をかくまう事は許されない。外をうろついているのは、レジスタンスだけという事だ。もちろん、シャフト保安省の者たちだけは自由に動ける。

 街中の道路に敷かれたアラベスク、つまりタイル模様が動き出し、逃げる者をマンホールの中へと次々呑みこんでゆく。マンホールとは、文字通り「人が入る為の穴」である。アクロポリス城市内の乗り物、建築物など、あらゆるシステムの中に存在するクリスタルは、ツーオイ石と直結している。そしてその都市の中枢たるツーオイ石がシステム的に戒厳令を敷いたのである。

 マンホールの中に吸い込まれたレジスタンスは、都市中の地下に張り巡らされたパイプ通路にあるレーザー誘導システムによって、保安省の中枢へと送られ、順次逮捕されてゆく運命だった。つまりネクロポリスはシャフトの手に落ちた。むろんシャフトの戒厳令が通用するのは、ネクロポリスの迷宮の一部で、その中のレジスタンスが掌握している領域の全てではない。だが、このニヴルヘイムは別としても、もはや地下世界はレジスタンスの自由ではなかった。

 戒厳令魔方陣が敷かれたという事は、シクトゥスは遂にアクロポリスを動かすツーオイ石を完全に掌握したという事を意味した。こうなるともはや都市全体が敵であり、脱出は絶望的である。

 街中のクリスタルカメラはどこを切り替えてもアラベスクが動いていた。ニヴルヘイム内に取り残されたアルコン達は、外のレジスタンスがマンホールに吸い込まれていく惨状を、モニターで黙って目撃するより他はなかった。

 逮捕された者は拷問や洗脳を受け、早晩ニヴルヘイムの存在をしゃべるだろう。ツーオイ石は今や「恐怖の水晶体」として復活した。それは尋問という名の脅迫の為に使用される。外に遺されたメンバーは壊滅だった。もはや王党派を名乗る残党勢力はアジトに残された者のみ、極わずかだ。

「これで脱出は不可能となった」

 ネクロポリスの地下通路を絶たれ、地上はたとえ徒歩であろうと、ロードマスターであろうと、稼働するアラベスクの結界の中で自由に移動する事は不可能だ。もし飛行機で空から脱出しようとすれば、発電機でもある六つの小ピラミッドから放たれた各色のレーザー光によって、即座に確実に撃ち落とされる。アクロポリスの制空権もまたネクロポリス及び路上と共に、完全にシャフトの支配下にあるのだ。


 やけに部屋が暗い。誰もいない冷たくじとっとした部屋の隅に「何か」がこっちを見ている。黒マントを翻し、そいつは人差し指をこちらに向け、ゆっくりと歩いてきた。目が光っていた。

「ぬわっ!」

 仮眠を取っていたヱメラリーダが飛び起きた。全身汗をかいている。まだ夢の中のおぞましい感覚が残って、鳥肌が立っている。夢の中で仮面をつけた黒衣の議長がヱメラリーダを監視していたのだ。妙にリアルで禍々しい。……これはきっと奴らの超心理的攻撃だ。

 外を映すモニターを見ると黒い霧がユグドラシル上空を覆い、ゆっくりと通過していった。あたかも夢が続いているような感覚に襲われる。

「反応するな! 奴らがまだ気付いていない証拠だ。ツーオイを制した彼らはそのネットワークを使って、民衆を監視している。そうしてレジスタンスを探っているのだ。だが、連中がそうしなければいけない以上、まだ俺達には気づいていない」

 アルコンの言葉は、まるで気休めにしかヱメラリーダ達には聞こえていない。


 マリス・ヴェスタは、街の様子をモニターでじっと観察していた。

 実はこの時ツーオイ石をコントロール下に置き、戒厳令を敷いたにも関わらず、シャフト内では収拾のつかない混乱が続いている。なんと反乱分子たちがアマネセル姫をさらったという情報が入った為だ。敵が一体どれくらいの勢力なのか、シャフトはますます分からなくなった。ほとんどの勢力がアクロポリスに居るはずだと考えていたハウザー長官は、全てを白紙に戻し、考え込むしかなかった。戒厳令を敷いて一網打尽にできると思ったのに、どうやらそれは長官のぬか喜びだったらしい。やむなくハウザー指揮する保安省は、石の離宮へと兵力を差し向け、姫と共に逃げた彼らの追跡を開始した。

 しかしシャフトの不安はそれだけで収まらない。今度は地震の襲来である。水晶炉がシャフトの手に渡った直後より、首都アクロポリスに地震が頻繁して発生した。しかも地震は、アトランティス各地で起こっていた。

「カンディヌス!」

 マリスの元に戻って来た彼は深手を負っていた。ラビュリントスでミノタウロスを操作した際、それと感応していたために、カンディヌスはもろにライダーの拳を食らったと同じ衝撃を受けていた。

「今さら追ったって無駄さ! ともかく姫は奪われた。もう、連中は石の離宮の近くには居ない。敵は我々よりも先を読み、はるか遠くへと移動している。シャフトは簡単に壊滅できると思っていたらしいが、バカな! 愚かしい保安省のクソなど預かり知らぬ場所へと消えたさ。そしてやつらはもう、アクロポリスには戻らない……」

 離宮から戻って来たカンディヌスは、トートアヌムで再会したマリス・ヴェスタに皮肉たっぷりに言った。カンディヌスは離宮を襲撃したレジスタンスと格闘したらしい。そしてカンディヌスはカラスに変じて命からがらラビュリントスを脱出した。彼らは幸いにして姫の救出で手いっぱいで、カンディヌスを追って来なかった。マリスは早急に「若返りの泉」へ連れて行った。アクロポリスにヒーリング温泉が多いのは、地下のマグマだけでなく、アクロポリスがガイアの惑星グリッドの交差上に位置しているためでもある。

 ラジオニクス系のヒーリング装置にカンディヌスをかけ、自身もヴリルを増幅して彼に照射した。それは、金とプラチナの両方のエネルギーをクリスタルで増幅する装置で、両金属の陰陽作用によって、身体のバランスを取り戻す。すると自然と治癒力が高まるのである。同時に、この国でポピュラーなハーブ治療であるフィーバーフューを処方する。炎症を抑え、痛みを癒す効果があるハーブである。

「俺は正直甘かった。オージン達を倒せると思って無謀な事をした。本当に馬鹿だった」

 姫がそこにいることさえも知らなかったマリスは、敗退したとはいえ、シャフトの中で誰よりも先手を打ち、そして誰もできなかった事をしたカンディヌスに感心した。

「ところでマリス、ツーオイのゲートを開けたそうじゃないか?」

 そのお陰で街に戒厳令魔方陣が敷かれ、カンディヌスはそこを通って来た。

「はい」

「よくやったぞ」

 カンディヌスだけは見てくれている。マリスはツーオイのゲートを開けた手柄をラムダやハウザーに取られ、彼らはシクトゥスに自分の事を報告した気配はない。マリスはもう半ばシャフトに幻滅していた。しょせん彼らは、マリスの手柄を自分たちのものとするだけなのだ。もう信用できるのはカンディヌスしかいない。

 マリスの方もカンディヌスに報告する事があった。

「まだ完全な掌握という訳では。でもツーオイ石の戒厳令で、奴らのアジトを見つけました。これで反乱軍ニーズヘッグも終わりです。今ならヤツらの首謀者どもを一網打尽に出来る……今すぐ、部隊の出動要請を」

 マリスはアルコンに会ってアジトを教えられた事を黙っていた。

「ほぅ?」

 シャフトは、アラベスク魔方陣の戒厳令で逮捕した者たちの口を割らせようと必死だった。その為にツーオイ石のエネルギーが拷問の手段に使用された。だが、結局は時間の無駄だった。レジスタンスは誰もがその精神力に洗脳など通用しなかったし、かつ硬い団結力で結ばれており、それゆえ自決を選ぶ者が多かったからだ。その様子をマリスは冷ややかに見つめていたが、自分がニヴルヘイムの場所を特定した事は誰にも言わなかった。マリスはオージン卿がスパイだと知って以来、保安省の誰も信用できなくなっていた。マリスはいつも思う。シャフトの……特にハウザー長官の大雑把で、暴力しか頭にないやり方で、奴らに勝てる訳がないと。自分たちの中には、まだまだスパイがいる。その可能性にも気付かないハウザーなど信用できるはずがない。一体どこから情報が漏れているのか分からない。それに加えて、行き当たりばったりの保安省のやり方に不信感を抱いている。確実に信用できるのは上司のカンディヌスだけだ。離宮をレジスタンスが襲撃する事を察知した程の男だ。だから、カンディヌスがどこかへ行って、戻ってくるのをずっと待っていた。

「他の者たちには?」

「……いいえまだ何も」

「よし。それでいい。引き続き、これは我々二人だけの秘密にしよう」

 意外な事にその事実を、カンディヌスは上層部へ報告する気はないと言った。しかも彼の隊員達にも言わないらしい。マリスは驚きつつも、さすがだと思った。カンディヌスには何か「策」があるのだ。

「なぜです?」

 離宮でレジスタンスと対峙し、その様子を把握したカンディヌスは、ことさら慎重になっているようにもマリスには見えるが。

「内通者はオージン卿だけだと思うか? いいや、オージンやアルコン達だけではない。一体雲のように現れる彼らは、どれくらいの勢力なのか。シャフト内で、一体誰が信用できる? まだ分からない事が多いだろう。オージン卿が敵の勢力なら、少なくともアクロポリスのアジト以外にも拠点がある事は確実だ。ピラミッド周辺の守りをかためつつ、同時に石の離宮にまで襲撃してきた彼らは、きっと相当な勢力に違いない。一体どれだけの勢力が、連中の一味なのか。まだ我々には分からないが……長官にそれを伝えれば、また太陽神殿と同じ結果の繰り返しさ。アルコンを逮捕して尋問する前に皆殺しだ。ま、尋問した所で連中は口を割らない。だからすぐ殺す。で、結局逃げた姫は行方知れずとなる。ハウザー長官は単細胞だからな」

「確かに……そうなるでしょうね」

 カンディヌスが自分と同じ結論に立っているのが、マリスはうれしかった。

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