ウティマとサクヤは中庭に置かれた白いテーブルについて、向かいあって座っていた。

 テーブルの上には、室寺たちに振るまったのと同じティーセットが置かれている。二人の前に置かれたカップからは、ちょっとした芸術作品みたいに白い湯気が昇っていた。

「どうした、飲まぬのか?」

 とウティマは、自身は優雅に一口含みつつサクヤに勧めた。

「…………」

 サクヤがそれを飲まないのは、その紅茶が魔女の作った煎じ薬みたいに怪しいからでも、鼻の曲がるようなひどい臭いがするからでもなかった。逆にそれは、彼女のよく知った色や香りをしている。

 一口飲んでみると、やはりそうだった。サクヤは黙って、カップをテーブルに戻している。

「どうやら、口にあわなんだと見えるの」

 ウティマは意外ではなさそうに、そんなことを言った。

「……ちょっと悪趣味ってものじゃないかしら?」

 ごく温度の低い怒りを滲ませつつ、サクヤは言った。

「秋原が作ったのと、同じものを出すなんて」

 言われて、ウティマは少しだけ苦笑めいたものを浮かべる。

「これはすまなんだの。別に他意あってしたことではないのじゃ。お主の心が少しはほぐれるかと思っての」

 サクヤは無理に感情を隠そうとするみたいに、顔を横に向けた。それを見て、ウティマは軽くため息をついて、くるりと指をまわす。サクヤの前にあった紅茶は、従順な仕立て屋が衣装直しでもするかのように、その色と香りを変化させた。

「……あんたがこんなふうに何でもできるなら」

 サクヤは紅茶を一口飲んで、味が変わっていることを確認してから言う。

「希槻さまや秋原や――みんなを元に戻すことだってできるんじゃないの?」

 その問いかけに、ウティマは肩をすくめるだけだった。トランプで、カードを一枚ごまかせとでも強要されたみたいに。

「我の役目は、世界を善導することでも、幸福にすることでもない。何しろ我、即ち世界は、そんなふうにはできておらんからの。我の役目はただ、眺め、そこに積まれた賭け金をできるだけ公平に、均等にならすことなのじゃ。だから我の役目には、お主が望むようにあのニニという童を蘇らせてやる、などといったことは含まれてはおらぬ」

 概ね想像通りのことを言われたので、サクヤは特に憤慨も失望もしなかった。そもそも、こんなことは聞いてみただけなのだ。はじめから期待などしていない――

 ウティマはそんなサクヤには何も言わず、彼女が自分に会いにきた目的について話を移した。

「お主は我に、何か頼みごとがあるそうじゃの」

 訊かれて、サクヤは真剣な顔つきをする。野生の獣が草原の異変に意識を集中するみたいに。

「あんたはそれが何なのか、わかってるんじゃないの?」

 と、サクヤは言った。

 ウティマはちょっと間を置くように、紅茶に口をつける。「――まあの」

「なら、さっさと言わせてもらうけど」サクヤは目だけでにらむようにして言った。「あたしも向こう側に行けるようにして欲しい」

 その要求に、ウティマはすぐには返事をせず、時計のネジでも巻くように沈黙した。それから、ようやく針が動きだすみたいにして言う。

「――誰にも、牧葉清織に勝つことはできんのじゃぞ。物語の登場人物が、決して作者には逆らえんようにの。あの世界では、あやつが唯一の王なのじゃから」

「だから、どうしたっていうの?」

 サクヤは間髪いれずに答えた。

「あたしの望みは、もうそれしかないのよ。それができるかどうかなんて、まるっきり関係がない。選択肢なんてものは、はなから存在しない」

 ウティマは黙って、サクヤの瞳を見つめる。

 その場所に宿った光は、長い時間をかけて作られた結晶みたいに均質だった。誰にもそれを傷つけたり、組み変えたりすることはできない。

 けれどそのセリフは、誰かが口にしたのとよく似たものだった。彼女が心底憎みきっている、ある男が発したのと。あるいはこれは、一種の皮肉なのだろうか――

「お主の歳はいくつだったかの?」

 ウティマは突然、そんな質問をした。

「それは、あたしがという意味?」

 やや戸惑いながら、サクヤは訊きかえす。

「そうじゃ」

「――十四よ」

 〝人造魔法〟によって造られたホムンクルスは、誕生して十日ほどで成長を完了し、その外見は十二歳前後の子供のものに定まる。以降、原則としてその姿が変化することはない。ウティマとサクヤの外見上の年齢が似ているのは、あるいはそうした魔法に共通の特性なのかもしれなかった。

「ふむ――」

 通常の人間とは異なるのだから例外とすべきだったかもしれないが、十四歳という年齢に違いはない。つまりは、彼女も完全な魔法の持ち主なのだ。

「まあ、よかろう」

 と、ウティマは紅茶に砂糖を足すほどのそっけない口調で言った。

「お主にも世界の行く末を決める資格があるようじゃからの」

「……本当に?」

 サクヤははじめに紅茶を出されたときのような、警戒した表情をする。

「嘘ではない、疑念を持つ必要はないぞ」

 それを聞いて、サクヤは自然と目を輝かせていた。何かの都合で、星の光がいつもより明るくなるみたいに。

「――どうも、お主はホムンクルスらしくないようじゃの」

 と、ウティマはやや呆れるように言った。本来なら、その魔法によって造られるのは機械人形にも似た、役目に忠実なだけの心を持たない存在でしかない。喜んだり、悲しんだりといった感情は、その職掌には含まれていないはずだった。

 けれどサクヤは、至極当然のことのように答えている。

「どっかのお人好しが、あたしをそんなふうにしたのよ」

 その言葉が彼に聞かれる心配はなかったので、彼女は何かをためらう必要もなくそう言っていた。

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