早朝、まだ太陽もうまく目覚めきっていないような時刻のことである。

 天橋市立総合運動公園には、何台もの大型トレーラーがやって来ていた。それぞれコンテナを引いたトレーラーは、騒々しいエンジン音で静寂を追いはらった。朝の空気はまだ眠りたりないかのように、どこか別の場所へと散っていく。

 大型トレーラーは白い排気を吐きだしながら、公園の各所へと移動していった。そのうちの何台かは、中央競技場へと集まってくる。どうやらそこが一番、搬入物の多い場所のようだった。

 この総合運動公園はかなりの敷地面積があって、各種施設も充実していた。数年前の国際大会を機に建設されたもので、各種体育館、多目的競技場、テニスコートや野球場、武道館などが整備されていた。

 各施設のあいだは自動車での移動も想定されているので、トレーラーでの進入も可能だった。

 中央競技場に集まったトレーラーの一台から、男が二人降りてくる。運送会社のものらしい制服を着ていた。二人は空気の冷たさに驚いたように、小さく体を震わせる。何しろ太陽もまだ起きたばかりで、本調子とはいえない。

「寒いな」と、年配のほうが言った。

「ええ、かなり冷えますね」もう一人の比較的若いほうが答える。

 年配のほうはほかのトレーラーに向かって合図を送った。彼が今回の仕事の責任者だったのである。「早めに体を動かして温まるとしよう――」

 二人はコンテナの後ろにまわると、ストッパーを外した。かすかに不服そうな軋みを立てて、扉は開いていく。

 コンテナには暗闇といっしょに、大量の人形が積載されていた。ほとんど詰めこめるだけ詰めこんだ、という状態である。人形といってもマネキンのようなそれではなく、もっとデフォルメされた形のものだった。その人形がいくつもの箱に小分けにされる格好で、コンテナの床を埋めていた。

「いったい何なんですかね、これ?」

 若いほうが確認のために箱の中をのぞきながら言った。

 人形はどれも同じ形で、白い流線型のパーツでできあがっている。まるで漂白された鯨の骨でも詰めこんだような有様だった。

「さあな」

 スケジュール表を確認しながら、年配のほうは興味もなさそうに言う。

「こいつを公園内の各所に配置しろっていうんですよね?」

「ああ、そういう依頼だ」

「こんなでかい公園を貸しきって、何のためにそんなことするんですか? 何かのアートパフォーマンスってやつですかね」

「詳しい説明は聞いていない。おじさんには芸術のことなんてわからんしな」

「発注元はスパロー企画、でしたよね。スパローってどういう意味でしたっけ?」

「〝雀〟のことだ。志の低い社名だな」

 年配のほうはスケジュール表をたたんで、周囲の状況を確認した。いっしょに運んできたフォークリフトが地上に降ろされている。もう作業にかかるべきときだった。

「そろそろ搬入に移るぞ。あとで運搬の人員も来て、まだ仕事があるんだからな。ちんたらやってると、時間に遅れる」

「了解です」

 若いほうは言って、箱の持ちだしにかかった。


 ――そんな様子を、少し離れた場所から眺めている二人組がいた。

 一人は髪を念入りに染めた、いかにも今風の若者である。音楽活動でもやっていそうなしゃれた格好をして、野性味には乏しい見ためをしている。もしも久良野奈津がこの場にいれば、それが烏堂有也という名前の人物だと気づいただろう。

 その烏堂の隣にいる人物は、前髪を横になでつけた、ちょっときざったらしい感じのする男だった。オリーブ色の眼鏡をかけて、やや吊り目になった目元をしている。いかにも怜悧そうな雰囲気だが、何となく頭のよさが徒になるタイプにも見えた。歳は烏堂よりも五つか六つ上といったところ。

 二人とも、結社の協力者という立場にいる魔法使いだった。彼らは必ずしも、完全世界を求めているわけではない。協力者は主に、金銭的か個人的な理由によって結社と関係していた。

「鷺谷さん」

 と、烏堂は声をかけた。鷺谷聡さぎたにさとし、というのが彼の名前である。

「どうも、眠くないですかね」

 今にもあくびをしそうな顔で、烏堂は言った。

「ええ、そうですね」

 鷺谷はしかし、澄ました顔で答えた。烏堂と同じくこの男とて寝不足のはずなのだが、決してそれを表に出そうとはしない。自分の弱みは絶対に人に見られたくない、という種類の人間なのだ。

 烏堂は鷺谷のそういうところを、わりと好意的に解釈していた。石に漱ぎ流れに枕する人間なのだろう、と。それに鷺谷聡は烏堂にとって師匠のような立場にある人物でもあった。魔法に関するイロハは、この男から学んでいる。

「結局、徹夜の作業だったから、僕はもうしんどくて死にそうですよ」

「私は慣れてますからね」鷺谷は言いながら、さりげなく目をしょぼつかせている。「仕事ではよくあることです。それに私たちの業務はこれでほとんど終わりですから」

「まあそうですけどね」

 言いながら、烏堂は大きくあくびをした。

「……それより、雨賀さんはどうしたんですか? あの人も来ると思っていたんですが」

 鷺谷は変に難しい顔をして言った。あくびがうつりそうだったのかもしれない。

「雨賀さんは出張中です。何でも、委員会への陽動で別の場所で仕事をしていたとか。壁が出現したときには、間にあわなかったそうです。同じ場所をぐるぐるまわってたわけじゃないとは思いますが」

 言って、烏堂は少し笑った。雨賀秀平の魔法なら、そういうこともありえないことではない。

「――まったく、わりにあわない仕事です」

 鷺谷はふと、ロウソクの火も消えないくらいのため息をついた。気どっていて愚痴っぽいというのが、この男の愛嬌である。

「会社の実質的な持ち主だからといって、こんなのは横暴というものでしょう。いくら特別報酬が支給されるからといっても、本来の仕事とはかけ離れすぎています」

 だがいくら不満を口にしたところで、この人は結局はそれに従うのだろうな、と烏堂は思う。

「まあいいんじゃないですか? どっちにしろここから先、僕たちが手だしするようなこともないわけですし」

「ええ、あとはあの子供たちの領分ですからね」

 何だかんだ言いつつも、鷺谷には屈託というほどのものはない。

 二人が無駄口をきいているうちにも、搬入作業は継続中だった。フォークリフトが、何段にも積みかさねた箱を競技場内へと運んでいく。その後に到着したライトバンからは、作業を手伝う人員がぞろぞろと現場へ向かっていた。

 作業主任である年配の男は、鷺谷の姿を見かけて報告に来た。発注元であるスパロー企画の責任者は、その社員である鷺谷ということになっている。

「公園の各所に依頼物を運んで適当に放置する、とのことでしたね。中央競技場が特に数も多くなっていますが、配置指示のようなものはなしということで構わないので?」

「ええ、その通りです」

 鷺谷は簡潔に返答する。

「しかし、片づけのことも考えるとなかなか大変ですよ。本当によろしいので?」

 男は親切心から言っているようだった。が、鷺谷はこともなげに返事をする。

「心配はいりません。

 その言葉に、年配の男は小首を傾げるような仕草をした。何かの比喩なのか、それともそういうパフォーマンス的な何かなのか。だが結局、男はそれ以上の質問はしなかった。何といっても、彼には芸術のことなどよくわからないのだから。



 同時刻――

 総合運動公園からかなり離れたビルの屋上に、千ヶ崎朝美はいた。彼女はその場所で、双眼鏡をのぞきこんでいた。レンズの先にあるのは、もちろん運動公園である。

 それは何の変哲もない市販の双眼鏡だったが、例によって朝美の魔法で性能を上書きされていた。距離はあったが、公園内の様子は手にとるようにわかる。それでも、木や建物といった遮蔽物まではどうすることもできなかったが。

 公園内では大型トレーラーを使って、何かの搬入作業が行われているところだった。とはいえ、その正体までは判別できない。朝美にわかったのは、箱に詰めこまれた何か白い塊と、それが恐ろしく大量にあるらしい、ということだけだった。

(サンタさんのプレゼントとしては、あまり気が利いているとはいえないみたいだけど……)

 と、朝美はそんなことを考えてみる。

 双眼鏡の先を移動させる途中、朝美はふと手をとめた。競技場のあいだをつなぐ道のところに、見覚えのある人影を発見したのである。

 朝美は慎重に双眼鏡を操作して、その二つの人影を確認した。やはり、間違いない。思ったとおりの二人組だった。

(とすれば――)

 携帯端末を取りだして、朝美は室寺に連絡を入れる。行動を起こすには、こちらとしても絶好の機会だった。

 ――罠を張るのは、何も猟師だけと決まったわけではない。

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