それから、数時間後のことである。

 すでに深夜をまわり、ほとんどの人間は眠りについている。立体駐車場にはまだ明かりが残っていたが、それもやがては消えるだろう。どんなものにも、休息は必要だった。

 駐車場の三階部分には、二人の男がいた。

 あまり、柄のよくなさそうな二人組である。一人はコートに安物のスーツを着た、目つきだけがやけに鋭い小太りの中年男だった。もう一人はパーカーに派手な金髪をした、いかにも軽薄そうな若者である。

 二人のあいだには、死体が一つ転がっていた。

 それはもちろん、千條静のものだった。心臓は完全に停止している。体は死後硬直によって冷たく固まり、皮膚は間違った服でも着せられたみたいに白く変色していた。とはいえ、外傷も血の跡もないため、あまり死体らしい感じはしない。

 もう四月とはいえ、夜になればそれなりに冷えこんだ。月の光は世界を温めてはくれない。じっとしていると、今にも息が白く凍りつきそうだった。

「……で、こいつはいったい何をしたんすか?」

 金髪のほうが、しきりに体を揺すりながら訊いた。寒いせいもあったが、本物の死体を前にして緊張しているせいもある。

「さあな」

 小太りのほうは、それに比べるとひどく落ちついていた。場馴れしている、という感じでもあった。

「売り上げ金でもくすねたんすかね?」

「いいや、こいつは俺たちなんかとはまるっきり違った理由によるらしいぞ」

 金髪の質問に、小太りはかすかに含み笑いをして答えた。

「違う理由って、何すか?」

らしい」

 言われて、金髪はきょとんとした顔をする。ひどく間の抜けた表情だった。

「何かの冗談すか、それ?」

「いいや、百パーセントまじらしい。詳しいことは俺も知らんがな。まあ、俺たちみたいな下っ端にゃわからん話だし、知る必要もないってことだろう――」

 その二人組は、ある非合法組織の末端としてここにやって来ていた。単純な使い走りで、詳細などについては知らされていない。ただ小太りのほうは、この仕事が内容ほど疎かなものではないことは察していた。上のほうの幹部と何らかのつながりのある人物からの依頼で、そいつは「コウジョウ」という名前らしかった。わかるのはそれだけで、あとは男か女かも判然とはしなかったが。

 それからしばらくして、スロープをのぼって車が一台やって来ていた。特にどうということのない白いワゴン車だったが、もちろん遊びに来たわけではない。

 男たちに与えられた仕事は、死体の見張りとその処理だった。処理といっても、コンクリートで固めて海に沈める、といったことではない。それはこれから、ワゴン車に積んできたものによって行われる予定だった。

 二人の前でワゴン車が停まると、中から男が一人降りている。二人と同じ組織に属する人間で、陰気そうな雰囲気に能面のような顔つきをしていた。男は指定された場所まである物を受けとりに行き、それからここまでやって来たのである。ひどく手間のかかる話だった。

「……例のものはもらってきたのか?」

 小太りが訊くと、能面は黙ってうなずいている。

「ええ、後ろに積んであります」

 後部ハッチを開くと、そこには倒したシートの上に細長い箱のようなものが置かれていた。何か複雑な装飾が施され、表面には漆塗りのような艶があった。その黒さは、夜の一番深いところからすくいとってきたようでもある。

 それは一般的には、棺桶と呼ばれる形状をしていた。

 〝消失魔法バニッシュメント〟の魔術具――

 それがそういうものであることを、むろん三人の誰もが知らない。知っていたとしても、理解することなどできなかっただろう。すでに魔法はかけられていたため、この場に魔法使いがいる必要はなかった。

「――で、こいつをどうするんすか?」

 三人がかりでその箱を地面に降ろすと、金髪がいかにも頭の鈍そうな訊きかたをした。

「死体を放りこめって話だ」と、小太りが答える。

「そりゃ棺桶ですからね」

「ところがそいつに死体を入れると、体だけ消えてなくなっちまうらしい」

「……まじすか」

 金髪は初めて見る昆虫でも目にしたみたいに、気味悪そうな顔で棺桶をのぞきこんでいる。

「ともかく、俺たちは指図通りに仕事をするだけだ――ところで、お前煙草持ってないか?」

 小太りは能面のほうを向いて言った。

「ありますが、車の中ですね」

「悪いが、取ってきてくれるか。ちょうど切らしちまってな」

 能面は文句も言わず、運転席へ戻っていった。そのあいだ、残った二人は死体と棺桶を見比べている。小太りが何か冗談を口にしようとした、その時――

 突如、轟音が鳴り響いた。

 ほんの数メートル先に落雷が直撃したかのような破砕音である。空気を無理やり引き裂き、空間に風穴を開ける、そんな音の衝撃だった。

 二人の心臓は幸いにして停止することはなかったが、もちろん同じくらいに驚いている。二人とももぐら叩きでもするみたいにすばやく、後ろを振り向いた。

 そこには、一人の男が立っている。

 ひどく、体格のよい男だった。身長は一メートル九十ほどもあるだろうか。ひきしまった体つきをしていたが、鈍重そうな感じは少しもない。そのたたずまいには、古代のギリシャ彫刻を思わせる力感があった。癖のある縮れた髪をして、顎髭を生やしている。全体としては、巨岩を割って根を張った樹木のようでもあった。

 やや奇抜なトレンチコートに、真紅のレザーグローブ、それにワークブーツに似た靴をはいている。一見すると正体不明の人間だったが、それが妙に似あっているようでもある。

 だが、異常なのは男の目の前にある光景だった。

 そこにはフロントが大きく陥没し、フレームそのものも無残にひしゃげてしまったワゴン車の姿があった。まるで、一つ眼の巨人にでも踏みつぶされたような格好である。もはやドアなど開きそうもなかったが、そもそも運転席の男は茫然自失でしばらくは動けそうもない。

 その異様な光景を作りだしたのが、目の前の男なのは間違いない。

 が、それに類するどんな破壊兵器も、男が持っている気配はなかった。というより、こんな状況をどうやれば引き起こせるというのか。

「――誰だ、てめえは?」

 混乱の中でもっとも早く我に返ったのは、小太りの男だった。とはいえ、歯車の狂った時計みたいに、声がうわずってしまうのはどうしようもない。

「お前らが、俺の名前を知る必要なんぞあると思うか?」

 男は嘲笑うように告げた。

(くそっ――)

 舌打ちしながら、小太りの男は胸元から拳銃を引き抜いた。こんな話は聞いていない。よくわからない話だとは思ったが、まさかここまでとは。

 銃を向けられても、男に動揺する気配はない。むしろ、呆れたような表情を浮かべている。

 ――おやおや。

 とでも、言うように。

「おい、動くんじゃねえぞ。俺は脅しでやってるんじゃない。お前が何者か知らんが、舐めた真似しやがると、ぶっ放すぞ!」

 小太りは恫喝した。が、

「やってみろ」

「……何?」

「やってみろ、そうすりゃわかる」

 男は、不遜としか言いようのない顔をしている。

「この――」

 恐怖や不審よりも、かっと来るほうが先だった。小太りは引き鉄を引いた。派手な炸裂音を響かせて、弾丸が発射される。小太りには自信があった。弾は間違いなく男に命中する。次の瞬間には、男は地面に倒れてうめき声をあげているだろう。

 弾丸は確かに、命中した。

 だが――

 小太りはもう一度、信じられないものを目にした。

 高速度で射出された鉄の塊は、男の体に衝突すると甲高い音を立て、衝撃のほとんどを吸収して地面に落ちた。まるでパチンコ玉か、何かみたいに。

「どうだ、わかっただろう。そんなことをしてもだってな」

 男は不敵に笑う。

 続く小太りの判断は、早かった。この男は闇雲に銃を撃ちながら、急いで逃げようとした。もはやこれは、彼の手に負える話ではない。

 けれど男の反応は、それよりなお早かった。

 ボクシングでいう追い足とか、そういう次元の問題ではない。まるでカードゲームで一つ飛ばしを食らうように、一瞬後には小太りの襟首は締めあげられ、宙吊りにされていた。片腕で、スーパーの買い物袋でも掲げるみたいに楽々と。

 小太りは空しく足をばたつかせ、苦しそうにうめいた。締めあげられたときに、銃は落としてしまっている。

「……は、離せ」

「こいつを殺したのは、お前たちじゃないな」

 男は小太りの苦悶を頭から無視して言った。

「誰がお前たちをここに呼んだんだ? こいつを殺したのはどこのどいつだ?」

「――おい! 手を離しやがれ」

 その時、不意にそんな怒鳴り声が響いている。

 頭を向けると、そこには金髪の男が立っていた。手には、拳銃が握られている。小太りの落としたトカレフではなく、千條静の持っていたH&Kだった。どうやら、どさくさにまぎれてその銃を自分のものにしようと狙っていたらしい。

 金髪はぎこちない顔で凄んでみせた。鏡がないのは幸いだったろう。

「や……めろ」小太りは苦しい息の下で言った。「俺が……いるんだ、ぞ」

「――――」

 男は小太りを抱えたまま、無造作に後ろを向いて歩きだした。金髪の存在など目に入らないかのようである。

 なめんじゃねえ、とお決まりのセリフを吐きながら、金髪は引き鉄を引いた。

 が、かちかちと音がするだけで、いっこうに銃弾が発射される気配はない。慌てる金髪を尻目に、男は外縁の鉄柵へと近づいていった。そうして、一列に並んだ縦棒の一つを手につかむ。

 どうするつもりかと小太りが訝っていると、聞いたこともないような音を立てながら、男は力任せにその棒を折りとってしまった。もはや、人間の仕業とも思われない。

 その棒を片手に、男は小太りを地面に放り投げる。例え空っぽのスーツケースだったとしても、文句を訴えたくなるような手荒さだった。

 地面に背部を強打した小太りは、すぐには身動きがとれない。金髪はまだ銃の扱いに窮したままだった。男は小太りのコートの裾を踏みつけると、その上から狙いを定めた。

 小太りは慌てて後ずさろうとするが、男の足はコートの上でびくともしない。振りあげられた腕の先で、棒の先端がはっきりと体をとらえていた。暗がりで、男の表情は読めない。小太りは思わず目をつむった。

「待てっ、やめ――」

 悲鳴は異様な物音で遮られている。

 小太りは激痛を覚悟したが、意外にも何の痛みもない。恐る恐る目を開くと、もはや驚く気力もなくしてしまう光景が、そこには待っていた。

 駐車場のコンクリートの床に、何の変哲もない鉄棒が深々と突きささっている。どこかの岩に刺しこまれていたという、由緒ある聖剣よろしく。

 鉄棒はコートの股下のあたりを串刺しにしているため、小太りは身動きが取れない。冷静に対処すれば上着を脱げばいいだけなのだが、もはやそんな意志さえ喪失してしまっていた。

 それだけのことをすませてしまうと、男は金髪のほうへと向かった。英雄に追われる亀ほども慌てた様子はない。

「使えもしないものを使おうとするのは、よすんだな」

 それだけを言うと、男は金髪の首を抱えて強烈な膝蹴りをみまった。丹田を一撃されて、金髪は意識を保つのもおぼつかなくなる。

「――さて、あらためて質問だ」

 男は死神に似た足どりで小太りのほうへと戻った。

「お前たちの依頼主は誰で、こいつを殺したのは何者だ?」

「知らねえ、知らないんだよ。俺たちはただ死体の処理を頼まれただけで、詳しいことは何も知らねえんだ」

 小太りは刺さった鉄棒にすがって、細かく体を震わせながら喚いた。

「……本当か?」

「嘘じゃねえ。頼んできたのは、コウジョウとかいうやつだ。本当にそれ以上のことは知らねえ。もう勘弁してくれ――」

 小太りの言葉に、男は顔をしかめた。その「コウジョウ」という言葉に。

 なおも命乞いを続ける相手を無視して、男は死体の――千條静のほうへ近づいた。同じ執行者としての仲間だった彼のところへと。

 それから携帯端末を取りだすと、男はどこかへ電話をかける。相手はすぐに出たらしく、「……千ヶ崎だな? 俺だ、室寺むろでらだ」と短く告げて、男はすぐに会話をはじめた。

「……ああ、千條のやつはやはり殺されちまったらしい。方法はわからん。見たところ外傷はない……わかってる。事態は思っていたよりずっと深刻だ……それから、もう一つ確定したことがある。相手はやはり、あの鴻城希槻らしい。のこともあるが、たった今その名前を聞いたところだ……そうだな、早急な対策が必要だ」

 それからさらに二言三言つけ加えて、男は通話を切った。途端に、夜の沈黙があたりを覆っている。鳥が、樹上の巣にでも戻ってくるみたいに。

「――今日のことは忘れろ」

 男はそう言うと、棺桶と死体のそれぞれを担ぎあげた。

「それが、お前たちのためだ。魔法使いでない人間が、魔法に関わる必要はない」

「…………」

 忘れろと言われたところで、そもそも誰一人目の前の事態を信じることなどできていなかった。朝、眠っているあいだに見たはずの夢を、思い出せないのと同じで。こんなことが、現実であるはずがなかった。

 男が去っていくと、そこには半壊の車と、地面に突き刺さった鉄棒、狐につままれたような三人の男たちという現実のほかは、何も残っていない。

 ――すべてのことは、幻でしかなかったように。

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