2-10 ダンジョン行政施策説明会

「ダンジョンの数はここ数年、さらに増加の傾向を見せています。これに対し、長野市役所は3年前に『ダンジョン課』を設立いたしました」



 スピーカーからナナイの滑らかな声が、ダンジョン内に響き渡る。そのスピーカーをめがけて、2つの影が殺到した。鉤付きの手甲を振りかざし、アルミ製のスタンドに乗せられたスピーカーを倒そうと襲い掛かる。


 ガッ!


 戸隠流忍者たちの拳の前に別の影が滑り込み、鈍い音を発して鉤手甲を弾き返した。跳び退る忍者たちの前に、桃の木刀を正眼に構えた美谷島が立ちはだかる。



「出来れば席に座ってもらえまいか」



 静かに、しかし、スピーカーの音に埋もれないよく通る声で美谷島は告げた。二人の忍者は身構え、息の合った動きで左右に散り、美谷島に襲いかかる。照明が照らされているとはいえ、薄暗闇の中で黒装束のその動きは、常人であれば認識することさえ困難だろう。相手を惑わす無数の動きの中から繰り出される必殺の一撃を、美谷島はしかし、正確にその剣で捌いていった。


 ナナイのプレゼンテーションは次のページへと進む。



「街中に生まれたダンジョンへの入り口、特に私有地に空いた穴は、産業廃棄物の不法投棄が行われるなど、違法行為の温床にもなっています」



 スクリーンには「ダンジョン違法使用の実態」と題されたグラフが表示されていた。そのスクリーンに、なにか銀色に光るものが飛んだ。



 ギィィン!



 空中で、金属のぶつかる音が炸裂する。一瞬後、八方に刃のついた手裏剣がその前の地面に落ちた。エアガンの銃撃で手裏剣を撃ち落とした金箱が、舞うようにその手を翻し、二丁拳銃で手裏剣が放たれた方角を撃つ。


 地面を弾丸が叩き、影が跳び退った。忍者のひとりがその手にまた、手裏剣を構え、着地と同時に放つ。タイミングを外された金箱はその一投には反応できず、その八方手裏剣はスクリーンを貫き、穴を開けた。



「……Cool」



 金箱は舌打ちをしつつも、賞賛の言葉を発した。その言葉を向けられた相手の忍者もまた、金箱を手強しと見たのか、軽くステップを踏みながらタイミングを測っていた。


 ダンジョン課職員と対峙する忍者は、合計で4人。それ以外の忍者たちは10名ほど、遠巻きに様子を見守っていた。態度を決めかねているのだろう。彼らが見守る中、穴をあけられたスクリーンに映し出されたパワーポイントのスライドがまた、切り替わる。それにナナイが説明を被せていく。



「さらに、ここ最近では、過激派・テロリストが警察の手を逃れ、ダンジョン内に逃げ込むといったことも確認されています。ダンジョンの中で作られた共同体の存在が、今後大きな社会問題となる恐れもございます」


「あんた方が守ろうとしてるダンジョンが、犯罪行為に侵されてるんだぞ! それをなんとかするために、市は活動をしてるんだ!」



 ナナイの言葉を補足する形で、イサナが小平に向かって叫んだ。



「うるさい! お前ら役所の人間はいつもそうだ!」



 小平の蹴りがイサナに襲いかかる。イサナは『魔神の拳』でその蹴りを受けた。小平は続けて攻撃を繰り出しながら、まくし立てる。



「危険だからとか! 公共の福祉とか! そんな綺麗事を並べて、役所の都合ばかり押し付ける! 俺たちの生活を、伝統を、文化を壊していく!」


「今はそういうことを言ってるんじゃない!」


「同じことだ! お前らが潰した土地や、森や、公園、そして沈めた村に、どれだけの暮らしが……どれだけの心があったか!」



 沈めた身体から突き上げる掌底突きが、『魔神の拳』のガードを抜けてイサナの腹に突き刺さった。



「ぐっ……!」



 吹き飛ばされたイサナの身体が地面に転がった。小平はイサナを見降ろすように立ち、言う。



「お前のその『大腕』……特能者だってそうだ。お前、魔物を食べたんだろう?」


「違う……それは迷信だ!」



 身体を起こしながら、イサナは反論するが、小平は表情を変えなかった。



「どっちにしろそれは、お前らがいたずらに『魔界』に入り、荒らした祟りだ。『魔界』に手を出すことはならん」


「反社会勢力がダンジョンの中にいるんだぞ!?」


「俺たちがそいつらを排除すればいい。調査などと称してお前たちが踏み荒らす必要はない!」



 イサナは唇を噛んだ。咄嗟に返す言葉がなかったのだ。ただダンジョンの穴を塞ぎ、浅い階層から魔物が出てこないようにすればいいのではないか――そう主張する声は役所の中にもある。と、いうよりも、全国的にはそういう対処が一般的だ。長野市のように「ダンジョン課」を設けている自治体は少数だった。


 イサナは『魔神の拳』を握る力を強めた。しかし、この拳を市民に向かって振るうわけにはいかない。論でも、力でも、イサナは小平を制する術を持っていなかった――



「それは違いますよ、小平さん」



 突然、スピーカーからナナイの声が向けられた。



「何……!?」


「そして、みなさんもどうか、聞いてください」



 その声に応えるように、手甲鉤で美谷島と打ち合っていた二人の忍者が、間合いを取った。金箱とにらみ合う手裏剣の男は、投げようと構えていた手裏剣に金箱の呼吸がぴたりと合わせられているのを感じとり、それを断念した。



「皆さんであればご存知でしょう。最近市内で流行った『竜骨ラーメン』の噂についてです」



 突然切り出されたナナイの話は、事前の予定にはないものだった。イサナたちは驚きながらも、身構えたままそれに耳を傾ける。忍者たちもまた、必殺の瞬間を逃すまいとしながらも、ナナイの言葉を待っているようだった。ナナイは言葉を継ぐ。



「あの話自体は単なる噂にすぎません。しかし、噂になるということが重要なのです。市民にとってそれが、身近なものになってしまっているからです。宇宙人や幽霊などとは違い、ダンジョンは実在する。もはや、ダンジョンを『ない』ものとして蓋をすることはできない」



 忍者たちの間に、わずかな動揺があった。ナナイのプレゼンテーションは続く。



「しかし、今現在の法律では、例え本当に『竜骨ラーメン』を作って客に提供したとしても、罰することはできない。だったら、ああした噂を流して売上が上がればその方が得だということになる。不法投棄にしても同じです。それでは、真面目に働いている人が損をしてしまう」


「……そんなの、詭弁じゃないか」



 手甲鉤の男の片割れが呟く声が聞こえた。ナナイはその声に気づき、声をそちらに向けた。



「我々の調査により、ドラゴンが食用に適する可能性があることがわかりました」



 静かに動揺が走った。イサナたちも含めてだ。



「瀧沢君、それは情報漏洩じゃないかねぇ……」



 和田が呟いた声が聞こえたのかどうか、ナナイは話を続ける。



「もちろん、だから竜骨ラーメンを作っていい、ということではありません。将来的にはいいかもしれない、でも今はダメだから待ってくれと、市民の皆さまにメッセージを発することが大事なのです。ダンジョンがどれだけ危険なものか、という具体的な情報も、また同様です」



 そう言ったあと、ナナイはパワーポイントの画面を一旦消し、何かの統計ファイルを表示させた。



「……これは、ダンジョンの中で行方不明になったと思われる人の数です」



 今度ははっきりと、忍者たちが息を呑み、顔を見合わせた。ひそひそと囁き交わす声が聞こえる。ナナイはマイクを持つ手をぎゅっと握りしめた。



「増えているんです……見えないけれど、確実に、ダンジョンは私たちの生活を浸食しているんです。でも、今のままじゃ捜索もままならない。だから、。もっと知らないといけないんです。だから」



 ナナイは息を吸い込み、言った。



「皆さんの力を……『魔界』の専門家である戸隠流の皆さんの力を、貸してください。一緒に、ダンジョンのことをもっと、知っていきましょう。皆さんの間に伝わる言い伝えの真実を、知るお手伝いをさせてください。どうか、ご協力をお願いします」



 そう言ってナナイは、深々と頭を下げた。


 ダンジョンの中に、静寂が訪れた。イサナたちは依然として、身構えたまま黒づくめの忍者たちと対峙していたが、もはや相手方には殺気が失われていた。



「やられたな。そうまで言う相手に拳を向けちゃ、戸隠流の名折れってもんだ」



 ヒデ老人が言った。その目には、なにかをやり遂げたように静かな光が湛えられていた。


 美谷島と対峙していた手甲鉤の二人が、まず拳を降ろした。美谷島も木刀を降ろし、左手に収めて一礼をする。その様子を一瞥し、金箱と向かい合っていた男が口を開いた。



「あんたと撃ち合ってみたかったが……お預けだな」


「フン……」



 男が手にしていた手裏剣を、上方へ放り投げた。金箱が素早く、それを撃ち抜いた。


 イサナと小平は未だ、構えたまま対峙を続けていた。しかし、もはや小平はその拳を持て余しているように見えた。まだ暴れるようであれば、取り押さえられるのは小平だろう。



「……小平さん。あなたの気持はわかります」



 イサナはそう言って、『魔神の拳』を消した。小平の眉がわずかに動く。



「ダンジョンの中には、ダンジョンの中でその流儀がある。個人的には、それを踏み荒らすことはしたくありません。でも……」



 イサナは自分の掌を見た。



「……友達がダンジョンの中にいて、行方がわからないんです。そいつを見つけるには、ダンジョンの奥へ踏み込まないといけない。あなた方の流儀を荒らすことになるかもしれない。お互いに譲れないかもしれないけど、だからこそ……落とし所を一緒に考えられませんか?」



 小平はイサナの話を黙って聞いていたが、ややあって小さく口を動かした。



「……役所らしい、玉虫色の結論だな」


「……まぁ、役所ですからね」



 小平は笑いもせず、おもむろに振り返った。そして、そのまま大股に歩き去っていった。



「あいつの家は、神事を執り行う家系でな。神や森、山を奉るのと同じように、長年『魔界』も奉って来たんだ。そう簡単には納得できないのかも知れん」



 ヒデ老人は小平の背中を見送るイサナにそう声をかけた。イサナは無言でその言葉に頷く。


 そしてヒデ老人は和田に向き直った。



「さて和田っちよ……説明会とやらはこれで終わりかな?」


「そのようだねぇ」


「それでは、改めて立ち会うとしようか」



 二人の老兵は鋭い視線を交錯させる。



「え? え? まだやるの? もういいんじゃないの?」



 リコが言う声に、和田は振り向いて笑う。



「それとこれとは話が別だな。確かに、はっきりさせておかないとねぇ」


「和田っちが里を出て行ってだいぶ経つからな。腕が落ちた者を宗家と仰ぐことはできんよ」


「同感だ。未熟者に宗家を譲るわけにはいかないねぇ」



 そう言うと、和田とヒデ老人は無造作に間合いを詰め――そして、二人の間で拳が交錯した。

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