番外編Ⅱ

番外編:伊藤家の策謀

今回は、皆様にアンケートでご協力頂いた伊藤(いとう)家の1幕をお届けします。

本編 第4章の間に起こった伊織家の出来事になっています。

ということで、第4を読んで頂いていないと分からない点が多いと思いますが………お許しください!(本編のどの辺での話かの注釈は入れております)


ここは駅隣にある商店街をほんの少し抜けた場所にあたる一角。

そこには駅近にも関わらず、一際大きな純日本風のまるでこの家だけが江戸時代からトラップしてきたかのような感じの家が建っている。

家の敷地を取り囲む外壁は人の身長よりも高く、外壁の上には瓦が敷き詰められていて、その外壁の丁度中央辺りに木造の重厚な門がある。そしてその門を抜けると純日本風の母屋とその隣に別館があり、母屋の方はここの住人が居住空間として、別館の方は空手道場として使用されている。


この伊織家、実は江戸後期より代々続く格式高い道場で今の当主は7代目に当たる。

開設当初は古武術の道場だったようだが、時代の流れと共にスポーツの要素を取り入れ今は空手の道場としてそれなりの門下生がいるのだ。


そして春の4月下旬の朝の帳が明ける頃、この家の別館から一人の少女の叫び声が聞こえてくる。

※……… 第4章の少し前の出来事です ………※


『そりゃー!』『おりゃー!』『どりゃー!』


これはこの家の住人、伊藤(いとう)伊織(いおり)という少女の叫び声だ。

で、何故この少女が早朝からこのような叫び声を上げているかというと、何のことはない、道場で空手の一人稽古をしているだけ。決して泥棒を撃退している訳ではない。

これが物心ついた頃からの伊織の朝の日課であり、この街の朝の目覚まし時計の代わりだ。たぶんこの街の住人には伊織の叫び声が『コケコッコ〜』と聞こえてるのだろう。

うん。近所迷惑だな。


そこへ一人の妖艶な女性が入ってきた。


「伊織さん、ご飯の仕度ができましたよ」

「お母様、ありがとうございます」


これもいつもの日常であり、二人は迷うことなく母屋の方へ移動し始める。

しかし、今日はいつもと少し異なるようで、母屋に向かう道すがら母親の伊吹(いぶき)が伊織に声を掛ける。


「伊織さん、今日は休日ですが、今日のこの後の予定はどうなっているのですか?」

「はい。今日は一日空手の稽古を行う予定です。何かありましたでしょうか?」

「いえ。空手のお稽古も良いですが、あなたもそろそろ良い年頃です。休日だというのにデートの一つもせずに家にいるのはどうかと思いましてね」

「お、お母様、わ、私は好きで空手の稽古をしております!」

「それは知っております。ですが、高校2年生にもなってそのようなお話がないのは些か母親としては心配なのですよ。誰か良い人はいないのですか?」

「そ、それは………、おりません」

「そうですか?では、伊織さんがよくお話をされているニートさんという方はどうなのですか?」

「えっ?えっ?えーーーーー!か、彼は、そ、そ、そういうんじゃありません!」

「そうですか? ニートさんというのは渾名ですよね? 伊織さんが人を渾名で呼ぶのを初めて聞いたものですから」

「そ、それは………」

「伊織さん、悪いと言っている訳ではありませんよ。伊藤家の家訓を重んじるのは重要なことですが、礼儀も度がすぎると人との距離を作りますからね。伊織さんは双葉さんのことも名前で呼ばれているので心配していたぐらいです」


伊藤家の道場の上座の壁には達筆な字で『礼に始まり礼に終わる』と書かれた書が掲げられている。これがおそらく家訓なのだろう。


「ご心配をお掛けし申し訳ありません。そのお言葉、肝に銘じておきます」

「はぁ…、まぁ、良いでしょう。で、そのニートさんは彼氏さんとしてどうなのですか?」

「えっ? あっ、いや、その、か、彼は………」


「おやおや、伊織にも彼氏ができたのかい? それはめでたいね。それじゃあ今晩はお赤飯にしないと」


伊織がお母様の質問にアタフタと狼狽えながら居間に入ると、そこに座っていた少し年配の女性から言葉が掛けられる。


「お、お祖母様、か、彼氏ではありません!」

「あら? そうなのかい?」

「わ、私が好きなる男性は、私よりも強く凛々しく誠実で人に優しい、そのような伊藤家に相応しい男性と決めておりますぅぅ!」


おいおい。それは余りにハードル高くないか?

伊藤家に相応しいってことは、婿を取るってことだよね?

しかも全国3位の実力者より強くて凛々しく誠実で人に優しいって、そんなこと言ってると出遅れちゃうよ? 伊藤家が息絶えちゃうよ? 大丈夫?


「そうかい。伊織の好みは伊織に勝てる男性なのかい。伊藤家の娘としては嬉しい限りだね」

「お母様、そんなことを言ってますと婿の取り手がなくなります」

「伊吹さん、まぁ、いいじゃないか。伊織はまだ若いんだから」


う〜ん。婿を取るのは前提なんですね。

それだけでハードル高そうだけどなぁ。まぁ、かなり歴史ある空手道場のようなので途絶えさせるのは忍びないけど。

伊織ちゃん、出遅れないことを望んでます。


◇◇◇


それから数日が経った5月5日、ゴールデンウィーク最後の夜。

※……… 第4章 3話目の直後の出来事です ………※


ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!ドッーーーーー!


大慌てで伊織が居間に飛び込んできた。


「お父様、お母様、私はどうして? あっ、いや、双葉達は? って、いや、どうして?」

「伊織さん、そんなに慌ててどうしたのですか?少し落ち着きなさい」

「あ、あっ、申し訳ありません」

「あなたは新見君に気絶させられて今まで寝ていたのですよ。双葉さん達皆さんは既にお帰りになってます」

「えっ?わ、私が気絶ですか?」

「伊織、ひょっとして覚えてないのか?」

「あっ、はい。お父様、申し訳ありません」

「おやおや、頭を打って記憶が飛んだのかい?」

「いや、母さん、そういうことではないと思いますよ。伊織、お前はどこまで覚えてるんだ?」

「えっ、あのぉ………」

「新見君に仕掛けた技を最初から順に言ってみなさい」

「あ、はい。最初は上段前蹴りで、2回目は……確か、横蹴りです。その後は……、後は………、確かぁ、上段回し蹴りだったような………」

「伊織、もういい」


はっや!記憶飛ぶのはっや!試合の前半も前半だし!

わぁ、お父様が頭を抱えて嘆いてるよ。


「伊斉(いさひと)、どういうことだい?」

「あ、母さん、伊織は試合に夢中になり過ぎて殆ど最初から覚えてないんですよ」

「伊織がかい?」

「も、申し訳ありません」

「うむ。記憶が飛ぶ程というのは褒めらんが、それより、新見君はその状態の伊織と試合をしていたということなのかい?」

「はい。そうなりますね」

「何試合ぐらいしたんだい?」

「十数試合だと思いますが」

「そんなにかい。で、試合の内容はどうだったんだい?」

「新見君は一方的に伊織の攻めを受けてましたが、最後に伊織が踵落としを繰り出そうとした際に新見君が伊織の脚を払って気絶させたという感じですね」

「そうかい。なるほど。面白い子だね」

「はい。私もお父さんから話を伺ってそう思っていたところです」


えーっと、お祖母様、お母様、楽しそうですね。

何か腹を空かせた獰猛な野獣が獲物を見付けた時のような微笑みですよ。

っていうか、怖い!怖いんですけど!


「あ、あのぉ………、どういうことですか?」

「伊織さん、あなたが先日言っていたお眼鏡に叶う殿方が現れたということです」

「えっ?えっ?お眼鏡って………?」

「何を言っているのですか? あなたが言っていた彼氏さんの条件です」

「えっ?えっ?えっ?」

「伊織さん、あなたの好み殿方はあなたより強い御仁と言っていたでしょう?」

「えっ?えっ?えーーーーー! に、ニートがですか?」

「ええ、そうです」

「いえいえ、お母様、それは余りに飛躍しすぎです。確かに気絶させられたのかもしれませんが、大体、彼にはスポーツができると言った噂もありません」

「あら。そうですか? それはおかしいですね。お父さんはどう思われますか?」

「いや。それは伊織にはまだ早いというかだな………」

「あなたぁ。あなたにそこは聞いておりませんわよ。間違わないでください。新見さんについてです」


お、お母様、怖いです!鬼気と冷気が同時に漏れてますから!お父様が怯えてますよ!

この伊織家の序列は、お祖母様、お母様、伊織、お父様の順で確定だな。

お父様、お気持ちは分かります。空手なら強いのにね。


「えっ?あっ、いや。そ、そうだな。伊織より強いのは間違いないだろうな」

「えっ?」

「はやりそうですか。お父さんは握力勝負で引き分けたようですが、お父さんは新見さんに勝てそうですか?」

「うっ!うぅ。わ、私が若くて全盛期なら私が勝っていたぞ!」

「えっ?えっ?えっ?」

「なら、今は分からないと?」

「そうだな。って、あっ、いや、儂が勝つ! ま、まぁ、彼の攻め技は見ていないからやってみんことには分からんがな」

「あっ、いえ、お父様、お母様、彼は素人ですよ?!」

「だそうですが、お父さん、どうなんですか?」

「そうだとしたら、それは才能というしか言いようがないな」

「えっ? いや、し、しかし、私の最初の上段前蹴りはニートに当たっていましたが?」

「あ、あぁ、あれは伊織の攻撃が当たった瞬間に自ら飛んだんだろう」

「いや、でも、私には正確に捉えた感触がありました………、って、まさか………、いや、そんなことは………」

「そのまさかだろう。現に伊織の攻めを十数回も受けて怪我どころか打身すらしとらんかったからな。それに、最後は踵落としの体制を見てから伊織の脚を払いおった」

「えっ? あっ? いや、しかし………」

「伊織さんはまだ納得いってないようですね? まぁ記憶がないようですし仕方ありませんが」

「は、はいぃぃぃ。申し訳ありませんんんん」

「それは良いです。それよりお母さんには新見さんは誠実な好青年に見えましたが、新見さんが伊織さんより強いのであれば条件は揃っていると思いますが?」

「そうだね。私もアタッシュケースが道に挟まったところを助けてもらったからね。彼は良い青年だと思うが、伊織、どうなんだい?」

「あっ、いえ、そ、そのぉ………、ただ、彼はそのぉ………」

「伊織さんは新見さんが彼氏さんでは不満ですか?」

「あっ、いえ、それはないというか………、ニートが私より強いのなら嬉しいのですが………、ただ、競争率が高いと言いますか………」

「伊織さん、伊藤家において負けることは許されません。それは恋においてもです」

「は、はいぃぃぃぃ!」


あれ? これってターゲットがロックオンされてません?お母様の!

でも大丈夫ですか?新見君は一人っ子ですよ?婿に来てくれるかなぁ?


「そうじゃぞ。伊織、全力で臨みなさい。何ならこの際伊藤家の名も気にせんでも良い。伊織が産まれた時点で伊藤家の名はとうに諦めておる」

「お母様、申し訳ありません」

「いやいや、伊吹さん気にすることはない。これも時代の流れじゃて」


おぉ、お祖母様カッコいい!男前!女だけど。

う〜ん。でも、そうすると伊織ちゃんは新見君を落としに行くってことですかね?

でも、そんなに簡単じゃない気もするけど。


◇◇◇


そして、時は流れて翌日の夕方。

伊織が学校から帰って玄関の扉を潜り入ってくる。

※……… 第4章 5話目の伊織と夏川先生の話の直後の出来事です ………※


「ただいま帰りました」

「あら?伊織さん、元気がないようですが、どうしたのですか?」

「は、はい。お母様、実は………」


伊織が今日学校であったことや夏川先生との話を母親に説明する。


「そうですか。それで新見さんの運動神経を確かめる方法は思いついたのですか?」

「いえ、それが………」

「そうですか。分かりました。それでは………」

「お母様、何か良い案がお有りなのですか?」

「そうですねぇ。お父さんが道場におられるはずなので読んできてください」

「は、はい………」


そして伊織が道場からお父様を引き連れて戻ってくる。

お父様が呼び出しを受けるとはやっぱり序列最下位なんですね。お可哀想に。


「お母さん、どうしたんだ?」

「お父さん、確か明後日の土曜日は野球の試合と仰っていましたよね?」

「あ、ああ、そうだが?」

「では、残念ですが、お父さんは右手を怪我したということで休んでください」

「えっ?えっ?えっ?どうしてだ?」

「娘のためです。伊織さん、そういうことです。明日、新見さんをお父さんの代わりの助っ人ということでお誘いしなさい」

「えーっと?お母さん?」

「お父さんはもう道場の方に戻ってもらって大丈夫ですよ。私はこれから会長さんのところに向かいます。伊織さん、あなたもついてきなさい。詳しくはその時説明します」

「えっ?えっ?えーーーーー?」


あちゃーーー!お父様に有無を言わせず何かが決まりましたよ。

しかもお父様には一切の説明なし?! いいの? それで良いの?

あぁ、お父様、肩落としちゃってますよ。俺でよければ一緒に泣いてあげるからね。


そしてその後、会長さんの家に野球チームのメンバーであり商店街の店主の面々が集められ何やら夜中の丑三つ時と言われる時間まで会議が行われたのであった。


◇◇◇


「お母様、申し訳ありません。折角、お母様が考えて頂いたのにニットの力を見極められませんでした」


野球の試合から帰ってきた伊織がお母様に今日の報告をしているところである。

※……… 第4章 最終話の直後の出来事です ………※


「伊織さん、それなら先程、会長さんからお電話でお聞きしました」

「会長さんは何と仰っておられましたか?」

「見極めはできなかったようですが、概ね私達の認識通りとのことです」

「それでは、やはり………」

「そうですね。見極めはできませんでしたが新見さんの才能が卓越したものであることは間違いありません。それと理由は分かりませんが新見さんは才能を隠していると思って間違いないでしょう。しかし心配しなくても大丈夫です」

「はい?」

「むしろ、その方が都合が良いですからね」

「えっ?」

「新見さんが才能を発揮すれば伊織さんの恋敵が増えますから、今のままいて頂く方が何かと好都合です」

「………お母様………」

「伊織さん、どうしたのですか?」

「も、申し訳ありません。お母様のお言葉といえど、それには従えません」

「どうしてですか?」

「わ、私は、ニットが隠すことなく楽しく過ごせて、私もそんな彼の傍に一緒にいたいと………、決めました!申し訳ありません!」

「あらあら、伊織さんは本当に恋に落ちたようですね」

「あ、それはそのぉ………」

「恥ずかしがることはありません。お母さんも応援しますよ。その代わり負けることは許されませんからね!」

「は、はいぃぃぃぃぃぃ!」


あーあ。完全にロックオンされましたね。

しかも邪魔者を撃墜する迎撃システムまで装備してそうな勢いだ。


伊織巡洋艦、伊吹護衛艦、はっしーーーーん!目標、新見潜水艦に乗り込む一斗(かずと)艦長!

戦艦イオリは無事4◯1を撃沈し一斗を艦長として迎え入れられるのか?!

って、これだと蒼き◯のアル◯ジオみたいだな。しかも4◯1って見た目に伏字になってないし(汗)


あっ、因みに伊斉(いさひと)護衛艦は伊吹護衛艦に撃沈されたみたいです。

お父様御愁傷様でした。心よりお悔やみ申し上げます。チーン!

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