第4章−[9]:幸せの定義は辞書毎に違う

俺と他の生徒会メンバー達は今、先程まで野球の試合をしていたグランドの横にある公園の芝生の上にシートを敷いて、そこに円を描くように座している。

そして俺達の目の前にはみんなが用意してくれたお弁当箱。まだ中身までは見ていないが、これだけで俺は期待感を募らせてしまう。


「じゃあ、双葉のお弁当から開けるね」


そう言うと双葉先輩は3段の重箱を上から順に開け始める。


「まず1段目は炒飯だよ〜」

「そして2段目はピラフ〜!」

「………」

「そして最後の3段目は、じゃじゃーん!白米〜〜〜!!」

「………」


うん。双葉先輩だらね。予想はしていたけどやっぱりという感じだ。

予想を裏切ってくれることを期待していたのだが、こういうところは裏切らないよな。

でも、最後の白米って何をおかずに食べるのだろう?

確かに昨日、双葉先輩はお米担当と言ってはいたが………。


「それでは次は私が開けましょう」


続いて琴美が持ってきたバスケットの蓋を開ける。


「私のお弁当はサンドイッチです。サンドイッチはピクニックの定番ですからね。外せません」

「………」


えーっと、ご飯とパンの組み合わせになってますが、これも定番なんですかね?

まぁ、双葉先輩の白米よりはマシか。


「それでは次は私ですね」


今度は愛澤がそう言うと、バスケットから何やら銀色のアルミ箔で覆われたような四角いバッグを取り出した。保温バッグか?

そしてその保温バッグらしきものを開けると、


「私はデザートにケーキを持ってきました」

「………」


ふ〜ん。ご飯にパンにパンケーキですか。炭水化物のオンパレードですね。

君達太るよ?大丈夫?

って、こいつら完全に意思疎通できてね〜し!好きなもの持ってきただけだし!


うーん。こうなったら伊織先輩に期待するしかないだろう。

俺がそう思い伊織先輩の方に視線を向けると、伊織先輩も俺の方を見ていたのか伊織先輩と眼が合った。


「ニ、ニート、ど、どうしてだ?」

「俺に言われても困りますよ。これだけ見事に意思疎通せずに、しかも、ここまで狙ったように炭水化物のオンパレードだと流石に俺も引きますけどね」


「???」

「???」


あれ?俺と伊織先輩も意思疎通できてないようだ。


「そ、そうではない。先程の野球の件だ!」

「あ、ああ、野球ですか。どうしてと言われても困りますが、まぁ、俺がピッチャーをしていたからとしか言いようがないですけど」


先程の野球の結果は、19対20の1点差で負けてしまっている。

これはもうどう考えても野球の点数じゃない。

まぁ、ピッチャーそっち除けの完全なる打撃戦だな。


「そ、そう言うことではない。1年分の食材が懸かっていたのに何故だ?!」


ああ、そう言うことか。

それなら話は簡単だ。


「まぁ、食材は懸かってましたけど、頑張った結果ですからね。仕方ないですよ」


そう。俺は思案の挙句、モブ道を貫き通すことにした。しかも相手ピッチャーを見習い疲れまで演出して。これで打たれない訳がないだろう。


確かに食材1年分というのは普通なら魅力的な提案ではある。しかしこれは普通の家庭ならそうだろうという話だ。そもそも俺の家は超ビンボーなのだ。

たまにスーパーなので買い物に来た家族の会話を小耳に挟んだ時に『うちは貧乏だから体が資本。貧乏人は食べなきゃね』などという話を聞くが、体を気にするぐらい食べられる家をビンボーとは言わない。それは謙遜というやつだ。本当のビンボーは体を気にできる余裕すらないからな。

とは言うものの、何よりも食事代が優先することは間違いない。

しかしだ。食事代を優先して尚、体を気にする余裕がないということは、それ以外の物に至ってはもっと気にする余裕がないということだ。

簡単に言うと、俺の家には碌な食器や調理器具がない!あるのは、炊飯器1つ、ガスコンロが1機、フライパン1つ、お茶碗とお味噌汁のお椀が各々2膳、包丁1つ、まな板1枚、以上だ!

あっ、お箸もあるぞ。手じゃないからな。

この調理器具では、肉、魚、野菜、味噌、乾物が揃ったところで調理の仕様がない。

そしてもしこの食材のために調理器具と食器を買い揃えたり、それを置く食器棚、その他調味料や調理に掛かる光熱費など諸々を計算すると、食材を貰って浮いた金額では到底足らないことが予想できる。

所謂、宝の持ち腐れ。目の前に餌をぶら下げるだけの生殺しという状態だ。いや、食材を放置するにしても逆に冷蔵庫の電気代が掛かるだけマイナスだったりする。

それに加えて今回の提案の『期限付き』というのも大きい。いや。1年というのが短いとか言う訳ではない。これ自体はむしろ驚くくらい長いと思う。

では、何が問題かというと期限後の方だ。人間は一度生活水準を上げると落とすのが難しいと聞いたことがある。俺の家ではそんな経験はないが流石に意味は理解できる。

そうなのだ。1年後に生活水準が元に戻ってしまうのだ。そう考えると1年というのは人間が贅沢な生活水準に馴染むには充分過ぎる時間だし、容易に想像できてしまう。

まぁ、ここまで言うと分かるだろうが、超ビンボー家庭にはデメリットも多い提案だったということだ。

そうなれば俺の取るべき行動は自ずと決まってくる。その結果、モブを貫き試合に負けてしまった訳だが。


「頑張った………、か?!そうか。頑張ったか………」


伊織先輩は俺の返答を受けて、寂しそうにそんな一言を呟いた。


その反応には少し心が痛むが、これも仕方ない。

みんなが頑張って逆転したにも関わらず試合に負けてしまったことを考えると、俺の心も痛むし、俺を連れてきた伊織先輩の心中も分からなくはないが、普通のモブ高校生としては如何ともし難いので、ここは諦めてもらうほかないだろう。

もし俺が高校3年生だったら、1年後には働いているので状況は違ったと思うけど。


「いおりん、どうしたの?」

「伊藤先輩、残念でしたが仕方ないですよ」

「そうですね。今回ばかりはニートを責めるのはお門違いというやつでしょう」

「それより元気出して、ご飯食べよ!」

「あ、ああ、そうだな………」


伊織先輩の持ってきた3段重ねの重箱には卵焼き、唐揚げ、タコさんウインナーなどなど豪華なおかずがてんこ盛り入っていた。勿論炭水化物系は一切なし。さすが伊織先輩だ。双葉先輩のことを分かってらっしゃる。良かった。


画して俺達は無事お昼の弁当を食べ初めたのだが………、雰囲気がなぁ………。

空気が重いというのはこういうことを言うのだろうな。


俺達はその雰囲気の中黙々と食べ終え、堪えかねたように早々に片付けを済ませて帰路に着くことにした。

結局、豪華なお弁当にも関わらず碌に味わえずに今日も終わってしまった。


それにしても、頑張ってモブ道を貫くというのも難しい。

妬みや恨みを避けるためにモブを演じると、その傍らで試合に負けて悲しむ人がいる。

まぁ、結局のところ俺が試合に参加したのが間違いだったのだ。俺さえ試合に出ていなければこんなことにはなっていない。

平均的なモブ道を貫く前に、根本的に参加しないということを考えるべきかもしれない。


って、うん?!


な〜んだ。簡単なことじゃないか!

そうだ!そうすれば妬みや恨みだけじゃなく迷惑を掛けることもなくなるではないか!

よし!これからは闇に紛れるだけじゃなくて封印しよう。

参加しないことに意義がある!うん。名言だ!

おぉ、俺って賢い!


◇◇◇


新見が新たな殻を纏うことを決意した頃、新見と別れた他の生徒会メンバー達がバス停に向かう途中、その中の一人の少女が足を止める。


「うん?いおりん、どうしたの?」

「………、みんなすまない。少しいいか?」


伊織は公園の隅に視線を向け、そこに設置されている木製の四角いテーブルとその両脇のベンチを指差しながら、そう言った。


「どうしたの?気分でも悪いの?」

「あっ、いや、そうではない………、少し……、みんなに聞きたいことがあって………、悪いが少し付き合ってくれないか?」


他のメンバーは何事かという訝しんだ顔をしながらも、その言葉に突き動かされるようにテーブルの設置された場所まで移動すると、テーブルを囲んでベンチに腰掛けた。


「みんな時間を取らせてすまいない」

「うん。それは良いけど、聞きたことって何?」

「ああ、ニートについてだ?」

「ニート君?」

「ああ、そのぉ………、今日のニートの試合について、どう思う?」

「うん?どうって?頑張ってたんじゃないかな?」

「そうですね。初めてにしては最後まで投げ切ってましたからね」

「………」

「そ、そうか。双葉と琴美君にはそう見えたか………、愛衣君、君はどう思った?」

「どうと言われましても………」


愛澤だけが伊織の最初の質問に言葉を発せず、剰え二度目の質問に返した言葉も質問の答えになっていない。

それは伊織の質問の意図を計り兼ねているのか、何かを躊躇っているかようのうにも見え、何かを訝しんでいるかのようにも思える。


「愛衣君はニートと中学が同じでずーっと一緒にいたと言っていなかったか?」

「はい、そうですが………」

「いおりん、どういうことなの?」

「あっ、双葉、すまない。言葉が足りなかったな。ニートは………、そのぉ、私の思い違いかもしれないが、彼は全力を出していなかったんじゃないかと………思ってな」

「ニート君が?」

「ああ。私の推測だがな。 で、愛衣君、ニートは中学の時も……、いや、中学の時はどうだったんだ?」

「………、伊藤先輩すみません。新見君は中学時代も一人でしたし、新見君とは体育の授業も別でしたので、そこまでは分かりません………」

「そうか………、でも、もし何か知っているなら………」

「伊藤先輩はそれを知ってどうされるんですか?」


愛澤が伊織の言葉を遮ってまでした質問は、数日前に伊織が夏川先生を訪ねた際にされた質問と同様のものだ。

それはまるで何かを拒むような、これ以上の言葉を発することを許さないような質問だ。


「………、そ、それは………、そこまでは………」

「そうですか………。それなら、気にされなくても良いんではないですか?」

「………」


伊織がその質問に躊躇している姿を見て、愛澤はすぐさま話を切り上げようとしてくる。

その言動はまるで何かを守るかのような、そんな言動にさえ思える。

しかし、そんな彼女に対してそれを許すまいと横合いから言葉が飛び込んできた。


「う〜ん。でも、もしニート君が全力を出していないんだったら双葉も知りたいかな。だって、それって本当のニート君じゃないってことでしょ?」

「今のニートが本当のニートではないと言われると、仲間としては放っておけませんね」

「………」


この横合いから発せられた言葉が愛澤の少しばかりの沈黙を誘う。いや、愛澤の驚きを誘ったというべきなのかも知れない。

彼女達の言葉は、試合で全力を出さずに負けた新見を責めるものではなく、本当の新見ではないならそれを知りたいという言葉だったからだろう。


「愛衣君すまない。君の質問に対する答えは今は私もまだ分からない。でも決して興味本位とかではない。も、もし、知っていることがあるなら………、教えてくれないか………」


そして横合いからの言葉と僅かな沈黙とに助けられた伊織が再度愛澤に懇願した。

またそれと同時に沈黙を続ける愛澤に、伊織、双葉、琴美の視線が注がれる。


「………、伊藤先輩すみません。先程も言いましたが、私は新見君の体育の授業は直接見てないので………分かりません」

「直接?」

「………」


愛澤がふと口を滑らせた一言を伊織が聞き流すこともなく問い質す。

その質問に愛澤は焦りの色を見せ、伊織達の眼差しには真剣味が増している。


暫くの沈黙の後、愛澤はその眼差しに観念したのか、先程まで閉ざしていた口を開いて語りだした。


「………はい。中学の時、新見君は喧嘩を売られることが多かったんです。その時喧嘩を売ってきた相手は口を揃えて『出来るからって良い気になるな』『お前がどうしてできるんだ』と口々に言っていました」

「それは妬み恨みってやつだよね?」

「はい。そうです。おそらくは学校中の生徒から妬まれていたと思います」

「しかしそれだけ妬まれていたということは………」

「………はい。そうだと思います。それに新見君は喧嘩にも一度も負けたことはありませんでしたから」

「そうだとすると、やはりニートは全力を出していなかったということですか?」

「うん。そうなるね」


これは彼女達にとっては推測ではあるが、それでも確信を得るには充分な内容だろう。

中学時代に新見の傍にいた愛澤の言葉であればその信憑性も増してくる。

そしてそれは、新見が妬まれるぐらい優秀であると同時に、彼がその能力を出していなかったことをも暴いてしまう。


「でも………、でも、それってイケないことでしょうか………?」

「「「???」」」


しかしここで、推測でありながら確信を得た彼女達から何かを庇うかのように、愛澤から声が発せられる。

その言葉は重く切なく、そして誰からの反論も許さないとばかりの力が込められていた。


「先程も言いましたが、新見君はできることを理由に妬み恨まれ喧嘩を売られていました」


「彼等は新見君のことを何も知らないのに。碌に喋ったこともないのに………」


「新見君という人間を知りもしないで、できるというだけで………」


「新見君はお金がないために人との付き合いに混じれず、ずーっと一人でした。でもそれは新見君が望んだことではないです。他の生徒が付き合いができないことを理由に勝手に新見君を拒んだんです。それによって新見君は他の生徒達と関われず、ずーっと一人でした。だから彼等が新見君のことを知るはずがないんです」


「それなのに彼等は新見君ができるというだけで、勝手に新見君の虚像を創り上げ、妬み恨んで、剰え喧嘩まで売ってきたんです」


「勝手に蔑んで拒絶して、知りもしない人間の虚像を自分勝手に妄想で創り上げ、勝手に妬み恨んで喧嘩を売ってきたんです。新見君ができるというだけで………」


「それなら………」


「それなら………、できない方が良いじゃないですか!?」


「「「………」」」


愛澤は堰を切ったように重く苦しい言葉を綴り続けた。この間、誰も口を挟むことができないそんな想いのこもった言葉を。中学時代に新見の傍にいて新見を見続けてきた彼女の想いを言葉に込めて。


「それでも新見君は人を恨んだりしてませんでした。新見君はそんな人間ではないです。新見君は自分一人で誰に関わることもなく自分のできることをしていただけです」

「………、身勝手な拒絶と虚栄心と攻撃………。どれも何も生まず結果を伴わない自己満足のための妄想による世界の…犠牲者………ということか」

「厨二病だね」

「厨二病は少し違うがな………。でもまぁ、妄想という点では根幹は同じだろうが」

「そうですね。でも厨二病は現実的な世界でない分まだマシかもしれません。むしろ目の前の人間を妄想で歪めている方が深刻ですから」

「そうだな。しかもその妄想が真実だと思い込んでいるからな」

「う〜ん。じゃあ、『つも厨』だね」

「つも厨?」

「うん。自分は真実だと思っているつもりで実は妄想している厨二病ってことでしょ。だから『つもりで実は厨二病』。略して『つも厨』だよ」

「そ、それは双葉が考えたのか………?」

「うん。そうだよ」

「双葉………、まぁ、そのつも何とかは置いておくとして………」


伊織は双葉の言葉を軽く流して愛澤の方に視線を向け直す。

そして軽く深呼吸をした後、目に力を込めて口を開いた。


「愛衣君、それでも私はやはりできない方が良いとは思えない」

「………、どうしてですか?」

「彼は被害者であって、その彼が抑制するのは間違っている」

「………、本当にそうでしょうか?」

「それは、どういう意味だ?」

「人は誰しも少なからず何かに抑制されているんじゃないでしょうか? 全員が全員、何の抑制もなく生きていないですよね?」

「そ、それはそうだが………、だったら愛衣君は今のままのニートで良いというのか?」

「私もそれが正しいとは言いません。むしろ間違っているのも分かっています。でも………、仮に新見君が抑制するのを止めたとして、それで新見君は何を得るんでしょうか?」

「何って………」

「楽しい青春ですか?楽しい思い出ですか?それも大切だとは思います。でも、それ以上に新見君の思い出に暗い影を残す存在がいるのは確かです………」

「しかし………、もしニートが全力を出していないとして私の思っている通りだとしたら、ニートの才能はその程度でなかったことにして良いものじゃない」

「………才能………ですか?」

「???」

「伊藤先輩はお家の道場を継がれるのですよね?」

「あ、ああ、そのつもりだが………」

「そうですか。では伊藤先輩がスポーツに熱心なのは理解できますが、勉強にまで熱心にされている理由は何故ですか?」

「それは、大学に行くためだが………。国公立で奨学金を受けられればと思ってのことだ」

「そうですよね。目的があるから頑張っておられるんですよね。でも、伊藤先輩の学力があれば家を継がずに何処かの研究所に入ることもできますよね?」

「あ、ああ………、そうかもしれないが、私には道場があるからな」

「それは伊藤先輩のご都合ですよね?」

「えっ?」

「先程、伊藤先輩は新見君の才能はなかったことにして良いものじゃないと仰いましたが、それは誰の都合ですか? 新見君ですか? 伊藤先輩はご自分の都合で選ばれているのに、新見君は自分の都合で選べないんですか?」

「あっ、いや………、私はそんなつもりは………、いや、ニートのことを考えて………」

「新見君はおそらく大学には行かないと思います。その新見君にとってその才能は彼の何を叶えてくれるんでしょうか?」

「………、しかし………、折角の才能を………人に、誰かに抑制されて良いものじゃない。それは決してそんなことで無駄にして良いものじゃない」


端から見るとそれはまるで言葉の殴り合いとも思える言葉の掛け合い。

一方は当事者の行いを容認して認めるとこに全力を注いだ言葉。もう一方は当事者が抑制していることを悲しみそれを否定しようとする言葉。

前者は当事者の想いを肯定し、後者は当事者の想いを否定したもの。

しかし、そのどちらもが相手を想ったが故の言葉であり、それはどちらが正しいとも間違っているとも判断できない答えのない言葉の応酬。


それでも愛澤は自分の想いに、新見の想いを肯定するために言葉を綴り続ける。


「才能ってそんなに大事ですか?!」


「???」


「人は誰しも何らかの才能を持っているんじゃないでしょうか? でも、それが自分の役に立たなければ無駄なものだと判断しているだけではないんしょうか? それは意識的か無意識なのかは分かりません。今の社会では意味のない才能なのかもしれません」


「もしかしたら、それを才能とは言わない人もいるかもしれません。単に得意なだけだと言う人もいるかもしれません。でも、その人よりできる人がいなければ、それは才能と呼ばれるんじゃないんですか?」


「もしかしたら、その才能を欲しいと思っている人もいるかもしれないじゃないですか? その人には役に立たなくても、その人には些細で才能と呼べないものであっても、他の人には欲しいと思われる才能かもしれないじゃないですか?」


「でも、それなのに、自分に役に立なければ突き詰めようとしないじゃないですか? 例えそれが他の人にとっては意味のある才能だとしても………」


「確かに新見君の才能は魅力的なものなのかもしれません。でも、それはスポーツ選手やそれを活かす場があるからですよね? その才能を望む人が多いからですよね? その才能に夢を見る人が多いからですよね?」


「でも、新見君にはその夢を現実にする環境が与えられていないんです。その才能は新見に夢を与えないんです。その才能は新見君にとっては役に立たないんです」


「自分の才能が自分に役に立たなければ目を瞑るのに、どうして人には目を瞑れないんですか? そんなのおかしいですよね? そんなの我儘ですよね? 身勝手ですよね?」


「もし目を瞑れないのなら、新見君が夢を叶えられるだけの環境を与えるべきですよね? でも、そんなことができますか? 誰がそんなことをしてくれますか?」


「それは社会の責任ですか? それなら、その社会に変わるべきだと訴えますか? それで社会は変わりますか? 今の社会は多くの人が望んでできた社会じゃないんですか? それって矛盾してますよね?」


「し、しかし、今は奨学金もあるし、特別推薦で授業料免除の大学もある………」


ここで伊織が愛澤の言葉を止めるかのように言葉を挟む。

しかし、その言葉は弱々しく、愛澤の言葉を止めるだけの力が入っていない。

或いはそれは愛澤の言葉を否定するためのものではないのかもしれない。何かに縋り付きたい想いが口を突いた言葉のようにも思える。


「新見君には病弱の母親がいます。もし仮に授業料を免除してもらっても、その他の教材費や交通費までも免除してくれますか? 新見君とお母様の生活費まで支援してくれますか?」


「それは………、大学に行けばアルバイトもできるようになるだろうし………」


「中学の時に新見君がお母様の内職を手伝っていることが問題になったことがあります。その時は家事手伝いということで治りましたが、おそらく新見君は今でもお母様の内職を手伝っていると思います。そこまでして今の生活が成り立っているんです」


「大学に行けばアルバイトはできるかもしれません。でも、それに合わせて今よりもお金が掛かります。例え授業料が免除になっても、今よりは遥かにお金が掛かります。その上で病弱の母を抱えてその生活費を賄えるだけ稼げますか?」


「もしお母様が病弱な体で働き続けて、もしくは新見君が寝る間も惜しんでアルバイトをすればできるかもしれません。でも、それで新見君の才能は活かされますか? それで新見君は幸せですか? それで新見君は体を壊しませんか?」


「そ、それは………」


「どうしてですか? 新見君は望んで今の環境にいる訳ではないです。社会に弾き出されているのに、それでもそこまで努力しないといけませんか? みんな途中で夢を諦めて妥協して生きてるじゃないですか? なのにどうして新見君は努力しないといけないんですか? 蔑み妬み恨まれてまで………、どうしてですか?」


「どれもこれも、誰も彼も求めるだけで誰も救わない。救えない。だって、そうですよね。みんな自分勝手な想いを語っているだけじゃないですか! そこに、……そこに新見君は、新見君の想いはありませんよね。そんなの新居君が可哀想です」


「どうしてですか? どうして新見君にはそれが許されないんですか? 伊藤先輩、どうしてですか………?」


それは、自分のことを棚に上げて人を語るべきではないという言葉。

それは、救えないなら、与えられないなら求めるべきではないという言葉。

それは、本人に委ねられたのならそれを尊重すべきだという言葉。

それは、人が受けるであろう苦痛と労力を人が容易く語るべきではないという言葉。

それらは総じて新見を認め受け入れようとする言葉であり、如何なるものも彼を傷付けることを許さぬ言葉。愛澤はそんな想いが込められた言葉を吐き続けた。

そんな彼女の目には薄っすらと涙が溜まっているのだろう。それが光を反射し彼女の眼の奥の暗く悲しい影をより一層色濃く映し出している。


「あいあい、それは違うよ」

「何が違うんですか? どう違うんですか?」

「だって、双葉達とニート君は仲間だもん。双葉は才能とか気にしないけど、抑制されてるニート君は本当のニート君じゃなくて、抑制されたニート君だからね。それだと楽しくないよ。あっ、違うな。今でも楽しいよ。でも、本当のニート君ならもっと楽しいよ」

「!?………、でも、それって………、若松先輩の……私達の勝手な思いですよね?!」

「う〜ん。そうかもしれないけど、抑制しているニート君は楽しいのかな?」

「………、それは………、でも、私達の思いだけを押し付けるのは間違ってます………」

「う〜ん。それもそうなんだけどね。でも双葉はニート君が楽しいと思ってるとは思えないかな。双葉だったら楽しくないからね」

「………」


愛澤の想いに向かって、それでもそれは違うという想いを込めて発せられた双葉の言葉。

それは新見を認めるものでもなく、否定するものでもない、別のものを示す言葉。

その言葉が意味するものは、愛澤が認め受け入れようとした新見の想いの更にその奥にある新見の本当の想い。それを掬い出そうとするかのような言葉。


「愛衣君の言う通りかもしれない。それでも………、それでも私はもっと自由で楽しそうなニートを見たい。本当のニートともっと沢山のことを一緒にしたい。それを彼の本当の気持ちで何の遮りもない言葉で彼と話したい。こうやって変装するのではなく、もっと自由に生徒会室以外でもニートと自由に楽しく話したい」


そして双葉の言葉を受けて伊織が自分の想いを口にする。

それは夏川先生と愛澤から何度も問われて答えられなかったものが、双葉の言葉によって形を成した想い……、いや、彼女達の想いがぶつかり合った結果導き出され形を成した想いと言えるかもしれない。


「………、もし、新見君に………、新見君と一緒にいて周りから攻められてもそれを押さえつけるだけのものを持った友達ができれば………、新見君も抑制せずに私達も外で話すことができるかもしれません………ね」


そう語った愛澤の表情には先程までの暗く険しい表情はなかった。

むしろ喜んでいるとさえ思える穏やかな微笑みが浮かんでいる。ただし、その頬には一筋の滴が流れているが。


「えっ?」

「あっ、いえ、わ、私も新見君とはもっと話したいですからね」

「あ、ああ、そうだな」


「うん?でも、双葉達とニート君は友達だよ?」

「若松先輩、私達は女性ですからダメです。だから生徒会室以外で話せないんじゃないですか」

「しかし、そんな友達が、友達になってくれる生徒がいるのか………?」

「それは分かりません。でも、中学で新見君に喧嘩を売ってきた生徒の中に一人だけ『何一人でカッコ付けてんだ?!粋がってんじゃない』と言っていた生徒がいました。彼だけは新見君を妬む訳でもなく、単に新見君が一人でいることに腹を立てていたように思います。もし、彼のような生徒が新見君が一人でいることの理由を知ってくれたなら、もしかしたら………」

「ふむ………。そうだな。そんな生徒がいれば良いんだが………」

「じゃあ、双葉達で探しちゃう?」

「それもダメです。そんなことをしても本当の友達とは言えませんから。それよりも、その前に………」

「うん?その前に?」

「その『ニート君』という呼び方は止めませんか?」

「えっ?どうして?」

「皆さんは親しみを込めておられるつもりかもしれませんが、何も知らないでそれを聞いた人まで彼をニート君と呼んでしまいます」

「う〜ん。それは嫌だな。双葉達以外がその呼び方をするのは腹立つ!」

「うむ。それはそうだな、私も今日の試合中にニートと呼ぶのは躊躇ってしまったからな」

「……そうですね。それだけ強い人間を……、ニート呼ばわりするのはいけませんね」

「うん?ことみんも強いよ?」

「私も………、強いです………か?」

「うん?琴美君、どうしたんだ?」

「あっ、いえ。なんでもないです。………それよりニートの呼び方を決めねばです」

「あっ、うん。そうだね。えーっと、う〜ん。………、あっ、そうだ!ニット君はどうかな?」

「ニット?」

「うん。優しく暖かく包んでくれそうだからね!」

「あ、ああ、そうだな……優しく……暖かく……包んでくれる………ポッ!」

「伊藤先輩、どうされたんですか?顔が赤いですよ?」

「えっ?あっ、いや、す、少しそうぞぅ……、あ、いや、なんでもにゃい、そ、そのぉ、良いんじゃないかにゃ」

「本当に大丈夫ですか?」

「あ、ああ、だ、大丈夫だじょ!」

「………」

「うん。それじゃあ、ニット君で決定!」


お互いの思いをぶつけ合い、辿り着いたものが答えとは言えなくとも、今は彼女達なりに一歩前に進んだのであろうそんな少し穏やかな表情をした少女達。

これから彼と彼女らが辿り着く先は何処になるのか? そんな不安を抱きながらも前に進もうとする少女達。

しかしその中に、少し寂しく悲し気な気持ちを隠して明るく振舞おうとしてるような、そんな少女が一人いるように思うのは気の所為だろうか?


第4章 −完−

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