Action.25【 双六 (すごろく) 】

 結婚というゴールを目指した、双六すごろくの駒はいつまで経っても進まない。


 大学時代から交際している恋人と足掛け十年にもなる。プロポーズの言葉を待っているのに彼の方から『結婚しよう』とは言ってくれない。

 もうすぐ私の誕生日、二十九歳と十一ヶ月と二十九日……後、二日で三十歳になる。

 時々デートして、一緒に食事して、週末には肌を温め合う関係を長く続けてきた。

 お互い縛りあわない自由な恋愛だったが、私はアラサーだし、すでに女のしゅんを過ぎている。

 早く結婚して子どもだって生みたいのに、彼ときたら自分の趣味が優先して、釣り、サーフィン、冬になればスキーで結婚資金を貯める気なんてさらさらない。

 ――これ以上は絶対に待てない。このままでは未婚のおばさんになってしまう。

 優柔不断ゆうじゅうふだんな恋人と別れて、新しい恋を見つけるのだ。彼のことは嫌いじゃないけど……進展がない、未練を断ち切って駒を進めよう。


 ――時間切れの恋に終止符を打つ!


 大事な話がありますと彼にメールを送った。

 待ち合わせのカフェで私から話を切り出した。突然別れると言ったら、鳩が豆鉄砲まめでっぽうくらったような顔になったが、さらに薬指の指輪を見せて――。

「私、婚約したの」

 と嘘をいた。

「俺と……二股かけてたの?」

 指輪を凝視ぎょうししたまま、震える声で訊いた。

「出会って、すぐにビビンときたの。運命の赤い糸なのよ」

「おまえとは長く付き合っていたのに……幸せにしてやれなくて、すまない」

 そう言ってこうべれた。

 ……今さら何よ。いつまで経っても煮え切れない男のくせして……別れを女から言わせるなんて最低だよ。

「ううん。いっぱい思い出もあるし、楽しかったよ」

「――そうか、その人と幸せにな」

 そういうと、彼は席を立って出ていった。

 終わった――案外あっさりと、長かった春が、こんな簡単に終わっちゃうなんて……ああ、脱力感でいっぱいだ。

 十年も付き合った人だもの、気が合う友だちみたいな恋人だった。

 そう、願わくば、一緒になりたかったけれど、そんな気持ち彼にはなかったみたい。結局、都合のいい女だったんだアタシ――。

 結婚すると見栄みえを張った以上、彼のいる日本には居られない。

 大学時代の親友がオーストラリアで現地の人と結婚して、オパールの土産物店をやっている。そこで働きながら語学の勉強しようかと思う。向うで出会いがあるかも知れないし、ダメなら日本に帰ってから真面目に婚活しよう。

 雑貨店で買った偽物にせものの婚約指輪を灰皿に捨てて、私は新たな一歩を踏み出した。


 ――吉と出るか、凶と出るか、サイコロを振った!


 キャスター付きの大型スーツケース、肩かけのボストンバック、腰にはポケッシュを巻いた私が駅に向って全力疾走する。

 こんな大事な日に寝坊するなんて最悪! 

 昨夜、思い出の品物を整理していたら朝までかかった。迂闊うかつにもアラームを消して二度寝してしまった。タクシーを使って渋滞にでも巻き込まれたりしたら大変なことになる。

 とにかく駅まで走れ、飛行機の搭乗時刻ギリギリなのだ。時間切れになる前に急げ!

 その時だった、白いワゴン車が目の前で停まった。


「お嬢さん! お急ぎなら乗ってかない」

「ああ! あなたは?」

 車から出てきた男は、私からスーツケースとボストンバックを奪うと後ろの座席に積んだ。

「さあ、乗って!」

「は、はい!」 

「行き先は空港ですね?」

「うん。えっ、なんで空港って知ってるの?」

 その疑問に、運転しながらニヤリと笑った。

「オーストラリアに、俺も行くからさ」

「ええっ! 嘘?」

 どうして? 別れた彼氏もオーストラリアにいくんだろう?

「――俺さ、あの日、先に店を出ていったけど、もう一度、おまえを説得できないかと戻ってきたんだ。そしたら灰皿に指輪が捨てられていた。よく見たらオモチャだったし……これは芝居じゃないかと、ピンときた!」

「そ、そ、そんなことないです」

 ヤバイ! すっかり見抜かれてる。

「それで、おまえの友達に聞き回ったら、婚約なんて知らないと皆が口を揃えていうし、オーストラリアの友達から、おまえがこっちに来るって聞いたから、俺も会社休んで一緒に行く」

「もお~自分の道を進もうとしているのに邪魔しないでよ」

 私が怒ると、彼はポケットから何かを取り出した。

「今さら遅いかも知れないけれど……これ、受け取ってくれないか?」

 古びた包装紙に包まれた小箱の中で、小さなダイヤが光っていた。

「その指輪、実は五年前に買っていたんだ。照れくさくて……ずっと渡せずにいた。結婚資金もちゃんと積立してる」

 本物の婚約指輪、薬指にめてみたらピッタリだった。

「もう手配してあるんだ。ふたりの結婚式をオーストラリアで挙げよう」

「プロポーズもないまま、いきなり結婚式ですか?」

 十年間動かなかった双六すごろくの駒が、一気に『がり』になった。

「急すぎるかな?」

「ううん。ずっとその言葉を待っていたから」

「よっしゃ! じゃあ急ごう」


 白いワゴンは空港へ向けて直走ひたはしる。――時間切れになる前に、二人の愛も搭乗します。

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おばさんの奥義 泡沫恋歌 @utakatarennka

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