解體屋衛門と犬耳の少女

かわせひろし

第1話 獣子の少女

 テロと内乱の時代を迎え、混乱と再編の果てに残ったもの。

 再編された中華連邦共和国、沖縄国連自治区と、そして孤立し民族主義を強めた日本。

 環境問題は解決することなくむしろ悪化し、法の統治は弱まり、暴力、恫喝、金や地位、権力に群がる腐敗など、むき出しの力が横行する世界。

 その中で小さく弱い命は、翻弄され、人知れず露と消えていく。

 それは小さな出会いだった。

 求める人と、求められる人の、小さく幸せな出会い。


 少女が一人、とぼとぼと、人ごみの中を歩いていた。

 日が落ちて、熱帯特有の包み込むような暑さは、だいぶ和らいでいる。オキナワの海を望む海岸通りには、月の光に照らされきらめく夜の海の、幻想的な雰囲気を楽しもうと、大勢の観光客が繰り出していた。

 少女の姿は、その華やいだ場に、まったくそぐわないものだった。

 フードを目深に被り、もっさりとしたローブで体もすっぽり覆い隠している。道行く人をどこかおびえるように避けながら、小学生ぐらいの小さな体を、ますます小さく丸めるようにして歩いていた。

 通りには、観光客目当ての屋台が立ち並んでいる。少女はおなかをすかせているようで、屋台から漂う食欲を誘う様々な匂いに、ごくりとのどを鳴らした。

 とうとう耐え切れなくなったのか足を止め、その屋台の一つを、大きく気根を張ったガジュマルの木陰から、そっとのぞく。

 屋台はオキナワの定番、タコライスの店だった。ご飯の上に、メキシコの郷土料理タコスの具を乗せたもの。レタスの緑、トマトの赤と、彩りもきれいで、たまねぎと炒めてスパイスを効かせた挽肉の香りが食欲をそそる。

 布地の屋根につかえそうな、ひょろりと大柄な男が料理を作っていた。手際よく、手馴れた様子でパックに盛り付ける。

 もさっとしたくせ毛の陰に隠れ、表情はよく見えない。それに劣らず無愛想な声とともに、出来上がった料理を差し出した。

「はい、タコライス、お待ち」

「メニューの写真と違うぞ?」

 差し出された料理に、客がいぶかしむ声を上げる。腕に彫り物をした、品のない大陸系の男。それに応じた、いかにもな感じの女を連れている。

 ただ、その客が疑問を持つのは当然だった。写真をプリントしてラミネート処理しただけの安っぽいメニューとはいえ、実物は明らかに色が違うからだ。かかっているソースが紫色で、タコスのサルサソースのイメージとはだいぶ違う。

「それは、特製のソースだよ。トロピカルハーモニーソース。お勧め。無料サービスだから」

 どうやら勝手にかけたらしい。ただ、無料というマジックワードが、客の疑念を溶かしたようだ。

「まあ、サービスなら……」

 そうまんざらではない様子で、一口、口に含んだ。

「ぶうっ?」

 そして盛大に吹き出した。

「な、何だコリャ! まずっ! げろまずい!」

「えー、そんななの?」

 男のリアクションを大げさだと思ったのか、笑いながら女も一口食べた。

「ぐぷっ?」

 こちらも吹き出しそうになったが、食べ物を吐くのはよくないとついついこらえてしまったため、より悲惨なことに鼻から挽肉が飛び出した。

「こんな物食えるか! 金返せ!」

 涙目になりながら、男が抗議する。女はしゃがみこんでしまっている。それほどの様子なのに、屋台の男に動じた様子は一切ない。しれっと言い切った。

「まずいはずがない。俺が丹念に仕上げた特製ソースだ。まずいと感じるなら、お前の舌がおかしい」

「ふざけんなよ、この倭猿が」

 客の男はぐいと胸倉をつかんだ。ただ、屋台の男はびくともしない。ひょろりとした印象だが、よく見ると、かなり鍛え込まれた体をしている。

 逆に造作もないというふうに、客の男の腕をねじり上げた。悲鳴が上がる。

「おい、何やってんだよ、エモン!」

 そこに別の男がやってきた。屋台の様子を見て、すぐに事情を察したようだ。

「お前、またやったな! 何もするな、盛り付けて出せばいいからって、言ってあったじゃん! どこに隠してあったんだよ、その自家製ソース! すいませんお客様、お代はお返ししますので……」

 どうやら、こちらが屋台の主人。エモンと呼ばれた男は、店番だったようだ。それを察した客の方は、まったく収まりつかない様子で、屋台の主人に噛み付いた。

「どうしてくれんだ、この始末! この店じゃ、食えないもん出して金を取るのか!」

 これ見よがしな大声に、道行く人が振り返る。軽くひねられた恨みもあるのだろう。客は大事にする気満々で、店主はひたすら、平身低頭で頭を下げている。

 ところがエモンは、それをまるで他人事のように眺めていた。本当に、客の舌がおかしいと思っているかのようだ。


 その時だった。


 木陰から様子を見ていた少女が、屋台に駆け寄ると、台に戻されていた激まずタコライスの容器を、ぱっとつかんだ。そして、そのまま走り出す。

 食い逃げだ。

 それに対するエモンの動きは、大柄な身体から想像もつかないほどに俊敏だった。

 屋台から飛び出すと、大きなストライドで少女のあとを追う。少女の方は、一生懸命走っているが、どこかおぼつかない足取りなので、あっという間に追いついた。

 長い腕を伸ばして、少女の肩をつかむ。引っ張られた弾みに、少女の身体がくるりと回り、タコライスの入った容器がその手から離れる。

「あっ」

 二人同時に声が出る。プラスチック製の容器は、落ちてぱきんと乾いた音を立てる。タコライスが地面にぼそりとこぼれた。

 だが、まずいと客が騒いでいる食べかけの料理を奪うぐらいだ。よほどおなかがすいていたのだろう。少女はさっとしゃがみこんで、その落ちたタコライスを手づかみですくうと、口に押し込んだ。

「おい……!」

 エモンが少女の顔を両手で挟んで、上を向かせた。少女は、涙を浮かべ、瞳を潤ませながら、もぐもぐと口いっぱいにほうばっている。苦しそうにえづきながら、それでもむりやり飲み込んだ。

 その時、ばさりと、頭をおおっているフードが外れた。

「!」

 エモンは目を見張った。

 少女の頭の上、黒髪の中からちょこんと、動物の耳が生えている。

 猫耳、いや、犬の耳か。

 下を見るとはだけたローブから、やはり犬の尻尾の先端が、ちらりとのぞいていた。

 エモンは小さな少女をじっと見つめた。

 ゆるいローブに隠れているが、手足や胸元から、やせた様子がうかがえる。顔立ちは幼い。つぶらな瞳。小さな鼻。年は十を過ぎた辺りか。

「エモン、どうしてくれんだよ、払い戻しだけじゃなくて、さらに金取られたぞ……おい、その子」

 あとを追ってきた屋台の主人も、少女のその姿を見た。エモンの袖を引っ張って、耳元でささやく。

「おい、エモン、関わりあうなよ。獣子ショウツじゃないか。しかもあの年でって、まともじゃないぞ」

 言われなくても、エモンにも分かっている。

 再生医療によって、身体のパーツが自由に作れるようになり、さらにそれが進んで、実際にはない部品も作れるようになった。一部の人間はそれをファッションとして、自分の身体を改造するようになった。例えば吸血鬼風に、耳を尖らせ瞳の色を変える。例えば天使のように、自分の背中に羽根を生やす。

 だが、その技術は一方で、よこしまな目的に使われるようにもなった。特に人の胚を使ったクローンを実用化するなど倫理観の低い中国大陸では、そちらが盛んに行われた。特殊な客の嗜好に応じて、売春婦の身体を改造するのだ。

 そしてそれは、黒孩子ヘイハイツと呼ばれる、戸籍を持たない人間であることが多かった。嬰児誘拐や人身売買が、社会に存在するはずのない、弱い立場の人間を作り出す。

 少女の風貌は、まさにそういう人生を歩んできたことを物語っていた。

「ふむ……」

 エモンは少女をじっと見つめる。

 少女は、身をすくめて、まさに子犬のようにプルプルと震えていた。

「……だが、見所がある」

 誰に言うともなくうなずいて、エモンは少女の手を取り、ぐいと立ち上がらせた。

「ソースの件は悪かったよ。埋め合わせはするから。それじゃ」

「ちょっと、おい、エモン……?」

 引き止めようとする店主も、おびえる少女も気にすることなく、エモンはそのままその少女を引っ張って、大またで歩き始めた。

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