2.ネガティブフラワーは望みがない

1

 もう何にも期待なんかしないと思った時、あいつは私の前に現れた。


 昔からそうだし、今でもそうだけれど、あの頃の私は特に最悪だった。

 自分は選ばれた人間じゃない。すごい才能があるわけでもないし、人付き合いも得意じゃないし、取り立てて運がいいわけでもない。どこにでもいる、どうとでも取り替えのきく、その他大勢の一人。――私からすれば、誰より特別な人にとっても。

 そんなちゃんと分かっていたはずのことが、ひどい重さになって圧し掛かってきて、そのせいでまた失敗して、大切なものを失ってしまった。


 自分というものの全てが情けなくて、嫌で嫌で仕方なかった。

 一方で分かっていた。こんなに激しい思いですらも、世の中の全体からすれば、“よくある”ものに過ぎないのだと。

 きっと誰もがこんな失敗をして、こんな気分を味わって、それでもいつかは乗り越えて、忘れて生きていくのだろう。きっと自分もまたそうなるのだろうと。


 ――それがまた、私が凡人に過ぎないことの証明のようで。


 いっそ何もかも終わりにしてしまえば、少しは特別の資格が手に入るだろうか。

 凡人の私に、それほどの勇気が示せるだろうか。


 そんなことを考えていた時に、あいつは現れて、こう言ったのだ。


 魔法少女になりませんか、と。







「……いらっしゃい」


 玄関を開けて出迎えた花紗里は、当然ながら制服ではなく、黒いTシャツにデニム姿だった。

 住宅地の一角にある、何の変哲もない一軒家。迷わず時間通りに訪問できたことに、由はひとまず胸を撫で下ろす。


「お邪魔します」

「スリッパ、そこにあるのを使って。……烏龍ウーロン茶とジュース、どっちがいい?」

「ええと、じゃあ烏龍茶で」


 言いながら台所に消えた花紗里を目で追い、それから靴を脱いで中に上がる。

 静かな家だった。両親は出かけているのだろうか。思わず無遠慮に見回しそうになったところで、盆を持った花紗里が戻り、慌てて居住まいを正す。


「こっち」


 彼女はそう言ってさっさと歩き出した。

 ……普段学校で会う時よりも、心なしか機嫌が悪そうに見える。やはり強引に頼んだのはまずかっただろうか。


(……まあ、ここまで来て後悔しても遅いんだけど)


 由は意を決して後に続く。

 階段を上がってすぐの部屋に通される。そこが花紗里の自室であるようだった。


 物の少ない部屋だった。

 机に本棚、小さな衣装箪笥。それらが壁の一面に並び、反対側には淡い色合いのベッド。

 窓にかかったレースのカーテンは、穏やかな風に揺れている。この日は春にしては暖かい。外を歩いてきた体にはありがたかった。


「どうぞ」

「ああ、うん。どうも」


 入口で立ち止まっていると、再び言葉少なに促される。 

 反応はややぎこちないものになってしまった。異性の部屋に入るのは初めてではないものの、かと言って慣れているわけでもない。

 ましてや、二人きりでとなれば――


「こんにちは。お待ちしておりました」

(――いや、別に二人きりじゃなかった)


 由は白い鴉に挨拶を返した。

 その冷静な声に、浮つきかけていた心が急速に鎮まる。


 部屋の中央には絨毯じゅうたんが敷かれ、クッションとローテーブルが整えられている。

 テーブルの上にあるものは、花紗里が運んできた菓子と飲み物。そして一つだけ周りと不釣合いな、ペットショップでよく見かける止まり木。

 無論、そこには喋る鴉がいた。


(まったく……。そりゃ同席しないわけがないだろ。何を考えていたんだ、僕は……)


 すすめられたクッションに腰を下ろしながら、由は自らの気を引き締め直す。

 花紗里は、不本意だというのに、自分のために時間を割いてくれているのだ。せめて集中していなくてはならない。


「先日は名乗る時間もありませんでしたので、改めて。魔法少女ネガティブフラワーの介添かいぞえ白鴉ハクアと申します」

「あ……どうも。南ヶ川由です」


 止まり木の鴉は丁寧に礼をする。由が落ち着くのを完璧に見計らったタイミングだった。

 ……改めて見ると、彼こそが、最も不思議な存在に思えるかもしれない。人語を喋り、動作も人のような、白い鴉。

 しげしげと見つめる由の視線を受けて、白鴉は小さく首を傾げた。これもまた、人の反応に近い気がする。


「ふむ。私のことを疑問に感じておいでですか?」

「……そうだね」

「なるほど。ではネガティブフラワー。まずはそこから始められてはいかがです?」

「ん」


 花紗里が頷く。

 彼女は両手で氷入り烏龍茶のグラスを持ち、一口飲んだ。そうして口を開いた時も、視線は手の中のそれに注がれていた。


「……じゃあ、説明するけど。白鴉は、私を魔法少女にスカウトした張本人なの」

「スカウト?」

「そう」


 揺られたグラスの氷が崩れ、からん、と涼しげな音を立てる。


「白鴉とか、その仲間たちは、違う世界からやってきて、才能の……まあ、ありそうな子を探して、魔法少女にするんだって。アニメとかでも、よくマスコットのキャラクターがやってるでしょ?」

「ふうん……。違う世界っていうのは?」

「こちらの物質世界とは異なり、しかし重なっている世界です。二つの世界は影響し合う関係にあり、ゆえに我々はこちら側での活動に意義を見出しています」

「……だって。よく分かんないよね。……それで、私を魔法少女にした後は、監督役兼アシスタントって感じ」


 由は腕を組み、視線を落として唸った。

 信じられない――と、話だけ聞けば思ったに違いない。今の自分は、真実であろうことが分かる。……彼女が他人と付き合おうとしないのは、こういった秘密を隠さなければならないからなのだろうか?


「……」


 ――思案していると、ふと視線を感じた。

 由は顔を上げた。グラスを安全装置か何かのように抱え、上目でこちらを窺う花紗里と目が合った。


「……笑わないの? 南ヶ川くん」

「笑う?」


 目を瞬かせる。質問の意図が分からなかった。


「そりゃ、現実離れした話だと思うよ。でも僕はもう実際に、怪物がいたり、山潟さんがそれを倒したりするところを見てるから」

「ううん。……そうじゃなくて」


 花紗里は表情を歪めた。白い顔にはうっすらと朱が差していた。

 消え入りそうな声が言う。


「……魔法少女とか、さ。この年でだよ。衣装だって、あんなの着なきゃいけないし」


 ……やはり、分からない。

 首を傾げて疑問を表明する。なぜそんなことを心配するのかと。


「まだ、よくは分かってないけど。山潟さんは、白鴉さんに頼まれて、仕事――みたいなものをしてるんだよね?」

「そう理解していただいて問題ありません」

「うん。なら、そんなの笑うようなことじゃないし。それに、服もすごく似合ってたよ。綺麗だった」

「きれい、……」


 花紗里は目を丸くした。もはや耳まで赤くなっている。

 何かおかしなことを言っただろうか。にわかに不安になる由が見つめる先で、彼女は俯き、ぽつりと零す。


「……趣味悪いよ」

「え……あ、ご、ごめん!」


 慌てて、意味もなく両手を振る。

 由の脳裏に浮かんでいたのは、自分が蛇の怪物に襲われているところに現れ、鮮やかにそれを倒す彼女の姿だった。

 主観では、あれは間違いなく綺麗で、かつ格好良かったと思うのだが。自分と同年代の女子が褒めてほしい服装というのは、ああいうものではないのかもしれない。


「……」

「……」


 気まずくなって、二人は共に飲み物を口に運んだ。そのタイミングがきっちり重なり、なおさら曖昧な雰囲気が形成される。

 このままではよろしくない。由は救いを求めるように白鴉を見た。彼はまるで動じていない、どころかこの状況の意味すら察していないようだったが、その姿は本来の目的を思い出させてくれた。


「そ、それでだ! 白鴉さんが――」

「ああ、私のことは名前だけでお呼びください」

「……白鴉が、魔法少女の相棒……介添だっけ? って言ってたけど。じゃあ、そもそも魔法少女っていうのは何なの?」

「あ、ああ、うん。そうだね」


 花紗里もまた気を取り直し、小さく咳払いをする。


「ええと……まず、魔法少女は――」







 花紗里は語る。

 魔法少女は、第一に、由が襲われたような怪物たち――バッドと呼ばれるものどもを、倒す役目を持っているのだと。


 バッドは全ての生物を獲物と見なしている。

 彼らは姿も能力も様々だが、その行動原理だけは変わらない。

 そして、通常の手段で対抗しようとしても、死ぬことも傷付くこともない。


 ゆえに、魔法少女が必要となる。

 彼女たちは各々の武器と魔法でバッドと戦い、これを倒す。

 そしてそうすることができれば、人々の記憶からも、過去の事実からも、怪物とその影響は消え去る。

 なかったことになる、とはそういう意味だ。この現象が修復と呼称される。


 先日の蛇のバッドの一件を例に挙げれば、あの部屋の扉は壊れなどしなかったかのように元に戻った。尋正の体に付着した消化液は跡形もなく消え去り、その後意識を取り戻した彼は、何も覚えていなかった。

 化けたバッドが担っていた役職には、既に新たな教師が就いていた。そして誰もがその教師のことを、前からいたと認識していた。


「……もっとも、南ヶ川くんは、一度私が助けた時のことを、少しだけ覚えていたみたいだけど」

「そうだったんだ……。どうしてなのかな」


 その説明で、由は花紗里がひどく気になった理由が分かった。

 だが、修復が完璧なものであるなら、そんなことは起こらないのではないか。


 その疑問には、白鴉が答えた。


「稀に、修復のような現実を改変する力に対し、抵抗力を持った人間がいるのです。それでもほとんどの場合、残った記憶はごくおぼろげなもので、いずれ忘れてしまうのですが」

「……僕は、山潟さん本人と会ったから、記憶が刺激された?」

「その通りかと」


 鴉が頷き、花紗里が溜息をつく。


「……本当、ついてなかった。まさかあんな会い方するなんて」

「それは……ごめん」


 由は頭を掻いた。

 出会ったこと自体は偶然であり、自分に落ち度がないのは分かっていたが。


「でも、本当にありがとう。僕はこれでもう二回も、山潟さんに命を助けられたってことだろ。早く言ってくれればよかったのに」

「……だって」

「それに、あの蛇の怪物の時に見た、花火みたいな爆発とか……あれがきっと、魔法なんだよね。驚いたよ。すごかった」

「…………」


 由はやや興奮気味に語った。

 花紗里はうやむやに口を開閉させた。その頬が再びかすかに染まっている。

 どうしたのだろう。いぶかしむ由の視線の先で、彼女はぼそぼそと呟く。


「……自分がそんなことしてるって知られるの、恥ずかしい、し。魔法だって、大したことない。音と光を出したり消したりして、囮にしたり、気付かれなくしたり、できるくらい。もっと戦いに使いやすいのがよかった」

「そうかな……?」


 先程も感じたが、そう不安がるようなことだろうか。むしろ大勢の人を救っているのだから、胸を張ってもいい気がする。魔法にしても、あの鮮やかな手際からして、大したことがないとは思えない。

 そこまで考えて、由の脳裏にひらめくものがあった。


「あ、ひょっとしてだからネガティブなの?」

「え?」

「ほら、白鴉がネガティブフラワーって呼んでるからさ。どうしてなんだろうって思ってたんだ」

「由来としてはそうです。私がネガティブフラワーを見出した理由の一つは、彼女の負の思いの強さでしたから」

「ちょっ――」

「負の思い?」


 慌てた様子の花紗里に、しかし由は気付かず身を乗り出した。

 魔法少女という語の響きとは、あまりにもかけ離れた言葉を聞いて。


「はい。我々が魔法少女を選出する基準は二つあります。一つは単純に、魔力の多寡たか。そしてもう一つが、思いの強さです」

「……負の?」

「危険なものでなければ、質は問いません。どのような方向を向いていようと、強い思いは魔法の出力を向上させますので」

「へえ……」

「……はぁ」


 大きな溜息が聞こえた。

 見れば花紗里が頭を抱え、白鴉を睨みつけている。そして恨めしげに言った。


「……なんで言うの、それ」

「止められておりませんでしたので」


 事もなげに答える相棒に、彼女はなおも言いつのる。


「だからさ、やっぱり変だって。ネガティブフラワーなんて名前」

「同意なさったではありませんか。変更はできないとの確認もしたはずですが」

「だってあの時は、人に知られることになるなんて思わなかったから」

「――と、とにかく、やっぱり山潟さんはすごいよ! 何であれ危険な怪物と戦って、平和を守ってるんだからさ!」


 露骨に強引な話題の転換に、花紗里は由にもまた物言いたげな視線を向けた。白鴉もまた向き直る。こちらは責める雰囲気ではないものの、それだけに何を考えているのか読めず、落ち着かない。

 初対面の時を思い出す沈黙の後、やがて、花紗里が首を振った。今回は不問に付す、と述べるかのごとく。


「……別に。ボランティアってわけでもないもの」

「そうなの?」

「そう。バッドを倒すと、願いを叶える宝石みたいなものが貰えるの。……なんだっけ?」

「マターですね。修復の際に発生する、現実改変因子の余剰分です」

「……願いを、叶える?」


 由は目を丸くした。今まで聞いてきた話の中でも、最大級に途方もないことだ。


「はい。願いの規模や難度によって、必要量は異なりますが」

「そうみたい」


 少女と鴉が揃って頷く。

 ……なるほど、魔法があるのだから、不可能だとは思えない。そしてそんなことができるなら、危険な戦いをする見返りとしても確かに十分なのだろう。


「……じゃあ、山潟さんも、何か叶えたいことがあって魔法少女をしてるんだ」

「私は――」


 だが予想に反し、花紗里は言い淀んだ。

 奇妙な反応だった。明確に意図を持って発しかけた言葉を、突然見失ってしまったかのように、彼女の視線は宙にさまよった。


「……いや、決まってない。とりあえず貯金、みたいな感じ」

「……そっか」


 どこか腑に落ちない違和感に、由は首を傾げた。

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