エピローグ

 エーリッヒとナライが祝言をあげてから三年。

 草原での暮らしは少しずつ変わっていた。

 西方との貿易や東方への開拓により、この大草原での暮らしは少しずつ文化的に豊かに変わっていた。貿易の為に本格的に決まった場所に腰を据える計画を立てた氏族さえ現れた。

 

「エーリッヒ! さっさと起きなさい! 息子に示しがつきません!」

「だ、だって~! 西方から来たお酒が~!」

「東方の開拓地から来た鬱金狐ウコンの爪を煎じたものです! 二日酔いにはこれが一番ですよ! 飲みなさい! すぐ飲みなさい! 飲みなさい!」

「むぐう~~~~!」

「ほら、部屋の入口を見なさい! ロアが心配で見に来ているんですよ!」


 エーリッヒに良く似た紫色の瞳の子供が部屋の入口から二人の様子を見ている。呆れ返っているのかやや苦笑いだ。


「それは、ナライが騒ぐせい……だ」


 とてつもなく渋い鬱金狐ウコンの爪の煎じ薬を飲まされてエーリッヒは苦悶の表情を浮かべている。


「お母様、あんまりお父様をいじめちゃ駄目だよ?」

「ロア! 貴方まで!」

「お祖母様が二人共早く来なさいだってー」

「二人で私を悪者扱いですか! まったくなんて話でしょう! これは妹も作るしかありませんね!」

「えっ、僕お兄ちゃんになるの?」

「そうですよロア。妹の名前を貴方がつけるのも良いかもしれませんね」

「やったー!」

「でもお勉強しなくちゃ駄目ですよ。良い名前をつける為には知識も必要です」

「うん、僕お勉強する!」

「偉いわねロア。今エーリッヒを引きずっていくのでユミルおばあちゃんに伝えてきて?」

「分かった!」


 ロアは部屋を出て祖母の居る別の携帯住宅ゲルへと駆けていく。

 オーゼイユを討ち果たした英雄と言っても神の御使いであるアプロと別れたなら只の人。エーリッヒは今や子供にも恵まれ普通の狩人としての生活を送っていた。あともう数年もすれば龍血ブルー・ブラッドも使えなくなり、狩人としても引退である。


「それにしても平和になったなあ……村の子供もここ数年で弓と乗馬以外の勉強をすることが増えたし」

「違ったのですか?」

「オーゼイユの活動が此処最近無いからね。そういうことをする余裕もできたのかもしれない。あと……ナライが西の文化を伝えてきてくれるからね。皆新しいことには興味津々なんだよ」

「それは喜ばしいことです。生活に役立つ物や知識は次々取り入れて、人が人としての生活を豊かにする。そうやって進歩を続けるのが人間としての幸せだと私は私だった人間に教えられました」

「きっとこれからもっと良い時代になるよ。もしかしたらまた何かの危険が草原に迫るかもしれないけど、その時にはその時の勇者が現れる。その時の勇者を支える為に俺達は俺達に出来ることをすれば良い」


 あの時、オーゼイユの変化の可能性を摘んでしまった人間としてエーリッヒはそう考えることとしていた。

 勿論それが自己満足だということは分かっている。

 だけど、ナライの為に自分の我儘を通すと決めたのだ。どんな結末を迎えようとも、一度選んだその自己満足を通すのが筋というものだ。


「勇者と言えば、アプロさんが先程いらしてましたよ」

「なんだって!?」


 エーリッヒはくるまっていた毛布を投げ捨てて飛び起きる。


「あらあら、やっぱりアプロさん大好きなのですね。今は果羊バロメッツの放牧地で待っているそうですから行ってあげて」

「うん! 朝ごはんは要らない! 食べておいて! 二人っきりで会ってくる!」

「もう……何時迄も子供なんだから」


 馬頭琴を片手に飛び出したエーリッヒを見つめるナライの瞳は優しかった。


 *****


「おう、ごす。久しぶりだな」

「アプロ! 本当に来たのか! あの後何も言わずに居なくなっちゃうから心配していたんだぞ!」

「まあ少し走りながら話でもしようぜ。ちょっとこの三年で色々有ってな。おいらの背中に乗れよ」

「うん!」

「おっと、少し重くなったな。ちょっと見ない内にでかくなりやがって……」


 早朝の草原の真ん中で一人と一匹は再会した。

 三年の月日も彼らの関係を変えることは無く、出会ってすぐに二人は草原を駆け始める。


「龍泉の様子はどうだい?」

「まだ変化したりオーゼイユが出てきそうな気配は無いよ」

「じゃあおいらの出番まではあと二十年はかかるなあ」

「この後どうするつもりなんだよ?」

「お前達人間が知らない場所へ還ろうかとも思っていた」

「今は違うの?」

「オーゼイユを見てて思ったんだがね。おいらも人の側で生きていたくなった。戦う為ではなく、命を育む為にな」

「どういうことだよアプロ?」

「おいらとオーゼイユは元より同じ所から生まれた存在だ。だったらナライさんじゃなくておいらがオーゼイユと一つになれば、草原の民とオーゼイユの架け橋になれるかもしれない」

「それって……お別れってこと?」

「どの道おいら達はもう会えない筈だったんだ。それならいっそお前達の側でお前達の生活を見守ることができる方が良い」


 エーリッヒは黙り込む。

 なんと言えば良いのか、彼には分からなかった。

 だが今度は止めてはいけない気がした。

 しばしの黙考の後、彼はアプロに問いかける。


「お別れだけど、お別れじゃないんだな」


 アプロは足を止め、背中の上の主に振り返り、我が意を得たりと頷く。


「そうだ。さよならなんて言わないぜ」


 エーリッヒはアプロの背中から降り、彼の隣に立つ。


「俺もさようならとは言わないよ。これからもよろしくな、相棒アプロ

「おう、あのちびごすのことも見守っててやるさ」

「ロアと会ったのか?」

「おうよ、お前ほどじゃないが良い目をした子供だった」

「良い目をするようになるさ。これからね」

「ふふっ……すっかり親ばかだなごす

「お前の名前をもじったんだぞ?」

「へへへ、だから素直に褒めづらいんだっての」


 一人と一匹は顔を見合わせて頷く。


「そんじゃあなっ」


 アプロは軽い調子でそう言い残すと丘から遠く龍泉へと大跳躍を見せる。


 空に美しい弧を描き、吸い込まれるようにアプロは龍泉の中へと消えていった。


「行っちゃったか……」


 エーリッヒは持ってきた馬頭琴を取り出すと、もう会えないであろう友の為に、彼が愛し父が好んだ異国の旋律を奏でたのであった。

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魔奏の射手~龍骸都市異伝~ 海野しぃる @hibiki

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