制服王

@rice13

第1話


プロローグ



 暑い。ただひたすらに。

 まるで砂漠の中にたたずんでいるみたいだ。砂漠なんて行ったことないけど。


 頭上からは太陽の日差しが容赦なく突き刺さる。土の地面からも、熱がもわもわと立ち上がっている。

 流れる汗が止まらない。胸に流れる大粒の汗がやたらとはっきりと感じられる。体の中にこんなに水分があるんだと、今さらながら驚かされる。汗を出し尽くして干物になりそうな勢いだ。

 周囲がぼやけて見える。周囲の声もぼんやりと聞こえる。遠くから響くセミの鳴き声だけがやたらとはっきりと聞こえる。

 俺の目の前には、マスクとプロテクターをつけミットを構えた男が座っている。その斜め前には、ユニフォームを着てヘルメットをかぶり、バットを構えた男が立っている。そうした見慣れた光景が、陽炎のようにゆらゆらと揺らめいている。

 距離にして十七メートル。だが、今はその距離が外野席への遠投のように遠く感じる。

 もう投げたくない。

腕が上がらない。

 どんな球を投げてもまた打たれる気がする。

 ボールが外野に点々と転がり、ランナーが走り、また、スコア―ボードの相手の点数が増える。

 塁上には変わらず、相手チームのランナーが残る。

 そんな終わりのない繰り返し。悪いイメージしか浮かんでこない。


 暑い。ただひたすらに。


 何で、こんなところまで来て、こんな拷問のような思いをしなければならないんだ。

 このまま逃げてしまいたい。

 思考が太陽の熱で溶けてしまいそうだ。このままぶっ倒れでもしたら、ここから逃げられるのだろうか。


「がんばれ!」


 遠くから声が聞こえた。

 周りのざわざわした中でも聞き取れる甲高い声。聞きなれた声。


「がんばれえ~~っ!!」


 その声が一際大きくなった。

「うるせえな。俺はがんばっているよ」

 俺はつぶやくように言った。だが、不思議なことにその声を聞くと、心がふわっと少しだけ軽くなったような気がした。安心できる声。寄り添える声。


「最後まであきらめるな~!!!」


 俺は暑さにぶっ飛びそうになっていた意識をなんとか引き戻した。

 緊迫した状況に合わず、笑みが浮かぶのを感じた。

「しゃあねえ。やるか」

 試合は六回裏。八対一でリードされている。

 野球の試合としては、絶望的と言える状況だ。

 ちなみに、中学野球大会のルールにより、十点差以上になったらコールドゲームで、その時点で試合終了になる。いっそ、わざと打たれてコールドにしたいところであるが、そうもいかない。何より、途中で投げ出しでもしたら、あいつが許してはくれないだろう。

 今さら逆転なんてありえない。これが少年マンガだったら、あるいはここから味方がばかすか打って奇跡の逆転という展開もあるかもしれないが、残念ながら、現実はそんなに甘くはない。

 彼我の戦力差は明らか。相手は全国大会の常連校。それに対してこちらは運だけで勝ち残ってきたようなものだ。簡単に逆転させてくれるような甘い相手ではない。だけど、せめてこの場だけはなんとか乗り切らないといけない。

 遠くからの声に支えられるように、俺は白球を握りなおすと、キャッチャーの方を見た。そして今日、もう百回以上繰り返している動作をまた、繰り返した。

「よっこらせっと」




 気が付くと、そこはベッドの上だった。

手を伸ばせばすぐそこに、窓を覆う薄い緑色のカーテンがある。

 カーテンの隙間からわずかに明かりが差し込んでいる。雀のチュンチュンという声が聞こえる。もう朝のようだ。


 久しぶりにあの頃の夢を見たな。


 ずいぶん遠い昔のように思えるが、まだ一年と数か月前に過ぎない。

あの試合の後、しばらくは、投げては相手バッターに打たれる夢をしょっちゅう見てはうなされていたが、ここ最近はあまりその夢も見なくなっていた。時間が経って大分落ち着いたせいか、夢の内容もだいぶ穏やかに感じた。

 時計を見ると六時十分。まだ、起きるべき時間まで五十分ほど余裕がある。だが、意識が覚醒していて、二度寝は難しそうだ。

 仕方ない。もう起きよう。

 カーテンを開くと、朝の日差しが差し込んできた。

 季節は十月の終わり。もうだいぶ夜明けが遅くなってきているようで、晴れているのにも関わらず、まだ薄暗い。

 窓からは、あいつの家が見えた。すぐ隣なのだから当然だ。距離にして二十メートルほどだろう。ちょうど俺の部屋から見える部屋があいつの部屋だ。だが、淡い黄色のカーテンがかかっていて、中の様子はうかがえない。

 窓を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。


 俺は両頬を軽くたたくと、夢の余韻を絶った。また、退屈な一日の始まりだ。

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