Chapter1【an Encounter】

Stage1_グラトン《glutton》

「さっきの二人だよ、それ」

「……は?」

 平の声がぽろりとこぼれる。

「なんで放っておいたの!? あの二人、グラトンに喰われるわよ!」


 グラトン、それはあたえたいらが名付け、追っている魔物である。

 スマートフォンを使うものの心に住み着きスマートフォン依存にさせる存在。ヤツらに取り憑かれると、宿主は無意識にスマートフォンを操作してしまう。

 ヒトの時間をむさぼり喰う――それゆえに大食漢グラトンと名付けたのだ。


「大声出さないでよ。喰われるって言っても時間でしょ」

「それが問題なんでしょ!」

「あの二人に構う方が時間喰われちゃうよ。それに無賃だってのに、蹴られた相手の面倒とか見たくないし」

「それはそうかもしれないけど……」

 あたえ慈善事業ボランティアじゃあるまいし、と悪びれもせずに返すと、平は肩をすくめて溜め息をついた。

「でもなにか手がかりがあるかもしれないでしょ」

「色々知ってるグラトンならそれなりに強いはずだし、それなら俺に喧嘩売ってきてるよ。宿主の身体を多少は操れるレベルなら探りも入れてくる」

「はいはい、もうわかったわ……。でも約束して、ああやってアタエに危害を加えてきた宿主以外は救うって」

「……」

 握りしめられた拳と比べて、平の声はどこか力ない響きだった。

「それは、あたしにはできないことだから」

 平の顔は街灯には照らされず、表情は解らなかったが、それでもあたえは気分が悪くなった。

 夜風を肺に詰め込んで吐き出す。

「じゃあナクド・マルドのチーズバーガー奢ってよ」

「はぁ?」

「お腹減ったんだ」

◇  ◆  ◇  ◆


「――で、そんなに喰うのかあんたはッッ!!」

「一個とは言ってないでしょ、俺」

 チーズバーガーが五点盛りにされたトレーを前にしたあたえの口調は柔らかかった。

「普通に考えて一つでしょ! 遠慮してよ!」

「俺、食べても太らないんだよね」

 チーズバーガーの包みと大口を開き豪快にかぶり付く。このジャンクさが彼にはたまらなかった。

「聞 い て な い わ よ !」

 平は自分のトレーに小さいサイズのお茶しかないことを気にしながら叫んだ。



「うぇ、はいらハン はっきの二人ふはりは置いほいへ、他には居ほう?」

 いつの間にかチーズバーガーは数を減らして、あたえは早々と五つ目をほお張っていた。

「食べながら喋んないでよ……。 ちょっと待って」

 平は目を閉じてこめかみに人差し指をあてて、しばらく押し黙った。

「ああ、さっきからそう遠くないところに一体いるかな」

 赤茶けた目を開くと平はそう告げた。

 とはいえこのハンバーガーショップが先ほどの場所から離れているためあたえには距離感が分からなかった。

「ふーん、強そうなの? それ」

「さっきは気が動転しててそれどころじゃなかったから比較はできないけど……」

「んじゃあ今までと比べて」

 平は気軽に問うあたえに眉をひそめる。

「まあ、それなりに強い方かも。 今までのなかじゃちゅうじょうくらい?」

「ンならいけるね。平サン、ごちそーさま」

 あたえは合掌ののち指をペロリと舐めた。積まれたチーズバーガーはすでに無くなっていた。

◇  ◆  ◇  ◆


「で、これはどういうことなのかな?」

「あたしが知るかッ」

 人通りの少ない通りにたどり着いた二人の眼前には、先ほどの鼻ピアス男とサングラス男がいた。


が、その様子は明らかに異常おかしかった。


『アッ、アッ、おがッ、おがねッ! おがねッ!! ぢがうッ! スマホッ! ズマホがッ! 俺はッ! オレは!? おれゎッ!? わッ!?』

「ちょっと、リョウくんどうしたの!? さっきからおかしいよ!」

 スマホ片手にうわ言のようにひとり喚く鼻ピアスと、そばでおろおろとするサングラス男。特に鼻ピアスの方は眼球があっちへこっちへと回ったまま焦点が定まらず、身体は痙攣けいれんして、サングラス男の声も聞こえていないようだった。

 そのとき鼻ピアスの身体がぶるりと震えて、煙のようななにかが漏れだす。

「ああ、出てきた……」

 あたえは目の前に現れた煙のようなものが


 そのまま完全な姿になったグラトンは鼻ピアス男の頭上であたえの方を向いて吼えた。

『GyaaaAAA!!!!』

 不揃いな牙が覗く口をガバリと開きヨダレと奇声をまき散らす醜い姿。両の目は閉じられており、耳も鼻もない灰色の肌、ゴムの質感をした長い首。背面に伸びるねじれたツノ、額から背中へ首を守るように覆う灰色の殻。煙のようなモノをまとい、隠された胴体から不自然に生えた両腕、長過ぎる爪、腐臭。

 この姿も声も匂いも一般人には分からないということにあたえは安心する。こんなものが見えたら街は大混乱に陥ることだろう。


「言葉は通じなさそうね、彼もコイツも」

「さっき見たときは一体ずつ寄生してたんだけどな」

「グラトンに寄生されてあんな風に狂った人は見たことないわよね」

「あれが特殊なのか、リョウくんが異常なのか」

 分析する二人は対照的だった。落ち着いて考える費と内心では困惑する平。

 なぜ鼻ピアス男がああして気狂きちがいになってしまったのか、なぜサングラスはグラトンに取り憑かれていないのか、なぜ先ほどまでと違うはずの個体なのに


「おッ、お前ッ、さっきのッ」

 サングラスがこちらに気付いて逃げるように走り寄ってきた。途中で力が抜けたのかへたり込んでしまう。

「なにがあった」

 費がぶっきらぼうに尋ねるとサングラスは迷いながらも口を開いた。

「なにがってなにもわかんねえよお。急にリョウくん喚きだすからよお」

 サングラスは汗だか涙だかヨダレだか鼻水だか分からない液体で顔をぐちょぐちょにさせながら話す。

「落ち着いて。彼はいつからああなったの?」

 平が優しく声をかけるとサングラスは次第に落ち着いていった。

「コイツとさっき会ったあと、スマホ直しにいこうとして、それでッ、でも今の時間じゃケータイショップ空いてないんじゃねってなって、そしたら、急に自撮りを始めて、それで……」

 その先は言葉が出なかったらしく鼻ピアスを見て頭を抱えるだけだった。

 実際は会ったのではなくカツアゲにあいかけていたのだが、あたえはそこには突っ込まないでおいた。

「どういうことだと思う、アタエ」

「悪い想像しかつかないんだけども、とりあえず先にアレ、倒していい?」

 お願い、という平の声があたえに聞こえたのは、駆け出したあとだった。

「あんだけ言ってたのに、あんたは助けちゃうのね」

 平は頬を緩ませて呟いた。

「な、なあ、あいつッ、倒すって、言ってなかったか?」

 錯乱したサングラス男は声を震わせながら平に詰め寄る。

「ええ。でも安心して、『彼』をじゃないわ。彼の中に住む『怪物』をよ」

 苦しそうに悶える鼻ピアスを遠目に、平は唇を噛み締めながらそう答えた。


「あッ、ガッ! きッ、貴様ッ! おまえお前オマエッッ!!!」

「うるせえな、お前」

 費は狂い暴れる鼻ピアスの前に立ちはだかりスマートフォンを掲げた。

「取りあえず

『GyuOaaaaaAAAAAA!!!!』

 テロン♪【Tap to Start!】

 グラトンの咆哮とアプリの小さな起動音が重なる。

あらわれろ、賢女ウィズ……!」


 ゴウッッッッッ!!!!! 

 あたえの呼び声と共に、彼を中心に風が舞う。身体から勢い良くエメラルドグリーンの煙のようなモノがカタチを持った。

 ――佇むは長身の女。

 豪奢な飾りのついたヴェールから煙と同じエメラルドグリーンのロングヘアをこぼれさせ、彼女は毅然きぜんと立っていた。身にまとうのは光放つ修道服……というより西洋の法衣とでも呼ぶのが相応しいような不思議なカタチをしている。浮遊しているにも関わらず、引きずりそうなすそからは小さな淡緑の光るキューブ状のものが流れ出ていた。

 つるりとした肌も、表情のない顔も、瞳のないガラスのような眼球も、一切の温度を感じさせない。だがその中でうっすらと染まる頬と真一文字にされたあかい唇だけが、生命いのちの香りを漂わせていた。


『こんばんは、お父様。今宵の相手はずいぶんと気味の悪い愚物ぐぶつですね』


 感情の乗らない声。スピーカーから発せられているような音が響く。

「お父様はやめろ、ウィズ」

『わかりました、お父様』

「……今日のヤツはちょっと変わってるが、お前ならやれる」

 あたえは幾度目かの説得を諦めて切り替えた。目の前の化物グラトンをどうにかするのが先だ。

『はい、お父様』

 言葉と共にウィズは相手に向かって構えた。

◇  ◆  ◇  ◆


「な、なんだよアイツ! あいつもバケモノじゃねえか!」

 サングラス男が唾を飛ばして悲鳴を上げる。

「あんたアレが見えるの?」

「はぁ!? 見えるもなにもそこで戦ってるじゃねえか!!」

「……あの狂った男と長くいたら見えるようになったとか?」

 サングラス男はグラトンに憑かれていないにも関わらずヤツらが見えるようだった。

「なんなんだよッ! なにがッ! あいつはなんなんだよっ!!」

アタエはただのスマホ依存者よ」

「あの化け物はなんなんだよッッ!! あッ、あんなッッ! あんなキモいやつッッ!!!!」

「あれはグラトン。スマホに依存する者の心に潜み、その時間を奪い喰らうモノよ」

 平の冷静な態度と声に反してサングラス男の声は興奮状態に陥っていった。

「じッ、時間を? それなら、おれッ、俺もッ! ここ最近はッ、ずっとリョウくんとゲームばっかりしてたのにッ! どうじでリョウぐんだげッ!!!」

「……え?」

 平は目を見開いた。

◇  ◆  ◇  ◆


『AAAAAA!!!!』

 グラトンの叫びがウィズに襲いかかる。衝撃が押し寄せ、あたえの頬を風がかすめた。

『うるさいですよ、愚物』

 首を伸ばし噛み付こうとするグラトンの牙をが遮る。ドッッ!!と音を立て、グラトンの顔面が空中でひしゃげた。

『Guuuuu……』

『言葉も通じぬ愚物は障壁にすら気付かないんですね』

 ウィズは先ほどの位置から一歩も動くことなく、全ての攻撃を目には見えない障壁で防いでいた。

『GuaaAAAA!!!!』

『いい加減気付きなさい愚物。無駄ですよ』

 手をかざす。それだけで障壁バリアーが現れた。グラトンは悔しげにうなるも、牙も爪も通らない。ヤツが障壁バリアにぶつかる度に、淡緑の光がこぼれる。

『UGuRuuuu……!!』


「ウィズ、言葉が通じるグラトンなんてそうそういるものじゃない。お前が特殊なんだ」

 先ほどから画面を見つめているあたえはそう言葉を投げた。

『それもこれもお父様のおかげです』

「どうしてそうなる、お前が特殊なのは……まあいい、戦いに集中しろ」

 そのときあたえには無表情のはずのウィズが笑っているように見えた。

「一気に決めるぞ」

『はい!』


 あたえは手元のスマートフォンに目を落とす。そこにあるのはただの頭脳パズルゲームの画面。世界の人とリアルタイムで対戦ができると人気のアプリだった。あたえがTrainingのボタンを押そうとした、その時ーー


 テロン♪

【Letter of challenging→Accept or Deny?】


「あ、対戦申し込まれた」

 鋭い爪が迫りくる中、電子音とともにメッセージがポップアップ表示される。

 が、あたえはすぐさまAcceptをタップした。

『お父様!?』

「このまま行く」


 カウントダウンと同時にパズルゲームがはじまった。

 あたえの指はスマートフォンの上を滑るように動いていく。と同時についにウィズが動きだす。

 開始五秒、スコアが伸びていくだけのゲーム画面。ウィズは牙を障壁バリアーで防ぎ、淡緑の光る手刀で相手の長い爪を断ち切った。あたえの軽快なタップに応じて、ウィズが手刀を伸ばして作り出した刃は相手の肉を削いでいく。


 テロン♪【excellent!】 ザシュ! テロリン♪【excellent!】 ザッ! ザシュッッ!! テレレレン♪【excellent!】


 灰色の首を伸ばして牙を剥ける相手の横っ面に障壁バリアが叩き付けられる。左から右へと流されるグラトンの頭部。だが相手はその勢いを利用して、左腕を振りかざす。長過ぎる爪は充分なエネルギーを蓄えてウィズに迫る。

『効くわけがないでしょう、愚物が』

 吐き捨てると障壁バリアをそっと。反対側にねじれるグラトンの爪。込められた運動エネルギーの分だけ自身を傷つけることになった。

 そこからはウィズの独壇場だった。なんの変哲もない手刀が淡緑の光を帯びて伸びる。

 右上方、角で弾かれる。手首を返し、突く、突く、突く。グラトンは威嚇してきた。


 肉削ぎ。返り血。削ぎ落とせない。傷口。咆哮。爪が空を切る。牙が襲う。肉が抉れる音。手刀一閃。爪は血塗れない。斬撃。血の濁流。削れ、血と叫びがひろがる。


『アッ、アッAAaaaaア、アアアOOオアアアアァアァァ!!!!!!』

 見て分かるほどに相手のグラトンの手傷が増えてゆく。

 斬撃が相手の右腕を襲う。ズッッ!!と千切れた腕が弧をえがいて飛んでいく。

『GoAAAAaaaaaa!!!!』

 灰色の皮膚の下には青黒い血が流れていたようで、絵の具みたいにどろどろとしたそれは辺りにバタタタと飛び散ってゆく。

 臓腑ぞうふが縮こまりそうなこの叫びは怒りからかそれとも恐れからか。

「ラストスパートだ」

 あたえにはそんなことは分からないし、どちらにせよやることは変わらなかった。

『はい、お父様!』

 ウィズの返事に呼応するように彼女ウィズの身に着ける服飾がより強く光り輝いた。


「汚ねえ汁、ぶちまけてろ」


 ゲームは最後のステージ。思考は加速し、ついには考えるよりも前に指が動いた。

 パズルゲームをやりこみすぎてしまうスマホ依存者のあたえからすれば呼吸をするかのような自然さだった。

 ウィズは牙を障壁バリアーで防ぎながら細指で相手の左腕を掴んだ。障壁に取り囲まれて動くことのできない左腕をそれでも相手は動かそうともがく。

『ヴッ! ヴォッ!! Voooooooo!!!!』

『放しませんからねッ』

 言い終わる前にウィズの華奢な指が相手の手首を握りつぶした。ブヂュッと不快な音がして左手が落ちる。


 テレン♪【excellent!】


『アッアアアアアアアア!!!!!!!!』

 一際大きな叫びが響き渡るが、そこには恐れの色しか見えなかった。

「なにもできない馬鹿ザコプレイヤーは」

『叫ぶことしかできない愚物は』


 テレレン♪【excellent!】


「『さっさとくたばれ!!!!』」


 ドッッッッッッッッ!!!!!!!!!

 相手は悲鳴を上げる暇もなく、懐に入り込まれ、為す術もなく頭部を障壁バリアーに囲み潰され、首を断ち切られた。

 青黒い血飛沫を上げ、崩れ落ちる灰色の巨体を眺めるあたえはなにも言わなかった。


 You win♪

【You win! Result→Score:1093424 Grade:S Rank:1】


 スマートフォンから軽快な音が鳴る。

 それを無視しながらあたえは平の元に戻っていく。その背後ではグラトンが煙となって消滅していた。

『やりましたねお父様! わたし、また強くなれますか?』

「ウィズ」

『はい! 今日はお役に立てましたか?』

「ウィズ、もう戻って」

 そういうとあたえはゲームアプリを終了させる。

『あっ、おt……』

 なにか言いかけたウィズはそのまま姿を消してしまった。

 平が近寄って声をかけてくる。

「お疲れさま。全然大したことなかったわね」

「平サンの見立てが外れるなんて珍しいこともあるもんだね」

「あたしも一応は信頼されてるのね」

 苦い顔をしながら言う平にずいぶん弱気だなとあたえは首をかしげる。


「りょ、リョウくんはどうなってるの!?」

 サングラス男が口を開くと、そういえばこいつ居たなと二人は真顔になった。

「あっちで倒れてる、さっさと連れてけよ。傷はないはずだけどしばらくは安静にさせときな」

 背後を指差して費が言うとサングラス男は駆け寄っていった。

「リョウくん!」

「……なぁあんた、スマホ、大事に扱えよ」

 サングラス男はあたえの言葉に疑問符を浮かべたような顔をしながらも、こくりとうなずいて鼻ピアス男を抱えて去っていった。

 そこにはなにかがいた痕など一つも残っていなかった。


「スマホ、大事にしろなんて言って良かったの? またグラトンに宿主にされたりしたら……」

「……道具を大切に使うのは当たり前でしょ、って言おうと思ったけど」

 そこまで言ってあたえは自分のスマートフォンの電源を切り、暗くなった画面を眺めた。

「いつもみたいなこと言わないのね」

 夜のイルミネーションに照らされたあたえの表情は読みにくい。

「……なんでだろうね」

 真夜中の少し冷たい空気を吸い込んだあたえは俯いたまま薄く笑うだけだった。







 が、直後には二人揃って顔を上げる羽目になった。

「そっ、そこのお姉さん! そこの男から離れてください! そ、その人妖魔に取り憑かれてますっ!!」

 は? と二人してそちらを向くと幼さの残る少女が立っていた。

「あっ、私は退魔士たいまし清水しみずじゅんと言います! ……じゃなくて、ええと、とにかく危険なんですっ!! 」

 切羽詰まった声で叫ぶ彼女を見て、二人は目を点にしたままだった。






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