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 ◆◆◆


 飲んだばかりのウーロン茶は、二人を追っている間に汗となり、あっというまに流れ出ていくようだった。


 ガッツが足を止めたのは、商店街からも駅からも遠く離れたこれまたメジャーじゃないコンビニエンスストアの駐車場。街灯の間隔がやけに離れた見通しの悪い道路に面し、周囲にトウモロコシ畑。人通りも車通りもほぼ無いそこに、ぬるい風が汗まみれの僕らを嘲笑うように吹き去っていく。


 駐車場のブロックに百合子を座らせ立ちつくすガッツに、僕はヒールを彼女の足元に置き、暴力はよくないと、息を整えながら言った。


「あ……ああ、ごもっともだ。わりぃ、あとでみんなにも謝っとくよ」


 気まずそうな顔をする彼。勢いだったんだろう。それについてはこれ以上追及するつもりはない。が、それよりも今気にすべきは、


「う、あああッ、ああ、アアアアアアッ、う、ひぅ、あああああッあ――」


 彼女はまだ泣いていた。

 いや、嵐のように狂っていた。


 尋常じゃない体の震え、もうずっと言葉ともいえない悲鳴を吐き続けている。


「……お前、たまに気がきくやつだな」


 コンビニでミネラルウォーターのペットボトルを購入して、それを彼女に差し出す僕に、ガッツは言う。


 たまには余計だな。それに、黙って見ているわけにもいかない。


 さっきっから、カウンターにいるコンビニ店員のおっさんが、僕たちを中から凝視しているんだから。


 女の子一人を男が二人で男が泣かせている。おっさんの目にはそう映っているとも限らない。


「ほら、百合子、お前もいい加減落ち着けよ……」

「う、あ、アア、……な、み……なみッ、かなみいいぃい――!」


 頭をかき乱す彼女の腕を掴んで、ガッツは困り果てた顔で百合子をなんとか落ち付けようとするも、悲痛な声が静かな道路に響き渡り、それが更に彼女の感情を掻き立てていく。


「百合子ッ‼︎」

「かなみッ! かなみいいィイイ‼︎ あたしっ、あたしがっ、あたしのせいっ、せいでぇええ、あァああ! いあああああッッ‼︎」


 止めどなく流れていく涙が薄化粧を剥がし、彼女の目の下から濃い隈が現れる。錯乱状態の彼女を僕もガッツもどうすることもできず、コンビニ店員の視線を感じながら、蒸し暑さの中しばらく見守るしかなかった。


「……五年前からこうだよ、火がつくと手に負えなくてな」


 感情の嵐が弱まり、肩を揺らして膝を抱える百合子を見下ろしガッツは弱々しく僕に告げた。


 やはりそうだったか。それまでただの偶然でガッツが百合子と同じ進路を歩んでいたわけじゃなかったんだと確信する。

 他のみんなはどうなんだと尋ねれば、ガッツはなんとも言えなそうに首を傾けた。


「さあ、な。その話は極力しないようにしてるよ、したくもない話だろ。したって何が変わるわけでもないしな。でもみんなそれなりに元気にしてるよ、俺も左門とはよく会うし、左門はたまに斜丸と連絡とってる。垂瓦は百合子とルームメイトになってくれた……うん、百合子は、見ての通り重症だけどな」


 言ってガッツは、百合子の沈んだ頭を優しく撫でる。


「お前もいつまでもそんなんじゃダメだろ、もっと……強くなんなきゃよ」


 言われて、久々に顔を上げる百合子。

 血色の悪い顔で鼻をすすり、悲壮感漂う表情で僕らを見上げる。さっきまでの彼女はきっと仮初め、これが本来の彼女なのかもしれない。


 これが、五年前からの百合子。


「ほら、もう遅いしよ、帰るぞ、お前車運転できるのか?」


 百合子は黙り。そして次に僕を見る。


「ねえ、東君……おねがい、があるの」


 ん?


「あの、ね……一回、一回だけでいいから」


 なに、と聞き返す僕に、声を小さくして、それでも彼女ははっきり言った。


「……あたしを、抱いて」


 ――は。

 と、僕は本当に真顔で、咄嗟にそう言わざるをえなかった。眼から鱗どころか、魚が飛び出てきそうだった。


 そんなこと、このタイミングで言うことじゃない。好きとか、愛おしいとかって感情があるから吐くんじゃないのかそういう言葉って普通。


 だが聞き間違いじゃなかった。

 百合子はまた僕に同じことを言う。

 僕を求め、そして僕に求めてくれと、コンビニの前で恥ずかしげもなく要求した。


「抱いてよぉ! 東君!」


 艶かしい雰囲気で誘惑するようにではなく、生きる為に、酸素を吸うように、それはもう必死の形相で。


「いっかい、いっかいだけでいいから! 東君、ねえ――」


 救ってくれと言うように、僕の手を掴み泣きはらした顔で懇願する。


「そうすれば落ち着くの、辛くなくなるの、いつもそうだった、そうすることでラクになった、お願い足りないの、苦しいの、助けてよ、東君、ねえ――たすけて!」


 彼女の言うように、僕が一度そうしてやれば、彼女は救われるのかもしれない。だが。いくらイエスマンだからと言って、その要求には流石の僕もすぐに頷けなかった。


 例えガッツに後押しされたとしてもだ。悪気はなくとも、この不安定で方向性を見失い、突けば今にも爆発してしまいそうな、脆く、危うい、見るも無惨なかつての同級生に少しばかり僕は恐怖と気色悪さを覚えた。


 それでも、彼女にとってはこうなることは無理もないことだったのだと思えてしまうところが、また悲しい。


 ガッツの方を見ると、やはり今回が初めてではないらしい。


「馬鹿! 百合子いい加減にしろ! 東にそんなこと言うな‼︎」


 彼は眉間に深い皺を刻み、百合子を叱る。


「なんでお前はいつもそうやって自分を大事にしねぇんだよ! いい加減自分がやってることが間違いだって気づけよ!」

「だって……だってそうじゃないと辛いんだもん……ッ、ううっ」

「だからって! 東に言うことじゃないだろ! せっかく再会したってのに、あんまりだろ‼︎」

「じゃ、じゃあガッツでもいいから!」

「ッ、の──!」


 ガッツが百合子の頬をぶつ。

 グーじゃなくてパーで良かったと心底思った。だが、沈黙を裂いた音は強烈で、彼女の顔が真横を向き、白い頬が赤く染まっていく。コンビニ店員のおっさんが思わず身を乗り出したのが見えた。


「そんなことして、かなみが喜ぶと思うか! 今のお前を! かなみが見たらなんて思うか想像したことあんのか!」


 百合子の両肩を掴んで揺さぶるガッツ。


「かなみ……っ」


 止まったかと思っていた彼女の目の端から、また大粒の涙が滲む。


「かなみ……ぃ、かなみい……ッ」


 そうしてまた、ひんひんと泣きべそをかいてしゃがみこむ百合子。


「だったら、会わせてよおぉ! かなみに、かなみに会わせて! かなみ!かなみ!……かなみに会いたい、あいたい……! あいたいよかなみ! あわせてよぉおおっ!」

「ばかやろお!」


 無い物ねだりをする子供さながらに喚きたてる彼女に、ガッツももうこれ以上我慢できないと歯を食いしばり声を震わせる。


 こんな言葉、自分なんかが吐きたくないと。躊躇い、それでも彼女に残酷に告げる。もう何度もそうしているように目元を潤ませて。


「かなみは――もういないんだよ!」


 かなみは。


「どこにもいないんだよ!」


 口いっぱいに真実を吐き出す。


「死んだんだよかなみはァ!」


 僕は下を向き、ごつごつしたコンクリートの地面を見つめる。


 そう。

 かなみは死んだ。


 死んだ。かなみは。


 五年前に。五年前の、この季節に。


 みんなは言う。

 事故で死んだから、仕方ないと。


 だけど、違うんだ。

 そうじゃないんだ。


 それは大人たちが愚かな加害者たちを守るためにでっちあげた都合のいい嘘だ。彼女が死んだ理由は事故なんかじゃない。その理由を僕たちは知っている。


 彼女が死んだ理由を。

 何故知っているか。

 見たからだ。

 見ていたからだ。


 彼女が死ぬ、その瞬間を。


 映画部の全員が。


 それが例え事故であったとしても、僕たちはそれを事故と呼んではいけない。事故と呼べるほど、被害者ではない。


 僕らは、そう、被害者ではない──加害者なのだ。


 五年前のあの時から、五年経過した今も。その事実はどうしたって拭えない。正真正銘の真実だ。


 更に言えば、加害者というのはもっと甘い言い方だ。

 そうだ。加害者なんて言い方は、甘すぎる。


 僕ら七人は、お互いをこう呼ぶべきだ。

 犯人だと。殺人犯だと。

 それほどのことを、僕たちは中学生の身でしでかしてしまったんだ。


 かなみは死んだ。

 いや、殺されてしまった。


 僕たちが――殺してしまった。

 僕たちが、あの日、彼女の小さく、清らかな命を奪ってしまった。


 始まりは一本のビデオテープだった。

 あの夏の日、偶然見つけた未完成の作品に、僕たちは魅了され、そこから一本の映像を作り上げようとした。

 誰も悪いことをしているなんて言わなかったし、思わなかった。


 大丈夫だと思った、大人の断りをいれなくても、大人の助けを借りなくても。

 僕たちは出来ると思い込んでいた。

 そこまで子供じゃないと思っていた。大人でもないと思ってもいたが。


 それでも――。


 僕たちの好奇心がかなみを殺した。


 今でも鮮明に思い出せる。

 彼女の死に様。

 彼女の死に顔。

 そして、彼女の死に姿。


 中学最後の夏休み。

 それは僕ら映画部にとって、終わらない悪夢の始まりになったのだ。

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