[2] 命の道

 11月8日、北部の戦区では北方軍集団にティフヴィンを占領されたことにより、レニングラードへの物資補給は危機的な状況に置かれていた。この情勢を受けて、共産党政治局のメンバーの1人であるカリーニンが、スターリンに宛てて私信を書いた。

「レニングラードにおける情勢の困難と危機は明らかに増大してきました。レニングラードへの信頼できる補給手段を講じることが重要と考えます」

 スターリンはカリーニンの提案に同意を示し、11月16日付けで特別空輸命令が下された。レニングラードに1日最低200トンの食糧を運ぶために空軍は大型輸送機24機、重爆撃機10機を用意したが、これは市を救うためには程遠いものだった。

 北方軍集団ではティフヴィン周辺の気温がまもなく摂氏マイナス40度までに低下したことで、人家も疎らな荒野で吹雪にさらされた多くの兵士が防寒装備の欠如により凍傷にかかり、凍死する者が続出していた。このため第39装甲軍団はティフヴィンで停止し、楔形の防御陣地を築いて防勢へ転じざるを得なくなっていた。

 11月9日、モスクワの「最高司令部」は第4軍司令官メレツコフ上級大将に対し、ティフヴィンに対する新たな反撃計画の準備を命じた。この反撃は、第4軍・第52軍・第54軍によって段階的に実施されることとなった。スペイン義勇兵の「青師団」と対峙するノヴゴロド機動集団(ほぼ軍団規模)も支援兵力として投じられた。

 11月10日、最南部のノヴゴロド機動集団が攻撃を開始した。

 11月12日、第52軍がブドゴシュチ南方にあるマラヤ・ヴィシェラの南北から第39装甲軍団に襲いかかった。

 11月19日、第4軍がティフヴィンの突出部に対して猛攻撃を仕掛けた。

 このときソ連軍は総兵力で北方軍集団に優位に立っていたが、なかなか華々しい戦果を挙げることはできなかった。マラヤ・ヴィシェラは同月20日に第52軍の第267狙撃師団(ゼレンコフ准将)が奪回したが、ティフヴィンは11月末になってもまだ、北方軍集団が前線の陣地を保持することに成功していた。

 参謀総長ハルダー上級大将は同月16日の日誌に次のように書き記した。

「陸軍総司令部の意向は、いかなる代償を払ってもティフヴィンは保持しなくてはならないということである」

 だが、この時すでに第39装甲軍団がティフヴィンを保持する戦略的な意義は失われていたのである。

 レニングラード正面軍司令部ではティフヴィンの陥落を受けて新たな輸送路を構築するため、冬季のラドガ湖に着目していた。南北200キロ、東西150キロに及ぶヨーロッパ最大のこの湖は完全に氷結すると、氷の厚さは約1・5メートルにもなり車両が通行できる強度として充分だった。

 11月3日、レニングラード正面軍の兵站担当ラグノフ中将はラドガ湖の湖面が氷結したら直ちに氷上道路を啓開するよう命令を下した。この輸送路を整備するため、大勢の市民が土木作業員として動員された。ラドガ湖畔のオシノベツから市街地まで鉄道の支線を敷設するための新たな道路の建設が、白樺の森を切り開いて進められた。

 11月20日、物資を積んだ最初のトラック輸送隊がラドガ湖の氷上を通ってレニングラードに到着した。「命の道」と呼ばれることになるこの氷上道路は、レニングラードが包囲されてから83日目にして開通したのである。

 氷上道路が開通したとはいえ、この開通により即座にレニングラードが飢餓から救われるわけではなかった。トラック部隊が一度に輸送できた物資の量は、市全体の需要から見れば「焼け石の水」といった程度のものだった。さらに氷上道路は常にドイツ軍の砲撃と空襲にさらされており、物資の供給は依然として不安定だったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る