第7話 「あンの、アマぁーーーー!!!!」

まさかなあ、と思って部屋の窓のところにパンツを干してみると、ものの数秒で人間が釣れた。

ちなみにフジノの部屋は三階である。身の危険を感じて咄嗟に窓を閉めなければ、今頃パンツだけかっさらわれていただろう。間一髪、ガラス戸をぴしゃりと閉めたのと同じタイミングでビタン! と窓に何かが激突した。


窓の外、バルコニーで七転八倒する人影があった。全身ぷるぷる震わせ、大きな頭を抱えてのたうちまわっている。大きな頭には大きな耳がついており、少女が体をよじらせるたびにパタパタとはためいた。


窓を隔てて彼女に近づいたフジノは、「おい」と声をかけた。

ぴたりと動きを止めた少女―――もとい、ゾウのあたまの人間―――は、くるりとフジノのほうを向く。

フジノは言った。


「きみだよね? サトウのストーカーってのは」


ぱおん。

ゾウが鳴いた。

ご丁寧に、鳴いている間はぶらりと垂れ下がったゾウの鼻が元気よく上がるしくみになっている。


「肉声を聞かせてくれるつもりはなし、か……」


ぱおぉーん。


嘲笑うような鳴き声をのこし、少女はすっくと立ち上がるとバルコニーの手すりへと手を伸ばした。ずらかるつもりらしい。

柔らかい笑みを浮かべるフジノ。


「やめたほうがいいよ。今、スイッチを入れたから。運が悪いと死んじゃうくらいの電気が流れてる」


少女はおとなしく、もといた位置へ戻った。

にこにこしているフジノ。


「それにしてもびっくりしたよ。三階のここに、どうやって忍び込んだんだい? 上の屋上で待機していたのなら僕の持ったエサ(※パンツ)が見えなかっただろうし、それ以外の場所だとここまで飛び込んでくることが容易じゃない……」


少女は肩をすくめてみせる。

片手でサトウのパンツをもてあそびながら、フジノは微笑んだ。


「旧時代のアメコミのように、驚異的な肉体を持っているというなら、道向かいの建物かあるいはそこの電柱くらいの距離をここまで跳んでくることができるかもしれないね。きみは少し前に、妙なクモに噛まれたことはない? ……なんちゃって」


ぷおお~ん。

ゾウは斜に構えた姿勢で鼻を鳴らした。完全にバカにした姿勢である。


「ま、普通ありえないよね。そんなことは」


こっくんこっくん、少女がうなずく。


「でもねえ、いっこだけ、それがありえちゃう事例が存在するんだなあ。つまり」


かくん、と少女が首を傾げた。


「人間じゃない、とか」


フジノは人差し指にひっかけたサトウのパンツをくーるくーると回した。

ゾウの頭が、ものほしそうにそのパンツを追う。


「これほしい?」


胸の前で手を組み、ガクガクうなずくゾウ。


「そうか、ほしいか~」ニコニコしているフジノ。「あげてもいいけど、タダじゃあね~」


ゾウが高速で自分の全身のポケットを漁る。白いブラウスの胸ポケット、内ポケット、スカートの右ポケット、そして最後に探ったスカートの左ポケットから取り出したがま口財布を丸ごと、うやうやしくガラス戸の前に置いて、さらにその後ろで深々と土下座。

ウアッハッハ、とフジノは高笑いした。

「そうかそうかそこまでしてコレが欲しいか~~!」


ガクガクガクとうなずくゾウ。

ふふーん、と満足げに鼻を鳴らすフジノ。


「でもあげない☆」

「!?」


バッ! と顔を上げ、ゾウはあわててびったりとガラス戸にへばりついた。

バンバンバン! とグーでガラスを叩いてくる。


パオン! パオ~ン!


ゾウの鳴き声も心なしか悲哀を帯びている。


そのパンツを求め哀れ極まる姿をさらした少女を、フジノは意地の悪い顔で見下ろした。


「僕もけっこうキてんのよ。マミナファイルをバックアップごと消去された恨みはね、これくらいじゃ全く晴らされないわけですよ」


く~るく~ると、彼の指で回り続けるパンツ。

それを追うゾウの頭。


「そうだなあ。ここは素顔晒してその場で裸踊りでもしてもらおうかな。そのまま『私は悪いストーカーです』ってマーカーで胴体に書いて警察署へ出頭しようか」


パオ~ン!!

ゾウの怒りの声が響き渡る。


「その時にはもちろん、サトウのパンツをかぶらせてあげるよ」


……パ、パオン……

若干、迷う色が混じる鳴き声。


「どちらにせよ、僕がバルコニーの電柵をオフにしなきゃ、きみはそこから出られないんだよ? 僕の言うことを聞く以外、もうきみに勝ち目はないさ」


ゾウがガラスを叩くのをやめた。

だらりと手をおろすと、床を見つめて肩を落とす。


―――あきらめたか。


フジノは暗いよろこびが胸の中に湧き上がるのを感じた。


―――こんなのにてこずっていたとは。サトウも存外、甘いんだな。


ふふ、と思わず声を出して笑ってしまってから……


「?」


フジノはその笑いをひっこめた。

ガラス越しの少女がしゃがみこんだのだ。

しゃがみこんだ少女は、フジノに捧げるようにうやうやしく置いたがま口をぱっちりと開き、中から小さくて白いものを取り出した。

人差し指と親指でそれをつまみ、フジノに見せつける少女。


マイクロチップ。


数秒、怪訝な顔でそれを見ていたフジノだったが、やがてハッと息をのんだ。


「ま、まさか! 僕のマミナファイル!?」


パゥ~ン。


鳴き声にあわせて、ゾウの鼻が上がる。

フジノの指からパンツがひらりと床に落ちた。


「くっ……!」


ストーカーの情報が優先か。それとも、ヤツの持つ魔法少女マミナのお宝画像が優先か。フジノの脳内で天秤がぎっこんばったん激しいシーソー運動を繰り広げる。わかっている、常識的に考えれば悩む友のため、この不気味なストーカーの情報を暴いて世のため人のため警察に突き出すのが一番だ。なにせ男のパンツをねらって人様の家に突っ込んでくる輩である。しかしいったんは消され、二度と会うことはないと思っていたマミナたんに再び出会えるかもしれないという期待も捨てがたい。っていうか、捨てられない。マミナたんはフジノの初恋でありライフワークであり人生の指標であり欠かせない究極の癒しなのである。ああマミナたんマミナたん。迷ううちに少女の指がどんどんマイクロチップをつまむ力を強めていくさまが目の前で見て取れる。ヤバい。そんなに力を入れたら薄いチップが、


全ての葛藤をしりぞけ、脳内の天秤が折れんばかりの勢いで<マミナ>の方へ振り切れた。


「オッケー! このパンツとそのチップを交換しよう!!」


パオーン。

首を振った少女が、ツンツンとバルコニーの手すりを指さす。


「わ、わかった! 電流も切る! だからそのチップを無傷で僕に!」


プォオ~ン。

少女は手を打って喜ぶ。


「交渉成立だな!!」


まず手元のスイッチを切り、そのうえでスパーン! とガラス戸を引き開けたフジノ。

このとき、彼の頭の中に『サトウとの友情』とか、『世のため人のため』とかいう言葉はきれいに胡散霧消していた。


二人は、まるで国宝級のお宝でも扱うかのような丁重さで、小汚いパンツとマイクロチップを交換した。


互いにほしいものを手に入れた後は、まるで今までのことがすべて最初からなかったかのようにふたりは互いのことを忘れる。少女はすぐさまバルコニーを飛び越えてその場から消え、フジノは満足感に満ちた笑みを浮かべてチップをパソコンに取り込む。







数分後、そのチップの中に入っていた大量のサトウの画像を発見したフジノの、血を吐くような咆哮が三軒隣まで響いた。

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