2

「05話 『黒い炭の塊になったもの』」

 息を切らしながら、ひた走る。

 こんなにも遠い道程だったのか。

 腕を振って、何度も角を曲がって、ようやく花屋に辿りついた。

 そこには――


 燃え尽きた花屋があった。


 花は灰になっていて、建物は炭と化していた。

 火を放たれたのか。

 ペシャンコになっている。

 煙を放っているが、鎮火されている。

 消防局の人間達や、憲兵の人間が蠢く。

 やじ馬たちが騒ぎ立ている輪の中心には、ミライがいた。

「かあさん! おかあさぁんっっっ!!」

 泣き崩れているミライの傍には、黒いものが転がっていた。

 黒ずんでいて、顔すら判別つかないほど。

 指につけている結婚指輪や、骨格で誰か分かる。


 それは、間違いなくコミットだ。


 死んでしまっている。

 さっきまで、笑いながら話していた彼女は、もう、死体になっていた。

 もう、あんな風にふざけあうこともできない。

 あまりにもあっけなさ過ぎて、現実感があない。

 音が消える。

 景色は真っ白になる。

 ただ、ミライの泣き声だけが頭の中を木霊する。

 どうして、こんなことになったのか。

 自分がここから離れたりしなければ、コミットは死なずにすんだかもしれないのに。

 なのに――

「どうして……僕は……」

 カツン、と靴に何かが当たる。

 黒い炭の塊のようなそれは――

「おい! お前! 現場から離れろ!」

 憲兵の男に肩をつかまれる。

 ふらふらになりながら、憲兵の規制している線を越えてしまったらしい。

 後ろにはやじ馬たちがひしめき合っていて、関係者以外は入れない仕組み。

「ま、待ってください……プリズンさん、その人は関係者です」

「――なに!?」

 ミライは、消え入るような声で憲兵官の手を止めさせた。

 痺れた脳が一瞬、稼働する。

 プリズンといったのか。

 この憲兵官の名前。

 カンツと出会った時も驚いたが、まさかこの人までここに現れるとは思わなかった。

「じゃあ、まさか、お前が花屋の店員だという……」

 訝しげな顔を向けるプリズンは、若くとも、推定年齢三十代後半。

 貫録のある顔つき。

 火事が発生した場所だというのに、煙草を吸っている。

 濃い顔つきをしながら、長身痩躯の男性。

 周りの憲兵官が忙しなく動いている中、佇んでいる姿からかなり地位が高そうだ。

 それもそのはずで。

 五年前の最悪の事件。

 あの連続焼殺事件の真犯人を逮捕したことで、出世街道を突き進んだ憲兵官。

 そう。


 この人は五年前の事件の担当憲兵だ。


「プリズン。階級は大佐だ」

 睨んでくるプリズンには憲兵特有の威容を感じるが、それだけじゃない。

 疑われているような気がする。

 憲兵は疑うのが仕事だ。

 特に、被害者の関係者であり、犯行時刻に現場にいなかった自分のことは最も怪しむべき対象だろう。


「うわっ! ちょ、うああああっ!」


 後ろから女性の声が響く。

 事件の情報を嗅ぎ告げてきたマスコミに押されて、飛び出してきたのは別の憲兵。……のはずだ。

 ぶかぶかで、サイズの合っていない憲兵の制服。

 服の袖から、ちょこんと白い指がはみ出しているだけ。

 幼すぎる顔つきからして、二十代前半ぐらいか。

 童顔、にしては制服の上からでも、山頂のような二つの膨らみが視認できる。

 月のように真ん丸の眼鏡をつけていて、目尻には涙をしたためさせている。

 こけた彼女が起き上がると、

「あいてて……」

 こすりつけた肘辺りをさする。

「サクリ! なにをやってる! 遅いぞ!」

「は、はーい! す、すびませえぇーん!」

 プリズンが怒鳴る。

 憲兵官は単独で行動してはいけないという規則がある。

 最低でも常に二人一組で現場に直行する。

 新人研修のため、ベテランがつくことがあると耳にしたことがあるが、これはそういうことなのだろう。

「う、うげげっ……」

「サクリ!」

「す、すいません……」

 遺体を見慣れていないのか、口元を抑える。

 今にも吐き出しそうな女性憲兵。

 それを嗜めるプリズンだったが、もう遅い。

 サクリに悪気がないのは分かっているが、ミライの顔が一瞬さらに歪んでしまった。

 そうとう、辛い想いをしているはずだ。

 自分なんかよりよっぽど。

 できることは限られている。

 いや、それどころか、何もできないだろう。

 他人である自分には、彼女に何もできやしない。

 だけど。

 それでも。

 こんな時には、誰でもいいから傍にいてやらないと、本当に駄目になる。

 そんな気がしたのに、

「待て! 確か……グレイスさんでしたね。少し詳しいお話をお聞きしたいので、憲兵署までご同行お願いしてもらっていいですか?」

「なっ――」

 プリズンに通行止めされ、言い渡された勧告。

 それは、事情聴取だった。

 近づくことすら許されなかった。

「まっ、待ってください! プリズンさん! その人は事件とは何の関係はありません! 火事が起こった時間、私と一緒にいました!」

「そう、ですか。でもね、それは一時のことで、火事が起こった時間全てにアリバイがあるわけじゃないんだろ? それにねミライちゃん。……誰であろうと近しい者には事情聴取をやらないといけないんだ……。近所の人にだって全員聞き込みをする。もちろん、君にもきてもらう……」

「そんな……」

 ミライが項垂れる。

 実の母を亡くしたショックから抜け切れていないはずなのに、庇ってくれた。

 その気持ちだけで十分だ。

「連絡をもらって、私達憲兵団がかけつけてきた時には、もう炎は鎮火していた。あれだけ家が燃えていたのにだ。つまり、人為的に燃やされていた可能性が――誰かの『スペシャリテ』によるもの可能性が高い」

 プリズンはそう言って、こちらを見やる。

 まるで、その『スペシャリテ』を使った犯人が自分とでもいいたげだ。

「……今日ぐらいはミライのこと、休ませてやってくれませんか。僕が行きますから……」

 事情聴取程度ならば、拒否できる。

 逮捕状がなければ、強制ではなく任意同行になるはずだ。

 だけど、もしここで頑固に首を振っていれば、ミライにまで迷惑がかかるかもしれない。

 憲兵も、血縁関係にあるミライよりも、五年前から働き始めた従業員の方が怪しいと感じているはず。

 犯人逮捕を最優先にする憲兵が、食いつかないはずがない。

「……そうだね。ミライちゃんはまだまともに話を聴ける状態じゃないから、また明日話を聴こうかな……」

「ま、待ってください! グレイスさんは!」

 詰め寄ろうとした、ミライを目で制す。

「すぐ戻るから、心配しないで」

 なるべく笑顔をつくりながら、憲兵団の車に乗った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る