Good Luck

RAY

Good Luck (グッドラック)

「天災は忘れた頃にやってくる」なんて言うけれど、まさか自分がこんな目に遭うとは思ってもみなかった。


いつもの時間に、いつもの自転車に乗って、いつもの横断歩道を渡っていたところに、信号無視のトラックが突っ込んできた。ボクは自転車ごと跳ね飛ばされ、昔見た宇宙人と子供の交流を描いた映画のワンシーンみたいに宙を舞った。


それは、学生やサラリーマンでごった返す、日常の情景が非日常に変わった瞬間。車道に横たわるボクの周りには二重・三重の人垣ができた。まるで上野動物園のパンダにでもなったような気分だった。


サラリーマンの皆さん、こんなところで油を売っていたら遅刻するよ。

コンビニの店員さん、持ち場を離れていいの?レジがガラ空きだよ。

近所のおばさん、今日の井戸端会議の話題はこれでバッチリだね。


薄れ行く意識の中で、どうでもいいことばかりが浮かんでは消えていく。


次の瞬間、ボクは奇妙な光景を目の当たりにする。

ボクの目には、路上に仰向けに横たわる「ボク」の姿が映っていた。

言い換えれば、事故現場の様子を空から見下ろしているボクがいた。


幽体離脱ゆうたいりだつ・・・そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


これって・・・死んだってことかよ?マジかよ?まだやりたいことがたくさんあったのに・・・やり残したことだらけだよ。今朝おふくろとケンカしたままだし、鈴木には金貸したままだし、ナオコには告白できてないし・・・


おそろおそる、横たわる「ボク」に近づいてみた。

血は出ていない。外見は大丈夫そうだ。ただ、頭を強く打っている可能性はある。


どうしてこんなことになっちまったんだよ。ボクはまだ17歳だよ。

神様、ボクが何したって言うんだよ。勘弁してくれよ。


理不尽な現実を認識し始めたボクを不安と悲しみが襲う。

情けなくて心細くて瞬時に目に涙が溜まる。

横たわる自分が愛おしくてたまらなかった。


このまま死ぬなんてイヤだよ!


大声で叫びながらボクは「ボク」のほおに両手を添えると、自分のおでこを彼のおでこに押し当てた。


と、そのときだった。


何が起きたのか理解できなかった。

時間にすれば1秒経つか経たないかの一瞬の出来事。

僕の目には空が映っていた。視点が1秒前のそれとは明らかに変わっている。


身体のあちこちに痛みと倦怠感が感じられる。

周りを取り囲んでいるギャラリーがボクの方を向いて口々に何か言っている。


「おい!この子、生きてるぞ!!」


★★

救急車で病院に運ばれたボクはすぐに精密検査を受けた。

脳波異常なし。骨折箇所なし。内臓損傷認められず。

診断の結果は「全身打撲全治3日間」。

担当した医師は首をかしげながら「奇跡以外の何物でもない」と言った。


正直なところ、ボクも奇跡だと思った。

それは、自分の魂が身体から抜け出したのだから。


夢を見ていたのか?いや、それはない。

魂が身体に入り込むときの感触は今でもはっきり覚えている。

一瞬で視点が180度変わる感覚。高速で滑走するジェットコースターよりもずっとスリリングだった。あれは実体験以外の何物でもない。


3日後、ボクは無事退院してしばらく自宅で療養することとなった。

顔さえ見ればカミナリを落としていた親父は人が変わったように優しくなり、お袋はボクのために毎日ご馳走を作ってくれた。また、日替わりで訪れる友人たちもボクの無事を自分のことのように喜んでくれた。ボクにとって心地よい日々が続いた。


『たまには死んでみるのも悪くないな。』


ふとそんな言葉が頭に浮かび、ひとり苦笑した。


★★★

そんなある日、床に落ちたコピー用紙を拾おうと机の下に潜り込み、頭を上げた瞬間、後頭部に痛みが走った。机の角に頭をぶつけたのだ。


「痛ってぇ~!」


思わず声を上げて目をつむった。

しかし、目を開けた瞬間、ボクは自分の目を疑った。


そこには、後頭部を押さえたまま動かなくなっている「ボク」の姿があった。

同時に、自分の身体が宙に浮いている感覚があった。

まさに「あのとき」と同じだった。


気が動転したボクだったが、それはほんの数分だった。

あのときのことをつぶさに思い出すことができたから。


両手を「ボク」の頬に添えると自分のおでこを彼のおでこに当てた。

ジェットコースターが勢いよく滑走する。次の瞬間、ボクたちは元に戻っていた。


「よかった。ビビらせるなよ。」


突然のアクシデントに少し動揺しながらも、ボクはとても愉快な気分になっていた。なぜなら「コツ」がつかめたから。何のコツかって?それはもちろん「幽体離脱」のコツだ。


どうすれば幽体離脱しどうすれば元に戻れるか理解できていれば、こんなに楽しいものはない。幽霊になったようなもので、自由に飛びまわることができ、物体も通り抜けることができる。どんなところにも侵入することができ、情報も自由に入手することができる。物をつかんだりすることはできないが、それは大した問題ではない。


昔から「声はすれども姿は見えず」などと幽霊のことを形容しているが、まさにそのとおりだ。耳元でささやくとみんなあたりをキョロキョロ見渡して首をかしげる。そんな様子を見ているだけでもとても愉快な気分になる。


また、あまり大きな声では言えないが、憧れのナオコの入浴シーンなんかもバッチリ見てしまった。あいつ細身に見えて結構あるんだよなぁ。それに・・・これ以上細部を思い出したら鼻血が出そうなのでここで止めておく。とにかく幽体離脱のコツがわかってからのボクは最高にハッピーな気分を味わっている。


★★★★

「疲れた・・・身体を離れるのは5時間が限度か・・・」


ある日の夕方、空を飛びながらそう思った。

魂単独での活動には限界があるようだ。それは幽体離脱を繰り返すことで理解できたこと。フラフラになりながら何とか自分の部屋へとたどり着く。すると、そこには信じられない光景があった。


何と「ボク」が動いているのだ。


何が起きているのか理解できなかった。

ただ、このまま放っておくわけにもいかない。


「お前は誰だ?それはボクの身体だ。すぐに出て行ってくれ。」


耳元でささやくと「ボク」はキョロキョロと周りを見渡す。そして、何かを悟ったような表情を見せる。


「そうか。これはキミの身体なんだね。空いていたから借してもらったよ。」


驚かないところを見ると、幽体離脱の仕組みを知っている者のようだ。


「じゃあ、身体を返してくれよ。」


「ごめんね。それはできないんだよ。」


「な、なんだって!?」


想定外の言葉にボクは思わず 声を荒らげる。

そんなボクにそいつは頭をきながら苦笑いをする。


「実はね、僕の身体もちょっと目を放した隙に他の奴に盗られちゃったんだ。でも、僕らのように魂を自由に出し入れできる特異体質の人間ってなかなかいないんだ。死体に入っても拒絶反応を起こして苦しみを味わうだけだしね。それで途方に暮れていたら、偶然君の身体を見つけたってわけ。本当に助かったよ。」


「何を勝手なこと言っているんだ!それはボクの身体だぞ!いいから早く出て行け!」


大声で叫んだ瞬間、ボクはその場に崩れ落ちた。身体の疲労が尋常ではなく、立っているのはもちろん座っているのもままならない。魂の状態でいるのはそろそろ限界のようだ。


「君もわからない奴だねぇ。できないって言ってるじゃないか。あっ、それより、こんな話知ってる?」


そいつは悪戯いたずらを成功させた子供のように無邪気な笑顔を見せる。


「僕らが身体を離れて活動できる時間は『6時間』が限度だってこと。それを過ぎるとどうなると思う?僕も経験がないからはっきりはわからないけど、聞いた話では本当にっちゃうらしいよ。単なる噂かもしれないけどね。」


こいつの言っていることが、真実かどうかは疑わしい。

ただ、ボクには「それを信じない」という選択肢はなかった。


間髪入れず、自分の手を「ボク」の両頬にあて、自分のおでこを彼のおでこに当てた。しかし、ジェットコースターは滑走せず視点もそのままだった。もう一度やってみたが結果は同じだった。やはり魂が存在する身体には入ることはできない。


「畜生!畜生!6時間って言ったら、あと40分しかないじゃないか!」


「ねぇ、いいこと教えてあげようか。ボクの身体に入ってる奴の身体がどこかにあると思うんだ。そいつの身体を探して入ればいいんだよね。あっ、そいつの身体も誰かに盗られちゃってたりするかも・・・でも、それなら、そいつの身体を盗った奴の身体がどこかにあるはずだよね。いや待てよ・・・その身体も別の誰かが・・・」


こいつは明らかに今の状況を楽しんでいる。

しかし、そんなことに腹を立てている時間などない。身体が鉛のように重い。心なしかボクの存在自体が希薄になってきた気がする。


『30分やそこらで見つけることができるのか?そんなレアな身体モノを・・・いや、見つけなければならないんだ。この世にとどまるために!』


最後の力をふり絞ってボクは夕暮れの空へと飛び立った。

どこへ行けば問題が解決するのかなんてわからない。ただ、ひとつわかっているのは、ここにいても事態は何も好転しないということだ。


ボクが飛び立つ気配を感じたのか、そいつは視線を空へ向ける。

そして、右手の親指を立てると大きな声で言った。





「Good Luck!(幸運を!)」



RAY

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