第一章:破瓜症候群

002 5p~15p



002


 たーいくつな入学式を終えて、神山八穂かみやまやほの気分は浮いていた。


「ここが新しいマイホーム……夢が広がりんぐだよ!」


 八穂は大学から少し離れた安アパートの扉を前に、周囲への配慮もなしに声を上げた。

 彼女のテンションが高い理由は、今日という日がめでたい日、待ちに待った一人暮らしの初日だからであった。


「下見には来たけど、なんかドキドキするなぁ……さぁてご開帳っと」


 若干立て付けの悪い鉄扉のギィっとした音をバックグラウンドに、八穂の視界に部屋の様子がはっきりと映る。


「おぉ、ちゃんと家具家電付きだ! ちょっと見た目はボロいけどお財布に優しいし、いい感じ……っておろ?」


 八穂は、小さい体を乗り出すようにして部屋を覗き込むと眉を顰めた。



 もちろん部屋に人はいない。

 傍目から見れば八穂は宙に語りかけるだけのように見えるが……実のところはそうではない。

 そう、常人には見えないものが神山八穂には見えるのだ。


「おもいっきり事故物件じゃない……って言っても信じて貰えないんだろうなぁ。別にこいつらここでおっ死んだ訳じゃないっぽいし」

 八穂は思わずといった様子でため息を吐き、畳から十センチ上空に浮遊している人型にビンタを一発お見舞いしてやろうとして――見事に空振った。


「すり抜けた……うーん、山降りてから少し感覚が鈍くなってるみたい」


『いや当たってからね!? 顔に椛できたからね!? というかなんでいきなり殴りかかるんだ!?』


「喋れるんだ、へぇー、なかなか力を持ってるいみたいだけど、何? 死にたてなの? ホヤホヤ?」


『ホヤホヤって……いや、ちょっとは話を聞いて』


「あんただって私がいるわねって聞いたのに返事しなかったじゃん。お相子だよ、おーあーいーこー、分かる?」


『なんか僕だけ当たり強くない……?』


 サラリーマンと言うには少しラフ過ぎる風貌をした幽霊の男は「そんなに嫌われることしたかなぁ」と言って頭を掻いた。


「だって、ねぇ」


 八穂は嫌なものを見るような視線を部屋の隅へと向ける。


「あっち、話通じそうにないし」


 その視線の先には武者甲冑をまとった侍の霊がむっつりと黙りこんで座禅を組んでいた。


『そうでもないですよ? 彼はとてもおもしろいお方です』


「……オッサンの感性は理解不能ね。りーかーいーふーのーう、分かる? もうJK過ぎたけど、私はまだオッサンに媚びるような歳じゃあないの。これから超格好いい彼氏ができる予定なんだから。モテたいならもっと今時の感性磨いたら?」


『お、オッサン……そうか、僕もそんな歳かぁ』


「もう歳取らないけどね、あんた死んでるし」


『そうだよなぁ……死んだんだよなぁ』


「なに? まだ納得してない系幽霊なの? めんどくさ」


 八穂は手をヒラヒラと振って「成仏関係はもう関わりたくないから、そこんとこヨロシク」と言って畳に寝転がった。

 ……天井にも幽霊がいた。


「あのさぁ……あんたらなんなのよ。そんなに女子大生の私生活覗き込みたいの? 煩悩まみれなの? それにどうしてあんたら揃いも揃ってそんなに力が強いのよ」


 力が強いということは寿命が長いということ。人がそんなに長い間、情念を保っているということは、つまりどういうことなのか。


「死んだ時の情念が強かった……? いやいや、ないない。そんなに強い情念なら幽霊としてのカタチを外れたものになるし」


 強すぎる情念は心を歪める。歪んだ心は歪んだ魂の形となって現れる。

 その点、この幽霊たちはしっかりと人としての形を保っているし、気配だって禍々しくない無害なもの。

 八穂は不可解な幽霊たちに対して、ウムムと考えこむ。


「おっかしいなぁ……普通じゃないってことはわかるんだけど、ねぇ、天井のあんた。何か理由思い当たらない?」


『あんたはやめて』


 天井に足をつけて、逆さまに浮かぶ性格厳しめのOL幽霊は眉を吊り上げて言った。


「だって名前知らないし」


『サチコよ。そっちのワイルドなお方はトシユキさんで、お侍さんは……なんだっけアワモリさんだった気がする』


「ふーん、で、サチコ。なんか思い当たること無いの?」


『思い当たることね……あぁ、長老さんから聞かされたアレかも』


『アレですか……』


「アレって?」


『「マヨヒバ」ですよ』


 問う八穂に男が答えた。


「まよいば? 何それ」


『僕にはよくわからないんですけど、霊地らしいですよ。下級のですけど』


「霊地、ね。いい思い出がないなぁ。でもどーりで力が強いワケね」


 八穂は、納得はしたという様子で立ち上げると、空の冷蔵庫を開けて、そして閉じた。


「そういえば食材買わなきゃなぁ」


『今日から一人暮らしですか?』


「そうよ……って、そうだ、なんであんたらがここにいるのか聞いてないじゃん」


 幽霊たちは顔を見合わせて、そして八穂へと向き直り、口をそろえてこう言った。


『さぁ?』


「これだから浮遊霊は……」


『いやぁ、この空き部屋だけ不思議と居心地がよくてね』


「もう空き部屋じゃないから出てってよ。ワンルームだし人目があると生活しにくいんですけど」


『人じゃないからセーフ、とか?』


「そんなに女子大生の私生活覗きたいのかヘンタイ! いいから黙って出てけ! さもないと知り合いの巫女さんに祓ってもらうかんね!」


『怖いなぁ……近頃の若者はよくキレるってテレビでやってたけど本当みたいだねぇ。そういえばウチの娘も大学生くらいかなぁ。君みたいになってないといいけど』


「うっさいなぁ!」


 あぁムカつくと八穂は歯ぎしりをして男を睨む。

 対する男は飄々と笑うばかりで、動じない。


『いいじゃないか。少しくらい仲良くしてよ。ここ数日で実感したけど幽霊って凄く不便なんだよ。話せる相手は少ないし、外を出回り続けることもできないし』


 そのせいで娘は見つからないし妻もどこに行ったのかわからないし、と呟く男に、八穂は表情を引きつらせる。


(こいつの話からすると娘は私と同じくらいなのに天涯孤独ってワケだよね。可哀想に。少し、同情しちゃうかも……)


 八穂はこのまま幽霊をほっぽり出すのも何だか悪いことをしているような気がして、「あぁ、もう!」と声を上げて、幽霊たちへと語りかける。


「いいよ居ても、でもその代わり――」


 彼女は背後のキッチンを指差して言い放つ。


「代わりに家事してよ。あんたらの力だったら軽いものくらい動かせるでしょ?」




「ふふふーんふ、ふふーんふ、ふーんふーん」


 八穂はアニソンの鼻歌まじりにマンガを読んでいた。

 傍らには、じゃがりこサラダ味とドクターペッパーの缶が置かれており、八穂がリズムに乗って足をパタパタと布団に叩きつける度に、それらは小さく揺れる。

 初日にして、彼女は一人暮らしを満喫していた。

 ……その後ろで必死に働く三名の幽霊に目を向けないかぎり、と但し書きはつくが。


『鼻歌うたうくらいにご機嫌なのはいいんだけど、ね。あまり足を動かしてるとパンツが見えるよ』


 冴えない父親のような話しかけ方で八穂に注意したのはトシユキと呼ばれる男の幽霊である。享年は四十後半くらいだろうか、口調の割に容姿はかなりワイルドなものであった。


「……」


 八穂は頬を膨らませながらも、すごすごと足を布団に軟着陸させる。

 行動の端々は子供っぽくはあるが、注意されたからといって癇癪を起こすほど彼女は子供ではなかった。……かといって大人と言うには少々足りないものが多すぎるが。


『洗い物済んだよ』


 顔立ちがキツめのOL幽霊が、泡のついたスポンジを宙にフワフワと浮かばせつつ言った。


「んー、あんがとー」


『幾らなんでも馴染み過ぎやしないかい?』


 トシユキは呆れた様子で小言を挟む。


「べつにー」


 お小言には反応しない、と、八穂は少しずつトシユキへの対応を覚えつつあった。

 適当な返事を返しつつ、さらにマンガを読み進めると、濃厚なキスシーンが大きくコマを割って出てきて、彼女は思わず周りに見えないように本を半分閉じながら読み進める。


『なに読んでるんだい?』


「なんでもいいでしょ。ほら、次は洗濯物ー」


『……あのさね、さっきまで女子大生の私生活がどーのこーのとか言ってなかった?』


「立ってるものは足がなくても使う主義なの。はいはい働いた働いたー」


 シッシと手で追い払う仕草をしながらキスシーンのページから視線を動かさない彼女は、貴族か王族か。気品も優雅さもないが、傲慢さだけがそこにあった。


『死んでも働くのね、私達……』


 OLは侍に語りかける。現代の社畜と戦国の社畜の背には哀愁が広がっていた。


「嫌なら出てっていいかんね」


『……風呂掃除行ってきます』


「あれ? なんで出てかないんだろ」


 八穂には幽霊に対して傍若無人な振る舞いをしている自覚があった。その自覚があったからからこそ、なぜ霊達が出て行かないのか不思議であったのだ。


(なーんか理由がありそうだけど)


 多少霊感が鋭く、かつ、本職の方のお世話になったことがあるだけで、あくまで彼女は一般人。詳しい幽霊の性質なんてものは全くと言ってわからない。

 当て推量をしていても仕方がない、そう断じた八穂はこれ以上考えるのをやめて毛布を手繰り寄せて身を包む。

 それからゴロゴロとマンガを読み進めること数分後、充電ケーブルに挿したままのスマートフォンからラインの通知音が鳴った。


「――ん、誰からだろ」


 スマートフォンの画面には、タマキ、と、高校からの友人の名前が映っていた。


「新生活は変わったやつらとの出会いからはじまりましたよーっとな」


 近況を尋ねるラインに対して八穂がスタンプとメッセージを送り返すと、すぐに既読がついて返信が返ってくる。


「ばぁか、彼氏じゃないって。あ、でもからかっちゃお」


 わざと思わせぶりな返信を送る。そして彼女は悪戯な笑みを浮かべて返信を待つ。


「おぉ釣れた釣れた」


 すぐに嘘だよーと送り、変なスタンプなんて送りつけてやる。そして――既読がついて暫く経っても返事がない。


「……後で謝っとこ」


 彼女は小指の先ほど反省して、ラインの履歴を遡る。

 そこに何度も登場するあるワード、昔のあだ名。


「恋愛マスター……ねぇ」


そう呼ばれるようになった切欠はなんであったか。

 山奥の全寮制女子校、彼女は小中高と続けて通っていた。いつの日か見栄を切って彼氏がいるとか言ったのが始まりだったかな、と彼女は回想する。


(結局ウソでしたと言えずに延々と引きずった挙句にフってやったことにしたんだけど……まぁ、今となってはいい思い出だなぁ)


 と、大人びてみる彼女であるが、つい数ヶ月前のことである。

 はぁ、とマンガを読み終えた八穂はため息を付いて、呟く。


「彼氏、出来るかなぁ」


 きっと出来るはずだよね、と、彼女は自分に言い聞かせて、恥ずかしくなって毛布を被る。


「楽しみだなぁ……」


 ふへへと笑う彼女の脳内では、読み終えたマンガの主人公に抱かれる自分の姿が二割ほど美化されて描かれていた。

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