9-2 〈そよ風と光輝の広場〉での特筆すべき光景

 光の中へ飛び込む。

 一瞬ののちに眼は慣れ、大理石製の広大な舞台の全容と、その下に広がる〈そよ風と光輝の広場〉を埋め尽くす聴衆のざわめきを、俺は五感で感じ取った。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、聴衆の側を向いて屹立する、俺の二倍はあろうかという最高神の木像だった。噂には聞いていたが、こんなにでかいのか。

 神官長がべた褒めしていた三叉戟はここからだと見えないが、頭上に戴いた縦長の王冠は頭三つ分の長さがあった。現実問題としてあんなのを被ったら、間違いなくくびの骨が折れちまうだろう。護民卿が作らせ、重すぎるという理由で玉座の真上に天井から吊されたという豪奢な王冠でさえ、あんなに大きくはなかったはずだ。確かに神官長が自慢するのも頷ける、贅を尽くした逸品だった。

 もっとも、家の中にも置けないこんな立像、誰も欲しがらないだろうがな。


「ようやくお出ましね」


 声がした。視線を移す。

 首筋に刃を突きつけられ、呆然と立ち尽くす外務大臣ジールセン。

 その剣を握るのは軍部大臣ゴルバン。

 傍らには俺に声をかけてきた、公安大臣エトリア。

 ほかの議員やお偉い方は、むろん神官連中も、全員舞台の脇に集められ、件の私兵たちに見張られている。チェリオーネの姿も見える。こっちの秘書にケガはなさそうだ。ドルクだけ刺されたのは、まことに運が悪かったというほかない。ここにいれば痛い目に遭わずに済んだのに。とはいえ、そうでなければ俺は庭園の場所を知りえなかったのだから、あれは名誉の負傷というべきか。

 その傍ら。

 楽器を手にした二十の三倍を超える集まりの中に、怯えた様子で銀の横笛を抱き締めるアルシャの姿を認め、俺は安堵した。果たして演奏前か、それとももう終わってしまった後なのかは定かでなかったが、ともかく無事で何よりだった。

 さて、問題はこの状況をどう打開するかだ。俺にとって大変思わしくない状態であることは疑いを容れない。


「ライア!」


 姫君に名を呼ばれた。

 今一度高官連中に眼をやると、こちらは透明な横笛を脇の侍女に持たせたマリミ姫が最前列に見えた。こんなときに指摘するのもなんだが、笛ぐらい自分で持てよ。


「黙れ」


 私兵の一員に剣で脅され、姫君は一歩後退ったが、その反抗的な態度は大したものだ。俺は本気で感心した。肝っ玉の太さは神官一族の中でも筆頭格だろうな。なるべく身を隠そうと項垂れているくせに、丈高い帽子のせいで所在が瞭然な臆病者の神官長が益々惨めに見える。

 そんなことを考えながらも、眼を凝らしてつぶさに観察を試みたが、この一帯に姿を見つけ出すことは結局できなかった。


「まだ来てない、か」

「ん、誰のこと?」


 公安大臣に問われたが、それには答えず舞台下の広場に眼を移す。まあアルシャの身の安全が確認できただけでもよしとしよう。

 間違いなく、この空中庭園は武力政変の渦中にあった。がしかし、政変という言葉から連想するような、乱れ飛ぶ怒号や暴動とは縁遠い状況でもあった。

 およそ建物の二階分ほどの高低差がある、下の広場に居並ぶ大勢の聴衆からも、はっきりした不満や反対の声は聞こえてこない。打ち続くこの手の政変に慣れてしまったのか。

 あるいは、考えたくないが、

 俺ってそんなに人気ないのか?


「感想はどう、議長? 小知恵が働くあなたのことだから、この外務大臣を首謀者と思っていたのではなくて?」


 身動きの取れないジールセンが、くっと呻いて握った拳を震わせた。


「軍部大臣とこのわたしが、真の首謀者だったのよ」


 そう言われても、さほど驚きはない。


「んー、まあ、ジールセンが黒幕じゃないのは薄々気づいてたけどなあ」

「本当かしら。あなたお得意の強がりではなくて?」


 先の会議で外務相の不在を追及した俺を、エトリアとゴルバンが諫めたところからして既に怪しかった。あれは密輸組織の再編に大わらわのジールセンを、会議に出席させまいという助け船だったのだろう。エトリアが密輸組織の捜査に乗り気でなかった点も、そんな推理の補強材料になっていた。


「何故そう思ったの?」

「ジールセンってほら、策士とか陰謀家って感じじゃないだろ」


 声を立てて笑い出す公安相。


「あなたってほんと面白い人ね、ライア。昔からそうだったわ。適当で無神経で会議が大嫌いで。こんなにも議長に相応しくない人間、国中探したっていないわ。そのくせ自らの保身に関しては人一倍勘が鋭くて、するりと窮地を抜け出すのよ」


 そういうことをほかの連中ならいざ知らず、アルシャの前で言うか。俺は、本当なら今頃優雅なあるいは賑やかな調べを奏でていたはずの楽師たちを一瞥した。が、角度が変わってしまい小娘の様子は窺い知れなかった。まさかこんな形で本業をバラされることになるとは。心外だよ全く。


「でも、今度ばかりはどうかしら。もう逃げ道はないわ」


 背後に立つ数人の私兵。俺はすぐに向き直ると、


「逃げるつもりなど毛頭ない。そんなことより、これは一体なんの真似だ! エトリア、ゴルバン」


 体裁を繕うため大袈裟に手を広げてみせ、見得を切った。


「我ら評議会を裏切るのみならず、仲間のジールセンまで手にかけるとは! 言語道断、眼に余る毒婦の所業であるぞ!」

「あら、本当はあなたを殺害する予定だったのよ」

「何を?」


 心中の狼狽を隠し、俺は言い返した。


「彼は言わば身代わり」

「身代わり?」


 ははーん、そういうことか。


「この政変を多数の眼に灼きつけるために、見せしめが必要だったわけだな。ジールセンも憐れな奴だ。散々利用されて、終いには剣まで突きつけられて」

「安心して。彼は殺さないわ」妖艶に微笑むエトリア。「殺害されるに相応しい現政府の象徴が、こうしてのこのこやってきたんだもの」

「笑えない冗談だな」

「冗談ではなくてよ。彼は殺すには惜しい人材だわ。一時はどうなるかと思った密輸組織再編の手際も目覚ましく、しっかり今日という日に間に合わせてくれた」

「そりゃ口先だけの財務相より、よっぽど使い勝手があるわな」


 なんやと、という声が聞こえた気がしたが、そっちには見向きもしなかった。


「とにかくだ、これだって恥ずべき裏切り行為であることに変わりはない」ここは断固として言い切らねばならない。「しかもそれだけじゃないぞ。我らが築き上げた共和制の灯火を吹き消し、民の声まで無視するのか?」

「強き者に従う、それが民衆よ。ご覧なさい」


 促され、舞台先の広場を眺め渡す。

 集まった聴衆を取り囲んでいるのは、あろうことか我が国の鎧をまとった衛兵たちではないか。きっと軍部大臣ゴルバンの配下だろう。


「おお……」


 俺は少しした。

 議長の人気云々じゃなくて、武力で言論を封殺しているだけだと判明したからだ。うん、そういうことならしょうがない。誰だって痛い思いをしてまで、声高に叫びたくはないもんな。俺の人気もまだまだ健在なわけだ。これも日頃の善行の賜物かしら。

 にしても、こんな非常時でさえ評判が気になるのか俺は。なんとまあ因果な職業だよ。


「エトリア、お前は現状にどんな不満があるんだ?」


 少し元気が戻ってきた。気を取り直し、重ねて問う。


「かつて護民卿は外来の言葉を用いて、こういった武力蜂起のことを〈クーデター〉と呼んでいたそうよ。なんでも〈国家への一撃〉という意味だとか。いい響きだわ、国家への一撃。フフフ」


 舞台を我が物顔で闊歩しながら、公安相は口を開いた。現状の不満とは関係なさそうだが、それの意図するところは何か。言葉の続きを待つ。


「議長、あなた、護民卿の最期をご存知?」

「当たり前だ」俺は言い切った。「自分たちの手で打倒した敵の末路を、知らないはずがなかろう」

「珍しい。あなたにしては上出来ね」

「いちいちうるせえな。護民卿はこれ以上の抵抗は無駄と諦め、自害したんだ」

「そうよ。彼は、家族に危害が及ぶのを恐れて、孤独の中死んでいったのよ」

「家族?」


 護民卿に家族なんていたのか? そんなこと初耳だぞ。

 ……それがエトリアの、現状への不満?

 ……まさか。


「まさかエトリア、お前」


 


「そう。

「……!?」


 囚われの身の者たちに戦慄が走る。

 硬いもの同士がぶつかり合う音。誰かが、大理石の床に手持ちの楽器を取り落としたようだった。それから言葉が吐き出されるまでには、更にしばしの間を必要とした。


「な、なんということだ!」

「護民卿に、実子がいたとは」

「しかもそれが……現役の、公安大臣!」


 悲鳴を上げる者。眼を見開く者。膝からくずおれる者。

 共通していたのは、いずれもその甚大なる驚きを隠せずにいたことだ。


「母も若くして死に、今や護民卿の血縁者は、わたし独りを残すのみとなったわ」

「いや、ちょっと待て。それだとおかしくないか?」


 疑問が一つ浮上する。

 エトリアが公安相の職に就いているのは、かつて革命軍に所属し多大な戦果を挙げたからだ。どうして護民卿の娘でありながら、革命の側に身を投じたのか?

 そのことを尋ねると、


「父の命令よ」と、本性を現した公安相はあっさり答えた。「わたしは〈旋風と曙光の革命軍〉……このおぞましい敵軍の中に潜伏して、ずっと内部崩壊を狙っていたのよ。素性を隠してね。でも、結局計画は失敗して、挙げ句わたしは〈救国の八英雄〉などと祭り上げられて。とんでもない皮肉よね? それはもう、身を切り刻まれるような恥辱の日々だった。いっそこのまま父の後を追って、死んでしまいたかったくらい」

「護民卿は、お前に生き残ってもらいたくて、そう命じたんじゃないのか?」


 護民卿の娘は僅かに動揺の色を浮かべたものの、すぐに表情を消して、


「相変わらず、思いつきばかり喋るのね」

「当たり前だ。思いつかないことは喋れないだろ」

「バカね。行き当たりばったりという意味よ」


 エトリアは鼻で嗤うと、


「でも、あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」

「バカなところがか」


 お前の境遇には負けるが、これはこれでとんだ皮肉じゃなかろうか。


「そうそう、あなたが革命軍に加わった動機も傑作だったわね。護民卿……父が定めた新たな公用語に馴染めず、危うく大学を留年しそうになって、それをどうにかしたくて参加したんでしょ。あなたくらいのものよ、そんな私怨で軍に籍を置いた人間なんて」


 それ、今言うことじゃないだろ……。


「良かったわね。留年しなくて」

「まあな。おかげさまで単位足りなくなって、無事中退できたしな」


 破れかぶれになって言った。

 ふふふ、と口許を隠して微笑んでいたエトリアは、しかし真顔になってこっちをきつく睨み据えると、


「ライア議長、勝負なさい」


 勝負?


「なんだそれは」

「一対一の剣の勝負よ。それなら文句ないでしょう」


 そう来たか。剣術は不得手だが、細腕の女性相手ならなんとか勝てるかもしれない。


「仕方ないな。だが、女に刃を向けるのは本意じゃないぞ」

「なんでわたしが戦うのよ。相手はこのゴルバンよ」


 ……ま、そんな気はしてたが。

 おいおい、まずいだろそりゃ、という文部大臣の声が囚われの一団から洩れ聞こえた。ここにきて茶化しているとも思えない。

 確かにまずい。言われなくても判る。戦闘経験に乏しい議長対歴戦の軍部大臣。


「黙りなさい、文部大臣」

「はいはい」


 エトリアに凄まれ、人々の群れに身を潜めるピート。もう少し俺の力になってやろうとは思わんのか。


「不公平ですよ、公安大臣」


 今度は労働大臣の声だ。おおフィオ! 心の友よ。


「条件が違いすぎる。これでは結果は目に見えています」

「条件は同じでしょう」

「戦いに臨む姿勢からして違います」


 フィオはなおも抗弁するつもりらしい。いいぞフィオ。もっと言ってやれ。


「ゴルバン軍部大臣は、王政時代より第一師団に属していた猛者で、我らと共に革命軍に属したのちも、その奮迅たる勢いと輝かしい戦績は言うに及ばず、諸外国にもその名が知れ渡っています」


 沈黙。遮る者は皆無。いよいよ俺を褒め称える番か。


「それに引き替え、我らが議長はいかに戦わずして勝つかを追求し、ひとたび不利となれば命乞いもいとわず、闘争ではなく逃走の中に活路を見出してきた御仁。反面、一歩間違えば卑怯とも受け取られかねない、人の弱みにつけ込むような狡智や仕打ちも数知れず。その上気分屋で服装にも無頓着。これでは勝負になりません」


 ……最後のは関係ないだろ。どさくさに紛れて何言ってやがる。

 気のせいだろうか、押し殺した失笑が聞こえてきたのは。いや、むしろ気のせいであってほしいんだが。

 困ったことに、時が経てば経つほど事態は悪化の一途を辿っているようだった。好転の兆しは少しも見えない。このままじゃ、もっとまずいことになる。

 とそのとき、広場の不穏なざわめきを掻き消すように、荘厳な鐘の音が高らかに響いた。

 正午になった。大音楽祭の開始予定時刻から一時間。

 まだだ、戦うにはまだ早い。もう少し必要がある。


「座興はこれまでよ。ゴルバン」

「心得ている」


 ジールセンの処遇を部下に任せ、俺のほうへ躰を向けるゴルバン。革命軍時代に比して、その筋肉量は些かも減退していない。戦闘力も然りだろう。俺に勝ち目は、ないだろうな。万に一つも。

 俺が徒手であるのを見て取ったゴルバンは、居並ぶ配下の一人に顎で指示を出した。この連中も元はジールセンの私兵だったはずだが、今や全員鞍替え済みなのだろう。その男は命じられるがままに剣を収め、鞘ごと俺に投げ渡してきた。それを使えというわけか。


「剣を取れ」


 低い声で短く言うゴルバン。唇の動きに呼応して、長々と垂れ下がった顎鬚が僅かに上下する。


「お断りだ」俺は憤然として叫んだ。「てめえの部下の武器なんざ使えるか。どんな小細工があるか判らんからな」

「ほう」

「俺は自分の剣で戦わせてもらう……おい、そこのお前! お前の近くにいる、紅い服の女を連れてこい!」


 二人組の見張り役が、後ろ手に縛られたチェリオーネを引き立ててやって来た。その後ろには更にもう一人。計三人の私兵か。用心深いことだ。


「剣を持ってきてくれ。。第二秘書から話は聞いてるだろう」


 やつれた面持ちのチェリオーネにそう命じる。しおらしいのは悪くないが、ここまで元気がないのも考えものだ。この第一秘書には中庸という概念がないのか?


「……判りました」


 両脇を私兵に挟まれたチェリオーネが、穹窿形の戸口に消えていく。俺の真意は伝わったろうか。

 しばらくして、やや幅広の刀剣を携えた私兵が秘書と共に戻ってきた。


「…………」


 敵兵らに悟られぬよう、そっとこちらに目配せするチェリオーネ。


「……ふむ」


 。どうやらこれが例の、鍛冶屋特製の剣らしい。

 首尾は上々だ。良くやったぞ第一秘書。お前は今度の給料二割増しだ。三割はちと奮発し過ぎな気がする。


「待て、ライア」


 剣を受け取ろうとする俺に、ゴルバンの声が掛かる。


「貴殿の武器に仕掛けがないとも限らぬ。その剣は我輩が使わせてもらう」

「何?」

「代わりに貴殿は、我輩のこの剣を使え。これでお互い文句はなかろう」

「……むう」


 文句は山ほどあったが、ぐっと呑み込んで軽い舌打ちに留める。

 いや、これは参ったぞ。すっかり当てが外れちまった。

 ゴルバンはそんな俺の様子など意に介さず、大きく振りかぶった直後、凄まじい速度で己が得物を打ち下ろした。いや、投げ下ろした。


「ひっ!」


 思わず眼を閉じ、顔を背ける。耳許で甲高い破壊音。そして何かが頬にぶつかった。


「…………!」


 刃が掠めたか?

 いや、全然痛くはない。もっと別の何かだ。

 そろそろと眼を開ける。

 手許を離れたゴルバンの剣は、俺のすぐ横の壁に突き刺さっていた。刺さった箇所から摩擦で煙が上がっている。頬を打ったのは、壊れた壁の小片だった。


「おお、すまぬな。久々の実戦で、力の加減が判らぬ」


 ニヤリと笑うゴルバン。

 おい、まさか、これを引き抜けというのか?

 右手で柄を掴み、引っ張ってみる。剣はびくともしない。左手を壁に当て、一層力を込めた。まだ動かない。

 終いには足裏を壁につけ、両手で引っ張った。どうにか刀身は抜けたが、勢い余ってツルツルに磨かれた床に尻餅を突いた。


「いってぇ……」


 玻璃はりと石細工の豪華な天蓋が初めて視界に入る。こりゃ広場から見ても壮観だろうなあ、などと下らないことを考える。

 品のない笑いが私兵どもの間から洩れ聞こえた。ふん、笑いたければ笑うがいい。膂力りょりょくじゃどう足掻いても敵わないが、もう。こうなったら、んだってな。

 ああそうさ。ならお手の物だ。

 こういうちょっとした所作の積み重ねが、後々活きてこないとも限らないんだぜ。尻餅くらいいくらでも突いてやるさ。猿の尻みたく真っ赤にならない程度にならな!

 臀部をさすりつつ、剣を杖代わりに立ち上がる。


「ならば、参るぞ」


 ゴルバンが幅広の剣を身構えた。

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