6-2 裏切りの代償

「かかったな、小鼠どもが」


 ところが、である。

 我らが〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉は、敵地にて思わぬ苦戦を強いられることとなった。


「おいおいおい……」

「なんなんだよ、こりゃあ」

「俺にも判らん。さっぱりだ」


 複雑に入り組んだ通路を潜り抜け、武器倉庫まであと一息というところで、申し合わせたように壁の燭台が次々に灯され、義賊一行は多数の武装集団に取り囲まれた。

 これまでにもお抱えの守衛や番兵に行く手を阻まれたことはあったが、こうもあっさり包囲網に囚われたことはついぞなかった。


「いくらなんでも、こいつぁ手際が良すぎるぜ」


 短剣を逆手に構え、ギリリと歯を軋らせる〈疾風のデル〉。

 どうやら俺たちが今夜侵入することを、相手方は事前に察知していたらしかった。


「さては筒抜けであったか」

「ていうか、なんでバレたんだ?」

「話は後だ」素早く四方に眼をくれながら、参謀サヴェイヨンは小声で囁いた。「ここは戦闘には不向き。合図を出したら全員散れ。仮面公はわたしの後に」


 確かに大々的にやり合うには場所が悪い。中身の窺い知れぬ木箱が通路の随所に積んであるし、敵との距離感もいまいち測りづらい。

 その点も考慮した上での待ち伏せだとしたら、かなり厄介な展開になりそうだ。


「最早逃げ場はないぞ」敵の指揮官らしき胴間声が腹の底を揺さぶる。「大人しく観念せい!」


 ざっと見て四、五十人はいる。

 前衛に立つ数名が、ゆっくり弓を引き絞った。うわ、ここで飛び道具はまずいだろ。本気かよ。


「今だ!」


 サヴェイヨンの号令が飛ぶ。


「おぉぉっしゃあああああ!」

「うりゃぁぁぁーーーーっ!」


 沸き起こる絶叫。士気を上げるのと、敵を威嚇し攪乱する役目もある。

 一行は叫声きょうせいを上げつつ、一斉に四方八方へ駆け出した。


「撃て!」


 間を置かず放たれる無数の矢。

 だが、風を切って飛来する矢の行方を眼で追う余裕はない。俺は参謀の背中を見逃してはならじと、腰を屈めて必死に追いかけた。

 怒号に混じり、刃と刃の打ち合う金属音。早くも斬り合いが始まったらしい。こりゃ堪らん。急いで退避しないと。

 そんな俺の肩口に、体勢を崩した何者かがぶつかってきた。そのまま折り重なるようにして横ざまに倒れる。


「す、すいやせん、大丈夫ですか旦那」

「う、うーむ」


 敵でなかったのは幸いだが、床面に強か打ちつけた仮面が、頭部にそれなりの衝撃を伝えた。こ、これはきつい……。

 どうにか上体を起こすと、血路を開くサヴェイヨンの勇姿が遥か先に見えた。そしてその手前にも、激戦を繰り広げる同志たちの姿が。

 ここでくたばるわけにはいかん。絶対に生き延びなくては。

 だが、あそこまで向かうのは容易なことじゃないぞ。一応剣は持っているが、俺にとっちゃ飾りみたいなもんだ。なんの役にも立たない。

 と、俺の右腕を何者かが掴んだ。

 ぎょっとして振り向くと、それは頼もしいベヒオットの手だった。


「おおベヒ! 俺をあそこまで連れて行ってくれるか」


 無言で頷き返すベヒオット。他方の手に握られた黒の刀は幾人もの血を吸って赤く汚れていた。最早血脂のせいで敵を斬ることは適わないだろう。それでもベヒオットは刀を振り、刃の横腹で迫り来る敵兵を叩き払った。

 そう、いかな名剣といえども一回の戦闘で切り捨てられるのは数人程度。血と脂で切れ味は劇的に落ち、それを拭う暇がなければ後は違う得物に持ち替えるか、このベヒオットのように打撃用の武器として使うしかない。一振りの刀剣で数十人を斬り倒すなど、完全なる絵空事に過ぎない。

 神官連中が崇める伝説の勇者。

 かの二十の三倍斬りの勇者は、藁か何かでできた悪鬼の人形でも斬っていたんだろう。伝説とはかくも虚飾に彩られているのだ。

 伝説。ああ、いやな響きだ。

 伝説なんてのは、やはりこの苦くて辛い現実に対する最大級の皮肉でしかない。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 俺はベヒオットに大いに助けられ、やっとの思いで参謀の許に辿り着いた。


「ご苦労だったな、ベヒ」

「さあ、仮面公。こちらです」


 サヴェイヨンに促され戦闘のまばらな区画に歩を進める。

 ふと振り向くと、あれだけ勇猛果敢に大立ち回りを演じていたベヒオットが、片膝を突いて肩で息をしている。その背には一本の白羽の矢が突き刺さっていた。


「おいベヒ、しっかりしろ!」


 俺は叫んで引き返そうとしたが、サヴェイヨンに腕ずくで制止された。


「危険です、戻ってはいけません! ベヒオットは我が軍随一の猛将、必ずや逃げおおせるでしょう。まずはご自分の安全を優先してください」

「ベヒ……」


 仕方がない。ここはサヴェイヨンの言う通りだ。ベヒオットの底力を信じつつ、俺は参謀のいいに素直に従った。

 幾つもの角を曲がり、敵の巡回に息を殺し、何度も見つかっては追いかけられた。そのたびに参謀の好判断で逃げ切り、あるいは返り討ちにしたりもした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 やがて行き着いた無人の部屋に、俺とサヴェイヨンはひとまず身を置いた。

 個人用の居室だろうか。簡素でありふれた造りだが、正面には誰かの古ぼけた肖像画も飾られ、大振りの長椅子や長机は接待用としても使えるであろう代物だ。

 付近に戦いの気配は微塵も感じられない。壁掛け式の振り子時計が規則的にもたらす音のほかは、恐ろしく静かだった。


「しばらくここにいるのが得策かと。鍵をかけておけば当面は問題ないでしょう」


 戸口に向かうサヴェイヨン。だが、


「いや、その必要はない」

「しかし」

「何度も言わせるな。その必要はない」


 俺の強い口調に面喰らった参謀は、幾分気を落とした様子で引き下がった。


「ですが、今襲われたら万事休すですよ、仮面公」

「お前がまた護ってくれるだろう。頼りにしてるぞ」

「参りましたな。わたしも疲労困憊こんぱいなのですが」

「何、俺の無駄話でも聞いてりゃ、じき回復するさ」


 一方の長椅子にどっかと腰を下ろす。歩き通しでくたくたの脚が、不意に重力を失って軽い痺れを催した。


「なんでございますか、話というのは」

「議員たちの間で増税に関する案が出た際、一人反対した議員がいてな」

「…………?」


 汚れの少ない剣を机の縁に立てかけ、要領を得ない顔つきのサヴェイヨン。そりゃそうだわな。いきなり議会の話を持ち出されても応答に困るだけだ。

 がしかし、俺は構わず続けた。


「そいつは官邸の増築やら何やらで相当な出費をしていたから、増税はむしろありがたい話のはずなんだ。国庫でまかなえるようになるからな。いわゆる横領ってやつだ」

「申し訳ありません。学が足りないせいか、わたしにはなんのことやらさっぱり」

「聞き流してくれ。さっきも言ったろ、単なる無駄話だ……結果的に増税は利益をもたらすはずなのに、どうしてその議員は反対したか? それは税率が上がっちまうと、隣国からの武器の買い取りに支障を来す虞があるからだ。自分が裏でこっそり糸を引いていた、武器の密輸組織のな」

「…………」

「さて、無駄話は以上だ。続いて今回の件について話そう」


 机を挟んだ反対側の長椅子にサヴェイヨンは腰を据えた。疲労の色濃い面差し。


「俺たちがここへ乗り込む計画は、どういうわけかここの連中に筒抜けだった。理由は一つしかない。計画を相手方に洩らした奴がいたんだ」

「……我々の中に、裏切り者がいると」

「ああ」


 俺は鉄仮面の頬に当たる部位に手をやり、頬杖を突いた。硬く冷たい感触が掌全体を刺激する。


「随分うまいことやってくれたじゃないか、サヴェイヨン。さすが俺の参謀、見事な手並だった」


 拍手の代わりに組んだ脚の膝上を数回叩いてみせた。

 相手の表情に変化はない。


「さっき扉に鍵をかけようとしたのも、外からの邪魔者を防いで、ゆっくり俺を片づけようと企んでたからじゃないのか?」

「やれやれですな。これではどっちが参謀だか判りません」


 憑き物が落ちたような顔で、サヴェイヨンは背凭せもたれに反り返った。


「推理のほうは拝聴させていただきましたが、証拠不充分と言わざるをえませんね」

「なんだ、もっと聞きたいのか。じゃあもう少し喋らせてもらうかな……ほら、お前のその剣、死地を潜り抜けたにしてはえらくきれいじゃないか。おおかた寸止めの峰打ちで倒れてくれるように、ここの奴らと打ち合わせていたんだろう。些かも鈍ってないその切れ味で、最後にちゃんと俺を斬り殺せるようにな」

「これでも、何箇所か刃毀れしているんですよ。あなたの真っさらの剣と交換してほしいものです」

「無傷で俺を帰してくれるなら、その条件呑んでやってもいいが」

「それは……応じかねます」


 声に鋭利な刃物が宿っている。ようやく尻尾を見せるか。

 隠す必要がなくなったということは、つまり本気で俺を殺そうというわけだ。


「フン、なら駄目だね」俺はわざと言葉尻に滑稽な感情を滲ませた。虚勢だが、こういう場面でこそ張る価値のある虚勢もあるのだ。「あーそうそう、いつだったか宮廷の食堂で、その問題議員とお前が一緒に歩いてるのを見物させてもらったっけか。生憎俺には気づいてなかったみたいだが」

「食堂で?」


 サヴェイヨンが怪訝そうに呟く。


「まあ当然といえば当然か。あの中じゃあこんな仮面は被れないしな」


 実際は一度だけ、お前を見かける直前に被ってたんだけどな。覗き魔という極めて不名誉な称号と一緒に。


「畏れ入りました。仮面公、よもやあなたが、宮廷側の人間だったとは」


 サヴェイヨンの手が伸び、剣の柄を掴んだ。

 いよいよか。


「宮廷の人間であるあなたに、こんな義賊の仕事は相応しくありません」


 悔しいが、剣術ではサヴェイヨンに歯が立たないのは判っている。向こうもそう思っているのだろう。そこが余計腹立たしい。


「だから死んでもらおうってか。そんなんで納得できるか。サヴェイヨン、お前どうして俺を殺そうとする?」

「心当たりはありませんか?」

「どうせ寄付金の横流しでもしてて、発覚するのが怖くなったんだろう」

「証拠は?」

「さっき俺が〈横領〉って言ったとき、一瞬って顔になったぞ。自分じゃ気づいてないだろ?」


 音もなく立ち上がるサヴェイヨン。と同時に、その後方の扉がこちらも無音のまま静かに開いた。

 心中快哉を叫ぶ。が功を奏したのだ。

 俺は手にした剣を勢いよく投げつけた。剣は回転しながらサヴェイヨンの横を通過して……。

 ベヒオットの掌中に渡った。


「! ベヒオット、貴様ッ!」


 気づいたサヴェイヨンが慌てて身構える。

 ……よりも早く、ベヒオットの剣は相手の胸板を深々と貫いていた。


「かはっ! ……がっ」


 口から血を吐き、剣を取り落として膝を崩すサヴェイヨン。

 ベヒオットは固く握り締めた柄を少しずつ放した。長椅子に力なく倒れ込むサヴェイヨン。

 苦痛に歪んだ顔は次第に表情を失っていき、そして完全に動かなくなった。

 瞬時に状況を見極め、剣を受け取り、なおかつ心の臓を正確にひと突きか。怜悧にして激烈な腕前。さすがベヒオット。

 事切れたかつての参謀に黙祷を捧げると、ベヒオットはサヴェイヨンが持っていた剣を掴み、俺に差し出した。


「これを」


 受け取れ、というのか。

 それよりも、ベヒオットの肉声を聞くのはいつ以来だろう。もしかしたら、これが初めてかもしれない。その堂々たる巨躯に似合わぬ、存外に優しい声。

 サヴェイヨンの剣。柄の鍔に近い部分に文字が彫り込んである。持ち主たる参謀自身の名前だ。金貨には書かなくても、武器にはしっかり書き込んでいたわけだ。この心配症め。


「よし、行くぞベヒ」


 サヴェイヨンのことは、敵の手にかかって死んだことにしておこう。事実を伝える意義はどこにもない。黒幕の議員と内通し、最終的には俺たちを裏切ったが、この男がいなければ今日の解放軍もまたなかったのだから。


「ところでお前、よく俺の居場所が判ったな」

「…………」


 ベヒオットは沈黙で応じた。早くも元の無口な男に戻ってしまったようだ。廊下の先に、だらしなく伸びている二人の敵兵とボロボロになった赤黒い刀が見えた。刀はベヒオットが使っていたものだろう。


「ほかの皆は無事か?」

「…………」


 敵兵の所持品らしい手斧を拾い上げるベヒオット。その拍子に、背中に刺さったままの白い矢が眼前に現れた。


「その矢、早く抜いてやりたいんだが……今俺が抜いちゃまずいよな」

「…………」


 もし生き延びたら、急いで手当てさせよう。その前に、どうにかしてここを脱出しないと。

 物陰から湧いて出てきた新たな武装兵たち。槍に棍棒、流星槌を持つ者までいる。

 そいつらに猛然と切り込むベヒオットを見て、この分だとあと十数人は倒せそうだな……漠然とそう思った。今のこいつなら、最高神が不法者を打ち据えるときに用いたという〈法と西風の三叉戟〉すら受け止めてしまうかもしれない。

 〈伝説の〉勇者殿も顔負けの武神が、今、俺のすぐ間近に降臨していた。


 ……大音楽祭まで、あと十三日。

 むろん、この死屍累々たる戦地から無事生還できれば、の話だが。

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