第4章 三重に偉大な議長と謎多き仮面公の思わぬ受難

4-1 第二秘書への面倒極まりない頼み事

「賛成四名、反対三名です」

「裁定はここに下った。賛成多数により本案は可決とする」


 紙一重の勝利。予算審議とそれに先立っての増税決議は、二週間後の定例評議会で三たび話し合うことで決着がついた。


「議題は尽きた。これにて議会を解散する!」


 議員たちが次々に退席していく。


「また先延ばしかいな」


 舌打ちに混じり、そんな財務大臣のぼやきが聞き取れたが、坐したままきつく睨みつけてやると、おおこわ、と背を丸めて小走りに〈円卓の間〉を出て行った。

 ふん、言いたい奴には言わせておくさ。ただ、そういうのは俺の耳の届かないところでやってくれ。

 四の月中旬、樹の曜日に催された臨時評議会。

 前回の会議とおよそ代わり映えのない内容。

 増税案の急先鋒ギャンカルに、異を唱える外務大臣ジールセン。

 慎重論を述べる労働大臣フィオ。

 反論する公安大臣エトリア。

 茶化す文部大臣ピート。

 首を振るばかりの軍部大臣ゴルバン。

 そして黙して語らずの法務大臣ロクサム。

 益体やくたいもない会議をやっつけてやった後、抜き足で扉の陰にそっと立つ。

 細心の注意を払い廊下空間に顔だけ出すと、それを間近に見ていた文部相ピートに、姫君はいないぞ、と声をかけられた。


「いないのか。どこ行ったんだ?」

「散歩の時間じゃないのかな。今日は天気いいから」


 窓外を見上げて言う労働相フィオ。この二人いつも一緒にいやがるな。親議長派同士が仲良くするのは大いに結構だが、なんか怪しいぞ。


「お前さん、そんなに姫君に逢いたいのか」ピートがいぶかしげに眉を動かす。「どういう風の吹き回しだ。あんなに毛嫌いしてたのに。さしもの議長殿も、とうとう姫君の熱意に折れたか」

「違うわ」


 怪しい二人を置き去りにし、駆け足で私室へ向かう。

 途中、ほかの議員たちを何人か抜き去ったが、俺に声をかけてくる者はいなかった。まあ話しかけられたところで答える義理もない。さっきの二人以外とは雑談交わす仲でもないし。財務相の丸々とした守銭奴の如き背中が見えたときには思わず蹴りを入れたくなったが、行動に移さないだけの分別はさすがに持ち合わせているので、心の中で蹴り飛ばすに留めておいた。おかげで少し気が晴れた。

 扉を開ける。清掃係の絶え間ない努力できれいに整頓された私室の文机ふづくえに、浩瀚こうかんな書物を黙読している顔色の悪い秘書の姿があった。


「あ、議長。お帰りなさい」


 顔を上げ、本を閉じて席を立つ。腺病質というか、貧血でも患っているかのような、ひ弱な顔つきの青年。ひょろ長い体躯たいく。腕も脚も細い。これでチェリオーネ愛用の眼鏡でもかけていれば、典型的な文学青年だ。

 彼女と共に議長に仕える、第二秘書のドルクである。


「お茶くれ。あと生菓子」


 覇気のない返事を残して青年が立ち去る。

 代わりに椅子に腰掛け、書物に眼を落とす。『世界犯罪対策大全』。なんというか、身につまされる表題だな。

 盆を手に戻ってきたドルクは、いつも通りの浮かない顔で、


「議長、ディーゴの籠の件なんですが」

「おう。もう新しいのにしたのか?」

「まだです。私室の備品を新調するには、議長の署名が十ほど必要なんですよ」


 俺は茶碗を運ぶ手を止めた。


「十? 三の三倍にもう一つ? なんでそんなに」

「そういう決まりなので。仕方ないんですよ」


 役所勤めを体現するような言い種だ。


「俺が自腹で買ったほうがよっぽど早くないか」

「そうおっしゃらずに。書類はあちらに揃ってますので、お暇なときに書いておいてください」

「面倒だ。お前代わりに書け」

「本人の署名じゃなきゃ駄目なんですよ。ディーゴが逃げ出す前によろしくお願いします」

「秘書の分際で代筆もできないのか。給料下げるぞ」

「そんなぁ、勘弁してくださいよ」


 ドルクの慌てふためくさまを見ながら冷たい紅茶に口をつける。香り・味共に申し分ない。このれ方なら、給料のほうは据え置いてやってもいいか。


「ところで」俺は話題を変えた。「密輸組織の情報はどうなった?」

「武器の密輸集団ですか」

「ああ。隣の〈緑と暁の王国〉から、大量に買い入れてるって噂があるんだろ?」

「表立った動きはないですが、はっきりしたことは判らないみたいですよ」

「公安の奴ら、ちゃんと調べてんのかよ」


 エトリアめ。円卓の席でぶつくさ言ってないで、さっさとそっちを調べ上げろっての。せっかくこの俺が直々に情報を教えてやったっていうのに。

 あの公安相、平生から大臣然とした尊大な振る舞いが眼につくが、部下どもをちゃんと統率できているのか? 厚化粧も甚だしいし。


「犯行日時が近づいたら、声明文でも送ってもらいたいものですね。解放軍みたいに」


 紅茶を淹れた碗を机に置き、あはははと笑うドルク。しかしその笑い声にも全然覇気がない。少しは公安相の態度を見習えよ。かといって第一秘書みたくなられても困るが。


「これは私見ですが、お隣との関わりもありますんで、迂闊うかつに手出しできないんでしょうね。外務大臣もこの一件に関しては随分と神経質になっておられますし」

「ほほう」


 一丁前な口叩いてくれるじゃねえか。秘書風情が。

 それに日時だと? 解放軍を犯罪者集団扱いしやがって。

 俺は紅茶に入っていた氷の欠片かけらを一つ拾い上げ、胸囲に乏しいドルクの胸許目がけて投げつけてやった。


「うわっ! 何するんですか」

「用心が足りないんだよお前は」

「ひどいですよ。その紅茶、〈楓と大河の公国〉原産の一級茶葉使用なんですから」

「茶に貴賤などない! 芳しい紅茶を冷ます氷ですら、用いる側の心一つで立派な凶器になるんだ。それを忘れるな。一秒たりとも気を抜くなよ」

「はぁ……」


 緋色の絨毯に落ちた氷を手早く処理したのち、第二秘書は語調を改めて、


「そういえばですね、議長」

「下らない話じゃないだろうな」

「……中央通りの鍛冶屋さんが、新しい刀剣を開発しているそうですよ」


 その発明心溢れる鍛冶屋は顔見知りだが、近頃は顔も合わせていないしそんな話は初耳だ。


「よし聞いてやる。続きを聞かせろ、ドルク」

「はい。なんでも火薬を用いた特殊な仕掛けがあるそうで、その鍛冶屋さん曰く、この世に二振りとない貴重な剣になるそうで」


 そうやって稀少価値を上げて値を釣り上げる算段なのだろう。虫も殺さぬ好々爺の風貌のくせに、結局は金の亡者か。


「まだ試作段階ですけど結構な自信作だとかで、完成した暁には是非評議会の方々にお納めいただきたいとおっしゃってました」

「納める? ただでか」

「もちろんです。あの方の発明は慈善事業みたいなものですから」


 最高だよ、鍛冶屋のじいさん!

 俺は早速、出来上がり次第その剣を取り寄せるようドルクに指示した。


「頼みついでに、もう一つ頼みたいことがあるんだが」

「なんでしょうか」

「女性用の衣装を一揃え貸してくれ。できれば下着も」


 沈黙。遠くのほうで真紅の翼がバサバサと羽ばたいた。


「おい、そこで黙り込むな。言っとくが俺が欲しいのは新品だぞ。女が着た後の匂いを嗅ぎたいとか、そんな変態趣味はないからな」

「着るんですか?」

「女装趣味でもねえっ」


 一度芽生えた不信を、ドルクはなかなか取り去ろうとしてくれなかった。


「どうしたんですか一体。珍しく服装のことを口にしたかと思えば、またそんな非常識な頼み事を」

「察してくれ。こっちも訳ありなんだ」

「取り敢えず、僕と同じ服を着るのはやめてください。話はそれからです」

「服装まで指図するか。チェリオーネかお前は」


 瑞々しい海の色で統一された、素朴で身軽な上下一式。これが専属秘書に宛がわれた春夏用の正装だった。もちろん議長のとは見た目からして違う。


「俺はこの青いほうが気に入ってるんだよ」

「いくら服装に頓着とんじゃくしない質だからって、紛らわしすぎます。大不評ですよ」

「ならお前が俺の服を着ればいいだろう」

「そういう問題じゃありませんよ」


 本来は議長専用の礼服を着て会議に臨むのがしきたりなのだが、口煩い第一秘書がいなければ守る必要もない。俺に不満がないのだから、秘書と同じ服でもなんら問題はない。うんうん。


「そんなことより、女物の件を……」

「申し訳ありませんが、いくら議長の頼みとはいえ、それは承知しかねます」


 チェリオーネよりは頼みやすいと思ってこっちに声をかけたんだが、やっぱり駄目か。


「どちらかというと、僕はそれをいさめる側の人間なのですから。まあ議長の体裁を考慮しまして、第一秘書に告げ口するのだけは控えておきますが」

「だから誤解だって」


 まあ黙っていてくれるに越したことはない。それに、あっさり引き受けてくれるとも思ってなかったしな。ここまでは想定内だ。

 仕方あるまい。

 自分で調達するか。


「けど、お前に諫められても効果ないぞ。声に力が籠もってない。緊迫感もない」

「自分でも重々承知してますよ。では陰腹かげばらでも致しましょうか」

「カゲバラ?」

「その本に載ってます」ドルクは文机を指し示して、「極東の島国の風習だそうです」


 陰腹とは。

 いかなる悪行を重ねたとはいえ、主君は主君である。その主君を非難することは、忠義に反する謀反人の行為に等しい。それでも直訴せねばならないとき、忠義に反する詫びとして、事前に腹を切ってその切り口に包帯を巻き、死線を彷徨いながら主君に対して悔い改めるよう懇願し、そして死んでいくのだという……。


「蛮習にしか聞こえんな」俺は率直に言った。「血に飢えた野蛮人どもの集まりじゃないのか? その島国ってのは」


 土壌が違えば文化や習慣も異なるし一概には言えないが、こんなもの俺には無駄死にとしか思えない。狂気の沙汰だ。


「ご安心ください。それほどの忠義を抱く者など、この国には皆無ですから」

「お前はカゲバラをしてくれるんじゃないのか?」

「うーん、そうですね……保留ということにしておいてください」


 逃げたか。


「んじゃ、次はもっと簡単な頼み事にするか」

「本当に簡単なら嬉しいんですが」

「お前、慈雨となんとかの大賢人のことは知ってるだろ」

「〈慈雨と光彩の大賢人〉ですよね」


 俺はその大賢人とやらをこの宮廷へ連れてくるよう命じた。


「……お言葉ですが、議長は大賢人に興味がないというようなことを、第一秘書から伺っていたのですが」

「まあな」


 だが気が変わった。


「もしも、かの大賢人と接触が取れたとしてですね」ドルクは少し間を空けて、「どのような理由をつけて、ここにお連れすればいいんでしょう」

「大音楽祭だ」


 一方の壁に鋲で留められた告知の貼り紙を見ながら、俺は言った。


「来月の初めにあるだろう」

「そうですね……ああ、なるほど。賓客としてお呼びするんですね」


 秘書も合点がいったようだ。


「足跡が定かでないのでいつ捕まるか判りませんが、一応手配しておきましょう」

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