3-2 謎多き少女

 どの街区にも属さない、郊外の雑木林にひっそり建つ家畜小屋。ここが〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉の隠れ家だ。

 軍隊の駐屯所にしては見栄えも悪いしこぢんまりしているが、かつての神官団みたく洞窟でひもじい思いをするよりはずっといい。大体、軍というのは便宜上の名称に過ぎないし、構成員だって正規の軍人じゃない。規模も軍隊には程遠い。小隊にも満たない。せいぜいが分隊程度だろう。


「仮面公とサヴェイヨンだ」


 正面の戸口に向かい、参謀が小さく呼びかける。


「我らが旗印ディーゴは?」


 ややあって、そんな返答が返ってきた。合言葉を言わせるための呼び水。


「神が飼いし賢き鳥。その翼の色は?」


 今度はサヴェイヨンが問いかける。中の者の正体を探るためだ。


「炎の如く紅い。その啼き声は?」

「ディーゴは啼かず。ただ歌うのみ」


 扉が開いた。少々まどろっこしいが、秘密組織にこのくらいの用心深さは必須だ。

 サヴェイヨンと連れ立って広間へ。

 長椅子や肘掛け椅子でくつろぐ同志たちと軽く挨拶を交わしたのち、参謀が部屋にいる人数を数え上げる。十三人に二人加えて、五の三倍。


「全員無事だな。例の箱は?」


 独り戸口の横に佇んでいたベヒオットが、無言で中央の樫の机を指差した。


「中身を落としたりはしてないだろうな」


 静かに頷く。盗品の運搬係はベヒオットに一任してある。金銭をくすねるような物欲とは無縁の男である上、戦闘における生存率が最も高いからだ。


「換金はイプフィスにやってもらう。明日で大丈夫か?」

「あいよ」

「護衛の必要は?」

「要らねーよ心配すんなって。〈小姓のイプ〉じゃあ荷が重いってか?」

「そういうわけじゃないが」

「そんなに心配なら金貨に自分の名前でも書いとけよ、〈心配性のサヴェ〉。なくしてもすぐに判るぜ」


 何人かが笑い出す。不本意な渾名あだなを付けられたサヴェイヨンが、口の端を歪めて顎を掻いた。

 俺は空いている長椅子に座り、冷水の入った洋盃に手を伸ばした。仮面を被ったままだと飲めないので、常備してある細筒を口許の隙間に差し入れチューチュー吸い込む。品はないが喉の渇きには代えられない。


「仮面公、さっき戦いに参加しようとしてませんでしたか」

「ん? ああ。まあな」

「血が騒いだんですかい。あんまし無茶しないでくださいよ」


 そう言って気安く肩を叩いてきた調子のいい優男の名前を、俺はどうしても思い出せなかった。かなり古参なはずなんだが、失念した。ま、無理に思い出すこともなかろう。

 ここにいる五の三倍の同志たちは、お互いの職業や来歴をほとんど知らない。この軍の頭領たる俺でさえ、一人として同志らの職業を知らないのだ。偽名の者だっているかもしれない。ヌリストラァドという俺の名前同様に。ただ、自分たちが同じ目標を共有する義賊であるという一点だけで結びついている。

 俺が名づけた〈疾風と伝説の紅翼解放軍〉という名称自体、本来なら解放軍の一語で事足りるのを敢えて避け、〈伝説〉やら〈最強〉やら〈真の〉やら〈聖なる〉などという胡散臭い語を、神官連中が多用することを皮肉っての名前なのだ。

 それを知った上で、ここにいる全員が今日まで不平一つ零すことなくこの下らない名称を使い続けている。弱きを助け強きを挫くという信念さえしっかりしていれば、名前なんて二の次というわけだ。

 そう、名前や大義名分なんざ心底どうでもいい。問題は、俺たちがここで何を為すかということ。この一点に尽きる。

 義賊の仕事は想像以上にしんどいが、こいつらと一緒にいると気が楽になる。それだけでもこの組織を立ち上げた意味があったというものだ。志が近い上、世間体を気にする必要もない。俺なんか顔すら見られていない。一番気の置けない参謀にも、素顔は見せたことがないほどなのだ。


「そろそろ雑談はやめて、次の作戦を固めよう」

「ああ。例の密輸組織の件だな」

「早く煮詰めようぜ。動きがあってからじゃ手遅れだ」

「まずは決行の日時だが……」


 更には、ここでの会合によって裏社会の情報をいち早く入手できるという利点もある。隣国と繋がりがある武器の密輸組織の情報など、宮廷の私室じゃあ何年待っても手に入らない。万が一情報が届いたとしても、どうせそんな頃には事態が進みすぎていて対処のしようがなくなっているだろう。

 話し合いが終わり、誰からともなく後方の壁に立てかけた軍旗に視線を転じていく。軍議の最後には、必ず旗に一礼する決まりがあるのだ。

 飛翔する一羽の鳥の意匠が中央に縫いつけられた、濃紺の軍旗。眼にも鮮やかな真紅の鳥は、今にも羽ばたかんとするかの如く浮き上がって見える。

 解放軍の象徴。いずれ宮廷の天辺に掲げようという冗談も飛び出すくらい、仲間うちで浸透している旗だった。いざというときには、この旗も一緒に持って行くからな、と俺も常日頃から口にしていた。その機会が実際に巡ってくるかは誰にも判らないのだけれど。

 言うまでもないが、中央の鳥はかのディーゴで、もちろん俺の考案による。それが実際に宮廷の俺の私室に棲まっていることを知ったら、こいつら一体どんな顔をするのだろうな。

 ベヒオットの敬礼に釣られるように、総員額に手を翳し軍旗を見やった。窓のない室内にあかあかと灯された照明は、眼球の奥を痛くするほど眩しかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 月が出てきた。

 夜陰は心持ち薄まったものの、吹く風は依然冷気を帯びてひんやりしている。


「すっかり遅くなっちまった……」


 宮廷の裏手、間道を挟んだ目立たない一角に、誰も寄りつかない粗末な物置小屋がある。

 物置といっても屋根と壁があるほかは大して使えそうな物もなく、元の持ち主も所有権を放棄しているようで、掃除もされずに後は朽ちていくだけという憐れな風情の建物だ。長居をしたくなる要素がどこにも見当たらない。これに比べれば隠れ家の家畜小屋が贅沢な一軒家に思える。しかし、人が近づかないということは、秘密の私部屋として充分利用価値があるということだ。

 服は戸棚に数着仕舞ってあり、仮面を収納するのにおあつらえ向きの抽斗ひきだしもある。俺はこの物置を、心楽しい変装の拠点として長らく愛用していた。公務時には議長、それ以外は天才楽師、場合によっては解放軍の首領と、三つの顔を器用に使い分けているわけだ。

 おお、極秘の三重生活!

 この国で特別尊ばれている三の数字が、ここでも顔を出す。そう、それら三つはほかならぬ俺の顔なのだ。公、私、そして闇の顔。どれもが正しい。凡て俺の真の姿なんだよ。

 始終ほこり臭く、夏期にはかび臭さも加わるこの窮屈な一室で、俺は今まさに闇の仮面公ヌリストラァドから公たるライア議長に戻ろうというところだった。といっても、上衣と下穿きは議長時のままなので、することといえば仮面を脱ぐだけ。

 それにしても、神秘的でかっこいいというだけの理由で、鉄仮面なんて着けるもんじゃないな。俺は時折去来する後悔の念にまたしても駆られた。

 夏は蒸すし汗臭いし、冬は凍るような冷たさで触るのもいやだし、一年中重たいし。結構な特注品で値段もそこそこするから、処分するのも気が進まない。第一代わりの仮面がない。容易に外れない安全性を考えると、これ以外の仮面は一歩も二歩も劣る。

 首の留め金を外し、決して軽くはない鉄の仮面を持ち上げ頭から離した。思わず吐息が洩れる。広くなった視界に、窓向こうの月明かりが見えた。

 その逆側には、月影に照らされた戸棚がある。壁際に竹ぼうきも見える。それと、竹箒に寄り添うようにしゃがみ込んでいる人影も。

 ……人影?


「だ……誰だ」


 人だ。人がいる。


「誰だお前?」


 人影の肩の辺りがビクンと震えた。

 女だった。月影におぼろに浮かぶその相貌に、見憶えはない。知らない女だ。それも相当に年の若い。

 いつからそこにいたのだろう。俺は思いきって尋ねることにした。


「お前、いつからそこにいた?」

「…………」


 返事はない。おびえるような眼でじっとこっちを見つめ返している。けれども俺が仮面を外す決定的瞬間を目撃したことは、ほぼ間違いない。


「お前、何者だ」

「…………」


 やはり返事はなかった。ただ首を横に振るばかり。短めに刈られた黒髪が、形のいい頭に沿って月明かりに映えて見えた。


「…………」


 だが、その若い女は青ざめた自分の唇と喉許に手をやると、それを左右に振って何かを伝えるような仕種をした。

 ひょっとして、口が利けないのか?


「お前、喋れないのか」


 コクコクと頷く。不安そうな表情が、おかげで多少は和らいだようだった。

 どこから来たのかは知る由もないが、行く当てもなく夜の首都を彷徨さまよった末、ここをねぐらにと選んだのだろう。戸に鍵はないから出入りは自由だ。

 とはいうものの、普通は誰も寄りつかないこんな場所を居所に決めた段階で、只者でないことは明白だ。それもあまり良くない意味での。


「身寄りがないのか」


 頷く。


「で、住む家もないのか」


 大きく頷く。


「それで寝る場所を探してたんだな……お前、この辺の人間じゃないだろう。どこから来た?」


 少女は哀しそうな顔をして首を振った。知らない? 言えない? どっちの意味だ?


「ん?」


 俺は少女の首の辺りに妙なものを見つけ、そろそろと近づいていった。警戒するように自分の腕を抱え、身を固める少女。そんな様子を俺は意に介さず、上体を屈めて彼女の首許を下から覗き込んだ。

 健康的な褐色の肌が、喉許の一箇所だけ不自然に白い。真横に走っているそれは、紛れもない刃物か何かによる傷痕だった。かなり昔の古傷らしいが、これのせいで声を失ってしまったのは間違いなさそうだ。

 俺にしては珍しい憐憫れんびんの情が、心の片隅を明るく灯した。よくよく見ると、顔だけじゃない。娘の着ている服にも全く見憶えがない。どこぞの民族衣装のようだ。俺の言葉が通じているのだから、外国人ではないだろう。

 とすると、この服は一体?


「お前、所持金は……金は幾ら持ってんだ?」


 首を振る。無一文か、この娘。


「そっか。まあいいや」


 口が利けないのなら、俺の正体を言いふらす虞もない。それに俺のことなど、ここで仮面を脱いだという以外には何も知らないはずだ。


「ここで寝泊まりはやめとけ。すぐ近くに宮廷があるから、役人に頼んで中に入れてもらうがいい。金のほうは、ま、俺が頼めば一晩ぐらいどうにかなるだろ」


 だが、少女はいきなり俺の腕を掴むと、決して無益ではないはずのその申し出を頑なに拒んだ。


「お、おいおい」


 訳が判らない。何を断る理由がある?


「宮廷の客室のほうが絶対寝心地いいぞ。俺が保証する。午睡にもってこいの寝台でな。こんな蒲団もない所じゃ、横になろうったって……」


 少女の瞳を見て、俺は言葉に詰まった。ひるがえりそうにない決意を宿した、すがるような両眼。そこにうっすらと浮かぶ透明の雫。

 何かに怯えている。どうしても宮廷には行きたくないらしい。あるいは、役人に会いたくないとか?


「まさか、お前……犯罪者じゃないよな」


 それにも首を振る。さっきから首を横に振ってばかりだ。どうすれば頷かせることができるんだろう。


「ったくもう、しょうがねえなあ」


 立ち上がって辺りを見回す。蒲団の類はどこにもない。仮にあったところでダニの巣窟だろうから、横になるには相当な勇気が要る。


「ここで待ってろ。毛布か何か持ってきてやる」


 さすがに俺の寝室に連れて帰るわけにはいかない。堅物のドルクが承知するとは思えないし、難物のチェリオーネに至ってはこの少女どころか俺まで追い出しかねない。

 名も知らぬ娘のために、俺は宮廷までの帰路を更に一往復分余計に歩く羽目になった。しかもそのうちの一回は、俺が使うわけでもない寝具一式を背負ってだ。悪徳役人から金品を強奪した後で、寝具運びに奔走する評議会議長。


「何やってんだろ俺……」


 下界を寒々と照らす冬の月は、朝の訪れを感じさせるにはまだまだ眩いばかりだった。

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