2-2 歴史

「勉強?」

「そんな顰め面するなよ。何、簡単なことさ。丁度今、現代史について学んでいる最中なんだ。その内容を暗唱するから、実際と違う点があれば訂正してほしいんだ」

「俺歴史とか苦手なんだけど」

「頼むよ。気づいた部分でいいからさ。こういうのは、声に出したほうが記憶に定着しやすいんだ。あまり時間はかけない。十分で終わりにするから」

「しょうがねえなあ。三分の三倍で終わらせてくれよ」


 結局俺は竪琴の名演を諦め、ロッコムの現代史講義を拝聴することと相成った。


「……この国の情勢は、四年前まで、それこそ眼も当てられぬほど悲惨な有様だった。長年の統治形態であった立憲君主制は、八年前、突如勢力を増した護民卿の強引すぎる政治介入と、その後の計画的な軍事政変により瓦解し、かつて栄華を誇った〈海風の王国〉は、最悪の独裁政治に見舞われたんだ。今となっては名を語るのすらはばかられる、護民卿による狂乱の暴政時代は、以後四年に亘って続いた。のちに言う〈暴風と暗黒の四年〉というやつだね」


 独裁制が敷かれた八年前といえば、俺が大学に入りたての頃だ。懐かしいなあ。あの頃は講義にも出ないで、日がな一日楽器をいじり倒していたっけか。


「その間、護民卿の圧政は、気候を除く国内すべての事柄に手を加えたとまで言われている。度量衡どりょうこうの改悪。従来の多神教に取って代わる、名も無き唯一神信仰の強制。おかげで祭祀さいしを司っていた宮廷の神官団は排斥され、人里離れた洞窟での生活を余儀なくされた」


 俺がマリミ姫を完全に拒絶することができないのは、この苦渋に満ちた生活を彼女も体験したのだという認識が、心のどこかで働いてしまうからかもしれなかった。姫君に対しそのことを直接労ったことがないのは、俺の控え目な性格によるものとしておこう。経歴はどうあれ苦手なことに変わりはない。


「歴史書の改竄かいざん、検閲・焚書の類は日常茶飯事。文化事業は軒並み退行し、知識階級は巡視官の厳しい監視下に置かれ、発言力を失った。通貨単位はさしたる意味もなく〈ポォ〉から〈カルディナ〉へ名称を変え、紙幣も金貨も銀貨も銅貨も濫造された。結果、通貨の価値は下がる一方で財政も程なく破綻。護民卿は貧しい庶民たちから血税を搾り取るに至った。また、正式には採用されなかったけど、〈鉄と炎と炎の大帝国〉なる国号は通称として半強制的に用いられた。無意味な〈炎〉の繰り返しは、国民の切なる思いを焼き尽くす悪逆非道の業火を暗示するかのようで、また帝国の二文字が示す通り、その権威の強大さにおいて護民卿は太古に失われた幻の称号……皇帝のそれに比肩していた」


 皇帝……現在では、全世界を見渡してもこの称号が用いられている国は、東の果てに一つあるとかないとか。しかもそれとて名目上の象徴的名称に過ぎないらしく、独裁国家はこの世界では極々少数派となっていた。それが、この国では四年という短期間ではあったが、間違いなく実在していたのだ。気高き三と更に一年をけがした、呪わしき四年間。


「恐怖政治の魔の手は、あろうことか言語にまで及んだ。単語や文法はおろか文字要素すら異なる他国の言語を、公用語として国民に強要したんだね。それは〈眼鏡〉と〈洋盃〉が同じ単語で、なおかつ〈草〉とほぼ同じ発音をするという、本来の母国語からは想像もつかない、異様な言語体系だった。中には〈種類〉と〈親切な〉みたいに、品詞すら違うのに同じ字形を持つものまであった。この強制は、あらゆる分野において混乱を巻き起こして……」


 全くだ。あれは迷惑極まりなかった。俺が大学を留年しそうになったのも、元はといえばその言語の習得につまずいたせいなんだ。何せ〈嘘吐き〉を示す名詞が、俺の名前――議長のほうの――にそっくりなんだからな。講義中に何度からかわれたことか。そりゃ単位も落とすっての。世の真実をこよなく愛するこの俺が、なんたる皮肉か。とかく世界は不条理に満ち満ちていると、当時は痛感したものだ。


「……そんな悪政の最たるものが、俗に言う〈島狩り〉で」

「ん? 島狩り?」


 はて、なんだっけか。聞いたことあるようなないような。


「アライ、まさかとは思うけど、〈島狩り〉を知らないなんてことはないよね?」

「バッ、バカ言うな。島狩りだろ、島狩り。んなもん知ってるに決まってんだろ。ほら、続けろって」

「判ったよ」小さく言い、ロッコムは見はるかす大海原に手をかざした。「今、僕らが眺めているこの海の先、大陸の遥か西方に、人口数千人という小さな島……〈羊と真珠の島〉があるよね。漁業と牧羊を主体とした集落が密集し、独特の文化を保持しながら、属領としてこの国と長らく交友関係を築いていたのだけど、護民卿の治世四年目に、絶対にあってはならないことが起きてしまった」


 ああ、思い出した。


「大量虐殺か」

「アライ」ロッコムはやや沈んだ声で、「先回りされると勉強にならないんだけど」

「あ、悪い」

「いいかい、続けるよ……護民卿の四年目、今から四年前に、大量の軍隊が〈羊と真珠の島〉に侵攻して、罪もない島の民を一方的に虐殺したんだ。当時一万人いた島民は半分以下に減ったと言われている」

「侵攻の理由に関しては諸説あるんだよな」

「そうだね。どうも『島の民が謀反を企てている』とか、『島の実力者たちがいかがわしい術を用いて人心を惑わせている』とかいう流言蜚語ひごが宮廷内でまことしやかに囁かれて、それが直接的な動機だったらしいけど」

「話を聞くだけで胸が悪くなる。とんでもない話だな」

「僕もだよ。だけど、これも覆しようのない、この国の歴史の一部なんだよね」


 それからロッコムは一つ興味深いことを語った。

 故人で島の出身でもある、とある歴史学者が生前掻き集めた大量虐殺に関する膨大な資料が、大部の著作となってつい先日刊行されたというのだ。


「中央図書館に置いてあるようだから、近々閲覧に行こうと思ってね。めぼしい情報でも見つけたら君に教えてあげるよ」

「ありがたいが、なるたけ手短にな。長話はご免だぜ」

「判ってるよ」


 宮廷内で私的に入手してもいいのだが、手続きが煩雑なのでここは友人に任せよう。今日は夜中に


「〈島狩り〉を契機に、国内でも〈反護民卿〉の気運が高まり、やがて〈旋風と曙光の革命軍〉が結成された。そして、〈暴虐の嵐を止めろ、護民卿の圧政を止めろ、三重に偉大な海風の平和を取り戻せ〉という母国語での標語を旗印にした、革命軍主導による帝国打倒の武力政変が見事成功を収め、護民卿の勢力は一掃、駆逐されたんだ。神官団も呼び戻され、万事が元通りになるかに見えた。ところが、以前の王家は護民卿の手にかかり、既に滅亡の憂き目に遭っていたんだ」


 そう。王家は断絶してしまい、当初掲げていた目標である王政復古は叶わぬ夢となった。


「そのため、代理の最高機関として評議会を設立、国号も〈海風の王国〉および仮称だった〈鉄と炎と炎の大帝国〉から、〈海風と虹の共和国〉へとあらためられた。議員に選ばれた面々は、いずれも先の政変で勲功を立て、〈救国の八英雄〉と讃えられた革命軍の精鋭八名。議長の選出だけは公平にくじ引きで決められ、ほかの大臣職は個々の適性に応じて配された。それから護民卿の広大な居室を会議場に改装し、席次を作らないという目的で円卓を持ち込んだ。各々の座席はあらかじめ定められているけど、以上の理由で上座や下座は存在しないんだ」

「そんな最近のことまで試験に出るのか?」


 俺は自分の肩書が出てきたことに少し気恥ずかしさを覚えた。


「もちろんさ。政治形態は必修事項だよ。少人数による完全合議制国家。総人口が三十万の三倍を辛うじて上回るという、小規模な国家ならではの運用形態だね。宮廷で毎月開かれる定例評議会のほか、状況に応じて臨時の議会を開くこともある」


 それをさっき終えたばかりだ。定例ですら手に余るってのに、この上なく面倒臭い。といっても、これは俺の主観でしかないから試験には出題されないはずだが。


「議題のほとんどは法改正など法案の審議で、重大犯罪の裁判といった司法会議は年に一回あるかないか。他国に比べて治安がよいのは誇りでもあるし、実にありがたいことだよね。また、評議員に任期の上限がないのも世界的に見て大変珍しい。むろん、それは永年の職務を約束するものではなくて、個々の評議員や評議長、あるいは評議会全体に対する不信任決議案が可決されれば、任期途中の失職や解散も充分ありえるのだけど」

「解散ねえ」

「どうしたんだい? 浮かない顔して」

「なんでもねー」


 誰が言い出したか知らないが、〈死神と不信任案には夜と魔の国の大王様も舌を巻く〉とはよく言ったものだ。ただし、死神も魔の国も実在しない以上、恐怖の頂点に君臨するのは結局不信任案の可決ということになる。おー怖いねえ、怖い怖い。思わず身震いしそうになる。


「でも、お隣の〈緑と暁の王国〉や、その属国の〈楓と大河の公国〉、また〈深き森の公国〉といった近隣諸国では、より一般的な政治形態……数百人を超える大規模な議員制が採られているよね。三の三倍に満たない数で、なおかつ基本的に任期のない議員なんて、うちぐらいのものだろうね」


 俺もそう思うが、こればっかりはどうしようもない。

 人数を増やすのは何より財政的に厳しい。増員すれば当然手順が増え、人件費その他諸費用も嵩んでいくからだ。規模が大きくなればなるほど、時間の浪費と支出は幾何級数的に膨れ上がる。

 任期についても同様、選挙や引継ぎ時に発生する大幅な出費を考えると、当分は任期も設けず現状維持となるだろう。がしかし、これに権力の集中などという批判は当たらない。何故なら復興後間もない、生まれ立ての赤子にも似たこの国で、権力を分散させるのは国力増大になんら益するところがないからだ。それほどまでに、護民卿が僅か四年の間にもたらした経済的混乱は深刻だった。

 ただし、ロッコムの言う諸外国のほうが円滑に政策が進んでいるかというと、決してそんなことはない。国家規模、予算の大小に拘わらず、どの国だって抱える悩みは似たり寄ったりだ。

 力ずくで法案を押し通せば独裁だ専制だと非難され、妥協すれば一転して骨抜き呼ばわり。民間に任せると丸投げだの責任転嫁だの言われ、こっちで命じればこれまた独裁扱い。早期決断も保留も、どのみち民衆からは批判される運命にある。

 真に満ち足りた国民なんて、神の降臨に居合わす程度の確率でしか存在しない。いや、可能性はもっと低いだろう。幼児向け絵本に出てくる教訓めいた想像上の巨人や、肩から蛇を生やした忌まわしい悪王のほうが、よっぽど信憑性があるというものだ。

 ほかの評議員たちの背後にほの見える、そうした恐るべき連中どもを相手に、毎月のように渡り合う。内情を知らない赤毛の青年は、単なる〈暗記事項〉として暢気に語っているが、そんな骨身を削るが如き芸当、並大抵の神経じゃやっていけないぞ。いや本当に。俺みたく強靱な精神力の持ち主でなければ。

 ……こめかみの辺りが痛くなってきた。柄にもなく真面目に考えすぎたか。


「人名だってしっかり頭に叩き込んであるよ」暢気なロッコムは指折り数えて、「円卓の東側から時計回りに、議長ライア、軍部大臣ゴルバン、僕の兄で法務大臣ロクサム、財務大臣ギャンカル、外務大臣ジールセン、労働大臣フィオ、公安大臣エトリア、文部大臣ピートの計八人。人呼んで〈救国の八英雄〉、生ける伝説だね。僕らの誇りさ」


 頭皮がむずがゆくなる。俺は頭を掻いてうーんと呻いた。


「? 大丈夫かい、アライ。さっきからなんだか調子悪そうだけど」

「いや別に」


 心の中で補足させてもらうと、親議長派は前にも言及した労働相フィオと文部相ピート。中立派が軍部相ゴルバン、法務相ロクサム、公安相エトリアの三人だが、ロクサムはやや俺寄りな気がしないでもない。まあロッコムのことで少々先入観が働いてるのかもしれないが。

 財務相ギャンカルと外務相ジールセンは憎き反議長派だが、幸いにもこの二人が相当な不仲なので、俺を脅かす一大勢力の形成には至っておらず、派閥争いも微々たるものだった。偏りのない車座に相応しく、力の均衡は割と保たれているほうだろう。


「あと、極端な少人数制や任期のないことと並ぶ、この評議会ならではの特徴として、議員の年齢が極端に低いことが挙げられるね。〈世界一幼稚な評議会〉なんて揶揄やゆされることもあるけど、確かに歴史は浅いし構成員も若い人たちばかり。諸外国の平均年齢の、実に半分以下だからね。そういえば、君はライア議長と同い年なんだろう? 三の三倍の三倍……凡てが三ずくめの栄えある二十七歳」

「まあな」


 同い年も何も……。


「国によっては、政界に入ることすらままならない年齢だというのにね。文部大臣ピートが同い年だっけ」

「ああ、年齢も生まれた月も一緒だ」

「やけに詳しいね」

「ん? あ、ああ……同い年だから印象に残ってんだ」

「へえ。しかも、労働大臣フィオと公安大臣エトリアは更に若いし、最年長の財務大臣ギャンカルからして四十そこそこなんだから、幼稚と言われても仕方ないのかもしれないけどね」

「口調は齢の三倍ねちっこいぜ」

「ギャンカルのこと? 演説でも聞いたのかい」

「お、おう、まあな」

「羨ましいなあ。僕なんか顔も見たことないのに」

「大した面構えじゃないぞ」

「へえ……それでもれっきとした八英雄の一人だろう」


 そいつは美化のしすぎだ。

 〈救国の八英雄〉と持てはやされたのも今は昔。ロッコムはえらく持ち上げるが、数年経てばそんな輝かしい経歴はすっかり色せ、心ない国民から単なる政治屋とおとしめられているのが現状なのだ。

 ああ、全く嘆かわしいことである。


「とまあこんな感じかな。どうだい、直すところはなかった? 名前の間違いとか、事実誤認の箇所とか」


 現代史講義を終え、そう尋ねかけてくるロッコム。

 最後の八英雄に対する過大評価さえ除けば、修正点などどこにも見つからない。給料が安いという指摘がないのは遺憾いかんだが、今の倍貰ったとしても別に使い道はないし、どうせ試験には出ないだろう。ロッコムの認識は完璧だ。多分。


「これなら司法官が無理でも、歴史の先生にはなれるな」

「教職なんて僕には向いてないよ」


 俺は残ったリンゴの芯を波打ち際に投げ捨てた。ロッコムは掌中の芯をじっと見つめたのち、己の懐に仕舞い込んだ。


「お前の兄貴、リンゴ嫌いなんだよな」

「うん。よく憶えてるね」

「まあな。兄貴は正月も戻らずじまいか?」

「そうだね。もう二年近く会ってないや。別に心配もしてないけどね。生まれつき頑丈な人だから」


 ていうか、俺は今日顔を合わせてるんだよな。きっと。なんだか複雑な心境だ。


「ところでさ、お前、なんとかとなんとかの大賢人って聞いたことないか?」

「片方ぐらい憶えていてくれよ」いきなりの質問にもロッコムは動じず、「恐らく〈慈雨と光彩の大賢人〉のことだよね」

「知ってて訊いたんだよ」

「勉強の手助けのつもりかい? 気持ちはありがたいけど、それは試験に出ないよ。誰かが話してたのを耳にしただけだし、詳しいことは僕も知らない」

「どんな傷も一瞬で治しちまうらしいぞ」

「今日は不思議な日だね」ロッコムはまじまじと俺を見て、「君の口からそんな夢語りふうの虚言が出てくるなんて」

「悪かったな」

「確かこの国に来てるんだろう。会いたいのかい、アライ?」

「違うっつーの」


 ロッコムの耳にも入っていたか。こりゃあ大賢人の噂を知らなかったのは、本当に俺だけなのかもな。


「そろそろ行くよ。練習の邪魔して悪かったね」


 立ち上がるロッコムに、俺は待てと制して竪琴を掴んだ。


「お別れに一曲歌ってやるよ。悲運の歌聖キコノヒー作〈別離と碧空の唄〉だ。ぴったりだろ?」

「い、いや、それはその、別の機会に頼むよ」


 ロッコムは手と首をブンブン振って全身で拒否の意を示した。なんだよおい、人の厚意を無にしやがって。


「じゃあね、また会おう」


 そう言うと、ロッコムは脇目も振らず駆け出した。両手で二つの耳をがっしり押さえながら。

 あいつは本当にいい奴なんだが、たまにおかしな言動をするんだよな。今だってそうだ。こと音楽絡みの話題になると、逃げるみたいに姿を消しちまう。大方芸術関連には興味ないんだろうな。一般教養の試験範囲でもないし。でなきゃ俺の名演に耳を傾けないはずがない。

 再び浜辺に独り。改めて〈別離と碧空の唄〉の旋律を奏でる。

 海面の魚を捕らえるかに見えた海鳥が、錐揉きりもみ状に急降下して海に落ちた。

 おい……何やってんだ。ちゃんと飛べよ。俺が弾いてるのは死別の唄じゃないんだぞ。

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