星の船

 ――20XX年

 真っ暗な宇宙空間に浮かぶ銀色の宇宙船『アドベンチャーシップ号』火星移住者用の連絡船である。年に2回、地球と火星の往復をしている。

 この船の乗員たちは、もう二度と地球には帰らないことを覚悟して乗船してきた者たちである。火星移住計画は各国が協力し合って、約20年前から始まっていた。すでに火星には、立派な住居用コロニ―があり、その中では自給自足しながら、約10万人近い地球人がそこで暮らしている。

 レイラは黒い髪と瞳を持つアジアン系の娘である。今年20歳になったばかりの彼女は、たったひとりで火星移住船に乗っていた。

 火星移住船『アドベンチャーシップ号』に乗船するためには、必ず誓約書を書かされる。それには「二度と地球には戻れない」という条件付きだった。当然、レイラの両親と友人たちは泣いて、怒って、必死でレイラの火星移住を反対したが、彼女は頑として受けつけなかった。

 レイラには誰にも言えない。――秘密があったのだ。


 JAPAN・エリア38に住むレイラは、ごく普通の女子大生だった。

 勉強よりも親より大事なモノがある。それは年頃の女の子なら誰でも一番大事な存在であろう。そう、それは『恋人』の存在だった。

 同じ大学に通うケンタとは学部の研究チームで知り合った。彼も同じアジアン系でJAPONの血が濃い。ふたりは知りあって間もなく深く愛し合い、この人とは人生を共に歩む『運命の人』だと、そうお互いに思い合っていた。

 ――ふたりには夢があった。

 結婚したら、ふたりで火星移住すること。火星のコロニーで『遺伝子工学』の研究をしたいとケンタは希望していた。大学の研究チームでは、極秘に人類の遺伝子DNA操作の研究をしている。それは遺伝子DNAを細胞から取り出し人工的な操作を加え、それを利用して、遺伝子産物〔タンパク質〕を細胞につくらせる技術である。

 遺伝子組み換えなど、優秀な遺伝子DNAを選び出し、遺伝子操作を行い、体力・知力・免疫力・容姿など優れた人類を生みだすための研究なのだ。

 宇宙のいかなる環境に順応できる『新しい人類』を創ることがケンタの夢だった――。


 20XX年、地球は不穏ふおんな時代だった。

 世界の流れが大きく二つに分かれていた。ユーロを貨幣に統一されたヨーロッパ諸国とアメリカ、オーストラリア、日本とアジアの諸国が一つになり『地球統一国家』を創ろうという動きがあった。――しかしアジアの大国C国と北の強国R国だけが、イデオロギーの違いから反目して独自の路線を進んでいた。

 特にJAPONと隣接するC国は領土問題で小競り合いがあり、最近ではテロも多発していた。特に、C国のテロは同じアジア人種なのでカモフラージュも上手く、あらゆる公共施設内で度々テロを仕掛けてきていた。

 しかも意図的に若年層をターゲットにしているようで、学校や遊園地など子どもや若者が多く集まる場所に、時限爆弾を仕掛けるという卑劣ひれつぶりである。

 その日も午前中の講義が終わり、いつものように、レイラとケンタは大学の食堂で仲良くランチを食べていた。他愛ない冗談で笑い合って、短い休憩時間を恋人と一緒に楽しんでいた。それはふたりにとってありふれた日常だったのに……。

 悲劇は突然起こった!

 いきなり閃光を放って、耳をつんざくような爆音が建物の中に轟いていった、ふたりはもの凄い爆風に飛ばされた。その瞬間、ケンタがレイラを庇うように強く抱きしめてくれたのだが……。


 気がついた時、レイラの身体の上にずっしりとした重みが覆い被っていた。

 それは血まみれの肉布団と化したケンタだった。大学の食堂内は瓦礫と死体に埋もれていた、やがて、火の手が上がった。建物のあっちこっちで赤い炎と白い煙が充満して、まさに地獄絵図のそのものだった。

 レイラに被さったケンタの上には、飛んできたコンクリートの壁が乗っていて、その重みで動けなかった、早く逃げないと煙に巻かれて焼け死んでしまう。


「ケンタ! ケンタ! ケンタ!」

 レイラは泣き叫んで呼んだが、ケンタには意識がなさそうである。

 大声で叫ぶレイラの声にレスキュー隊員が駆けつけて救助してくれたが、火の回りが早くて瀕死のケンタまで助けられなかった。

 レスキュー隊員によってレイラが外に運び出された。まさに数分後、大騒音と共に大学食堂の屋根が崩れ落ちた。その瞬間、取り残された人々全員の死亡が確定された。――ケンタもその内のひとりだった。

 最後に崩れ落ちていく……建物の中から、ケンタの声が聴こえたような気がした。

 運ばれた病院のベッドでレイラは泣いた。

 自分ひとり助かっても、ケンタがいないのなら、死んでしまった方がマシだったと……レイラは泣きじゃくった。

 病院のベッドで数日間、泣いたり、呆けたり、ケンタの後を追うことばかり考えていたレイラだったが、ケガが回復してくると次第に落ち着きを取り戻してきた。


 ――入院中、レイラは何度々もケンタの夢を見た。

 夢の中で、ケンタはなにか言いたげに、いつも自分の研究室のロッカーの前に立っている。『新しい人類』を創るのがケンタの夢だった、そのために日夜研究し続けていた彼は、こころざしなかばで卑劣なテロに命を奪われたのだ。

 ケンタのその無念を思うと、このまま自分まで死んでしまってはいけないのだとレイラは考え始めていた。

 夢の中でケンタが自分にメッセージを送っているのだと思った。研究室のロッカーの中に、なにか秘密が隠されているのかもしれない。

「ケンタ、そこにあるのね?」

 あれだけの大惨事にも関わらず、レイラの傷は大したこともなく、二週間ほどで退院することになった。

 きっとケンタが守ってくれたお陰だわ、爆風で飛ばされた時、とっさにケンタが自分を抱きしめて、飛んでくる瓦礫からこの身を守ってくれたのだ。

 こうして生きていられるのはケンタの犠牲があったからこそ、だから自分の命を粗末にするようなことは決してしない。ケンタへの感謝の気持ちを、レイラは死ぬまで忘れないと心の中で誓った。

 退院した日、レイラはその足で大学の研究室へ向かった。

 どうしても気になる、ケンタのロッカーを開けてみたかったのだ。そこにいったいあるのだろうか? 

 カードキーとパスワードは、ケンタから以前に預けられていたので分かっている。レイラは恐る恐る、カードキーを挿入して、パスワードを打ち込んだ。


 ロッカーの中には小型の冷凍保存瓶が入っていた。

 ――冷凍保存瓶には『実験サンプル・ケンタ』とラベルが貼ってある。

 その中には試験管に入った精子が冷凍保存されていた。これはケンタが実験していた遺伝子操作された、ケンタの精子に違いなかった。

 彼は非常に優れた研究者で独自の研究を展開させて、その最終段階として自分の精子に遺伝子操作を行い、後は、それをレイラの子宮で卵子に受精させて実験の成果を確認する段階まで出来上がっていたのだ。

「――この試験管の中には、ケンタの遺伝子と彼の実験成果が入っているんだわ」

 躊躇ちゅうちょすることなく、レイラは大学の研究室から冷凍保存瓶を盗んだ。

 覚悟を決めて! レイラのやることは決まっていた。その足で『火星移住センター』に行き、火星移民の手続きにおこなった。

 たった、ひとりで移民を決意してやってきた若い娘に、移民センターの職員は驚き、思い止まるように諭されたが、火星にフィアンセが住んでいますからと、嘘をついて火星移民の手続きを完了させた。

 後は、火星移住船『アドベンチャーシップ号』の出港日を待つだけだった。

 ひとりで火星の旅立つレイラに両親と友人たちは、最後の最後まで引き留めようと説得し続けたが、レイラの決意はダイヤモンドよりも硬かった。


 ついに『アドベンチャーシップ号』の出港日――。

 娘の旅立ちに、悲観に暮れて泣く母の声を背に……レイラは凛として、宇宙船に乗り込んでいった。――もはや、彼女の意志をさえぎるものはなにもなかった。

 やがて発射台から飛び立った、宇宙船『アドベンチャーシップ号』は大気圏を抜けて、宇宙へと航海の旅が始まった。

 宇宙船の窓から、青い地球が眼下に見える。そして段々と小さくなっていく――。

 もう二度と戻れない、母なる地球にレイラは最後の挨拶をした。


「さよなら、地球……」


 そう呟いて、宇宙服の中の自分のお腹をさすってみる。

 出港の数週間前にレイラは極秘で体外受精の手術を受けてきた。ケンタの精子はレイラの子宮で卵子と結合して着床していた。まず、レイラの妊娠は確認できている。

 妊婦や病人は火星移民船に乗れないので、出港前の健康診断が済ませてから、体外受精の手術を受けたのである。――だからレイラの妊娠を誰も知らない。

「ひとりぼっちじゃないわ。あなたがいるから……」

 もう一度、愛おしげにお腹をさする、そこには新しい生命が宿っている。


「ふたりの赤ちゃんが火星で生まれるのよ」


 暗黒の宇宙を航海する、宇宙船『アドベンチャーシップ号』目指すは、赤い惑星マース。


「ケンタ、あなたの夢を火星で叶えてみせるから……」


 希望を抱いて、幸せそうにレイラは目を瞑った――。



                   ― eternity ―

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