皇女と言えば帝の娘である。

 これ聞いたときの平間の感想は「んなわけあるか」であった。

「故あって身を隠したいのじゃ。済まぬが、お主の旅に同行させてもらいたい」

「若気の至りというのは恐ろしいものだな。このことは黙っておいてあげるから、家に帰るんだ」

「……は?」

「いくら子供でも、自分が皇族だなんて言ってはいけない。刑部に知れたらさすがにただでは済まないぞ。まあ誰でもこういう時期はあるもんだ。俺だって昔はそうだった。多少は」

「……そうですか、わかりました」


 そう言うと壱子はおもむろに外套を脱ぎ、地面に落とした。中に着ていた着物は決して煌びやかではないものの、なかなか質が良さそうに見えた。生地は絹だろうか。続けて、その着物の襟元をはだけはじめる。平間は思わず目をそらした。

「こ、こら! 君のような年端も行かない子が、そんなことしたらいけません!!」


 刹那的に、忘れかけていた「こわい仲間たちがうんぬん」という言葉が平間の頭をよぎる。慌てて周囲を見渡す。良かった、怖いお兄さんはひとまず見当たらない。というか、美人局つつもたせの「つつ」って何だろう。やっぱりアレ*のことなのだろうか。

「これを見よ」


 これとは。二つあったりしないかなそれ。何色だろう。何色じゃないふざけるな。

 平間京作の妄想癖に火がついた。

「いいから! 隠して! 服を着なさい!」

「何をそんなに慌てているのじゃ。いいから見よ」

露出狂かな? いつの間にか口調も崩れているじゃないか。

「見ません! おじさんにそんな趣味はありません!」

「何をわけの分からないことを言っとるんじゃ……」

 分からないのは平間のほうである。


「いいから!」

「本気で言ってるの!?」

「冗談でこんなこと言わないじゃろ」

そんな真摯な気持ちで言ってくれているのか。結構うれしい。感動的ですらあった。色仕掛けで落ちたと思われるのは平間にとって不満だったが、この際そんなことはどうでも良かった。

よし、そこまで言うなら仕方が……いやいやいやいや。

「気持ちはうれしいけど、やっぱりまだそういうのは早いんじゃないかな!」

「ごちゃごちゃと……はよう見んかい!!」

 言うが早いか、壱子は平間の顔を両の手で挟みこみ、無理やり自分の胸元に向けさせる。

 最近の若い子はこうも積極的なのか……と、平間は半ば諦観して目を開けた。


「……ん?」

 目に入ったのは、なだらかな双丘……ではなく、少女の胸骨**の辺りにある紋様だった。どこかで見たことがある。これは確か……。

「皇室の紋でじゃ。この皇都で暮らす方なら一度は目に入れたことがあるじゃろう」

 そうだ、御紋だ。乱れ波に菊の花。


「あまり知られてはおらぬが、皇室の系統の者は皆、普段は服で隠れる体の何処かに、生まれて間もなく紋を彫る。具体的には上腕や腰、かかとなどじゃ。また、この艶やかな黒色は独自の配合の墨を用いておるから、この黒の紋は皇室の出であることの証明になる。その配合を知る者は数えるほどしかおらぬからな」

 なるほど、確かに普通の刺青の色とは違い、かなり強い黒色であるものの、しかし質感は刺青のそれであった。仕立ての良い着物といい、この刺青といい、平間にはこの少女が嘘を言っているように思えなかった。


「私の言ったこと、信じてもらえたかな」

 心なしか勝ち誇った顔をしているように見えた。しかし実のところ、平間の中では未だ半信半疑、と言ったところであった。


さて、現時点で平間の取れる選択肢は二つ。

その一、信じないで無視する。

その二、とりあえず信じたことにする。

前者は十中八九問題ないが、万が一本物の皇女だった場合不敬罪か何かで死を賜る可能性がある。後者の場合は……どえらい詐欺師かもしれないが、少なくとも死ぬ未来は今のところ見えない。

死ぬ可能性は無いに越したことは無い。損して得取れ、である。平間はひとまず、信じているていを取ることに決めた。


「にわかには信じられないが、とりあえずそういうことにしておきましょう。……そうだ、匿ってくれと言うのはどういう意味です?」

「良くぞ聞いてくれた。私は今日、王宮を抜け出してきたのじゃが、すると、私は皇女なので、皆が探してくれる。だが、私としては見つけられるわけにはいかないので、見つからないように匿って欲しい。こういう意味じゃ」


「丁寧な説明をどうも。お陰で、前提以外は理解できました」

「それは良かった。うふふ」

「だが分からないのが、何故、その皇女様が王宮を抜け出したりしたのかということです。王宮で暮らしていれば何ひとつ不自由など無いでしょう? 日々あくせく働いてようやく飯にありつけている私としては、はっきり言って羨ましい限りですが」


「そうですか……じゃが、私にとってはお主らのような民草の暮らしが羨ましくて仕方がない。王宮には美味しいもの、煌びやかなものが溢れておる。下女達も皆、優しい」

「最高じゃないですか」

「そうかも知れぬ。じゃが、王宮には決定的に足りない物がある」

「というと?」

「未知です」

「未知?」


「うむ。毎朝同じ時間に起き、毎日同じように美味しい飯を食べ、同じ顔と語らい、同じ場所から出ず、同じ時間に眠りにつく。確かに不自由は無いかもしれぬが、自由も無い。私は今年十二になったが、物心ついてから今まで、この暮らしは変わりはせなんだ。きっとこの先も、おそらく死ぬまで変わることは無いじゃろう。今のままでは」

堰を切ったように壱子は語り続ける。

「私は、そんな生き方は嫌だと思った。気の向くままに、何にも囚われず、行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、見たいものを見たいのじゃ。だから私は王宮を抜けた。一応ある程度の計画と準備はしていたのじゃが、拍子抜けするくらい簡単に出られたよ。皇女とは言え八番目じゃ。いてもいなくても変わらないのであろう」

 壱子はそう言って、自嘲気味に笑う。


「ちなみにじゃが、お主のことも識っておるぞ、平間京作。かつては学術院きっての天才と言われ、将来を羨望された身だとか」

 壱子が自分のことを知っていたことには驚いたが、それ以上に、平間の頭には血が上っていた。

「……そんな天才が、こんな所で燻っているはずが無いでしょう。私は一介の小役人に過ぎませぬ」

「才ある者も機あらねば大成せぬ」

「機は既に得ておりました。それを活かす才が、私には無かったのです」

「その声色から察するに、本心では無かろう」

「黙れ! 小娘に俺の何が分かると言うのだ」

 平間は思わず大声を出した。

しかし壱子は、自分の背丈をゆうに越える男に怯んだ様子は無い。


「……わからぬよ。じゃがの、こうは考えられぬか。私は皇女じゃ。悪いが、お主が欲しいものは全て持っておるといって良いじゃろう。金も、権威も」

「それがどうした。あてつけか」

「違う。お主にはこれを取引だと考えて欲しいのだ。私は皇宮の外の世界が見たいが、そのための知識も権利も無い。しかしお主はそれを持っている。私はそれが欲しい。もちろん只でとは言わぬ。この皇女の願いを聞き入れてくれた暁には、私の出来る範囲でお主の望むものを与えよう」

 いつの間にか壱子は膝を付き、平間にこうべを垂れていた。

「……どうだろうか」



*アレはアレ。

**左右の肋骨の間で腹側にある骨。心臓マッサージの時に押すところ。

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