さみどりの野――国立天文台野辺山

 佐藤弓生さんは、「かばん」という歌誌を出している、歌人集団かばんの会の所属だ。

 同じ「かばんの会」の歌人さんの歌集を図書館で見つけて、借りてみた。その、杉﨑恒夫『食卓の音楽』(注1)という本を読んでいて「あっ」と思うことがあったので、次の休みの日、本を持って十和ちゃんの家に行った。

「あのね、ちょっとここ読んでみてくれる?」

と、巻末の『「食卓の音楽」に寄せて 前田雪子』という栞文を示す。

 作者略歴やあとがきによると、杉﨑さんは三鷹の東京天文台に長年勤務し、退職後にこの歌集を出版したらしい。杉﨑さんの師匠は歌誌「詩歌」の前田透という歌人で、雪子夫人の栞文には、こう書かれている。


〈透の生前、梅が満開の春浅いある日、三鷹の天文台に伺い、六十五センチ大赤道儀やアインシュタイン塔などを見せて頂きました。〉


「……あーなるほど。この人の縁で、多分、他の歌人も天文台見学してるんだ」

 十和ちゃんも、うんうんとうなずいている。

「ねぇ十和ちゃん。この前、三鷹の天文台に行ったときも東京天文台ってあちこち書いてあったけど、東京天文台って何?」

「天文台三鷹は、昔は東京大学の施設だったんだよ。東京天文台と、名古屋大学の空電研究所と、岩手県の緯度観測所がくっついて、国立天文台ができたの。一九八〇年代後半だったかな? だから、この人が退職したときは多分、まだ東京天文台」

 それから十和ちゃんは、まるで悪い話でもするみたいに、声を潜めた。

「ここだけの話、〝国立天文台〟って、あたしよりも若いんだよ」

 ……八〇年代後半だったら、わたしよりも若いかもしれない。

 それはさておき、十和ちゃんは栞文の続きを読んで感心している。

「へぇー野辺山のべやまを詠んだ短歌なんてあるんだー、初耳」

 野辺山の宇宙電波観測所、というところを杉﨑さんに案内してもらった前田さんは、直径四十五メートルのパラボラアンテナを見て、昭和五十九年の歌会始の歌を詠んだらしい。


   宇宙電波に白き影おくアンテナはさみどりの野に日をかえしおり


「オーストラリアで十和ちゃんが撮った写真にもアンテナ写ってたけど、何に使うの?」

 十和ちゃんは一瞬、虚をつかれたような表情になった。

「そりゃそーか。みっちーは望遠鏡って言ったら、筒の両側にレンズがついてる奴か」

 歌集をぱたんと閉じると十和ちゃんは、机の上のパソコンに電源を入れた。

「これ、国立天文台野辺山のサイト。このパラボラアンテナが、全部、望遠鏡なんだよ」

 そう言って、サイト内の写真を見せてくれる。青い空。頭に雪を被った高い山並み。緑の草原の中に、日の光を浴びて輝く白いアンテナたちが立っている。大きなアンテナが一つと、中くらいのアンテナが幾つかと、小さなアンテナがとにかくたくさん。

「夜空を見ると、星が光ってるでしょ。〝光〟ってのは電磁波の一種なんだけど、星や銀河は、光以外の電磁波も出してるんだよね。電波とかX線とか。でも、宇宙から届く電波ってすごく弱いから、受信するためには、衛星放送のアンテナの巨大版が必要なワケだ」

と、一番大きなアンテナを指差す。これが、四十五メートルのアンテナかぁ。

「中くらいのと、小さいのはなあに?」

「直径十メートル六台のが野辺山ミリ波干渉計、NMA。小さいのは太陽専用の電波ヘリオグラフで、直径八十センチが八十四台。野辺山には宇宙電波観測所と太陽電波観測所があって、ヘリオグは太陽電波のほうの持ち物」

 え、えぬえむえー? へりおぐ?

「ざっくり言うと、この〝六台〟とか〝八十四台〟は下でケーブルで繋がってて、六台なら六台が全部セットで同時に同じ星を観測するんだよ。結合型干渉計って言うんだけど。

 望遠鏡って、分解能って言って直径が大きければ大きいほど細かいものを見分けられるけど、直径百メートルのアンテナとか作るの大変じゃん? 代わりに、小さいアンテナ幾つか作って、百メートル離して置いたら、直径百メートルの望遠鏡と同じ分解能になるの」

「……なるの?」

「なるの。分解能だけね。アンテナのお皿は小さいから、強い電波しか受信できないよ」

 わたしが目をぱちくりしていると、十和ちゃんは

「小難しい理屈は置いといて、あのデカいアンテナは一度みっちーに見せたいなぁ。あたしが教授の観測の手伝いで行ったのは真冬だったけどさ、いやもう、デカいってのはそれだけで凄いよ? 世界変わるよ? でも遠いっつーか、行くの大変なんだよねココ」

「そういえば、野辺山ってどこなの」

「長野県。山梨県との県境。JR小海こうみ線の野辺山駅ってのが、標高千三百メートル以上あって、JRで一番標高の高い駅なんだ。隣の清里駅はもう山梨県で、ここも有名な観光地なんだけど、小海線が一時間に一本あるかないかなんだよねぇ……」

 はあ、と十和ちゃんがため息をつく。

「東京から、長野新幹線の佐久平駅で乗り換えたら、新幹線は速いけど小海線に乗ってから一時間半。JR中央線の特急を使って小淵沢駅乗り換えだと、小海線三十分。全体の所要時間は大差ないのに、新幹線の分だけ料金が高くつくから、あたしらは中央線ルートだったよ。そのほうが途中に清里も、清里と野辺山の間にJRの最高地点もあるしねー」

 それからパソコンで、十和ちゃんが野辺山に行ったときに撮った写真も見せてくれた。一面の雪景色に白いアンテナ。ハッキリ言って、何が何やらわからない。

「だからいつも言ってるだろ。あたしに、写真の腕はない」



(注1)杉﨑恒夫『食卓の音楽』は1987年に沖積舎から出版され、2011年に六花書林から新装版として復刊されました。作中の年代は2007年春なので、みっちーが図書館で借りたのは沖積舎版です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る