檻の中の【吸血鬼】

 村の入り口、というよりは森のど真ん中で、僕らは馬車から下ろされた。

 御者は軽く手を挙げ挨拶すると、そのまま先へと馬車を走らせていく。恐らく、人と林檎の入り口は異なるのだろう。


 僕らの入り口は、青々と茂る柵だった。

 打ち付けられた杭に近付いてみると、新芽が伸びかけていた。切り出され加工されても、まだ生きているようだ。

 ベアーの木こりが独自に伝える技法、【生け垣エバーグリーン】だろう。彼等が伐った材木は、水をかけてやればパイプにしても枝を生やすという。


 この柵も枝を伸ばし、やがて森の一部となるのだろう。人が、やがて土に還るように。


 僕らが柵の間を通り抜けると、直ぐに声がかけられた。


「ようこそ、依頼を受けてくださった方ですね? 御高名な魔石技工師ジェムエンジニアの方に来ていただけて光栄です」


 僕らを出迎えてくれたのは、ベアーと同じくらいに髭の濃い男性だった。

 革のつなぎオーバーオールの胸元には、良く磨かれた銀製のバッジが誇らしげに飾られている。白百合のバッジ――特別巡視官の証だ。


「ロディアです、よろしく。こっちはリズ。特別巡視官の方ですか?」

「ホルンと申します。名ばかりの閑職ですが、一応この村を任されてますよ」

「名ばかり等………、特視は余人には出来ないから任命されるのでしょう? 御立派だと思います」


 差し出された手を握り返しながら、僕は錆びたボタンと輝くバッジを見比べる。少なくとも、本人はそう思っているようだ。

 僕としては、立派ともそうでないとも思っていない。


 それは、役割ロールだ。


 姿の見えない誰かに振られた、単なる歯車の証明。

 貴賎の区別も無い。解りやすいか解りにくいかの違いだけで、人はすべからく役割を振られるものだ。

 同じ人から――或いは、それ以上の何かから。


 天上の演奏家が楽器に歌を命じたなら、僕たちに抗う術はない。嫌々歌うか、それとも誇りを持って歌うか。

 彼は誇りを持っている。それ自体は、誉められるべき事だろう。


「ところで、ホルンさん。修理依頼の有った魔石工芸品ジェムアーティファクトですが」

「そんなことより」


 早速仕事の話を、と思った所で邪魔が入った。背後でキョロキョロと、辺りの様子を興味深そうに眺めていた相棒、リズだ。

 その赤い瞳は、好奇心という名の毒に満ちたさかずきだ。毒杯は腐らず、呑む者をのみ害する。


「もっと、興味深いお話が有るんではなくて? お髭のおじ様」

「おじ………?」

「リズ!」


 年齢を重ねた人間に対して、それを直接的に表現するのは宜しくない。特に権力者の場合は不興を買うことが多い。

 田舎の村で住人から不興を買うのは、賢明な買い物とは言えない。そのくらい、なリズならば解っていそうなものだが。


「あら、ならば事実を言うべきかしら? 『お髭の』と?」


 成る程と僕は頷いた。

 彼女の瞳には普段、開かない瓶の蓋くらいにしか向けられないような、苛立ちに彩られている。

 詰まり――か。険のある口調と目つきは、内心の苛立ちが溢れる前に吐き出そうという腹づもりなのだろう。


 そして、溜まる苛立ちの内訳は、僕にも良く解っている。


「………この村に、が滞在中らしいじゃない?」


 ………【吸血鬼】。

 これほど有名な【幻想種ファンタジスタ】もそうは居ないだろう。闇夜に赤い血と共に現れる様には華があるし、歌劇の題材テーマに選ばれ熱狂的な信者ファンが居るのも納得だ。

 まあもっとも――がそれを良しとしているかは、また別の話だが。


 少なくとも、僕は最も身近な【吸血鬼】リズ吸血伯爵ドラキュリアを観に行こうと言ったことは無いし、吸血女王カーミラを読ませたことはない。

 良く場の空気を読めないと評される僕だが、こうして気を使う事だってあるのだ――例えば、【吸血鬼】に彼等が杭を打ち込まれる場面シーンは見せない、とか。


 そしてどうやら、荷馬車でした世間話以来のリズの様子を見るに、僕の気配りは大正解だったようだ。

 の噂を聞いたリズの機嫌は、過去最低に悪くなっていたのだ。


「あー、成る程。さてはお嬢ちゃん、荷馬車衆の噂話を真に受けたな?」

「噂………、事実ではないのかしら?」

「もちろん」


 お嬢ちゃんという呼び名を聞き流すほど、リズは真剣にホルンさんの話を聞いていた。

 ホルンさんは、自信満々に頷いた。


「火の無い所に煙は立たないものよ、特別巡視官殿? きちんと火元は確認したのかしら」

「まあ、確かに。薪が組まれていたのは事実だがね。………お嬢ちゃん、それに技工師さんも、この村に巡視官が居られない理由はもちろんお聞きでしょうね?」

「少々健康的な生活を送っていると聞いたわ。酒場バーを出店するには向かないともね」

「はは、中々詩的な表現だね。だがまあ、概ねその通り。我々は、夜、極力


 極力というより絶対と言いたいような熱心さで、ホルンさんは語った。

 噂話を真に受ける連中は、少なくないようだ。説明するホルンさんの口元には、諦めの混じる苦笑が浮かんでいた。


「言い伝えがあってね。夜、月の晩に外に出てはならない………もし出てしまうと、【森の牙】に殺される、とね」

「【森の牙】?」

「俺は狼ではないかと思っているがね。良くある話さ、自然の脅威をある種神秘的な魔物に代えて伝えるっていうのは」


 確かに、と僕は往路を思い浮かべる。

 馬車に(想像以上に)揺られた道程は、見渡す限り樹、樹、樹。昼前だというのに陽射しは遮られ、薄暗い程であった。

 これが夜ともなれば、文字通り漆黒の闇となるだろう。そんな中で獣にでも遭おうものなら、あっという間に餌食となるに決まっている。


 それを戒めるというのは、理解できる話だ。特に、分別の無い子供にも教えるために、寓話的な脚色をするというのも、僕の理解の範疇に収まる。

 そうではないのは――僕の理解が及ばないのは、


 伝承の成功。過去の教えに、現在の大人達も従っているという事実。

 狼、そんな漠然とした不安に対して、発展と開拓を旨とするヒトが大人しく従うものなのか。


 この奇怪な事実を僕の理解の箱に収める方法は、一つだけだ。


「………何かがあったから」

「え?」

「そんな根拠の無い話ではなく、明確な何か危険があったからこそ、貴方達も従っているのでしょう。そして、恐らく。?」


 姿の無い狼ではなく。

 現実に自分達を傷つける何者かがいたからこそ、伝説は拘束力を持ち住民を戒めている――巡視官を置けない程に。


 僕は、【生け垣】を振り返った。生えていたのは新芽。ということは、


 僕の見ているものを見て、ホルンさんはため息を吐いた。どうやら正解らしい。


「流石、良い観察眼をお持ちですね。その通りです。この村では、数年に一度くらい事件が起きる――血塗られた、残虐な殺人事件が」

「それも、月の晩に?」

「えぇ、まぁ。しかし、月の出ない夜なんて幾日も無いでしょう? 夜何かが起きれば、大概月は見ているものです」


 それは、確かにそうだろう。

 そしてだからこそ、伝承も月の晩に、と付け加えたのだろう。


「そこで、現れるわけね。………【】とやらが」

「夜、血、事件と来れば、仕方がないだろうね。そこで別な可能性を考えろという方が酷だよ、リズ」

「全くその通り。だからこそ………

「犯人? 捕まったの?」

「もちろん」


 あまり嬉しくなさそうに、ホルンさんは頷いた。

 僕は首を傾げる。

 事件の犯人を捕らえたというならお手柄だ。自分の役職に誇りを持っているホルンさんなら、胸を張りこそすれ、肩を落とすことなど有り得ないのではないか。


 疑問に思う僕の脇腹を、鋭打が襲った。


「………何をするんだい、リズ?」

「馬鹿ね。それとも鈍感、と言うべきかしら。歯車ギア魔石ジェムばかり見ていて、相手がヒトであることを忘れているのではなくて?」


 僕は首を傾げた。

 やれやれとばかりに、リズは深い深いため息を吐いた。


「………あのね、ロディア。ここは狭い村だわ、外界からは物理的に隔絶されている。なら――?」

「………あ」


 そうか。

 移動が容易で、頻繁に行われる都会ならば兎も角、こんな田舎ではヒトの出入りは皆無だ。3日もあれば全員と挨拶が出来るし、1週間も過ごせば彼等の顔に飽きるだろう。

 そこでの事件なら、役者は皆知り合いだ――被害者も犯人も、身近な隣人なのである。


 僕の専門分野ジェムアーティファクトであれば、妙な動きをする部品パーツは外して棄て、交換すれば良い。しかし、ヒトはそうはいかない。


 ホルンさんの憂鬱ゆううつが理解出来た――彼は、友人を牢に入れることになったのだ。友人を殺した罪で。

 胸を張るのは、難しいだろう。


 しかし僕の理解は、世の多くのそれと同じように勘違いだった。所詮ヒトが他人に寄せる理解なんて、無理解の類語に過ぎない。

 ホルンさんの憂鬱は、そこには無かった。僕にだって、良く考えれば解る筈の勘違いであったのだ。


 リズは気付いているようだった――


「………その、通りだよお嬢ちゃん。犯人は捕らえた。良く知ってる、近所の子だった。その子が、言ったんだよ――

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